く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<キバナコスモス(黄花秋桜)> 原産地はコスモスと同じメキシコ

2018年09月28日 | 花の四季

【朱赤色品種は初めて日本人が10年の苦心の末に作出】

 キク科コスモス属の1年草。キバナコスモスは今やコスモスとともに日本の四季を代表する草花といっても過言ではない。日本の風景にすっかり溶け込んだ姿から在来の植物と思われがちだが、原産地はいずれもメキシコを中心とする中米~南米北部。キバナコスモスはコスモスよりやや遅れて大正初期に日本に渡ってきた。別名「キバナアキザクラ」。繊細な感じのコスモスに比べるとやや野性的で、繁殖力が旺盛なため世界各地に帰化している。

 キバナは暑さに強いこともあって一般のコスモスより開花時期が早く、花期も夏から初秋までと長い。背丈はコスモスよりやや低く60cm前後。ただ野生種では2mを超えることもあり、園芸品種でも高性種や矮性種が出回っている。一重咲きと八重咲きがあり、花径は通常4~6cmほど。学名は「Cosmos sulphureus(コスモス・スルフレウス)」。属名のコスモスはギリシャ語で「調和」や「秩序」、種小名のスルフレウスは「硫黄色の」を意味する。

 この学名の通り、花色は元々黄色だったが、今では橙や赤系統などバラエティーに富む。その品種改良に多大な功績を残した日本人の植物学者がいる。岩手県出身の故橋本昌幸さん。約10年かけ苦心の末に作出した赤色品種「サンセット」が、半世紀前の1966年、世界で最も権威のある国際園芸審査会「AAS(オール・アメリカ・セレクションズ)」で金賞を受賞した。富山県南砺市にある「IOX‐AROSA(イオックス・アローザ)」ではいまスキー場ゲレンデで「第8回キバナコスモスまつり」を開催中(9月30日まで)。

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<トウテイラン(洞庭藍)> 花色を中国・洞庭湖の美しい湖水にたとえ

2018年09月26日 | 花の四季

【日本固有種、京都~鳥取の日本海側と隠岐に自生】

 オオバコ科(ゴマノハグサ科とも)ルリトラノオ属の宿根草。日本固有の希少種で、京都府~鳥取県の日本海側の海岸や隠岐諸島に自生する。草丈は50cm前後で、8~10月頃、茎頂にオカトラノオのような穂状の総状花序を伸ばし、青紫色の小花を密に付ける。花冠は先が4つに裂け径5~10mmほど。葉や茎は白い綿毛で覆われる。

 名前の「トウテイ」は中国の揚子江(長江)の中流域にある淡水湖「洞庭湖(どうていこ)」に因む。この湖水は唐の詩人李白の『洞庭湖に遊ぶ』をはじめ古くから多くの漢詩に詠まれ、山水画にも描かれてきた。トウテイランの花の色をその湖水の美しさにたとえたという。「ラン」は蘭ではなく花の藍色から。既に江戸時代には観賞用の園芸植物として栽培されていたといわれており、その当時に命名されたとみられる。花色にはまれに白いものもある。

 環境省は野生種の分布域が限られるトウテイランについて、絶滅の危険が増大しているとしてレッドリストで絶滅危惧Ⅱ類に分類している。トウテイランを「市の花」としているのが京都府の丹後半島に位置する京丹後市。「京都の自然200選」に選ばれている箱石砂丘の群落をはじめ自生地を抱えており、琴引浜鳴き砂文化館などでは長年トウテイランの保全・増殖活動に取り組んできた。トウテイランの仲間には小型の「ヒメトウテイラン」があり、こちらは北米やヨーロッパ北部からロシア、中国にかけて広く分布する。

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<キンミズヒキ(金水引)> バラ科の多年草、長い花穂に小さな黄花

2018年09月25日 | 花の四季

【姿形がよく似た赤花のミズヒキはタデ科で無縁】

 日本各地の日当たりのいい野原などに広く自生する多年草で、朝鮮半島や中国にも分布する。細い花穂に赤花を付けるタデ科のミズヒキに姿形がよく似て、黄色い小花を付けるところからキンミズヒキという縁起のいい名前をもらった。ただミズヒキがタデ科なのに対し、このキンミズヒキはバラ科キンミズヒキ属で、分類上は全く関係がない。

