く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<奈良・バサラ祭り> 4年ぶりにパレード復活!

2023年08月28日 | 祭り

【18チームがステージ・パレード・奉納演舞を披露】

 奈良の夏の風物詩「バサラ祭り」が8月26~27日の2日間にわたって繰り広げられた。1999年にスタートし、今年で25回目。県内外の「踊り隊」18チームが参加し、JR奈良駅前広場や繁華街の三条通り、東大寺・春日大社で演舞を披露した。目抜き通りでのパレードは4年ぶりとあって、沿道を多くの観客が埋め尽くした。

 バサラは「婆娑羅」。鎌倉・室町時代に流行した風潮・美意識で、音楽や舞楽でわざと拍子を外し、派手に目立つことを表したという。このバサラ祭りも、音楽も踊りも衣装も全く自由。今年の参加チームは「FGP忍」が唯一25年連続の出場、次いで「奈良市役所チーム八重櫻」が22回目だった。

 27日には午前10時半ごろからJR奈良駅の観光案内所前の広場で開会式と演舞の披露が行われた。最初に登場したのは「奈良クラブバンビちゃん」。J3に所属するプロサッカーチーム奈良クラブを応援するチアダンスチームで、開会式には奈良クラブのメンバー2人も参加していた。この後、「FIRE WAVE 椿KIDS」「キッズチアピーチーズ」と子どもたちのグループが続いた。

 「もちいどのトモミバレエDANCERS」は15回目の出場で40人を超えるメンバーが参加。赤いシャツに黒のタイツ姿で、クラシック音楽に合わせ伸びやかな踊りを見せてくれた。初参加の「A-Fam(エーファム)」は全身黒尽くめのやや怪しげな装束で登場。顔を覆った黒いレースを外すと、みなはつらつとした若い女性たちで、個性的な踊りで独特の雰囲気を醸し出していた。

 奈良駅前での演舞を終えたグループは順番に春日参道三条通りでもストリート・パフォーマンスを披露した。それぞれのグループを先導するのは大音量で踊りの音楽を流す音源車。参加グループの中では鳴子を手にしたよさこいチームが目立った。大阪府和泉市を拠点に活動する「和泉よさこい“りょく”」、“踊らにゃ損々”がモットーの「てんやわん屋」、4年ぶり参加の「みつば家」……。

 奈良市の職員でつくる「奈良市役所チーム八重櫻」は女性陣の華やかな衣装が目を引いた。金魚の産地として有名な大和郡山のよさこいチーム「花柳」の音源車は全体が金魚の作り物で飾られていた。踊り終えたメンバーたちがその車の横に並んで記念写真を撮っていた。

 最後尾にやって来たのは“飛び入り踊り隊”。海外からの観光客も含め観客が自由に参加できるもので、見よう見まねで音楽に合わせ踊りを楽しんでいた。パレードは2時間半ほど続いた。この間、沿道には踊り手たちのエネルギーと笑顔があふれ、こちらも元気を頂くことができた。

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<大和文華館> 特別企画展「文人サークルへようこそ」

2023年08月26日 | 美術

【副題に「淇園・鶴亭・蕪村たちがお出迎え」】

 東洋の古美術を収蔵する大和文華館(奈良市学園南)で、特別企画展「文人サークルへようこそ―淇園・鶴亭・蕪村たちがお出迎え」が始まった。中国の明・清時代に流行した文人画は江戸中期以降、画譜の伝来や黄檗僧の来日などによって伝わり、日本でも多くの文人画家が生まれた。その変遷と交流の輪の広がりを中国・日本の作品45点を通して辿る。9月24日まで。

 展示は3章立て。まず「中国 文人画の展開」で惲向(1586~1644)筆『冬景山水図』や高其佩(1672~1734)筆『閑屋秋思図』など8点を紹介する。高其佩は指や爪で描く指頭図(指墨とも)の名手。筆を使わず指で描くことは心の動きを直接的に表現できる手段として文人たちに好まれた。

 「中国から日本へ 文人文化の伝播」の章では、中国山水版画の名品といわれる『太平山水図集』(1648年刊)や多色刷りの『芥子園(かいしえん)図伝』など画譜7点が並ぶ。『太平山水図集』は太平府(安徽省)の景勝を描いた43図からなる。文人画家の蕭雲従が描いた原画を、彫刻を担当する刻工らが忠実に再現した。(下の作品は柳沢淇園筆『指墨竹図』)

   

