く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<伊吹山のお花畑㊦> 一面を淡紅色に染めるシモツケソウ

2018年07月26日 | 花の四季

【東登山道で〝旅する蝶〟アサギマダラに遭遇!】

 西登山道コースで山頂に向かう途中、右手の草原一帯をシモツケソウ(下野草)の大群落が淡紅色に染めていた。バラ科の多年草で、夏のお花畑の主役。その名は庭木として植えられることも多い落葉低木シモツケ(下野)の花によく似ていることから。シモツケの別称「キシモツケ」に対し、シモツケソウは「クサシモツケ」とも呼ばれる。登山道沿いにはシモツケの花もまだ咲いていた。(下の写真は㊧シモツケソウ、㊨シモツケ)

 

 山頂付近にはノアザミの変種で伊吹山固有種のミヤマコアザミ(深山小薊)も群生していた。草丈は30~50cmほどとノアザミよりかなり低く、分岐した枝先に赤紫色の頭花を1つずつ付けていた。伊吹山のアザミには他に秋に咲くイブキアザミ(伊吹薊)とコイブキアザミ(小伊吹薊)があるが、この2種もここだけで見られる固有種。登山道沿いでは穂状の総状花序に薄紫色の花を密生したクガイソウ(九蓋草・九階草)も多く目にした。和名は輪生葉が茎に何段も層を成すことに由来する。(写真はミヤマコアザミとクガイソウ)

 

 シュロソウ(棕櫚草)は直立した茎の円錐花序に暗紫色の花を付ける。別名「ニッコウラン(日光蘭)」。鮮やかな黄花のキンバイソウ(金梅草、金杯草)も目を引いた。伊吹山のお花畑は蝶にとっても楽園。東登山道を下っていると、〝旅する蝶〟アサギマダラが目の前をひらひらと優雅に舞って近くの草むらで一休み。クガイソウには羽の模様が美しい蝶が止まって蜜を吸っていた。アカタテハだろうか?(写真はシュロソウとキンバイソウ)

 

 シカの食害が全国各地で問題になっているが、この伊吹山もその例に漏れない。お花畑を食害から守ろうと、シモツケソウの群落などはネットで囲まれ、東登山道の出入り口には金網の扉が設置されていた。繁殖力の強いアカソやフジテンニンソウの群落拡大の抑制も課題の一つ。草丈が高く日照を遮って既存のお花畑を侵食していくという。このため「伊吹山自然再生協議会」を中心に数年前からシモツケソウの群落再生事業などに取り組んできたそうだ。

 

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<伊吹山のお花畑㊤> 〝百花〟咲き乱れる西登山道

2018年07月25日 | 花の四季

【メタカラコウ、アカソ、キオン、コオニユリ…】

 滋賀県の最高峰で岐阜県との県境に位置する伊吹山(標高1377m)。〝日本百名山〟の一つに数えられるこの名峰は多彩な花と薬草の宝庫といわれ、山頂一帯の植物群落は国指定の天然記念物にもなっている。気温は下界に比べ四季を通じ8~10度ほど低いという。そこで涼を求めお花畑を散策しようとバスツアーに参加した(7月23日)。

 伊吹山ドライブウェイ(全長17キロ)は半世紀ほど前の1965年に全線開通した。終点は山頂直下のスカイテラス駐車場(標高約1260m)。ここから頂上には西登山道(約1キロ)と下り専用の東登山道(約1.5キロ)、それに急勾配の石段が続く中央登山道(約0.5キロ)の3つのルートがある。そこで西から東へ反時計回りに1周することにした。(下の写真はアカソとキリンソウ)

 