 花期は8~10月頃。草丈は50~150cmで、茎の上部がよく枝分かれし、小枝の先の穂状の花穂に径6~10mmほどの5弁花をたくさん付ける。花後にできる果実は多数の鉤状のトゲがある萼(がく)に包まれ、人の衣服や動物の毛などに付着することで種子を散布し生息域を広げる。このため方言で「ひっつきぐさ」と呼ぶ地方もある。漢方では葉などを乾燥したものを「龍牙草(りゅうげそう)」と呼んで止血や下痢止めに用いる。この生薬名も萼の鋭いトゲを龍の牙に見立てたことに由来するという。

 キンミズヒキによく似て小型のものに日本特産種のヒメキンミズヒキがある。山地の渓流沿いなどに自生し、草丈は10~50cmと低く、花弁は細く雄しべの数も5~6本(キンミズヒキは8~14本)と少ない。キンミズヒキ属には他にチョウセンキンミズヒキ、セイヨウキンミズヒキなど。別属のミズヒキの仲間にはミズヒキの赤花を白くしたものがありギンミズヒキ(銀水引)と呼ばれている。「干草濃しことに金水引の金」(大岳水一路)

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<滋賀・五個荘> 伝統的な町並みを「近江商人時代絵巻行列」

2018年09月24日 | 祭り

【天秤棒を担ぐ商人、鹿鳴館スタイルの女性、マント姿の紳士…】

 近江八幡や日野とともに近江商人発祥地の一つといわれる滋賀県東近江市五個荘金堂町。その金堂地区を中心に秋分の日の23日、秋恒例のイベント「ぶらっと五個荘まちあるき」が開かれた。メインイベントは「近江商人時代絵巻行列」。近江商人が活躍した江戸時代末期~大正時代の衣装に身を包んだ100人余が古い町並みを練り歩いた。ふだん非公開の商家や社寺に伝わる家宝や寺宝、現代アート作家の作品などを公開・展示する「ぶらりまちかど美術館・博物館」も同時に開催され、終日多くの観光客でにぎわった。

 金堂地区は旧五個荘町のほぼ中央に位置する。農業の副業としてスタートした綿・絹製品などの行商で財を成した商人も数多く、広大な敷地を有する商人屋敷が今も残る。金堂の名前は聖徳太子がこの地に金堂を建立したという伝承に由来するそうだ。金堂を代表する町並みが寺町・鯉通り。お寺と商人屋敷と錦鯉が泳ぐ清らかな水路が風情ある景観を形成する。20年前の1998年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれ、その町並みや屋敷は度々、映画やテレビのロケにも使われてきた。

 

 近江商人時代絵巻行列は「第32回ごかのしょう新近江商人塾」の目玉催事。午後1時、チンドンマンのにぎやかな演奏と横断幕を先頭に近江商人屋敷外村宇兵衛邸を出発した。参加者は2台の人力車に乗った「東近江市レインボー大使」「近江日野しゃくなげ大使」をはじめ、鹿鳴館スタイルのドレス姿の女性、天秤棒を担ぐ近江商人、当時「はいからさん」と呼ばれた袴姿の女学生、立派なヒゲを蓄えたマント姿の紳士、商家の旦那さん、丁稚の少年たちなど総勢100人余り。途中、五個荘川並町にある福應寺で休憩の合間に参加者全員で記念撮影した後、ほぼ同じルートで商人屋敷まで戻った。

 

 商人塾ではこの行列を挟んで、ステージ会場で日本の伝統芸能三番叟(さんばそう)やライブ書道、日本舞踊、ジャグリングショーなど様々な催しが披露された。小さなこどもたちが一日店長として商人体験するチャレンジマーケットの開催や、重伝建保存地区選定20年記念行事の一環として錦鯉の放流などもあった。「ぶらりまちかど美術館・博物館」では五個荘地区の23会場が無料公開された。その中でもとりわけ来場者でにぎわっていたのが近江商人屋敷。外村繁邸(外村繁文学館)では「TV・映画撮影ロケスチール展」、外村宇兵衛邸では「加賀友禅花嫁のれん展」が開かれていた。

 

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<ショウロウクサギ(臭木)> 九州や沖縄に自生するクサギの変種

