昨日、紹介させてもらった『ケインズは今なぜ必要か』は、そこに収められている福岡正夫先生の講演も絶品でね。IS-lMを批判する伊東光晴先生とは別の見地に立って、ケインズ体系とワルラス体系の違いを論じられています。
(今日の日経)
企業の国内の稼ぎ復調、利益7割増。進まぬペーパーレス。東海地区企業の現預金2倍強。理財商品の返済遅れ。中国輸出の水増し再燃。経済教室・医療戦略の評価・鎌江伊三夫。猿翁・ケレン10なら、心理は20も30も。
※まさに逆バブル(オーバーシュート)が弾けた感じだね。こういう非線形性が経済の面白さ。
(今日の日経)
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※まさに逆バブル(オーバーシュート)が弾けた感じだね。こういう非線形性が経済の面白さ。
私の経済現象の認識は、ケインズやケインジアンと同じですが、(おこがましくも)私の(拙著の)体系は、むしろワルラス的だということを再確認しました。
私の体系とワルラス体系の違いは、ワルラス体系が全ての市場の均衡(一般均衡)を基盤とする体系であるのに対して、私の観点は短期の一般均衡が実現していない状況を扱うものだという点です。ただし、全市場(財・サービス市場だけでなく資産市場などすべての市場)を合算すれば均衡が実現している(=ワルラス法則)点が基盤となります。
一方、私の体系が、ケインズと異なる点は、「価格」と無関係である点です。私の体系では、価格は実物の交換比率=相対価格があるだけです。つまり、ワルラスと同様、貨幣は中立として、無視する訳です。この意味で実物的です。
これに対して、ケインズは、貨幣に重要な位置づけを与えました。特に、需要不足の原因として、貨幣独自の魅力(資産価値など)に注目しました。流動性選好です(・・・私の観点では、貨幣だけでなく債券、株式や土地などの「資産」に資金が流れ込むことが財市場の不況の原因となると考えます。ケインズは限定しすぎていると思います)。
ケインズが貨幣に着目したことで、必然的に「価格」の問題がケインズ体系の中で取り扱いの難しい問題として残りました。ケインズ体系の理論的な困難は、この貨幣の導入に伴う価格問題に遠因があると感じます。(私の体系では、価格は相対価格しかなく、それは物々交換と同じです。それによって、問題が非常にシンプルになっているわけです)。
価格が不可欠の体系であるために必要となった、フィリップスカーブの導入、クラウアーの二重決定仮説、ソロー・スティグリッツ・アカロフの効率的賃金理論などのいずれも、一理はあるものの、経済学体系という観点で見るとアドホックなものという感がぬぐえないと感じます。
ワルラスの体系とケインズの体系に対して、私の体系を改めて説明してみますと、上で述べたように、まず、各市場(財市場や債券市場などの資産市場)が不均衡であっても、全市場を合算すると均衡は成立しています(=ワルラス法則)。
個々の市場が不均衡であるとき、ワルラス法則が成立するためには、購買力の移動が生じる必要があります。例えば、財市場で使われなかった購買力(資金)が債券市場に流入して、債券市場で超過需要が生じます。
こうしたプロセスを経て、結果的に(資金・貨幣の流れを消してしまえば)自動車と債券の交換が行われ得ると言えることになります。消費者にとって、手元に百万円があるとき、それで自動車を買おうが土地を買おうが、債券を買おうが自由です。「買い物」の対象としてそれらは等価です。どれもが選択され得ます。
もちろん、多数の消費者がいますから、使い道の配分は、全体の集計としては、ある程度は安定しています。しかし、それが集計的にも偏ることがあります。例えば、バブル(土地や株への偏り)、不況(雇用不安で大きな耐久財を先送りし貯蓄とか)です。こうしたとき、例えば自動車は需要不足(供給超過)になります。
問題は、土地、株、金融資産などの資産は、消費者にとっては「商品」としては財・サービスと等価であっても、財・サービスとは異なって、付加価値を生まないことです。付加価値を生むのは、財・サービス(の生産)だけです。企業は、そこで生まれた付加価値を、家計に(広義の生産コストとして)賃金、利子、配当として配分します。
ところが、消費者たる家計がその一部を他の資産に使い、全額を財・サービスの購入に充てないとき、財・サービス生産企業は、生産に際して家計に支払ったコスト(賃金、利子、配当)を回収できません。で、不況になります。
もちろん、通常は、家計が貯蓄をすれば、それを企業が全額を借りて設備投資しています。設備投資のための財・サービスが売れますから家計の所得は結局全額が企業に還流します。しかし、需要が足りないと企業が認識すれば、企業は設備投資を抑制しますから、財・サービスは需要不足となります。
また、通常は、資産の購入に資金が使われても、その資産を売却した側が、それを財・サービスの購入に充てれば問題はない訳です。通常の経済で、集計すると、そうした資金の動き(購買力の移動)は相殺され安定していますから問題はありません。ところが、それが偏ることがあります。
以上は、財・サービスの生産コストとして支払われた資金が、財・サービス以外の使途に使われず、「資産」の購入に充てられる場合に不況になると考えるということです。
例えばバブル期には、土地市場へ資金の流入超過が続きました。こうしたとき、相殺されない購買力の移動が生じています。逆に、不況では、預金、債券市場に資金が流入超過を続け、貸出が不足します。
こうしたとき、購買力が、継続的に財・サービス市場から、債券市場等の資産市場に流入超過していると考えられるのです。ここで、「超過」というのが重要で、通常は、流入があれば、流出も大体同じ程度あるので問題はないのですが、それが継続的に超過すると、経済に問題が生じると考えます。
ケインズは、こうした問題があることを認識していました。ただし、彼が注目したのは、もっぱら、資産としての「貨幣」への購買力の流入だけでした。流動性選好です。しかし、貨幣需要の増大は、大恐慌でも、日本の長期停滞でも、リーマン後の金融危機でも信用危機下では生じましたが、一時的なものでした。貨幣だけでは、その後の長い停滞を説明できないと感じます。
私の体系では、貨幣の影響はとりあえず考えません。それは、必要であれば、別に考えればよいと考えるわけです。