 西登山道に入るや、次々に様々な花が目に飛び込んできた。群生し赤い花穂が風に揺れるアカソ(赤麻)、鮮やかな黄花が密集するキリンソウ(黄輪草)、直立し高さが0.5~1mほどある黄花のメタカラコウ(雌宝香)、つる性のマメ科植物クサフジ(草藤)、小さな花が泡立つように咲くキバナノカワラマツバ(黄花の河原松葉)、「ヒゴオミナエシ」の別名を持つキク科のキオン(黄苑)……。 (下の写真はメタカラコウとクサフジ、キバナノカワラマツバとキオン

 

 

 黄色い花が多い中で目立っていたのがコオニユリ(小鬼百合)。濃いオレンジ色で、斑点を付けた花弁が大きく反り返って俯くように咲き始めていた。比較的草丈が低い山野草が多い中で、セリ科のシシウド(猪独活)も存在感を発揮していた。高さが1~2mもあり、打ち上げ花火のように白花を放射状に広げていた。山頂周辺でも黄色いメタカラコウの群落の中からシシウドの花が伸びていた。(写真はコオニユリとシシウド)

 

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<浅小井の祇園祭> 江戸後期建造の曳山6基が巡行

2018年07月24日 | 祭り

【ちびっ子たちが練習を重ねた祇園囃子を披露】

 滋賀県近江八幡市浅小井町(あさごいちょう)で7月21~22日、伝統の夏祭り「浅小井の祇園祭(曳山まつり)」が繰り広げられた。今宮天満宮内の摂社津島神社の厄病退散と五穀豊穣を祈願する祭礼。本宮の22日には江戸時代後期に建造された曳山6基が町内を巡行した後、神社の鳥居前に勢揃いし、青い法被姿の子どもたちが太鼓や横笛、鉦(かね)で祇園囃子を奉納した。

 浅小井町は安土城跡の西側にある琵琶湖最大の内湖、西の湖の南側に位置し、かつては特産イ草の栽培・加工が地域に莫大な富をもたらせた。往時の繁栄ぶりを物語るように、町内の6つの小路(東出、北出、西出、平田出、野瀬出、五条ノ木)が重厚な曳山を1基ずつ保有する。曳山は以前、各小路の保管庫に収容されていたが、今はふだん地域のまちづくりの拠点「曳山とイ草の館」で全6基が保管されている。

 

 午後2時すぎ、同館を出発した曳山は子どもたちが演奏するお囃子に乗って約500m離れた津島神社に向かった。山車の上部を飾るダシはその年の干支や世相を映したものを各小路のダシ番が手づくりしているという。今年は戌年とNHKの大河ドラマ「西郷どん」もあって、犬を連れた西郷隆盛の飾り物が目立った。「2018五輪 そだね~」というのもあった。

 

 曳山の中で最も建造時期が古いのは五条ノ木山の1806年で、その他の5基も1800年代前半の建造。基本的な構造は人形屋台・単層露天式の〝日野・水口型〟だが、黒漆塗りや白木造り、破風屋根付きや金箔で飾った彫刻があるものなど独自色も目に付く。形態が異なるのは多賀町や日野町など周辺地域から買い入れた曳山が含まれることによるそうだ。各曳山には大きな寄木造りの車輪が付いているが、最近は曳き回しやすいように山車全体をゴムタイヤ付きの台車に載せている。

 

 6基が鳥居前に横一列に並ぶと、その前で子どもたち約20人による祇園囃子の奉納が始まった。曳山の巡行はずっと続いていたものの、お囃子は約60年間途絶え、約20年前にようやく復興させることができたという。以来、浅小井祇園囃子の会「湖月」が保存・伝承活動に取り組んでいるそうだ。その後、曳山の上から御供まきがあり、子どもたちが歓声を上げながら餅や菓子などを取り合っていた。

 浅小井町は200戸に満たない小さな集落。そこで繰り広げられる大きな曳山6基による祇園祭に、地域住民の誇りと心意気を感じた。祭りの継続には人手不足や資金面での制約など様々な困難があるにちがいない。それを乗り越えて祭りがこれからも長く引き継がれていくことを願わずにはいられなかった。

