経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

成長が先か、生産性が先か

2013年02月10日 | 経済
 2/7の深尾京司先生の経済教室は、おもしろく読ませてもらった。経済学の常識は、個々の企業が生産性を上げ、その結果として経済が成長するというものだろう。それは分かっていながら、筆者は、成長の結果として、生産性が上がっているのではないかという、長年の疑問を拭えないでいる。因果関係を逆転させるのは、基本的な思考法なので、余興につきあってもらえたらと思う。

………
 紙面に掲載された図を見ると、製造業のTFPは、1991年のバブル崩壊を境に伸びが落ち、2002年頃から急に高くなっている。ということは、1991年から技術革新や規制緩和が停滞し、2002年から大きな進展を見せたということだろうか。正直、そうした技術的実感はまったくない。単に、バブル崩壊後に需要が伸びなくなり、2002年以降はアメリカンバブルで輸出が急増したに過ぎぬのではないか。

 こうして見ると、技術革新や規制緩和によって経済を成長させようという「成長戦略」にも疑問が湧いてくる。もちろん、それらは必要条件であることは確かだが、他方で、「成長戦略」は財政出動の代替物として扱われ、財政再建と組み合わされることが多い。そうなると、それで成功するものなのだろうか。

 非製造業のTFPを見てみると、バブルの時期に伸びが高まったことが分かる。その後は、ずっと停滞続きだ。深尾先生が言うように、米国と違って、IT導入が不十分だったから、差がついてしまったのかもしれない。ただし、米国はITを使う金融業がバブルで潤ったのに対し、日本は輸出増の需要波及を緊縮財政で断ち切ったから、内需中心の非製造業が伸びなかったようにも思える。

 日本の流通業は、昔は「暗黒大陸」などと言われて、その複雑さは非効率の典型とされてきたが、いまや配送センターが続々と整備され、日用品の流通は一新されている。コンビニの情報投資は改めて言うまでもないだろう。そして、こういうものは需要が増えているときに威力を発揮する。震災後、多少、需給が締まっただけで、コンビニの業績は高まった。生産性と需要は表裏一体のものである。

………
 深尾先生が言うように、お役所のターゲッティングポリシーに期待できないことは、筆者も同感である。成功していたかに見えた「栄光の時代」だって、「生徒が優秀だと、先生も立派だと思われる」と揶揄したものである。これは、お役所に代わって、民間や大学ができるものでもないように思える。

 できることは、植物の栽培と同様、水や肥料といった環境を整えて、虫などの害が及ばないよう除いてやり、おのずと育つのを待つことではないか。引っ張り上げて伸びるものではないし、まして、需要を与えては抜くというゴー&ストップの財政運営で、わざわざ「一害を与える」ようなことをしていてはダメであろう。需要の増加と物価の緩やかな上昇は、TFPをも高めるように思う。

(今日の日経)
 原発輸出をサウジと協議。03年に26%が10%に軽減し日本版ISAへ。住生が保険料下げ。要望に復興庁が即応。生損保評価損半減。ウーマノミックス・米より高いスウェーデンの女性労働力率。アパート屋根で発電。ガソリン高がレジャーに影。中外・反体罰の日本文化。クマバチは飛ぶ。読書・イノベーションオブライフ。

※KitaAipsさん、激励ありがとう。2/2への御指摘も、そのとおりと思います。大恐慌の研究では、近年は金融要因が強調されてきましたが、追加的需要の観点は欠かせません。この頃は「需要が大事」が繰言のようになっていますが、今後も実事求是で行きたいですね。

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2 コメント

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Unknown (てるろま)
2013-02-10 13:24:09
所詮、経済学ってのは結果論で経営だ、成長戦略だとは次元の違うものなんですよね。所詮経済学の言っているのは禍福は糾える縄の如しってことで一場面をアカデミックな装いで捉えてフンワリとした「理論」にしてるだけ。自然科学的な法則性にはたどり着けない。
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TFP (KItaAlps)
2013-02-11 09:13:13
 まったくご指摘のとおりだと思います。