2018年09月21日 | 花の四季

【若葉は「クサギナ」「クサジナ」と呼ばれ食用に】

 四国や九州の南部、沖縄、朝鮮半島、フィリピンなどに自生するシソ科(旧クマツヅラ科)クサギ属の落葉木。枝や葉に独特な臭気があることからその名が付いたクサギ(臭木)の変種で、8~10月頃、枝先や葉腋から集散花序を伸ばし芳香のある白い花を付ける。花径は3cmほどの筒状で、プロペラのように先が5枚に細く裂け、真ん中から長い雄しべ、雌しべが突き出す。花後にできる丸い実は熟すと青紫になり、星形の紅色の萼(がく)の上にちょこんと乗る。

 ショウロウクサギは葉が大きい三角状の卵形で、葉先が鋭く尖るのが特徴。「ショウロウ」の語源や由来は不明だが、「ショウロクサギ(松露臭木)」と呼ばれることもある。学名はクサギを表す「Clerodendoron trichotomum Thunb.(クレドデンドロン・トリコトムム・ツンベリー)」の後に「var esculentum(エスクレントゥム) Makino」と続く。「var」は変種のこと、「エスクレントゥム」は「食べられる」を意味する。その後ろの「Makino」は多くの新種や変種を発見した植物学者、牧野富太郎博士の名前からだろう。

 ショウロウクサギの葉や枝は同じ変種のアマクサギ同様、クサギほどには臭みがないという。クサギは新芽や若葉を乾燥すると悪臭が消え独特な風味が生まれる。このため全国各地で春~初夏の山菜「クサギナ」として親しまれ、汁物の具や油炒め、炊き込みご飯などに利用されてきた。クサギといえばほぼショウロウクサギを指す沖縄地方でも「クサギナ」や「クサジナ」と呼ばれる。語尾の「ナ」はもちろん菜っ葉の「菜」で、花や若葉がてんぷらや和え物、おじや(雑炊)などとして食されてきた。

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<フジカンゾウ(藤甘草)> 「ひっつき虫」ヌスビトハギの仲間

2018年09月19日 | 花の四季

【花を藤に、葉姿を漢方で有名な甘草に見立て】

 マメ科ヌスビトハギ属の多年草で、本州・四国・九州の山野の林下に自生する。日本以外では朝鮮半島や中国にも分布する。名前は花がフジに、葉姿がカンゾウに似ていることからの命名。いずれも同じマメ科で、カンゾウは乾燥した根が生薬として多くの漢方薬に配合されていることで知られる。別名「フジクサ(藤草)」。豆果の形から「ヌスビトノアシ(盗人の足)」という異名もある。

 草丈は0.5~1.5mで、8~9月頃、茎頂と葉の脇から細長い花軸(30~50cm)を伸ばし、穂状の花序に淡紅色の小花を多く付ける。花は8~10mmほどのマメ科特有の蝶形花。花後にできる豆果は莢が扁平で半月形に2つに仕切られる。〝節果〟と呼ばれるもので、それぞれの小節果の中に種が1つずつできる。その莢には鉤形の短毛が密生し、ヌスビトハギ(盗人萩)同様、通り掛かった人の衣服や動物の毛などに付着して種が方々に散布される。

 フジカンゾウはヌスビトハギと生育環境や開花時期、花や莢の形などがよく似る。ただ、フジカンゾウのほうが草丈も、花や莢の大きさも一回り大きく、葉姿も異なる。ヌスビトハギは3枚の小葉からなる三出複葉だが、フジカンゾウは奇数羽状複葉で、5~7枚の小葉からなる。まれに花色が白いものがあり、シロバナフジカンゾウと呼ばれる。

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<オトコエシ(男郎花)> オミナエシより逞しく男性的?

2018年09月17日 | 花の四季

【まれに両者の自然雑種「オトコオミナエシ」も】

 スイカズラ科オミナエシ属の多年草。日本各地の日当たりのいい山野に自生し、朝鮮半島、中国などにも分布する。草丈は60~100cm。8~10月頃、直立し枝分かれした茎の先端に散房花序をつけ、粟粒状の白い小花を多く付ける。花は基部が筒状の合弁花。花冠は径3~4mmほどで5つに裂ける。全草に毛が多く密生し、姿形がよく似るオミナエシに比べると茎が太く葉も大きい。