 中国の文人文化は詩書画に優れた高級官僚が主体で、自由な境地を示す山水や“四君子”と呼ばれる蘭・竹・菊・梅などが主な画題となった。これに対し、日本では武士や町人、農民など身分を越えて文人たちの交流の輪が広がったのが特徴。「日本 文人サークルの豊かな交流」の章では<淇園・鶴亭><蕪村・呉春><半江・竹田>の3つのグループに分けて作品を紹介する。

 柳沢淇園(1703~58)は日本の文人画の先駆者の一人で、中国で流行った指墨をいち早く取り入れた。展示作品『指墨竹図』(個人蔵)も指の腹や爪を使って竹の葉を伸びやかに描いている。鶴亭(1722~85)は長崎出身の黄檗僧で、淇園と親交があった。鶴亭の『墨竹・墨蘭図』『芋茎(ずいき)図』『雁来紅に小禽図』(いずれも個人蔵)は今回が初公開。鶴亭筆・淇園賛の『墨竹図』(個人蔵)も展示されている。池大雅(1723~76)の『七老戯楽図』も展示中。大雅は若いころ淇園より薫陶を受けた。

 池大雅とともに文人画の大成者といわれるのが俳人の与謝蕪村(1716~83)。蕪村の展示作品は四曲一隻の『蘭石図屏風』。呉春(1752~1811)はその蕪村に俳画や文人画を学んだ。呉春の展示作品は『春林書屋図』。呉春に学んだ上田公長(1788~1850)の『三俳人図』など2点も並ぶ。

 19世紀前期には岡田半江(1782~1846)や田能村竹田(1777~1835)らが京都・大坂を中心に盛んに交流を行った。展示作品は半江筆が『山水図巻』(関西大学図書館蔵)など2点、竹田筆が『翰墨随身帖』(上の作品)。この竹田の作品は九州から上京の途中、下関で描いて地元の篆刻家に贈ったもの。江戸中期から明治時代にかけ文人たちがいかに重層的な交流を通じ切磋琢磨していたのか。特別展でその一端を垣間見ることができた。

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<奈良公園散策> 興福寺五重塔修理へ素屋根工事本格化

2023年08月23日 | メモ

【鹿たちは猛暑を避けるため四阿や木の下に】

 8月22日久しぶりに奈良公園を散策した。猿沢池から石段の「五十二段」を登って興福寺へ。五重塔は修理に向けて塔を覆う素屋根の建設工事が本格化していた。奈良公園では猛暑を避けるため大きな木の下で休む鹿たちの姿があちこちで見られた。雄鹿たちが休憩用の四阿(あずまや)を占拠し、観光客が遠慮する場面にも遭遇した。

 現在の五重塔は600年ほど前の1426年ごろに建てられた。本格的な修理工事は明治時代以来約120年ぶり。塔を夜間照らし出すライトアップも8月20日で終了、一帯は工事用フェンスで囲まれ立ち入り禁止になっていた。素屋根は高さが約60mにもなり、その完成後、屋根瓦の葺き替えや木部、漆喰壁の修理などが行われる。工事が終わるのは7年後の2030年3月の予定。

 五重塔を望む猿沢池の水面にはいくつもの赤い提灯が飾られていた。猿沢池やならまち界隈では「ぐれーとさまぁーふぇすた☆ならまち遊歩」と銘打ったイベントの開催中(8月19~27日)。今年で7回目を数え、夏の風物詩として人気を集めているそうだ。日が落ち赤い提灯に灯が入った光景はさぞ幻想的なことだろう。

 奈良県庁の南側に広がる芝生広場の登大路園地。観光客の休憩用の四阿をふと覗くと、そこには立派な角を生やした雄鹿を中心に5~6頭が我が物顔で占拠し涼んでいた。2人の観光客が遠慮がちにベンチの隅っこに座っていたが、ほとんどの人たちは入るのを躊躇していた。その近くのクスノキの大木の下では雌鹿たち十数頭が強い日差しを避けて休んでいた。そばには今春生まれたばかりの子鹿も3頭ほど。

 飛火野園地の一角にある「雪消(ゆきげ)の沢」では、アオサギのそばで1頭の雌鹿が池の中に入って暑さをしのいでいた。春日大社の表参道沿いでは「チュイーン」という甲高い子鹿の鳴き声が響き渡っていた。母鹿を呼ぶこの声はあちこちから聞こえた。子鹿の公園デビューから暫くたったこの時期、母鹿は朝、乳を与えた後、子鹿から離れて行動することが結構あるそうだ。

 参道のそばで首輪をはめた鹿に久しぶりに出合った。この首輪には位置情報を調べるためのGPS(全地球測位システム)機能が付いている。以前初めて見かけたときは誰かがいたずらでベルトを巻き付けたのでは、と思ったことも。この雌鹿の首輪の正面には「調査中01」と記されていた。

