く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<橿原市昆虫館> ギョ! 新館に「ステキなゴキブリ天国!」

2017年11月28日 | アンビリバボー

【飼育ケース内に世界各地のゴキブリがどっさり!】

 心優しい昆虫少年が室内にいたゴキブリを手でつまんで外に逃がしてあげた――。以前こんな話を耳にしたこともあるが、これは例外中の例外だろう。台所に出没するゴキブリは嫌われ者の代名詞にもなっている。ただゴキブリの種の大半は森にすんでおり、ペットとして飼育する人も意外に多いそうだ。奈良県の橿原市昆虫館(香久山公園内)はそんなゴキブリを大量に飼育し、新館の特別生態展示コーナーで公開している。

 橿原市昆虫館の人気スペースの一つに様々な蝶々が飛び交う放蝶温室がある。主にこれを目当てに何度も訪ねているが、ゴキブリ類をじっくり観察したのは今回が初めて。新館に入ると、左手に日本と世界のゴキブリの標本箱が2つ。そして右手の「ステキなゴキブリ天国!」と大書した下には世界各地のゴキブリが入った飼育ケースがいくつも並んでいた。ケース内では数十~数百匹単位のゴキブリが飼われ、野菜や人工飼料に群がっていた。

 

 その一つ、ユウレイゴキブリ(上の写真㊧)は中央アメリカに生息しており、その名前は成虫の胸にある模様が人の顔のように見えることによるという。南北アメリカ大陸にいるメンガタゴキブリ(同㊨)の名前も仲間に同様の模様がある種類がいることによる。マダガスカルオオゴキブリは体長が約7cmあり、昆虫館で飼っているゴキブリの中では最も大きい。触ると危険を察知し「シューシュー」と鳴くそうだ。このほかアルゼンチンモリゴキブリやチュウトウボキブリ(トルキスタンゴキブリ)なども展示されている。(下の標本箱は㊧「世界のゴキブリ」、㊨「日本のゴキブリ」)

 

 ゴキブリは人類の祖先霊長類が現れるずっと以前の3億年以上前に出現したといわれる。いわば〝生きた化石〟だ。現在、世界で約4000種、日本では約50種が確認されている。その中で家にすみつき害虫として嫌われているのは世界でわずか10種類ほど、日本ではクロゴキブリ、チャバネゴキブリなど5種類。世界最大のゴキブリはナンベイチャバネゴキブリで、体長が約11cmもあるそうだ。

 ゴキブリをカブトムシやクワガタムシのように飼育ケースで飼う人も意外に多いという。ゴキブリは①金魚の餌や野菜くずなどが餌になる②つるつるした壁を登ることができない種類も多く逃げ出す心配が少ない③卵でなく幼虫の姿で生まれるものも多く繁殖を楽しめる④カブトムシなどに比べにおいが少なく、飼育ケースを汚さずに飼うことができる――とのこと。ゴキブリの世界を垣間見ることでゴキブリを少し見直した。ただ触れ合いコーナーでゴキブリを手に乗せるだけの勇気はまだ持てなかった。

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<宇佐神輿フェスタ> 東大寺で総勢300人の神輿パレード

2017年11月26日 | 祭り

【大仏開眼1250年の2002年以来15年ぶりに開催】

 秋晴れの25日、東大寺で「宇佐神輿フェスタ」が繰り広げられた。大分県宇佐市から約300人が古都奈良に大挙乗り込み、宇佐神宮の若宮神輿(みこし)を含む3基の神輿などとともに、東大寺南大門から大仏殿正面の中門までの参道をパレードした。宇佐市と奈良市は友好都市で、フェスタの開催は東大寺の大仏開眼供養(752年)から1250年の節目の年だった2002年以来15年ぶり。

 宇佐神宮は全国4万社といわれる八幡社の総本宮。東大寺とは深い縁がある。「続日本紀」などによると、奈良時代、聖武天皇は大仏建立に際して宇佐に使者を派遣し、八幡神から鋳造協力の託宣を頂いた。大仏鋳造直後の749年には宇佐からやって来た八幡神やお供の女禰宜(めねぎ)大神杜女(おおがのもりめ)を乗せた輿(こし)が東大寺の転害門をくぐった。これが神輿の始まりといわれる。その年には東大寺に守護神として手向山八幡も祀られた。

