論が立つ人ほど、大きな間違いを犯しがちで、「日本の年金制度は給付を子世代の保険料で賄う賦課方式。その子世代は少子化で減少。よって年金制度は崩壊の運命」といった論法を振り回し、世の中に誤解と不安を広げてしまう。そして、「積立方式に転換し、お金を貯めて子世代に頼らないようにすべきだ」と畳み掛ける。制度や経緯を軽視する経済学者には、困ったものである。
そのあたりの事情を赤裸々に綴ったのが、このほど、慶應義塾の権丈善一教授が著した『ちょっと気になる社会保障』である。権丈教授は、隘路に迷い込みそうだった日本の年金改革を、正道に引き戻すのに大きな役割を果たされた。社会保障を学ぶ人に限らず、経済を通じて国民生活を改善したいという志を持つのであれば、ぜひ、書店の福祉のコーナーまで足を伸ばし、手に取ってもらいたい一冊だ。(へのへのもへじが目印)
………
論理が完璧でも、誤謬に陥ってしまうのは、論理は、切れ味が良くても、情報量が少なく、現実性を欠きやすいからである。「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し」であって、多様な知見を集めることなしに、優れた政策は作れない。とは言え、論理に頼る人は、現実は違うよと諭しても、論理に悖ると反発するだけなので、今回は、論理を追いながら、問題の所在を示していきたい。
まず、思うべきは、時間軸の問題だ。今の出生率のままだと、子世代は親世代の7/10になり、子世代は10/7倍の負担をしないといけなくなる。しかし、支えるまでには1世代分、約30年の時間がある。その間、経済力が1.43倍になっていれば、問題は矮小化される。毎年、1.25%ほど成長していけば、30年後の経済力は、それより大きくなる。抜本改革を叫ぶよりも、成長を考えるべきだろう。
ところが、そんなことを言うと、経済学者からは、「積立方式にして貯蓄を増やせば、成長は加速する」なんて意見が出てくる。貯蓄増が投資増につながり、高成長になるとナイーブに考えるようだ。しかし、日本は、これで大失敗した経験を持つ。1980年代後半から90年代前半にかけて、年金積立金の大規模な造成をしたために、消費不足に苦しみ、財政赤字を出して、公共事業で補うはめとなった。加えて、輸出に頼ろうと、円安狙いで行過ぎた金融緩和をやり、バブルを招いてしまう。無闇な貯蓄は、経済に歪みをもたらす。これが現実だ。
そもそも、少子化に備えて、貯蓄を増強することには矛盾がある。少子化で人手を減らしてしまうと、いくらお金があっても、サービスを増やせなくなる。供給力が伴わなければ、人件費が高騰し、せっかくの貯蓄も価格の上昇で実質的に失われる。このように、お金だけでなく、実体で経済を眺めるのが、権丈教授も強調するアウトプット・セントラルの考え方である。東日本大震災では、巨額の予算を用意して、復興事業を進めようとしたが、人手不足で執行不能に陥った。将来、同様のことが起こり得る。
………
実は、筆者は、現在の130兆円もの年金積立金の取り崩しさえ難しいのではないかと心配している。2017年度に保険料率の引き上げが完了すると、いよいよ本格的な取り崩しの時代に入る。そうすると、需要が超過ぎみになり、インフレ率が上昇し、これを抑制するのに、消費増税が必要になってくる。当然、財政は黒字へと向かう。ちょうど、過去の「大失敗」とは、逆のことが起こる。ミクロのように、貯金を使って消費を増やせるわけではない。
肝に銘じたいのは、マクロでは、貯蓄は債権債務の関係でしかないことだ。すなわち、次世代に、札束を渡しても意味はなく、引き継げるのは実体経済である。豊かさは、誰が債権を持つかより、供給力で決まる。したがって、少子化を緩和し、教育を施して、人的資本を増強するとともに、設備投資を進め、研究開発を展げて、物的資本を積み上げることが必要である。それがファーストであり、極端なことを言えば、それができるのなら、積立金や財政赤字がどうなろうと関係ない。