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<アワモリショウマ(泡盛升麻)> 園芸品種アスチルベの交配親

2018年07月16日 | 花の四季

【〝泡盛〟は白い小花が泡立つように咲き誇る様から】

 ユキノシタ科の多年草で、本州の近畿以西から四国、九州にかけて分布し渓谷沿いの岩場などに自生する。晩春~初夏に穂状の花序に白い小花を泡立つように無数に付ける。升麻は解熱・解毒作用がある生薬名。「赤升麻」と呼ばれるチダケサシ属(アスチルベ属)のアワモリショウマやアカショウマ、トリアシ(鳥足)ショウマは、「黒升麻」や「真升麻」とも呼ばれるキンポウゲ科のサラシナ(晒菜)ショウマの代用とされてきた。

 アワモリショウマの学名は「Astilbe japonica(アスチルベ・ヤポニカ)」で、日本原産であることを表す。アスチルベの語源はギリシャ語の「a(無、欠ける)」と「stilbe(光沢、輝き)」から。基準種のインド産のものが、葉に艶がなかったことによるそうだ。ただアスチルベ属の植物には学名に反し葉に艶があるものも多く、アワモリショウマの葉にも光沢がある。茎が細くて堅いのも特徴の一つ。属名チダケサシ(乳茸刺)の名前も信州などで食用キノコの乳茸を採ったとき、その堅い茎に刺して持ち帰ったことに由来する。

 アワモリショウマはドイツなどヨーロッパで中国原産のオオチダケサシなどと交配され多くの園芸品種群が生み出された。園芸界ではそれらを総称しアスチルベと呼ぶ。花色も白のほか、ピンク、紅色、紫など多彩になっており、洋風の花壇などで目にする機会も増えてきた。アワモリショウマの草丈はふつう50~80cmだが、最近は背丈が低い小型のものが「ナチ(那智)アワモリショウマ」や「チャボアワモリショウマ」といった名前で出回っている。

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<ハナゼキショウ(花石菖)> 白花が清楚な日本固有の山野草

2018年07月14日 | 花の四季

【岩場に生えることから「イワゼキショウ」の別名も】

 チシマゼキショウ科チシマゼキショウ属の日本固有種で、本州の関東以西から四国、九州にかけて山地の湿った岩場に自生する。別名「イワゼキショウ(岩石菖)」。ハナゼキショウの名前は根元から生える剣状の細長い葉の姿形がセキショウに似ていることと、花が清楚で美しいことによる。

 花期は7~8月頃。高さ15~30cmほどの花茎を伸ばし、総状花序に小さな白い花をいくつも付ける。花被片は線状の長楕円形で、6枚の花被が線香花火のように放射状に広がる。学名は「Tofieldia nuda」。属名の「トフィールディア」は18世紀の英国の植物学者トーマス・トフィールド氏(1730~79)の名前に因み、種小名「ヌーダ」は「裸の」を意味する。

 山野草の愛好家に人気があり、鉢植えとして栽培する人も結構多い。今のところ環境省のレッドリストには掲載されていないが、都道府県段階では長野、石川、愛知、和歌山、京都など中部、近畿地方を中心に絶滅危惧種に指定しているところも多い。なお、セキショウはショウブ科ショウブ属、北米原産の帰化植物ニワゼキショウはアヤメ科ニワゼキショウ属。同じ仲間のようにセキショウの名前が付いていても、分類上はそれぞれ全く異なっている。

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<奈良奉行所> 軍事的拠点の〝繋ぎの城〟でもあった!