 

 奈良・宇佐の両市が友好都市として提携したのは2004年のこと。以来、交流を深めてきたが、提携のきっかけとなったのがその2年前の「宇佐八幡神輿フェスタ」だった。奈良県ではいま「国民文化祭・障害者芸術文化祭」が開かれているが、来秋には大分県が会場になり、宇佐市ではこれに合わせ「東大寺サミット」も企画中という。今回のフェスタには15年前と同じく宇佐市の若手グループ「若宮神輿かつごう会」のメンバーや宇佐神宮の関係者に加え、宇佐から多くの子どもたちも参加した。若い世代に両市の古くからの縁と絆を体感することで、郷土への誇りを持ってもらいたいとの思いからだろう。

 

 

 パレードは午後2時、南大門を出発した。先導するのは威勢よく太鼓を打ち鳴らす「橋津道行ばやし」。続いて赤い装束の子どもたちが榊で塩水を撒いて参道を清め、その後に宇佐神宮の神職、2基の子ども神輿、大神杜女役の女性を乗せた輿、若宮神輿などが続いた。関係者の法被の背中には「宇佐 神輿発祥の地」とあり、同様の旗が何本も随行した。大仏殿の中門では東大寺の僧侶がずらりと並んでパレードを出迎える中、若宮神輿が高々と差し上げられた。この後、大仏殿前の広場で宇佐市の「糸口太鼓」や「麻生子供神楽」の奉納などがあった。

 

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<ヒイラギ(柊・疼木)> 雌雄異株、芳香を放つ白い小花

2017年11月25日 | 花の四季

【鋭い棘で邪気を祓うモクセイ科の常緑小高木】

 モクセイ科モクセイ属の常緑小高木で、主に関東以西の西日本から琉球列島、台湾にかけて分布する。樹高3~5m。10~12月頃、葉腋に花弁が4深裂し反り返った白い花を付ける。花冠の径は5㎜ほどで小さく目立たないが、そばに近寄るといい香りが漂う。雌雄異株で、雌株は花後、花柱が発達して翌年5~7月頃、球形の実が黒紫色に熟す。

 葉に鋭い棘状の鋸歯を持つヒイラギには古くから魔除け・厄除けの功徳があると信じられてきた。節分の夜には焼いたイワシの頭を枝に刺して門口に飾る風習があり、戦国時代には葉を図案化した「抱き柊」「三つ柊」など様々な紋所が作られた。ヒイラギは一般に「柊」と表記されるが、正しくは「疼(ひいら)ぐ」を語源とする「疼木」。「疼ぐ」は棘を触るとひりひり痛むことを意味する。若木の葉にはこの鋭い棘が目立つが、古木になると棘がほとんどない縁が滑らかな葉が増えてくる。刺が少ない古木の接木で生まれたものに「マルバヒイラギ」という園芸品種がある(下の写真)。

  ヒイラギは木目が緻密なことから印章や将棋の駒、ソロバンの玉など器具材として利用されてきた。ヒイラギは古事記にも登場する。ヤマトタケルノミコトは景行天皇から東征を命じられた際「比比羅木(ひひらぎ)の八尋の矛」を賜った。京都・下鴨神社の七不思議の一つに「何でも柊」がある。境内摂社の比良木神社(出雲井於=いずもいのへの=神社)に献木すると、ことごとくヒイラギになって願い事がかなうという。京都の有名老舗旅館「柊家」の屋号も、邪気を祓うヒイラギが自生するこの神社に先祖が帰依していたことに由来するそうだ。

  ヒイラギの仲間のような名を持つ植物にセイヨウヒイラギやアメリカヒイラギ、シナヒイラギ(ヒイラギモチ)などがある。いずれも赤い実を付けクリスマスの飾りなどに使われるが、これらはモチノキ科でモクセイ科のヒイラギとは全く別物。ちなみにヒイラギモクセイはヒイラギとギンモクセイの交配によって生まれたとされる。「柊の花一本の香かな」(高野素十)