【罰で一生を「鹿苑」内で過ごす鹿たち】

 その後、参道脇にある「鹿苑(ろくえん)」へ。ドングリを紙コップに入れて給餌用の樹脂製パイプに近づけると、木の下で休んでいた20頭ほどが一斉に駆け寄ってきた。飢えていたように競って食べる鹿たち。実はこの鹿たち、畑や花壇を荒らしたり、気が荒くて人に危害を与えたりして通報され、「奈良の鹿愛護会」のメンバーによって捕獲され、ここに収容されている鹿ばかり。

 鹿苑には交通事故や病気などで収容されている鹿もいる。これらの鹿は治療が終わって回復したら、また奈良公園に放たれ自由の身になる。だが、畑を荒らし人身事故を起こした鹿は雄と雌に分けられ一生を鹿苑で過ごす。まるで“無期刑”のように。そんな鹿がこの施設内に約300頭も収容されているそうだ。毎年7月になると奈良公園で確認された鹿の頭数が発表される。今年は1233頭で3年ぶりに1200頭を上回った。この数字の中に、収容中の鹿たちは入っていない。

 奈良の鹿は神の使いとして古くから大切に保護されてきた。「奈良のシカ」として国の天然記念物にも指定されている。しかし交通事故が頻発し、食害や公園外への逸失で鹿苑に連れ戻される鹿も多い。鹿にとって環境は厳しさを増している。このままだと今に奈良公園の鹿より鹿苑の収容鹿のほうが多いときが来るかもしれない。ふだんおとなしい鹿も野生の動物。出産直後の母鹿や発情期の雄鹿は当然攻撃的になる。市民も観光客もそんな特性を踏まえて接し、もっと寛容な眼差しで鹿を見守ってほしい。そう願ってやまない。

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<東大寺ミュージアム> 特別企画「東大寺文書の世界―ハンコとサイン」

2023年08月16日 | メモ

【源頼朝や足利尊氏の花押、織田信長の「天下布武」印】

 将軍など歴史上の人物は自分の手紙や書類である証(あかし)として、どんな印(しるし)を残したのだろうか。東大寺南大門のそばにある「東大寺ミュージアム」で、そんな疑問に答える夏休み特別企画展が開かれている。題して「東大寺文書(もんじょ)の世界―ハンコとサイン」。花押(かおう)が記された源頼朝の書状や「天下布武」印が押された織田信長の朱印状などが並ぶ。8月27日まで。

 東大寺には多くの古文書が伝わり、1万点近くが一括して「東大寺文書」として国宝に指定されている。今回はこのうち5点も展示中。「源頼朝書状(九月八日付)」は鎌倉幕府を開いた頼朝が、大仏殿の再興に奔走していた大勧進重源に宛てて書いたもの。大仏殿は1180年の平重衡ら平氏軍による南都焼き討ち(治承の兵火)で焼失していた。この書状には頼朝の頼の偏「束」と朝の旁「月」を合体した花押が頼朝のサインとして記されている。

 「足利尊氏椋橋庄(くらはしのしょう)寄進状」は室町幕府を開いた尊氏が東大寺に対し、椋橋庄(現在の大阪府豊中市)という荘園を寄進したことを記したもの。末尾の「源朝臣」の下にある花押が、尊氏からの書状であることを示す。尊氏の改名前の名は「髙氏」。尊氏の花押はこの「はしご高」をもとに考案したともいわれる。

 織田信長の印は朱色の印肉で押された「天下布武」印が有名。1572年の「織田信長朱印状」にも日付の下に名前と「天下布武」の朱印が押されている。この書状は織田家の本拠地尾張の出身で、大仏殿の再建に取り組んでいた清玉上人に宛てたもの。東大寺の大仏殿はその5年前の「永禄の兵火」で再び焼け落ちていた。清玉上人は本能寺の変後、信長の遺灰を阿弥陀寺(京都市上京区)に持ち帰って埋葬したといわれる。境内には「織田信長公本廟」がある。

 「豊臣秀吉朱印状」(1595年)は本能寺の変の後に、豊臣秀吉が東大寺に宛てて出したもの。その中には大和国添上郡市本村(現在の奈良県天理市櫟本)の領地を東大寺のものと認めるとの内容が記されている。

 サインの花押やハンコの印章が生まれる前には「画指(かくし)」という方法もあった。署名代わりに自分の指の形を書いたもので、男性は左手、女性は右手の人差し指と決まっていた。奈良~平安時代に多く使われ、鎌倉時代に入ると次第に使われなくなったという。展示中の「佐伯四郎丸田畠作手売券」は鎌倉初期の1202年に土地を売り渡したときの証書。展示中の史料点数はさほど多くないが、中世を中心に署名の変遷を辿るうえでも見応えのある企画になっている。