2018年07月13日 | メモ

【史料保存館で企画展示、模型・絵図・執務日誌など】

 奈良市史料保存館で「奈良奉行所」をテーマにした平成30年度企画展示が開かれている。奈良奉行所は現在国立大学法人の奈良女子大学がある場所に置かれ、江戸時代約250年間にわたって奈良の町を治めていた。この奉行所の景観や機能、歴史を、模型や絵図、古文書などをもとに詳しく紹介している。7月22日まで。

 奈良奉行は江戸幕府が地方の主要都市に設置した遠国(おんごく)奉行の一つで、奈良町御奉行や南都町奉行、南京奉行とも呼ばれた。1613年に任命された中坊秀政(飛騨守)が最初の奉行といわれ、以来、江戸末期まで42代の奉行が奈良町と周辺の奈良廻り八カ村、社寺領の行政と治安を担当した。有名な奉行には付属学問所を設立した梶野良材(1831~36)、町民に慕われ後に幕府の勘定奉行や外国奉行としても活躍した川路聖謨(1846~51)などがいる。

 

 奈良奉行所の敷地は東西・南北ともほぼ93間(約165m)の正方形で、周りに堀と土塁を巡らせていた。総面積は8700坪(約2万8000㎡)と広大で、近隣の奉行所と比べると、大坂町奉行所のほぼ3倍、京都町奉行所の約1.6倍の広さを誇った。堀や土塁が巡る正方形の造りは、徳川家康が上方と江戸間の往来や鷹狩りの際に旅宿に充てるため築いた御殿とよく似る。奈良奉行所は同時に有事の際には軍事的拠点の役割を担う〝繋ぎの城〟としての機能も想定されていたといわれる。実際に家康は1614年の大坂冬の陣に際し、ここに宿泊した後、大坂・住吉に向かったそうだ。

 奈良奉行所の復元模型は奈良女子大学所蔵の「南都御役所絵」(1803年)や同大学内での近年の遺構発掘調査などを基に制作されたもの。展示中の「御役所絵図」(1767年)によると、奉行所内は東南側に奉行が政務を行う書院公事場(くじば)、白洲、吟味所、与力詰所など役所向きの建物、その北側に奉行と家来の住居や台所、武具蔵などの建物が配置され、西南側は庭園になっていた。絵図の建物は青、茶、黄の3色に色分けされているが、これはそれぞれ瓦葺き、桧皮葺き、板葺きの別を示していると考えられている。

 「南都御役録」(1860年)は奉行所内での職務分担表で、奉行以下、与力、同心、町代などの氏名と職務内容が記されている。「奈良奉行所町代日記」は町政事務を担当した町代の執務日記で、奉行所内の出来事や町人からの訴訟の届け、家屋敷の売買届けなどが細かく記録されている。「奈良奉行所御番所日記」は与力の執務日誌。「井上町町中年代記」は井上町の記録で、1822年7月29日の欄には奉行所から鹿の保護について通達があったことが記されている。町代日記、御番所日記、井上町の年代記はいずれも奈良市指定文化財。

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<セントポーリア> 東アフリカ原産、和名「アフリカスミレ」

2018年07月11日 | 花の四季

【〝室内花の女王〟とも、1970~80年代に一大ブーム】

 イワタバコ科の非耐寒性多年草。原産地はアフリカ東部のタンザニア~ケニアの山岳地帯で、日本には明治末期に渡来した。和名は英名の「African violet(アフリカン・バイオレット)」を直訳した「アフリカスミレ」。セントポーリアの名前は1890年代初めにタンザニアで原種の一つを発見したドイツ人、ヴァルター・フォン・セントポール男爵に因む。

 その原種がドイツのヘレンハウゼン王宮庭園に送られて栽培され、園長によって「セントポーリア・イオナンタ」と命名された。イオナンタはギリシャ語で「スミレの花のような」を意味する。原産地では他に二十数種の原種が確認されており、ドイツや米国を中心にこれらの原種をもとに無数ともいえる園芸品種が作出されてきた。米国では1946年に園芸家による「全米アフリカン・バイオレット協会」が発足している。