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<都祁吐山・下部神社> 秋の例祭で太鼓踊りを奉納

2017年11月24日 | 祭り

【保存会会員や地元小中学生らが練習の成果を披露】

 奈良市東南端に位置する都祁吐山(つげはやま)町の下部(おりべ)神社で23日、秋の例祭が執り行われ奈良県指定無形民俗文化財の「吐山太鼓踊り」が奉納された。起源は定かではないが、元禄6年(1693年)の歌本が残っており、少なくとも江戸時代前期まで遡る。この日、神社拝殿前には7基の大太鼓が横一列に並んで、保存会会員や地元小中学生が太鼓を力強く打ち鳴らしながら踊りを披露した。

 この太鼓踊りは本来、雨乞いを祈願するもので不定期に奉納されてきたが、戦後、灌漑設備が整備されると踊られることが少なくなった。このため地元有志が1984年、伝統芸能の継承を目的に保存会を結成、94年からは地元の吐山小学校でも郷土学習の一環として採り入れられた。そして2007年からは豊作の御礼として毎秋奉納されるようになり、今では民俗芸能継承のモデルケースと県内で高く評価されている。

  

 この日太鼓踊りに参加したのは太鼓の踊り手のほか、シンボウウチ、シデ振り、鉦叩き、歌出し、幟持ちなど総勢65人。午後2時、花火を合図に吐山公民館など3方向から太鼓の行列が出発し、恵比寿神社前の三差路で合流、お祓いを受けた後、豪快に「辻太鼓」を打ち鳴らした。この後、天狗を先頭にそばにある下部神社に向かった。幟には大きく「春日神社」や「春日大明神」の文字。これは別の場所に鎮座していた下部神社が現在地の春日神社に合祀され、下部神社が名を引き継いだことによるそうだ。

  

  宮入り後、境内では小中学生と保存会のメンバーが合同で「干田(ひんだ)踊り」「宝踊り」「家方(やかた)踊り」などを披露した。小学生たちが3人一組で入れ替わりながら飛び跳ねるように太鼓を打ち鳴らすと、観客から大きな拍手が送られた。「家方踊り」は1953年に演じられたのが最後で、実に64年ぶりの復活という。太鼓の前面中央には「天テコ 天テコ、天テコ天」と打ち方を示す〝譜面〟が高く掲げられていた。締めくくりは「納め踊り」で、太鼓を叩きながら鳥居をくぐって神社を後にした。

 

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<ツルソバ(蔓蕎麦)> 草姿がソバに似た蔓性多年草

2017年11月19日 | 花の四季

【暖地の海岸に自生、花期は5~11月】

 タデ科イヌタデ属の蔓性多年草。日本から朝鮮半島、中国、フィリピン、ベトナム、インドネシアなど東南アジアにかけて広く分布する。国内の自生地は伊豆半島、紀伊半島、四国、九州の南部、沖縄などで、海浜や海岸近くの林縁などに群生する。

 茎はよく分枝し地を這って長く伸び、茎先の円錐花序に米粒のような小さな白花を10~20個まとまって付ける。花弁はなく、花びらのように見えるのは5深裂した萼片(がくへん)。雌しべと8本の雄しべを包み込むように丸まって開く。花期は5月頃から晩秋の11月頃までとかなり長期にわたる。

 花後には萼片が肥厚した宿存萼に包まれて小さな黒い果実ができる。蔓蕎麦の和名は蔓性植物で、花や葉、実などがソバに似ていることから。葉や茎には酸味があるが、新芽をてんぷらや胡麻和え、梅肉和えなどとして食すこともできる。ただ『食べられる野生植物大事典』(柏書房・橋本郁三著)では、味覚5段階で下から2番目の☆2つ(料理の腕前しだいで味を楽しめるもの)に位置づけられている。