 オトコエシの名も茎が細く黄花が美しいオミナエシより逞しく男性的に見えることから命名された。別名に「オトコメシ」や「シロアワバナ」。オトコメシは小花を白米のご飯に、シロアワバナは小花を粟に見立てた。オミナエシ、オトコエシの「エシ」は「メシ(飯)」からの転訛との説もある。漢名の「敗醤(はいしょう)」は根に醤油が腐ったような異臭があることからの命名。漢方では解毒剤や消炎剤などとして用いられる。まれにオミナエシとオトコエシの自然雑種が見られ「オトコオミナエシ」と呼ばれる。花色は淡黄色。

 オトコエシはオミナエシに比べかなり影が薄い。オミナエシは古くから秋の七草の一つとして親しまれ、万葉集に14首、古今和歌集にも17首が登場する。一方のオトコエシ。万葉集に2首出てくる「児手柏(このてがしわ)」をオトコエシとみる説もあるにはあるが不明。磯野直秀氏の『草木名初見リスト』によると、江戸時代前期の歌人・俳人北村季吟著『増山の井(ぞうやまのい)』(1663年)が過去の文献でのオトコエシの初見という。「女郎花少しはなれて男郎花」(星野立子)

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<オオケタデ(大毛蓼)> 草丈が2mにもなる一年草の帰化植物

2018年09月15日 | 花の四季

【東南アジア原産、江戸時代に薬用・観賞用として渡来】

 高さが2mにもなるタデ科イヌタデ属の大型一年草。東南アジア原産で、日本には江戸時代中期に薬用・観賞用として渡来した。イヌタデ属は畦道や空き地などでよく見かけるイヌタデをはじめ日本に約30種が自生するが、オオケダケがその中で最も大きい。やや湿った日当たりのいい場所を好み、農家の庭先などで栽培されていたものが逸出して各地で野生化している。

 学名は「ペルシカリア・オリエンタリス」。属名の語源はラテン語で「モモ」から。葉の形がモモの葉に似ていることによる。種小名は「東方の」を意味する。和名が示すように茎や葉など全草に細かい毛が密生するのが特徴。太い茎の先が枝分かれして長い穂状花序を伸ばし、初秋に淡紅色の小花をびっしり付ける。米粒大ほどの小花には花弁がないが、萼(がく)が花弁状に5つに深く裂ける。

 葉汁には解毒作用があるとされ、かつて虫刺されやかぶれ、腫れ物などの民間薬として利用されてきた。オオケタデには「オオタデ」「ホタルタデ」「オオベニタデ」などの別名があるが、ポルトガル語由来の「ハブテコブラ」という珍妙な異名もある。これはポルトガルの毒蛇解毒剤に用いられた薬用植物と混同されて付けられた呼び名らしい。「お祭のごとき門前大毛蓼」(星野恒彦)

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<ギンセンカ(銀銭花)> 朝咲き昼には萎む一日花「朝露草」とも

2018年09月14日 | 花の四季

【地中海沿岸地方原産の一年草】

 アオイ科フヨウ属の一年草で、原産地は地中海の東部沿岸地方~中央アフリカ。日本への渡来は江戸時代といわれるが、それ以前との見方も。江戸時代前期の御用絵師、狩野常信(探幽の甥)が1673年に写生したものが残っており、園芸書では伊藤伊兵衛の『増補地錦抄』(1695年)に「朝露草(てうろさう)」として、貝原益軒が編纂した『大和本草』(1709年)には「銀銭花」として取り上げられている。

 学名は「ハイビスカス・トリオヌム」。種小名のトリオヌムは「3色の」を意味する。草丈は30~60cm。7~9月頃、径3cmほどの白または淡いクリーム色の花を付ける。5弁花のように見えるが、基部は紅紫色で合着し、オレンジ色の雄しべが林立する。葉はスイカの葉のように深い切れ込みがあり、その形から中国では「野西瓜苗」と名付けられている。

 ギンセンカといえばよく似た名前のキンセンカ(金盞花)を連想しそうだが、キンセンカはキク科で分類上は全く別物。ギンセンカの語源ははっきりしないが、一説に日本最古の貨幣といわれる銀貨で真ん中に小さな孔が開いた無文銀銭に因むともいわれる。別名のチョウロソウ(朝露草)は花の命が短くて、朝開花し朝露が消える昼前には萎んでしまうことによる。英名でも「Flower of an hour(一時間花)」と呼ばれているそうだ。