むろん、積立金が十分にあったり、財政赤字が穏当な方が望ましいのは言うまでもない。巨額の公的債務というのは、財やサービスに対する「請求権」の偏在を示し、大きくなるほどコントロールは難しくなる。また、「請求権」の整理=資産の再分配は、政治的に極めて面倒である。できれば、次世代に面倒はかけたくないが、人的・物的資本の蓄積を犠牲にしてまでするほどのものではない。また、より高い供給力を持っておくことが面倒の解決を容易にもする。
現在、人的投資は明らかに不足しており、逆にお金は有り余っている。ならば、将来、インフレで目減りしかねない年金積立金を取り崩してでも、乳幼児への給付を拡大したり、非正規への適用拡大に必要な保険料の軽減に充てたりすべきである。それが少子化を緩和し、非正規の能力を高め、将来の供給力を強める。万一、積立金の消耗で終わったとしても、それで低めの年金になるのは、支援を受けた世代であるから、諦めもつくというものだ。
………
さて、今回の権丈教授の御著書では、終始、うなずきながら、あるいは、ニヤリとしながら、読ませていただいたが、一点だけ、意見を異にするところがある。それは、「財政赤字は世代間の不公平になる」という下りである。アウトプット・セントラルの考え方を敷衍すれば、年金積立金の増強が虚しいなら、公的債務の削減もまた同じと言い得る。一般政府で括れば、それらは一つのものである。
財政赤字が不公平になるとすれば、現状がクラウディング・アウトを起こしていて、必要な投資がなされていないとか、経常赤字を招いて、対外純資産を減らしているとかの場合に限られるのではないか。逆に、緊縮財政が与える需要リスクで、人的・物的投資が萎縮して、成長が妨げられているなら、財政赤字の縮小は、むしろ、不公平を増大させる。まあ、そんな小難しい話を初学者向けの本で展開しても、財政赤字も平気だと早合点させたり、戸惑いを与えたりするだけなのだがね。
………
アウトプット・セントラルの考え方を使えば、「世代間の不公平」とは言っても、将来、生産されるものを、今、消費しているわけでないことは、すぐに分かる。それは、タイムマシンでもなければ無理だ。本当に将来を損なう行為は、少子化で人口を減らしたり、労働力を使い切らないままムダにしている「設備投資の乏しさ」であって、財政赤字や政府消費の多寡ではない。巨額の公的債務は、緩やかなインフレの中で徐々に解消するほかない。愚かなのは、財政赤字の抑制を最優先にして、緊縮財政で投資不足を起こすことである。
考えてみてほしい。公的債務は少ないが、人口減で弱体化した社会と、公的債務の始末に難渋しつつも、生産力は保持している社会と、どちらが良いか。将来において、前者は解決不能だが、後者には、まだ希望がある。「政策は、所詮、力が作るのであって、正しさではない」としても、「正しさ」さえ、出来上がっていないように思う。どうすれば良いかは、「基本内容」に記したつもりだが、所詮、老いぼれが作るものであって、正しい未来を考案するのは、若い皆さん方である。
(昨日・今日の日経)
三菱商事が事業再編1000億円基金。大機・経済対策は勤労税額控除で・ミスト。G20・経済減速阻止へ協調、緩和頼み厳しさ。自社株買い最高へ。ITで格差を埋めろ。
※税制のプロであるミストさんが130万円の壁も一気に解決できると断言するのだから、何とか実現したいね。第一生命の柵山順子さんは、新しいレポート(2/26)で、「壁」のためにパートは時給の上昇に合わせる形で労働時間を短縮しているという鋭い分析をしている。こうした社会的損失の放置が将来の経済力を小さくしているんだよ。
そのあたりの事情を赤裸々に綴ったのが、このほど、慶應義塾の権丈善一教授が著した『ちょっと気になる社会保障』である。権丈教授は、隘路に迷い込みそうだった日本の年金改革を、正道に引き戻すのに大きな役割を果たされた。社会保障を学ぶ人に限らず、経済を通じて国民生活を改善したいという志を持つのであれば、ぜひ、書店の福祉のコーナーまで足を伸ばし、手に取ってもらいたい一冊だ。(へのへのもへじが目印)