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<ヨウシュヤマゴボウ(洋種山牛蒡)> 北米原産の帰化植物

2023年08月15日 | 花の四季

【全草有毒、黒紫色の実を房状に】

 北米原産のヤマゴボウ科ヤマゴボウ属の多年草。日本に渡ってきたのは明治初期といわれ、今では帰化植物として全国に広がり、道端や空き地、公園の植え込みなどでもよく見かける。古くから人里に近い山野に自生するヤマゴボウの仲間で、海外から渡来したことからその名がついた。別名「アメリカヤマゴボウ」。

 根は細長く食用のゴボウ(キク科ゴボウ属)に似るが、分類上は全く無縁。夏から秋にかけて赤色を帯びた茎の先の総状花序に白い小花をたくさん付け、花後に果実が緑色から黒紫色になって垂れ下がる。草丈は1~2m。学名「Phytolacca americana(フィトラッカ・アメリカーナ)」。属名は「植物」と「紅色の」の合成語、種小名は「アメリカの」を意味する。

 フラワーアレンジメントの花材として使われ、熟した実が草木染に用いられることも。ただ有毒植物のため取り扱いは要注意。誤食すると嘔吐や下痢などの中毒症状を引き起こす。モリアザミ(キク科アザミ属)などの根や加工品が「山ごぼう」として市販されていることもあって、ヨウシュヤマゴボウの根も食べられると勘違いする人がいるようだ。子どもが実をブルーベリーと間違って口にするといったケースも報告されている。

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<橿考研付属博物館> 発掘調査速報展「大和を掘る38」

2023年08月13日 | 考古・歴史

【縄文~室町時代の31遺跡の出土品約450点!】

 奈良県立橿原考古学研究所付属博物館(橿原市)で夏恒例の発掘調査速報展「大和を掘る」が開かれている。38回目の今年は2022年度に発掘調査が行われた県内13市町村・31遺跡から出土した約450点を一堂に展示中。馬の絵が書かれた井戸枠、国内最大級の子持ち勾玉(まがたま)、用途が不明な土製品など注目を集めそうな出土品も並ぶ。9月3日まで。

 2022年度に最も話題を集めたのが国内最古・最大の蛇行剣(保存処理中)が出土した富雄丸山古墳(奈良市)。会場内ではこの古墳の円丘部南東側から出土した湧水施設形の埴輪を、独立したガラスケース内で展示している。水の祭祀に関わるものとみられる。同古墳を紹介する別のコーナーでは盾形埴輪や管玉、鍬形石などの出土品も展示中。

 京奈和自動車道奈良IC開発に伴う平城京左京六~八条・一~三坊(奈良市)の発掘調査では墨書で馬の絵を描いた板が見つかった。1頭の馬が生き生きと描かれており、井戸の枠材として転用されたとみられる。大型動物の骨なども出土した(下の写真)。当初は馬の骨とみられていたが、専門家に調べてもらったところ牛と判明した。平城京で馬のほか牛も利用されていたことを示す貴重な遺物だ。

 平城京南方遺跡(奈良市)からは奈良時代の瓦窯1基が出土した。調査地北側にある五徳池が古い文献に出てくる越田池と考えられることから、長屋王邸北側の側溝から出土した木簡に記された「越田瓦屋」の一部と推定されている。

 史跡東大寺旧境内の第194次調査では、鐘楼周辺から「大佛餅」と書かれた赤膚焼の皿や茶碗が見つかった。昭和に入って焼かれたものとみられる。かつて鐘楼近くには茶店がいくつもあったという。大仏殿の基壇北辺部からは奈良時代の基壇の規模を示す石敷き遺構を検出した。

 中遺跡(五條市)からは鎌倉前期の青銅製の印章が見つかった。県内の出土古印としては7例目、銅印としては3例目。印文は篆書体で「市」とも読め、有力な家・人物の私印とみられる。

 狐井(きつい)稲荷古墳(香芝市)は墳丘長約80mの前方後円墳。これまでに出土した土器片などから5世紀後半ごろに築造された狐井丘陵で最初の古墳であることが分かった。この古墳からは日本最大級の子持ち勾玉も見つかっている。大きさは長さ13㎝、幅10㎝、厚さ5.5㎝。小さな突起の子勾玉が10個付いている。

 櫟本辻子(いちのもとずし)池上遺跡(天理市)では名阪国道北側の丘陵に挟まれた岩屋谷から、古墳時代中期~後期の礫敷き流路が見つかった。ミニチュアの土器や木製品が多く出土しており、祭祀遺跡の可能性が指摘されている。