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<キクタニギク(菊渓菊)> 京都・東山の地名に由来

2017年11月15日 | 花の四季

【別名アワコガネギク、黄金色の小花が密集して開花】

 主に本州の東北~関東の太平洋側と近畿地方の、日当たりのいい乾いた谷間や崖に自生するキク科の多年草。草丈は1~1.5mで、直立した茎の上部で多数分枝して頭状花序を形成し、晩秋、径1.5cmほどの小花を多く付ける。花は筒状花も舌状花も鮮やかな黄金色。密集した小花が泡立つように咲く様からアワコガネギク(泡黄金菊)とも呼ばれる。

 キクタニギクの名前は京都市内の地名菊渓(菊谷とも)に因む。ただ、京都府のレッドデータブック2015では絶滅危惧種に分類されており「和名のもとになった京都市東山区菊谷では絶滅」と記す。そんな中、「京都伝統文化の森推進協議会」を中心に自生地復活に向けた活動が本格化している。市民やボランティアの支援も受けながら、昨年から今年にかけてシイなど高木の伐採、苗の植栽、散策道の整備などに取り組んできた。

 キクタニギクにはアブラギク(油菊)の別称もある。これはかつて花を油に漬けたものが薬用の菊油として切り傷や火傷などに使われたことによる。ただ、よく似たキクで近畿以西に分布するシマカンギク(島寒菊)もアブラギクと呼ばれる。キクタニギクは中国北部や朝鮮半島にも分布する。1990年代以降、全国各地で中国・韓国由来の種子が道路の法面緑化に広く使われた。その結果、国内で本来の分布域でない地域に帰化しており、国立環境研究所の「進入生物データベース」はその影響として「在来種との競合、在来のキクタニギクの遺伝的攪乱」を挙げている。

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<キチジョウソウ(吉祥草)> 吉事があると咲く〝縁起花〟

2017年11月11日 | 花の四季

【日本・中国原産、ヤブランに似た常緑宿根草】

 キジカクシ科(旧分類ユリ科)キチジョウソウ属の常緑多年草で、キチジョウソウだけからなる1属1種の植物。日本と中国の原産で、国内では主に本州の関東以西と四国、九州の樹林下に群生する。おめでたい名前は漢名「吉祥草」の音読みから。庭で栽培する家に吉事があると花が咲くという言い伝えに由来する。別称に「吉祥蘭」「観音草」「解夏草(げげそう)」など。

 遠目からの草姿はヤブランによく似る。根際から長さ10~30cmの光沢のある細長い葉を束生し、晩秋、高さ10cmほどの穂状花序に淡紫色の小花を10個前後上向きに付ける。花の基部は筒状で、先端の花弁が6枚に分かれて反り返り、雌しべと雄しべ6本が突き出す。花が終わると、冬から春にかけ球形の液果が紅紫色に熟す。

 キチジョウソウは茎が地面を這って伸び、所々からひげ根を出して広がることから、ヤブランやジャノヒゲ同様、庭の下草として植えられることも多い。学名は「ライネッキア・カーネア」。属名はドイツの園芸家ライネッケ(1798~1871)の名前に因み、種小名は「肉紅色の」を意味する。葉に斑(ふ)が入った園芸品種は「フイリキチジョウソウ」と呼ばれる。「解夏草を持ちて僧来る海女の家」(石原八束)

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<ダイモンジソウ(大文字草)> 可憐な小花を「大」の字に見立て

2017年11月09日 | 花の四季

【ユキノシタ属、仲間のジンジソウは「人」の花姿から】

 ダイモンジソウはユキノシタ科ユキノシタ属の山野草。北海道~九州の渓流沿いなど湿気のある岩場に自生し、海外では朝鮮半島や中国東北部などにも分布する。学名(属名)の「サクシフラガ」の語源はラテン語の「サクスム(岩石)」と「フランゴ(割る)」に由来。ユキノシタの花期は5~6月頃だが、こちらは主に8~11月頃で、長い花茎の先に径2~3cmの可憐な白花を多数付ける。

