経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

9/3の日経

2013年09月03日 | 今日の日経
 今日の経済教室の土居先生もそうなのだが、国債という「紙切れ」で将来世代にツケをまわせるという議論には、納得できないものがある。現在の財政赤字の出し手は、企業部門であり、究極的には銀行預金を持つ高齢者である。少なくとも外国人ではない。

 インフレやデフレを防ぐ、マクロ経済的な課題は、債権を持つ高齢者の行動にどう対処するかになる。もし、高齢者が使わずじまいで死んでしまえば、何割かは相続税で回収される。残りが60歳代の次世代に引き継がれても、そのまま死蔵されれば、何の対応も必要ない。

 死蔵されずに使われたときが問題で、需給が逼迫して物価が上昇するから、その時には増税が必要になる。使われてもいないデフレの時に増税をしたら、債権(余計な購買力)を吸収するのではなくて、経済を縮小させるだけになるたろう。

 国内で保有される政府債務であっても、膨らんでいけば、将来の回収の課題が大きくなることは確かだが、先の不安のために、今をデフレにしても意味がない。デフレにしたら、高齢者の持つ債権の価値は上がるし、若者の人的資源を無駄にすることになる。

 それは、将来的な供給力を落とすことであり、課題を一層難しくするだけである。タイミングや大きさを考えず、成長の失速を覚悟で行う消費増税は、将来のモノやサービスが必要な高齢者にとっても、今の仕事が必要な若者にとっても、何の得にもならない。

(今日の日経)
 大飯原発は活断層ではない。二重課税のトラブル頻発。月内縮小75%、FRBはバブル警戒・エラリアン。国内不動産投資を海外勢がけん引。GDP「3%後半」に上方修正か。7月の税収5%増。8月新車販売で軽7.9%増。大機・印紙税の将来・腹鼓。経済教室・現世代の負担が必要・土居丈朗。

※エラリアンの見方は的確だと思うね。※在庫が減ってないとすると、消費が高過ぎる感じがする。7-9月期に季節調整で下がるのでは。7月の消費には陰りもある。増税を決めてから不調が分ることにならねば良いが。

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3 コメント

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負担の次世代先送論 (KitaAlps)
2013-09-03 09:56:36
(ちょうど、昨日ツィッターで9分割くらいで、タイトルの問題についてつぶやいていましたので、整理し直して以下に書きます。10月に出版予定の本のために整理していた点の一つです。)

 土居先生も言っておられる国債の負担の次世代先送論は、根強いのですが、これは明確な誤りだと思います。閉鎖経済・経常黒字国(+基軸通貨国)では、国債発行は、同世代の家計から政府への所得移転ないしは資金移転に過ぎません。

 これは、野口悠紀雄先生も言っています。次のページの中段の下の辺でふれたように
http://kitaalps-turedurekeizai.blogspot.jp/2013/04/blog-post.html

「将来世代への負担転化論について、野口悠紀雄氏は次のように述べている。 「国債が負担を将来に転嫁するという誤解・・・国債が内国債である限り、負担 を直接に将来に移すことはできない・・・復興財源をめぐる議論で、経済学者の中にもナイーブな誤りにとらわれている人が多いことがわかって私はショック を受けた。」(野口悠紀雄[2012]『消費増税では財政再建できないー「国債破綻」回避へのシナリオ』ダイヤモンド社77~ 79頁)・・・野口氏の認識は正しいと思う。

(以下、「である」調になります)

 そもそも負担は現世代がすでにしている。国債を買った家計は、その分他のモノを買えない。「負担」とは何かと考えると、結局、それはその分「他のモノを買えない」ということだ。だから、国債発行世代がすでに負担しているのだ。

 もっとも、ミクロの家計で見ると、買った国債を売れば他のモノを直ぐ買える。だから、国債購入は資産の購入であり、(直ぐに売って換金できるなら)貨幣にかなり近い資産と言え、一見「負担]ではないように見える。

 だが、その家計が売った国債を買った別の家計は、やはりその分他のモノを買えない。「他のモノを買えないという制約」が民間部門ないしは家計部門内を移転しているだけで、民間ないしは家計部門全体としては常に制約が維持されている。結局、マクロでは、家計部門全体としては他のモノを買えないという「負担」してることは変わらない。