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論理が完璧でも、誤謬に陥ってしまうのは、論理は、切れ味が良くても、情報量が少なく、現実性を欠きやすいからである。「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し」であって、多様な知見を集めることなしに、優れた政策は作れない。とは言え、論理に頼る人は、現実は違うよと諭しても、論理に悖ると反発するだけなので、今回は、論理を追いながら、問題の所在を示していきたい。
まず、思うべきは、時間軸の問題だ。今の出生率のままだと、子世代は親世代の7/10になり、子世代は10/7倍の負担をしないといけなくなる。しかし、支えるまでには1世代分、約30年の時間がある。その間、経済力が1.43倍になっていれば、問題は矮小化される。毎年、1.25%ほど成長していけば、30年後の経済力は、それより大きくなる。抜本改革を叫ぶよりも、成長を考えるべきだろう。
ところが、そんなことを言うと、経済学者からは、「積立方式にして貯蓄を増やせば、成長は加速する」なんて意見が出てくる。貯蓄増が投資増につながり、高成長になるとナイーブに考えるようだ。しかし、日本は、これで大失敗した経験を持つ。1980年代後半から90年代前半にかけて、年金積立金の大規模な造成をしたために、消費不足に苦しみ、財政赤字を出して、公共事業で補うはめとなった。加えて、輸出に頼ろうと、円安狙いで行過ぎた金融緩和をやり、バブルを招いてしまう。無闇な貯蓄は、経済に歪みをもたらす。これが現実だ。
そもそも、少子化に備えて、貯蓄を増強することには矛盾がある。少子化で人手を減らしてしまうと、いくらお金があっても、サービスを増やせなくなる。供給力が伴わなければ、人件費が高騰し、せっかくの貯蓄も価格の上昇で実質的に失われる。このように、お金だけでなく、実体で経済を眺めるのが、権丈教授も強調するアウトプット・セントラルの考え方である。東日本大震災では、巨額の予算を用意して、復興事業を進めようとしたが、人手不足で執行不能に陥った。将来、同様のことが起こり得る。
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実は、筆者は、現在の130兆円もの年金積立金の取り崩しさえ難しいのではないかと心配している。2017年度に保険料率の引き上げが完了すると、いよいよ本格的な取り崩しの時代に入る。そうすると、需要が超過ぎみになり、インフレ率が上昇し、これを抑制するのに、消費増税が必要になってくる。当然、財政は黒字へと向かう。ちょうど、過去の「大失敗」とは、逆のことが起こる。ミクロのように、貯金を使って消費を増やせるわけではない。
肝に銘じたいのは、マクロでは、貯蓄は債権債務の関係でしかないことだ。すなわち、次世代に、札束を渡しても意味はなく、引き継げるのは実体経済である。豊かさは、誰が債権を持つかより、供給力で決まる。したがって、少子化を緩和し、教育を施して、人的資本を増強するとともに、設備投資を進め、研究開発を展げて、物的資本を積み上げることが必要である。それがファーストであり、極端なことを言えば、それができるのなら、積立金や財政赤字がどうなろうと関係ない。
むろん、積立金が十分にあったり、財政赤字が穏当な方が望ましいのは言うまでもない。巨額の公的債務というのは、財やサービスに対する「請求権」の偏在を示し、大きくなるほどコントロールは難しくなる。また、「請求権」の整理=資産の再分配は、政治的に極めて面倒である。できれば、次世代に面倒はかけたくないが、人的・物的資本の蓄積を犠牲にしてまでするほどのものではない。また、より高い供給力を持っておくことが面倒の解決を容易にもする。