 5弁花で上の花弁3個が短く、下の花弁2個が細くて長い。その花姿を漢字の「大」の字に見立てた。花色や葉の形などで変異が多いのも特徴の一つ。カエデの葉に似たカエデダイモンジソウ(ナメラダイモンジソウとも)、葉が団扇(うちわ)状のウチワダイモンジソウ、中部地方以北の高山に生えるミヤマダイモンジソウ……。ヤクシマ、エチゼン、イズノシマなど地域名を冠したダイモンジソウもある。花色が濃い紅色など園芸品種も多い。「大文字草風土記の寺址近くなる」(河野南畦)

 同属でよく似たジンジソウ(人字草)は本州の関東以西、四国、九州に自生し、9~11月頃、10~35cmの花茎の先に清楚な白花を多数付ける。上部の花弁3個には黄色い模様が入り、ダイモンジソウより小さいのが特徴。その分、下部の花弁2個がより目立って「人」の字に似ていることからこの名が付いた。葉の切れ込みがダイモンジソウより深く掌状になることから「モミジバダイモンジゾウ」とも呼ばれる。

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<コウヤボウキ(高野箒)> 枝先の白い花びらがくるりとカール

2017年11月05日 | 花の四季

【名前は霊場高野山に由来、万葉集には「玉箒」の名で2首】

 キク科コウヤボウキ属の落葉小低木。本州の関東以西や四国、九州の日当たりのいい山地や丘陵地に自生する。高さは60~100cmほど。よく分枝し秋に枝の先端に白い頭花を1つ付ける。本年枝だけに花が付き、前年枝には付かないのが特徴。よく似た仲間にナガバノコウヤボウキがあるが、こちらは葉が束生する前年枝の節ごとに花を付ける。

 名前は空海(弘法大師)が開いた霊場高野山(和歌山県)でこの植物の細い枝を束ね清掃用の箒としたことに由来する。〝高野の七不思議〟の一つに「高野にハブ(毒蛇)なし」がある。昔、お大師様が参詣人を襲っては食べていた大毒蛇を竹の箒で封じ込めた。この伝説から竹箒を使うと封印が解けるとして、高野山では長く「禁忌十則」の中に「禁植有利竹木」という一項があり竹を植えることを禁じていた。山内では屋内の清掃にコウヤボウキ、屋外にはクロモジで作った箒が使われてきたそうだ。

 古名は「玉箒(たまばはき、たまぼうき)」。色とりどりの玉で飾られたコウヤボウキは儀式や遊具として利用されたという。万葉集にも2首登場する。その1首に「初春の初子(はつね)の今日の玉箒 手に取るからに揺らぐ玉の緒」(大伴家持作、巻20-4493)。正倉院には758年の宮中の儀式に用いられ、この歌に詠まれた「目利箒(めとぎのほうき)」が保存されている。この箒がコウヤボウキ製なのも確認済みという。『日本植物方言集成』(八坂書房編)によると、コウヤボウキは全国各地でほーきぐさ、ほうきぎ、やまぼうきをはじめ、ねんど、めんど、うさぎもつれ、きじかくしなどとも呼ばれている。

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<榛原秋祭り> 還御行列や勇壮な太鼓台の練り合わせ

2017年11月04日 | 祭り

【宇陀市榛原地区で墨坂・椋下両神社の秋季大祭に合わせ】

 奈良県宇陀市の中心部、榛原(はいばら)地区で2日から3日にかけて「榛原秋祭り」が繰り広げられた。地元の氏神様、墨坂神社と椋下(くらげ)神社の秋季大祭に合わせたお祭り。2日の宵宮に続いて、3日の本宮では近鉄榛原駅前広場での太鼓台の練り合わせ、御旅所からの還御行列、両神社への太鼓台の宮入り、そして紅白餅の御供まきなどがあった。

 関西で太鼓台といえば、大きな座布団を逆ピラミッド型に積み上げた〝布団太鼓〟が一般的だが、奈良県内には入母屋造りや唐破風屋根の社殿風な造りのものも多い。これらは〝大和型太鼓台〟と呼ばれる。榛原地区には全部で4台の太鼓台があるが、そのうち布団型の福地太鼓台を除く上之町、宮本、東町稲荷の3台も大和型。2~3日にはこれら4台の太鼓台が威勢のいい「よーいとさー」の掛け声で担がれて練り歩いた。

