経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

身体に合わせた経済社会

2012年01月09日 | 経済
 筆者にすれば、デフレ脱出も、財政再建も、少子化解消も、まったく難しいものではない。その解決策は、本コラムに記してきたとおりである。これらの問題は、不合理によって生じているものなので、解決策に痛みが伴うわけでもない。それが見えにくいのは、常識の一歩先にあるというだけだから、次の世代にとっては、当たり前のことになっているだろう。

 日経の「C世代駆ける」の連載がされているところでもあるし、次の世代のために、25年後を見据えた日本の姿を描いてみようと思う。先に挙げた課題が解決された後、次の課題は、どんなものだろうか。一言で述べれば、自然な存在である人間の「身体に合わせた経済社会」だろうか。 

 一世代の長さは25年とされる。女性の妊娠確率が最も高まるのが24歳だから、最初の出産は25歳頃になる。一つの世代が次の世代を産み出すまでにかかる時間が「25年」ということだ。この妊娠・出産に最善の時期は、経済や社会の都合で動かすわけにはいかない。人間を中心に据えた経済社会を築こうとするなら、経済社会の方を変えなければならない。

 また、人間の身体は、自然の中で育まれるものだから、限られた地球で人口を増やし続けることもできない。キャパシティを超さずに豊かさを増やすには、人口を緩やかに減らしつつ実現する必要がある。例えば、日本の若い世代の希望子供数は1.75人だから、1世代で人口は16%減少する。毎年の経済成長が0.6%なら、1人当たりのGDPは増えても、総量は変わらないことになる。

 もっとも、GDPというのは、貨幣で勘定できるものを対象にするので、育児・介護のように、家庭内で無償で支えられてきたものを、外に出して市場化すれば、もっと増やすことができる。また、物的な資源・エネルギーに、あまり制約を受けない活動、例えば、音楽、アニメ、芸事、スポーツなどに、より多くの時間を充てるようにすれば、地球を心配することなく、GDPを伸ばせる。

 25年後の日本は、最善の時期に子供が持つことが経済的にも有利な経済社会に改められ、環境の制約を反映させた税制や規制の下で、対人サービスや文化的な産業が伸長しているだろう。なぜなら、それが、持続可能な社会であり、最も効率的な経済だからである。それは合理性によって導かれるものだ。

………
 こうして見ると、やはり日本は先進国である。まじめに少子化対策に取り組み、年金積立金が解放されることで財政再建が進み、デフレから脱していけば、次の世代への理想ともいえるスタート地点に立てる。この日本モデルが、北欧の福祉国家とひと味違うのは、大国であり、科学技術に優れることだ。

 さしあたりの改革を済ませてしまうと、エコカー、太陽光発電、次世代電池などの自立的なエネルギー基盤の整備を進める国として注目を浴びることになる。今でも日本は、デフレ、財政赤字、少子化を除けば、お手本になり得る「良い社会」である。規模があるから世界経済への影響力も大きいし、アジアの非キリスト教国であることは、文化的なユニークさや国づくりの普遍さをアピールすることにもなる。

 次世代の社会は、ある意味、日本の江戸期に似たようなものかもしれない。人口増を伴った戦国期から変わって、人口が一定化した江戸期は、停滞の時代というより、文化が広く庶民に普及した時代だった。支配する土地を広げることが豊かさに結びつかない状況は、長い平和ももたらした。

 資本主義の下での国際政治上の問題は、資源の獲得だったり、市場の確保だったりしたが、自立性の高い経済になってくると、資源獲得の意欲は薄れてくる。市場の確保も、成長に需要が必要だったためであり、経済運営と社会保険を連結して、国内で確保することができれば、解決がつく。総量が増えなくなれば、新たな資源や市場の意味が薄れるのは、当然の流れである。

 そもそも、経済問題の根源は、人生の持ち時間が限られるために、期待値に従った合理的な投資行動ができないところにある。また、少子化や環境悪化に見られるように、長期的な合理性に基づいて、人的投資をしたり、資源利用をしたりできるものでもない。このような無理を解消してやるのが政策である。バブルやデフレが起こるように、現実の経済は、放任しておいて合理性が発揮されるものではない。

 こうして、太平の世になった世界は、文化や交流を楽しむことが、ますます盛んになる。ITが情報を瞬時に世界中に運ぶようになると、かえって、伝統に根ざした多様な文化や、人と人との直接的な交流が価値を持つ。研を競う日本のアニメでは、主人公は何やら世界の民族衣装のようなものをまとい、それをマネて集まることが世界の若者の娯楽になっているではないか。

 明治以来、近代化を進めてきた日本は、キモノを脱ぎ、スーツを着るようになったが、課題を解決していくうち、クールビズでネクタイを取り、襟の開いた元のスタイルに戻っている。むろん、日本が元に戻るといっても、江戸期のような孤立した存在ではない。楽しむ文化や交流は地球大になり、豊かさと安定と文化を併せ持つ、一つの社会の在り方として、世界をリードしていく、それが次の「課題」になるのである。

(今日の日経)
 中間貯蔵を首相が要請。孤族からCo族へ。エコノ・貿易赤字転落で日本岐路に。核心・緊縮財政は危険・岡部直明。核軍縮に3つの壁。伊銀・国債値下がりでの増資難航。賢いものづくり元年に。コーヒー豆皮で水質浄化。米貯蓄率低下と消費の行方。経済教室・大危機・山内昌之。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 知恵とお金と代案と | トップ | 1/10の日経 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

経済」カテゴリの最新記事