 これは、TFPの算出方法からあきらかです。 以下、いわずもがなですが。

 ロバート・ソローにはじまる新古典派成長理論では、成長要因を3つに分解します。資本投入、労働投入、生産性上昇です。
 企業の生産性は、投入と算出から容易に計算できますが、経済全体の生産性は直接の計算はほぼ不可能です。そこで、ソローは、成長(率)への資本投入増加の寄与と、労働投入増加の寄与を控除し、残り(ソロー残渣といいます)を「生産性上昇の寄与」として把握します。これがTFPです。通常、このTFPは、技術進歩(ただし、生産販売組織運営の効率とかのソフトの技術進歩も含みます)の率だと考えます。

 しかし、この計算方式から明らかなように、成長のうち、資本、労働投入の変化以外の影響の全部(雑多な要因)が多数、TFPに含まれていると考えられます。

 技術進歩以外でもっとも大きいのは、設備や人材の「稼働率」です。このため、TFPはシンプルな形では、景気の変動(好況不況)にシンクロして変動していることが知られています。

 そこで、もちろん、こうした稼働率の影響を除去しようとはしているわけです。例えば、経産省が設備稼働率なんかの統計を出したりしていますので、これらを使っているわけです。しかし、実際には、除去はなかなか困難です。

 設備の稼働率の影響も取り切れないと思いますが、それはまだましで、労働力の「稼働率」変動の影響の除去は、なかなか困難です。

 例えば、何年か前に、研修業者の方に、「不況で大変でしょう」と聞いたことがありました。不況だから、コストカットで企業の研修発注がカットされているだろうと思ったのですが、「いえいえ不況のときこそ研修の発注が増えるものです」と答えられて驚いた記憶があります。忙しくない社員を遊ばせないために研修が増えているようです。

 また、仕事がなくて工場の草むしりをしていても、見かけの稼働率は高いのです。

 さらに、自分のサラリーマンとしての行動に照らしてみれば明らかですが、忙しいときは仕事のスピードは速いのですが、ひまなときは、仕事のスピードを遅くして、手間を掛けて仕事をしています。最大では数倍の差があるといっても過言ではないでしょう。こうしたことは統計では把握できません。

 ですから、私は、TFPの中には、確かに技術進歩による生産性向上分が入っていることは確かだろうとは思いますが、それ以外に好不況による稼働率の変動が極めて多量に入っていて、それが除去し切れていないことも間違いないと思います。

 TFPは、短期では信頼性が乏しいのです。長期で始めて意味のある指標だと思います。

 したがって、TFPを上げるような「政策」といったものは、ナンセンスです。そもそも、短期、中期で上がったかどうかすら正確に把握できないような指標には政策上の意味はありません。

 そもそも、新古典派成長理論の資本、労働、生産性という3要因は(当然ながら)いずれも、供給を制約する要因です。需要が超過しているときには、供給力が生産総額を制約します。このときに、供給を制約する新古典派成長理論の3要因は、たしかに意味があります。そのどれかに制約があれば、成長が制約されます。

 ところが、今は需要が不足しているわけです。こうしたときに、供給側の要因を操作しても何もプラスにはなりません。新古典派系の理論一般がそうであるように、これらでは、需要不足がないという前提で理論ができています。セイ法則成立が前提なわけです。需要不足がなければ、常にフル稼働ですから、確かに設備や人材の稼働率が問題になることはあり得ず、TFPは技術進歩をほぼ反映していると考えられるわけです。

 現実には明らかに景気変動による急激な(とても技術進歩によるとは思えないような)TFPの変動が見えますから、経済学者も、現実に合わせて稼働率を考慮に入れ、本来の基本モデルから離れて、稼働率の影響を除去するという操作をやっていますが、そもそもそうした操作が必要とされるということはTFPという指標に意味がない状況(つまり需要不足の状況にあり、供給側要因に着目する意味がないという状況)にあることを意味していると考えるべきだと思います。

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