 鴨都波(かもつば)遺跡(御所市)ではこれまでの出土品の再整理中に、用途不明の土製品があることが分かった。長さ33㎝、幅8cm、厚さ2㎝の扁平な棒状で、一方の端部分はY字状に口を開けたような不思議な形状。古墳時代前期の埴輪や中期の須恵器などとともに出土した。「用途が分かった方はご一報ください!」。説明文にこんなお願いが添えられていた

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<春日大社国宝殿> 特別展「文様となった招福の動物や植物たち」

2023年08月10日 | 美術

【平安~江戸時代の武具・工芸品・舞楽装束など50点余】

 春日大社に伝わる宝物類を収蔵する国宝殿(奈良市春日野町)で、夏・秋季特別展「文様となった招福の動物や植物たち」が開かれている(12月13日まで)。展示物は平安、鎌倉、江戸時代を中心とする武具や工芸品、能楽装束など50点余り(前後期で一部展示替え)。招福や厄除けなどさまざまな思いや願いが込められた動植物の文様に焦点を当てて紹介する。

 展示は「宝物の中の文様を探る1 招福の取り合わせ」「同2 藤原摂関家の吉祥文」「王朝の美 装束と文様」「舞楽装束の中の動植物文様」「暮らしの中の招福文」の5章で構成。前期展示には平安時代の「金地螺鈿毛抜形太刀」、矢を収納する「平胡籙(ひらやなぐい)」、「蒔絵弓(牡丹蒔絵)」、鎌倉時代の「鼉太鼓(だだいこ)」、「赤糸威(おどし)大鎧(竹虎雀)」の国宝5点が含まれる。

 「金地螺鈿毛抜形太刀」の鞘には漆地に金粉を蒔き詰め、夜光貝を埋め込む“沃懸地(いかけじ)螺鈿”の技法で、竹林の中で雀を追う猫の様々な動きが描かれたもの。螺鈿部分の繊細な毛彫りにより艶やかな猫の毛並みまで表現されており、螺鈿工芸の最高傑作といわれる。「平胡籙」は銘文によると藤原頼長が1131年(大治6年)に使用し、5年後に奉納したもの。背板の表面には銀板に磯千鳥文、裏面には紫檀地に螺鈿で尾長鳥と宝相華が装飾されている。

 「鼉太鼓」は屋外での舞楽演奏に用いられる。左方・右方の2基一対で、火焔宝珠をかたどった装飾部には左方に龍、右方には鳳凰が彫刻されている。源頼朝寄進との伝承がある。1975年まで「春日若宮おん祭」で使用されていたが、傷みが激しいため複製が作られた。国宝の鼉太鼓は修復のうえ2019年から2階の大展示室で一般公開しており、複製は1階で常設展示している(写真)。

 「暮らしの中の動植物文様」では、江戸時代の「梅鶯蒔絵硯箱」「色絵牡丹文油壷」などのほか、携帯用筆記具の「矢立(やたて)」類、近代のおしゃれな菓子器「ボンボニエール」なども展示中。矢立は墨入れと筆入れが一体となったもので、鎌倉時代以降に使われ江戸時代になると凝った文様の装飾性の高いものが作られた。ボンボニエールは皇室の慶賀の饗宴などで出席者に下賜・配布されるもの。「銀製印籠形墨地流水杜若(かきつばた)刻文矢立」「黄銅製平円形竹雁萩蟹毛彫矢立」など4点が展示されている。

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<東大寺> 奈良の大仏さん、きれいに“お身拭い”

2023年08月08日 | 祭り

【緊急避難訓練や放水訓練も】

 奈良市の東大寺大仏殿で8月7日、本尊廬舎那仏坐像(国宝)の“お身拭い”が行われた。大仏に積もった1年間のほこりを払って、清々しいお姿でお盆を迎えてもらう夏の恒例行事。白装束・草鞋姿の僧侶や信者ら約170人が箒やハタキを使って隅々まで掃き清めた。この後、緊急避難訓練や放水訓練も繰り広げられた。

 お身拭いは大仏の魂を抜く法要に続いて行われた。大仏殿の開門はこの日もふだん通り午前7時半。7時40分すぎに到着すると、まもなく螺髪に覆われた頭頂部に、白装束の数人が現れて掃除を始めた。大仏の高さは約15mもある。その頭頂部には木組みの内部をアスレチックのようによじ登るそうだ。足場のないお顔から胸にかけてはロープで吊り下げられた3つのゴンドラに乗って行う。