 日本でも1970年代の後半から80年代にかけて一大ブームが巻き起こった。、その功労者として有名なのが川上敏子さん(1915~2010)。外交官夫人として滞在中のカナダでセントポーリアに出合い、モスクワ滞在を経て帰国後『セントポーリア図鑑』をはじめ多くの著書で花の種類や特徴、室内栽培法などの紹介に努めた。同時に「セントポーリア研究所」を設立し、「日本国際セントポーリア協会」の旗揚げにも奔走した。

 欧米や日本で栽培ブームが起きた背景には①栽培環境(室温18~25度など)が整えば室内で年中花を楽しめる②品種が多く花や葉の色・形・大きさが変化に富む③好みの花を〝葉挿し〟で殖やすことが比較的簡単にできる――などがある。一時のブームは去ったものの、なお栽培に熱心な愛好者はまだまだ多いようだ。この写真のセントポーリアも親戚の女性が〝葉挿し〟で育てたと数鉢見せてもらったもの。NHKのEテレ「趣味の園芸」でも今年4月、「帰ってきたセントポーリア」と題し再び人気になっている様子を紹介していた。花ことば「小さな愛」。

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<興福寺> 国宝三重塔の初層内陣を特別公開

2018年07月08日 | メモ

【年1回7月7日、東面に本尊弁才天坐像が鎮座】

 奈良市の興福寺で7日、国宝三重塔の初層4面の扉が開け放たれ特別公開が行われた。東面に祀られた本尊弁才天坐像を拝観できるのは毎年7月7日の1日だけ。ふだんは国内2番目の高さを誇る五重塔や西国三十三所第9番札所の南円堂などの陰に隠れひっそりとした存在の三重塔だが、この日ばかりはあいにくの雨模様にもかかわらず参拝客が次々に訪れて本尊に手を合わせていた。

 三重塔は高さ約20mの本瓦葺き。猿沢の池から南円堂に至る石段の途中から左折した突き当たりに位置する。崇徳天皇の中宮皇嘉門院(こうかもんいん)聖子の発願で1143年(康治2年)に建立された。約40年後の1180年(治承4年)の平重衡の南都焼き討ちで焼失したが、鎌倉時代前期に他の建物に先駆けて再建された。興福寺で現存する建造物の中では北円堂(国宝)と並んで最古とされる。規模は高さ約50mの五重塔に比ぶべくもないが、三層の屋根の反り返りや、白壁と木組みなどが実に優しく美しい。

 

 初層の内部は中央の四天柱からX状に板壁が張られ、本尊を安置する須弥壇が三角形になってのが特徴。「窪弁才天」と呼ばれる本尊は江戸時代初期の作で、高さ38.5cmの桧材の寄木造り。頭上に鳥居、翁頭蛇身の宇賀神を戴き、八本の手に宝珠、弓、剣、鍵などを持って、十五童子が眷属として従う。本尊の前にはこの日、向かって右側にニンジンとナスとカボチャ、左側にはうず高くユバが供えられていた。内陣の東西南北には薬師如来像、阿弥陀如来像、釈迦如来像、弥勒如来像がそれぞれ1000体ずつ描かれ、格天井などにも極彩色の文様が描かれていたという。ただ経年劣化のため不鮮明になっており、目を凝らして内部を覗いても残念ながらよく分からなかった。

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<キバナノコギリソウ(黄花鋸草)> 無数の小花が傘状に

2018年07月06日 | 花の四季

【原産地はコーカサス地方、葉に鋸歯状の切れ込み】

 キク科ノコギリソウ属(アキレア属)の多年草。ノコギリソウの仲間は北半球の温帯から寒帯にかけて広く分布する。全草に薬効があり、ヨーロッパなどでは薬用植物として古くから栽培されてきた。ノコギリソウは学名から「アキレア」とも、またハーブ名から「ヤロウ」とも呼ばれる。アキレアの名前はこの植物から傷薬を調合したという伝説があるギリシャ神話の英雄アキレウスに由来するそうだ。