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<キツネノマゴ(狐の孫)> 薄紅色の唇形花をまばらに

2018年09月13日 | 花の四季

【名前の由来は不詳、花穂を狐の尻尾に見立て?】

 日当たりのいい草地や道端、土手などごく身近な場所で普通に見られる野草。キツネノマゴ科キツネノマゴ属の1年草で、日本のほか朝鮮半島、中国南部、インドシナ半島、インドなどに分布する。学名は「Justicia procumbens(ジャスティシア・プロクムベンス)」。属名は18世紀のスコットランドの園芸家ジェームス・ジャスティス氏(1698~1763)の名前に因み、種小名は「倒伏した」を意味する。

 草丈は10~40cmで、種小名が示すように茎の基部が地を這い節々から枝を伸ばす。花期は8~10月頃。2~5cmほどの短い穂状花序に小さな唇形花をまばらに付ける。花冠の上唇は白く2つに裂け、下唇は薄紅色で3つに裂け、中央奥に白い斑紋が入る。この模様は虫を誘うための〝蜜標〟。それを目当てにハチやシジミチョウなどが蜜を求めて集まってくる。

 名前の由来には諸説。花穂を狐の尻尾に見立て、小花をまとわりつく孫にたとえた▽花が子狐の顔に似ているから▽キツネノママコからの転訛――など。転訛説はママコナ(ゴマノハグサ科)に似て小さいからキツネノママコになり、これがキツネノマゴに転じたというもの。別名「カグラソウ(神楽草)」。これは花穂の姿形を神楽鈴に見立てて。漢方では全草を乾燥したものを「爵牀(しゃくじょう)」と呼び解熱や風邪薬として用いる。若葉は茹でて食用にも。変種に沖縄地方に自生する「キツネノヒマゴ(狐の曾孫)」や「キツネノメマゴ(狐の女孫)」がある。

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<タヌキマメ(狸豆)> 毛深い萼に包まれた豆果をタヌキに見立て

2018年09月11日 | 花の四季

【マメ科では珍しい直立した花序に蝶形の青紫の花】

 日本から中国、東南アジアにかけて分布するマメ科タヌキマメ属の1年草。日当たりのいい草原や丘陵などに生え、8~10月頃、茎の先に穂状の総状花序を伸ばし、10~20個の蕾を付け下から順次開花する。花はマメ科特有の蝶形の一日花で青紫色。マメ科にはツル性の植物が多いが、タヌキマメは茎が直立し、葉もマメ科には珍しく笹のような線形の単葉が互生する。

 全体に褐色で細く長い毛が生えているのも大きな特徴。深緑色で毛がない葉の表面を除くと、茎にも萼(がく)にも葉の裏面にも毛が密生する。花後には萼が大きく膨らんで豆果を包み込む。「狸豆」の名前の由来には毛深い褐色の豆果をタヌキに見立てたという説をはじめ、振ると音を立てる鞘の中の種子を腹を叩くタヌキに見立てたといった説もある。学名は「クロタラリア・セッシリフローラ」。属名の語源はラテン語の「玩具のガラガラ」で、種小名は「花柄のない」を意味する。

 タヌキマメは環境省のレッドリストには掲載されていない。ただ全国的には草地の減少などで見かけることが少なくなっており、都道府県版のレッドデータブックには関東や近畿地方を中心に22県で絶滅危惧や準絶滅危惧種になっている。近縁種で沖縄に自生し黄花を付けるエダウチタヌキマメ、ガクタヌキマメ、ヤエヤマタヌキマメの3種は「環境省レッドリスト2018」で絶滅危惧ⅠA類に分類されている。いずれも野生種がごく近い将来には絶滅してしまう危険性が極めて高いというわけだ。

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<タコノアシ(蛸の足)> まるでタコが逆立ちしたように!

2018年09月10日 | 花の四季

【全国39都府県で絶滅危惧~準絶滅危惧種に】

 流れの緩やかな河川や湿地、休耕田、河川敷などに自生する多年草の湿生植物。本州、四国、九州をはじめ中国、朝鮮半島、熱帯アジアなどに広く分布する。かつてはユキノシタ科やベンケイソウ科に分類されていたが、最新のAPG分類体系ではタコノアシ科タコノアシ属として分離独立している。