 「もっと上げて。ゆっくり、ゆっくり」。手のひらを前に向けた施無畏印(せむいいん)の右手。その腕のそばでマイクを持った担当者が下でロープを引く人たちに指示を出していた。お身拭い参加者は事前に役割分担が徹底されている。ゴンドラ3人の背中などには「中」「西」「東」の大きな文字。他の人たちの名札にも「御頭」「御手」「荘厳具」「蓮弁」などと担当場所が記されていた。

 お身拭いは約2時間にわたって行われた。清掃を終え回廊に下りてきた人たちはみんな汗でびっしょり。「御頭」の担当者は「下は涼しいけど、上(頭頂部)はとにかく暑くて」と話していた。掃除が一段落すると、大仏の背後では過去1年間に納められた写経の“胎内奉納”の作業が行われていた。お身拭いに使われた箒などの道具類は一カ所にまとめて置かれていた。

 一方、大仏右手前の天井からは見慣れない円筒形の袋状のものがするすると降りてきた。「あれ、何?」。多くの参拝者が不思議そうに見上げていた。しばらくして上から中を伝って現れたのはヘルメット姿の消防隊員たち。後で隊員に伺ったところ、火災などの緊急避難用の垂直式シューターとのことだった。

 午前9時45分からは放水訓練も行われた。大仏殿前に広がる芝生の東西から上向きに高々と放水開始。同時に、建物の軒下からも幾筋もの水が一斉に噴き出した。まるで横長の噴水みたいで、水しぶきが建物に降り注いでいた。東大寺では8月13~14日に大仏殿が「夜間参拝」(入堂無料)として開放され、15日には「万灯供養会」が営まれる。

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<ハクビシン> 夜9時前、庭に突然2匹が!

2023年08月05日 | アンビリバボー

【親子? 白い鼻筋がくっきり】

 昨日8月4日の午後9時少し前、居間のガラス戸越しに黒い影が動く気配を感じた。そばにあったカメラを手に取り、シャッターを3回押してみると――。そのうち2枚に写っていたのは2匹のハクビシン(白鼻芯)だった。庭で見かけたのはこれが初めて。その名の通り、額から鼻にかけて白いラインがまっすぐ伸びていた。耳の前や眼の下にも白い模様。尻尾はかなり太く長かった。

 夜行性で、何でも食べる雑食性。甘い果実を好み、昆虫や小鳥なども捕食する。最近では住宅街の民家の屋根裏などをねぐらにすることも多いそうだ。以前、イタチが棲みつき天井を走り回る足音に悩まされたことがあった。そのため侵入口と思われる場所を金網で塞いだら、足音は聞こえなくなった。この2匹のハクビシン、近隣でも増えてきた空き家に棲みついているのだろうか。

 繁殖力は高い。1回に2~3匹を産んで生後わずか10カ月ほどで出産できるようになるという。写真の奥に写っている1匹は手前に比べてかなり小柄に見える。もしかしたら親子かもしれない。ハクビシンはアライグマほどではないが、かなり攻撃的という。この写真でも歯を剥き出しにし、こちら側を威嚇しているようにも見える。

 中国南部から東南アジアにかけて広く生息し、日本は分布域の北限に当たるそうだ。日本には毛皮用として中国から持ち込まれたという外来説が有力視されている。ただ移入時期が不明なこともあって、アライグマのような“特定外来生物”には指定されていない。鳥獣保護法により許可なく捕獲することも禁止されている。

 この数カ月、庭によく出入りしていたネコたちがぱったり姿を見せなくなった。ネコにとってハクビシンはカラスとともに天敵の一つ。ハクビシンが子ネコを捕食することも珍しくないそうだ。たまたま昨夜ハクビシンを初めて確認したが、もうずっと前から庭が徘徊ルートに入っていたのかもしれない。

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<渥美清> 「お遍路が一列に行く虹の中」

2023年08月04日 | BOOK

【没後27年、『風天 渥美清のうた』に220句収録】

 新型コロナ禍による在宅時間を利用し、この3年ほど多くの映画(DVD)を視聴した。その中には『男はつらいよ』シリーズを中心に渥美清出演作60本ほども。この間 、関連本にも目を通した。『お兄ちゃん』(倍賞千恵子著)、『「男はつらいよ」の幸福論』(名越康文著)、『風天 渥美清のうた』(森英介著)……。渥美清が生前「風天」の俳号で多くの俳句を残していたことを知ったのも『風天 渥美清のうた』のおかげだ。8月4日は“風天の寅さん”の命日。没後27年目に当たる。

 