 こうした国債の制約は、増税によってその分家計が買えるものが減るのと同じである。この意味で、国債の発行も、増税も、民間ないしは家計からお金を吸い上げる点で、与える影響は、第一次的には変わらない。

 これは、まさにリカードの公債中立命題を成立させるメカニズムでもある。これに対して、リカード中立命題のバロー的解釈は「家計が将来の増税を予想するから消費が減る」というが、そもそも可処分資金(キャッシュフロー)は国債を買った分減ったのだから、その分消費が減るのは当然である。
 このとき、バローが言うような超合理的な家計の将来の期待や予想などといったあやふやなメカニズムは関係ない。税にしても、国債にしても、どちらにしても民間が使えるお金が、絶対的に減るのはかわらないのだから。

 つまり、リカード中立命題のバロー的解釈=「公債発行は、家計に将来の増税を予想させて現在の消費が減る」という話は、マクロとミクロを混同したものである。ミクロの家計から見て、国債購入と増税は違う。増税は取られっぱなしだが、国債は売却すれば、財でも何でも買えるという点だけを見て、マクロでは、結局、家計部門ないしは民間部門が常に国債購入分の資金が使えないという問題を単純に見過ごしている。

 こうした中立命題のバロー的解釈に関連するこれまでの(膨大な)研究はほぼ無意味だと思う。財政出動の効果・無効果問題は、中立命題とは無関係であり、別に考える必要がある。

 したがって、国債発行は、その発行時点の家計などが他の財などを買えないという「負担」をしているのだから、「負担の次世代先送り」もない。
 たしかに、国債を償還する時点では、増税で家計からお金を吸い上げる。だから、将来世代の負担だというが、それは政府から、国債を保有している家計に償還される。家計から吸い上げて家計に返しているだけである。将来時点の家計間でお金を再配分するだけで、世代として新たな負担があるわけではない。政治的な負担はあるが、経済的な世代負担はないのである。

 もっとも、発行時点で国債を買ったのが「海外」なら、その時点の世代は「負担」せず、恩恵のみを受け、将来の償還時点の増税によるお金の償還先が「海外」となるから、税で吸い上げた資金は海外に流出する。この場合は、負担の先送りである。これは、ギリシャなどで起こっていることだ。
 だから、冒頭の閉鎖経済、経常黒字などの条件下ではという条件が効いている。

 もちろん、以上は第一近似である。実際の細部では増税と国債発行の影響は異なる。国債は、傾向的に元々使う予定のない資金で買われる。だから、不況下では消費への影響はほぼない(ただし、好況下では消費や設備投資のための資金需要が強く、国債発行は、これらの資金ニーズと競合するため影響がある)。
 これに対して、消費税は好況でも不況でも、確実に消費に使われるお金を吸い上げる。したがって、それは消費を縮小させ、景気に大きく影響する。
返信する
Unknown (asd)
2013-09-03 11:09:42
借金=返済するもの という固定概念がとんでもなく強固ですからね。
うまく説得できる解説方法は日々考えてますが、本当に難しい。
返信する
借金=返すモノ問題について (KitaAlps)
2013-09-03 15:04:51
 こんにちは
・・・では、つぎのような説明はどうでしょう?

 簡単にするために、企業が1つと家計が1つという経済を考えます。企業が100万円で製品を生産するとします。企業が生産にかけたコスト100万円は、労働者の賃金、生産設備のための借入金の利息、株主への配当に支払われます。

  (株主配当はコストではないという整理もできますが、企業を独立し
  た経済主体と考えると、株主配当も広い意味で生産に必要なコストと
  考えることができます。)

 支払いの対象になった労働者、借入金の貸し主、株主とは、家計のことです。つまり、100万円のコストをかけて製品を作ったとき、100万円は全額が家計に支払われます。

 では、企業が100万円で作った製品は、誰が買うのでしょう。もちろん、家計です。家計が、受け取った100万円の全額を使って、100万円のコストで企業が作った製品を買えば、企業は収支相償い、生産活動は正常で、企業は,来期も生産を続けられます。

 では、家計が、100万円のうち、80万円しか製品の購入に使わず、20万円を貯金したらどうなるでしょう。企業が価格を下げて全量を売り切っても、価格を下げずに製品の2割を売れ残りにしても、どちらにしても企業の収入は80万円で変わりませんが、企業は100万円のコストを支払い済みです。つまり、企業は20万円の赤字となって、来期の事業の継続が危ぶまれます。まあ、大不況です。