 ノコギリソウの仲間は日本にもエゾノコギリソウなど数種が自生しており、花の美しさから「ハゴロモソウ(羽衣草)」とも呼ばれる。ただ国内で花壇用や切り花として栽培されるのはヨーロッパ原産のセイヨウノコギリソウ(コモンヤロウ)か、カスピ海と黒海に挟まれたコーカサス地方原産のキバナノコギリソウ(イエローヤロウ)が中心。セイヨウの花色は白や赤、淡紅色などカラフルだが、キバナはその名の通り、枝先の散房花序に黄色い小さな頭花を密に付ける。キバナはセイヨウより全体的に大型で、花序の直径は10~15cmと大きく、草丈も1m以上になる。

 ノコギリソウの名前は葉の形がキクに似て、縁に鋸(のこぎり)状の深い切れ込みが入ることから。花色が褪せにくいためドライフラワーとしての人気も高い。日本では奈良~平安時代、ノコギリソウの茎が吉凶の占いに用いられ、それが後に筮竹(ぜいちく)占いに発展したという。ヨーロッパでもノコギリソウには神秘的な力があると信じられ、古くから占いや魔除けなどに利用されてきたそうだ。「細やかな鋸歯をもつその葉をたしかめてノコギリソウを教わりにけり」(鳥海昭子)

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<はかた伝統工芸館> 博多祇園山笠の歴史や魅力を紹介

2018年07月01日 | 祭り

【名人与一の山笠飾りの原画や江戸時代の山笠絵図なども】

 九州の夏祭りを代表する「博多祇園山笠」が1日開幕、福岡市博多区の繁華街など14カ所で豪華絢爛な飾り山の公開が始まった。15日早朝の舁(か)き山笠七流(ななながれ)による〝追い山〟に向けて、博多の町は祭り一色に染まっていく。この祇園山笠は博多の総鎮守、櫛田神社の奉納神事。神社のすぐそばにある「はかた伝統工芸館」では祭りに合わせ1階企画展示室で「博多祇園山笠 博多の伝統工芸とみやげ展」を開いている。

 飾り山は高さが10m前後で、櫛田神社側に向いた面を「表」、裏側を「見送り」と呼ぶ。飾り山は原則展示用だが、上川端通の飾り山だけは走る飾り山笠として追い山ならし(12日)や追い山で〝櫛田入り〟を奉納する。その飾り山の今年の題材は表が「義経八艘飛」、見送りが「京鹿子娘道成寺」。他の飾り山や舁(か)き山も表の題材は例年通り武者物が多くを占める。工芸館には「智将疾風関ケ原」と題した8分の1のスケールの飾り山を展示中。

  

 飾り山、舁き山の人形や飾り物の制作は博多人形師たちが担当する。舁き山は重さが1トンを超え、これを20人ほどで担いで疾走する。このため人形づくりにも軽さが求められ、主に紙・竹・布を使って幾重にも貼り合わせ作っていく。その制作過程を写真などで詳しく紹介するとともに、今年制作に携わった17人の人形師と担当した飾り山、舁き山の一覧表も展示している。また〝名人与一〟として多くの博多人形師を育てた小島与一さん(1886~1970)が描いた山笠の原画(標題「関ケ原合戦」、写真は部分)や、人形師白水英章さんが2012年に手掛けた東流の8分の1サイズの山笠人形も公開している。

 

 江戸時代中期から幕末の山笠絵図の拡大パネルの展示もあり、祇園山笠の起源や追い山の〝櫛田入り〟開始が午前4時59分になった理由などについても分かりやすく紹介している。博多人形と並ぶ伝統工芸品博多織は山笠人形にも使われるが、祭り期間中、博多織の角帯は長法被(当番法被)を着て闊歩する男衆たちを粋に演出するものとしても欠かせない。その男帯もずらりと並ぶ。入り口そばには記念撮影用の祇園山笠切り絵顔出しパネルも立っている。

 

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