 渥美清が俳句づくりを始めたのは40代半ばごろ。永六輔に連れられてアマチュアの俳人仲間でつくる「話の特集句会」に参加したのが始まりという。その後も「アエラ句会」「たまご句会」「トリの会」と渡り歩きながら、晩年まで20年余にわたって句作を続けた。「えっ、あの寅さんが俳句!」と興味を抱いたのが森英介氏。ゆかりの人々への丹念な取材を通じて寅さんの作品220句を掘り起こし、著書『風天 渥美清のうた』に収録した。

 寅さんは「どうやら仕事を離れた気の置けない仲間たちとワクワク、ドキドキの言葉遊びの会を楽しんでいたようだ」。森氏は「若いときに片肺を摘出、健康不安を抱えながらも国民的スターに上り詰めた渥美にとって、数少ない魂の解放の場が句会だったのではないか」とも記す。(長野県小諸市「渥美清こもろ寅さん会館」には映画で使われた寅さんグッズ、国民栄誉賞の表彰状などのほか、「渥美清のかくれた芸」として俳句の短冊なども展示されているという)

 代表作の一つに「お遍路が一列に行く虹の中」。作ったのは1994年6月で、亡くなる2年ほど前だった。26年間続いた「男はつらいよ」のシリーズ最終作が95年12月公開の48作目。山田洋次監督は寅さんがお遍路に興味を持っていたことから、49作目を作るなら高知を舞台に田中裕子のマドンナ役で「寅次郎花へんろ」という作品を撮るつもりだったそうだ。

 風天句の中には小さな生き物を取り上げたものが多い。「赤とんぼじっとしたまま明日どうする」「蓑虫こともなげにいきてるふう」「ゆうべの台風どこに居たちょうちょ」「ひぐらしは坊さんの生れかわりか」。虫たちへの温かい眼差しが投影されているようだ。「乱歩読む窓のガラスに蝸牛」という句も。

 旅を句材としたものも目立つ。「村の子がくれた林檎ひとつ旅いそぐ」「そば食らう歯のない婆(ひと)や夜の駅」「雲のゆく萩のこぼれて道祖神」。渥美清が放浪の俳人といわれる種田山頭火や尾崎放哉に引かれ、自ら演じたいと願っていたというのは有名な話。

 風天句はどれも情景がくっきり目の前に浮かぶ。「好きだからつよくぶつけた雪合戦」「冬めいてションベンの湯気ほっかりと」「ステテコ女物サンダルのひとパチンコよく入る」「納豆を食パンでくう二DK」「ヘアーにあわたててみるひるの銭湯」「がばがばと音おそろしき鯉のぼり」……

 森氏は「多彩な句の材料、字足らず、字あまり、独特の発想、巧みな比喩、ユーモア、ペーソス、そして全編に漂う哀愁と孤独感……奔放自在な風天句には、やっぱり寅さん、いや渥美清の顔がくっきり刻まれている」と綴り、最後にこう結んでいる。「渥美清はきわめて孤独の人だが、その孤独をしっかり楽しんでいた粋な人でもあったということである」

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<戸畑図書館> 再生・開館からまもなく丸10年

2023年08月03日 | アンビリバボー

【旧図書館跡地にはドラッグストアが開業へ!】

 北九州市には門司港レトロ地区をはじめ歴史的建造物が多く残る。戸畑区では建築家辰野金吾の設計による「旧松本家住宅」(国の重要文化財)が有名だが、現戸畑図書館の建物も“帝冠様式”の重厚な外観から地域のシンボルとして親しまれてきた。90年前の1933年、戸畑市役所として建てられ、5市合併で北九州市が誕生した1953年からは9年間、初代本庁舎として利用されたことも。その後は2007年まで戸畑区役所として活用されてきた。市立戸畑図書館としてリニューアルオープンしたのは2014年3月。来春には開館から丸10年を迎える。

 建物は地下1階地上3階+塔屋3層で、延べ床面積は約2880㎡。竣工した90年前は建築基準法が施行される前で、図書館として再利用するには耐震補強を伴う改修工事が不可欠だった。設計・監理を担当したのは“リファイニング(再生)建築”を手掛ける青木茂建築工房。耐震化のため館内の中央廊下にスチール製のアーチ状補強材を設置するなど工夫を重ねた。図書館として蘇った建物はグッドデザイン賞、福岡県美しいまちづくり建築賞優秀賞、公共建築賞など数々の賞を受賞している。