 

 3日正午前には駅前広場に太鼓台が結集し練り合わせが行われた。太鼓台の重さは1トン以上とも。これを担ぎ手全員が両腕で高く差し上げると、広場を囲む多くの観客から一斉に拍手が沸き起こった。屋台を持ち上げるこの動きは一般に「差し上げ」と呼ばれるが、榛原では「サセ」と呼んでいるようだ。練り合わせ後も、伊勢街道の札の辻付近などで2基の太鼓台が「サセ」を繰り返し、ぶつかり合うほど大接近する場面もあった。

 

 午後2時前には西峠の御旅所から墨坂神社に向かう還御行列が榛原中心街に差し掛かった。幟や天狗、武者、お稚児さん、お神輿などが続く。この行列を太鼓台の担ぎ手たちが出迎えた。この後、3時から墨坂神社で太鼓台の宮入りが始まった(予定では布団太鼓の福地太鼓台もほぼ同時刻に地元の椋下神社に宮入り)。墨坂神社は宇陀川右岸の高台に鎮座する。鮮やかな朱塗りの本殿は奈良・春日大社の旧社殿で、江戸時代末期の1864年(元治元年)に移築されたとのこと。

 

 まず宮本太鼓台が橋を渡り坂道の参道を上って宮入り。宮司からお祓いを受けた後、拝殿前の広場(神庭)で豪快な練りを披露した。次いで東町稲荷、そして上之町の太鼓台が続いた。駅前同様、ここでも3台がそろったところで練り合わせ。見どころの「サセ」になると、両手に団扇の台上の踊り手から「まーだ、まだ!」の掛け声が飛ぶ。すると太鼓台はかなり長く持ち上げられたままの状態が続いた。担ぎ手たちはみんな汗びっしょり。その周りで華やかな衣装の女性陣が飛び跳ねながら団扇をあおいでいた。

 

 

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<京都府立植物園> なお続く台風による倒木の撤去作業!

2017年11月02日 | アンビリバボー

【桜林や針葉樹林などを囲む立ち入り禁止の黄色いテープ】

 日本列島を縦断し大きな爪痕を残した先の台風21号。ニュースで京都府立植物園も大きな被害を受けたと知ってはいたが、暴風直撃から9日目の1日訪れて改めて被害の甚大さにショックを受けた。園内には桜林や針葉樹林などを中心に多くの場所に立ち入り禁止のテープが張り巡らされ、観覧温室内の一部でもなお立ち入り規制が続いていた。

 園内で大きな樹木が相次いで倒壊したのは台風が近畿地方に再接近した10月22日夜半から23日未明にかけて。巨大なヒマラヤ杉が倒れたのをはじめ、高さ20mのレバノン杉も近くの東屋に倒れ掛かり、桜林でも樹齢約70年のソメイヨシノなど約20本が地面から根元が浮き上がるなど、約100本の大木が大きな被害を受けた。同園では26日まで4日間臨時休園し、27日から再開園していた。

 

 そのため、倒木などの処理もてっきり一段落したものと思っていたが、園内の光景は以前とは全く異なっていた。この日は正門から入ってまず観覧温室に直行した。ところが、いつもはぐるっと回遊できるはずなのに途中のジャングル室の一部が閉鎖されておりUターン。温室を出て桜林に差し掛かると、桜の大木が何本も横倒しになったまま。さらに針葉樹林内でも根こそぎ倒れたり大きな幹が途中で折れたり、無残な姿をさらしていた。園内では倒木の幹を切るチェーンソーの音が響きわたり、枝や葉を運ぶ車も行き交って、懸命な復旧作業が続けられていた。

 

 園内ではちょうど秋の風物詩、菊花展が開催中。来場者は見事な懸崖づくりなどに見入っていたが、一方で茫然と倒木を見つめたり処理作業を見守ったりする人たちも多かった。北山門の出入り口に、立ち入り禁止地域を赤く囲んだ園内の図面が掲げられていた。再開園して1週間近くたつが、それを見る限り、まだ全体のざっと3分の1ほどが赤く囲まれているようだった。

 

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