 ここで、貯金を受け入れた銀行から、誰かが、その20万円を借りて(借金して)くれ、それで企業の作った20万円分の製品を買ってくれれば、企業は、100万円の売上収入があり、丸く納まります。

 通常の経済では、企業自身が借金して設備投資を行っています。ほかに、家計自身が借金して住宅投資を行ったり車を買ったりします。だから、生産する製品のうち(この場合)2割を、設備投資用や住宅投資用の製品を企業が生産していれば、すべて売れるわけです。これが正常な経済です。

 ですから、借金するということは、経済が正常に回るために不可欠のことです。借金がダメだというのなら、家計は貯蓄をしてはいけないわけです。あるいは、企業などが借金で借りてくれる範囲でしか、家計は貯蓄をしてはいけないのです。

 ところが、いまのような長期停滞下では、企業は設備投資を最小限にしています。家計の住宅投資も最小限です。ということで、家計などの貯蓄(今は企業の内部留保が大きいですが、これも貯蓄)を十分に借りて使ってくれる経済主体がいない状況です。
 企業は、むしろ貯蓄する側になっているので、今の日本では、民間経済主体の中には、借金して貯蓄を使ってくれる経済部門が存在しません。経済の部門を(1)企業、(2)家計、(3)政府、(4)海外の4つに分けると、(1)企業、(2)家計の2つとも貯蓄側になっています。

 正常な経済では、(2)家計が貯蓄側で、(1)企業はそれを借りて使うという借金側のはずですが、日本は、1998年以降、(1)企業も貯蓄する側になっています。

    なお、標準的な経済学では、こうしたとき、金利が下がれば、
   企業がお金を借りやすくなり設備投資が増えて、こうした問題
   が生じることはないはずなのですが、過去二十年、少なくとも
   十数年は、それでは説明できない状況が続いています。金融緩
   和で、金利が下がり、量的緩和で資金が潤沢になっても、企業
   の設備投資は一向に増えないわけです。すくなくとも今のとこ
   ろは。
    あきらかに、これは政府が借金してるから、企業が借りるこ
   とができないというわけではないです。企業は、1998年以
   降、ずっと資金余剰部門(日銀資金循環統計)ですから。金が
   有り余っているのに、企業は設備投資をしていないのです。そ
   れは、多分、国内需要が伸びないと企業が考えてるからです。
    市場が伸びないのに、安い資金が潤沢にあるからというだけ
   で設備投資をするなどという経営者は、経営者失格ですから。

 こうなると、残る(3)政府と(4)海外のどちらか、あるいは両方が、それを借りて使わないと、経済は大不況になります。

 (4)海外とは、簡単に言えば貿易相手国です。貿易相手国が日本で余っているお金を借りて(日本から言うと海外投資になります。日本の国際収支統計では資本収支の赤字として表示されます)日本の製品を輸入してくれればよいわけです。すると企業が生産した製品は全部売れて万々歳です。

 でも、当然、貿易には相手国が必要です。日本で国内売上が足りないだけ、日本が勝手に輸出することは無理です。リーマン・ショック前はそういう状態でしたが、それは米国のバブルのおかげです。2度とそんなことは生じないでしょう。過度の輸出はグローバル・インバランスの原因でもあります。

 ということで、輸出で足りない分は、誰かが借金して製品を買ってくれないと大不況です。それを《不十分ながら》行っているのが(3)政府の財政赤字(借金)です。仮に、政府が借金をして支出を続けていなければ、経済は真正のデフレスパイラルで大恐慌のようになっているでしょう。

 この状況下で、(1)の企業が設備投資を拡大し、貯蓄をどんどん借りて使うようになる以前に、(3)の政府が借金を返し始めたら、その分、企業の売上が減少して、不況のスパイラルが生じます。
 景気が負のスパイラルに入らないという条件を守りながら、政府が借金を返すとしたら、順序は、まず企業の設備投資の回復であり、(おおむね)その設備投資増加規模の範囲内でだけ、政府の借金の返済が可能ということになります。

 ・・・結局、いろいろ、簡単化しましたが、長くなってしまいました。
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