 館内には「宗左近記念室」や「郷土資料室」なども設けられている。宗左近(1919~2006)は戸畑出身で、詩人・仏文学者・評論家・縄文研究家など多方面で活躍した。代表作に詩集『黒眼鏡』『炎(も)える母』、句集『響灘』など。図書館のすぐ北側に、昨年設置されたばかりという「鐵偶(てつぐう)」と題した宗左近生誕の地モニュメントがあった。彫刻家母里聖徳(ぼり・きよのり)さんの作で、「反戦平和を訴え、縄文の美を愛した郷土の先人、宗左近氏の意志を永く語り継ぐ」との思いを込めて制作したとのこと。

 現戸畑図書館の南西側には浅生1号公園を挟んでかつて旧戸畑図書館があった。開館したのは1958年。2014年に図書館が旧戸畑区役所跡の現図書館に移転するまで半世紀以上にわたって図書館としての役割を果たしてきた。だが、久しぶりに帰省すると建物は解体されて更地になっており、工事用パネルで囲まれていた。パネルには「(仮称)ツルハドラッグ戸畑区役所前店新築工事」と書かれていた。

 施工は大和リース株式会社、建築主はツルハグループドラッグ&ファーマシー西日本で、事業期間は令和5年5月17日~10月31日となっていた。旧図書館跡地は区役所のすぐ西側にあり、飛幡八幡宮やスポーツセンターなどに隣接する。戸畑まちづくり構想では「戸畑区役所周辺地区・D街区(スポーツゾーン)」に位置する。公共施設が集積する、いわば官庁街のような場所。どんな経緯でドラッグストアが進出することになったのだろうか。(下は現図書館の郷土資料室に飾られていた旧図書館の開館当時の写真)

 一帯は国の重要無形民俗文化財で、ユネスコの無形文化遺産にもなっている「戸畑祇園大山笠」の競演会(7月第4土曜日)の会場として毎年10万人を超える観客でにぎわう。祭関係者の一人は旧図書館の跡地利用についてこうつぶやいていた。「跡地には観光客がいつでも資料や映像などを通じて戸畑祇園大山笠を体感してもらえる“お祭り会館”のようなものができるのを期待していたのだが……」(下の図は2021年7月の北九州市議会総務財政委員会のPDF資料から)

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<奈良県立図書情報館> 「千光士義和 ダンボールアートの世界」展

2023年08月02日 | 美術

【立体イラスト・工作作品の展示も】

 奈良県立図書情報館(奈良市大安寺西)で8月1日「千光士(せんこうじ)義和 ダンボールアートの世界」展が始まった。千光士さんは1958年高知市生まれで、現在は奈良市在住。フリーのアニメーション作家・からくりダンボール作家として活動し、国内はもとより韓国や台湾など海外でも作品展や工作教室を開いてきた。2021年には奈良市美術館で「動くダンボールアート創作活動35周年展」を開催。現在、母校大阪芸術大学の客員教授、嵯峨美術短期大学講師などを務める。

 会場の図書情報館2階エントランスホールで、まず目を引くのが遊園地の遊具のような「回転!空中ひこう機」。かわいいロボットが乗った飛行機4機がぐるぐる回っていた。その足元近くには長さが2m以上ありそうな「黄金のSL」。金色に輝く蒸気機関車はどう見ても金属製のようで、とてもダンボール製とは思えない質感だった。

 千光士さんの著書に『かんたん手づくり動くダンボールおもちゃ』『ワクワクドキドキ紙おもちゃ』『紙バネ・紙ゼンマイでびっくりおもちゃ』(いずれもPHP研究所刊)などがある。このうち人気の『紙バネ・紙ゼンマイで…』は発行部数がこれまでに13万部に上っているそうだ。会場の一角に、これらの工作本に写真を掲載した実物の作品を一堂に集めた場所があった。

 「うごくダンボール絵本シリーズ」というコーナーも。そこには「おむすびころりん」や「おかえり桃太郎」などの日本民話に加え、グリム童話の「オオカミと7匹の子ヤギ」「ブレーメンの音楽隊」などをもとにした作品が並ぶ。立体的なうえ画面上で動く作品がちびっ子たちの人気を集めそうだ。

 千光士さんが毎年表紙を担当してきた「フレッシュセミナー」(新学社刊)などの「教科書テキスト表紙作品」も展示中。ほかに「サークルアート・コレクション」「ダンボールランマ作品」「コリドー(回廊)シリーズ」などの作品も並んでいる。

 展示会は8月20日まで。会期終盤の19日には千光士さんが「発想は無限(私の発想法!原点はアニメ・まんが)」と題して語るトークイベントがある。19~20日には「『うごくハコロボとミニロボ』を作ろう!」というワークショップも(いずれも要申し込み・先着順)。千光士さんの「動くダンボール絵本」は奈良県コンベンションセンター(奈良市三条大路1)で8月11~12日開催の「第23回えほん展なら」でも特別展示される。

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