 草丈は50~80cmで、9月頃、数本に分枝した枝先の総状花序を放射状に伸ばし、外向きに巻いた花序に径4~5mmほどの小さな黄緑色の花をずらりと付ける。上からのぞくと、タコが逆立ちして吸盤が並ぶ脚を広げたように見えることから「蛸の足」と名付けられた。晩秋には熟した実を含め全草が赤茶色に紅葉し、まるで茹でダコのようになる。河川の氾濫や浸食などで水位変動がある場所によく生える〝撹乱依存植物〟で、生育を阻害する周りのヨシなどと違って地上部の茎が倒されてもすぐに新しい葉を展開し茎を立ち上げる。

 自生地は河川の改修や湿地の埋め立てなどで全国的に減少傾向にある。環境省のレッドリストでは準絶滅危惧種。地方でも絶滅危惧や準絶滅危惧種に指定している都道府県が全国の8割強の39都府県に上る。そんな中、各地で保全のための研究や活動も活発になってきた。宮崎市では「NPO法人大淀川流域ネットワーク」を中心に大淀川の砂州に自生するタコノアシの生育環境改善や生育地の拡大を目指し、昨年からヨシやオギの草刈り、種子の採取などに取り組んでいる。「秋空へ花の足あげタコノアシ」(飴山實)

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<奈良県立美術館> 明治150年記念企画展「美の新風―奈良と洋画」

2018年09月01日 | 美術

【奈良ゆかりの画家らが描いた作品を通し洋画の足跡を辿る】

 奈良県立美術館(奈良市登大路町)で明治150年記念企画展「美の新風―奈良と洋画」が開かれている。国内で油絵や水彩画など洋画が盛んになるのは明治時代以降。本展では奈良出身や奈良に移り住んだ画家たちによって描かれた作品を中心に約130点(参考出品を含む)を年代順に紹介し、奈良での洋画の足跡を振り返る。9月17日まで。

     

 作品展示は序章と第Ⅰ~Ⅳ章、参考出品の作品群で構成する。序章で取り上げた洋画家は黎明期に活躍した浅井忠や石井柏亭、加藤源之助ら。第Ⅰ章「奈良ゆかりの洋画家~明治・大正・昭和戦前期」では大村長府、中村勝治郎、松岡正雄、普門暁ら、第Ⅱ章「奈良の洋画界~大正・昭和」では浜田葆光、足立源一郎、山下繁雄、若山為三、坂元一男、上島一司ら、第Ⅲ章「奈良と洋画」では中澤弘光、熊谷守一、山下新太郎、須田国太郎、杉本健吉、須田剋太ら、第Ⅳ章「奈良ゆかりの現代作家~戦後から現在まで」では田中敦子、絹谷幸二らの作品が並ぶ。

 

 浅井忠(1856~1907)は西洋画を学ぶため1900年に渡仏し、帰国後には京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)の教授になるとともに、聖護院洋画研究所(現関西美術院)を設立した。1904年頃制作の『奈良の鹿』は仲睦まじい雌雄の鹿を描いた作品で、森閑とした木立の中でゆったりと時が流れる。鹿を題材にした作品は他にも数多い。普門暁(1896~1972)の『鹿、青春、光、交叉』(上の写真㊧)、浜田葆光(1886~1947)の『水辺の鹿』(同㊨)、杉本健吉(1905~2004)の『春日野 鹿』……。浜田は高知出身だが、奈良の自然風土に魅せられて移住し鹿や奈良公園を好んで描いて〝鹿の画家〟として広く知られた。

 

 東京出身の山下繁雄(1883~1958)は長く奈良に住み〝平城画工〟と名乗って軍鶏(闘鶏)を描き続けた。1951年には奈良県文化功労者の表彰を受けている。展示作品『軍鶏』でも今まさに飛びかかりそうな一触即発の一瞬が迫力たっぷりに描かれている。坂元一男(1905~78)は鹿児島生まれで奈良師範学校、奈良教育大学で教鞭を執り美術教育に尽くした。『夏日(シャボン玉)』は日陰でシャボン玉に興じる姉弟(?)と真夏の日光を浴びて咲く背後の大きなヒマワリの明暗のコントラストが際立つ。地元奈良出身の絹谷幸二(1943~)の作品は奈良県100年記念展「描かれた大和」出品のために描かれた『大和遠望』(上の写真㊧)など2点を展示中(写真㊨は須田国太郎の『校倉(甲)』)。参考出品は黒田清輝『婦人像』、向井潤吉『首飾りと婦人』、前田常作『夜の人々』など。

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