現在、人的投資は明らかに不足しており、逆にお金は有り余っている。ならば、将来、インフレで目減りしかねない年金積立金を取り崩してでも、乳幼児への給付を拡大したり、非正規への適用拡大に必要な保険料の軽減に充てたりすべきである。それが少子化を緩和し、非正規の能力を高め、将来の供給力を強める。万一、積立金の消耗で終わったとしても、それで低めの年金になるのは、支援を受けた世代であるから、諦めもつくというものだ。
………
さて、今回の権丈教授の御著書では、終始、うなずきながら、あるいは、ニヤリとしながら、読ませていただいたが、一点だけ、意見を異にするところがある。それは、「財政赤字は世代間の不公平になる」という下りである。アウトプット・セントラルの考え方を敷衍すれば、年金積立金の増強が虚しいなら、公的債務の削減もまた同じと言い得る。一般政府で括れば、それらは一つのものである。
財政赤字が不公平になるとすれば、現状がクラウディング・アウトを起こしていて、必要な投資がなされていないとか、経常赤字を招いて、対外純資産を減らしているとかの場合に限られるのではないか。逆に、緊縮財政が与える需要リスクで、人的・物的投資が萎縮して、成長が妨げられているなら、財政赤字の縮小は、むしろ、不公平を増大させる。まあ、そんな小難しい話を初学者向けの本で展開しても、財政赤字も平気だと早合点させたり、戸惑いを与えたりするだけなのだがね。
………
アウトプット・セントラルの考え方を使えば、「世代間の不公平」とは言っても、将来、生産されるものを、今、消費しているわけでないことは、すぐに分かる。それは、タイムマシンでもなければ無理だ。本当に将来を損なう行為は、少子化で人口を減らしたり、労働力を使い切らないままムダにしている「設備投資の乏しさ」であって、財政赤字や政府消費の多寡ではない。巨額の公的債務は、緩やかなインフレの中で徐々に解消するほかない。愚かなのは、財政赤字の抑制を最優先にして、緊縮財政で投資不足を起こすことである。
考えてみてほしい。公的債務は少ないが、人口減で弱体化した社会と、公的債務の始末に難渋しつつも、生産力は保持している社会と、どちらが良いか。将来において、前者は解決不能だが、後者には、まだ希望がある。「政策は、所詮、力が作るのであって、正しさではない」としても、「正しさ」さえ、出来上がっていないように思う。どうすれば良いかは、「基本内容」に記したつもりだが、所詮、老いぼれが作るものであって、正しい未来を考案するのは、若い皆さん方である。
(昨日・今日の日経)
三菱商事が事業再編1000億円基金。大機・経済対策は勤労税額控除で・ミスト。G20・経済減速阻止へ協調、緩和頼み厳しさ。自社株買い最高へ。ITで格差を埋めろ。
※税制のプロであるミストさんが130万円の壁も一気に解決できると断言するのだから、何とか実現したいね。第一生命の柵山順子さんは、新しいレポート(2/26)で、「壁」のためにパートは時給の上昇に合わせる形で労働時間を短縮しているという鋭い分析をしている。こうした社会的損失の放置が将来の経済力を小さくしているんだよ。
マイナス金利だと 打つ手無しって感でしょうか。
my茄子や梨ならまだましですよね。
これは、ミクロとマクロの混同による錯覚でしょう。貯蓄増と投資増の因果関係が逆です。
どうやったら貯蓄を増やせるかを考えれば、投資→貯蓄の関係しかありえません。
国内総所得(GDI)は、「Y=C+S+T」なので、消費(C)を減らせば、貯蓄(S)が増えるように、一見、思えます。
しかしながら、国内総支出(GDE)を見ると、「Y=C+I+G+(EX-IM)」なので、消費(C)を減らせば、「Y」が減るだけで貯蓄(S)は変化しません。消費(C)の増減は直接には貯蓄(S)の増減と無関係です。
貯蓄(S)を増やすには、消費(C)を増やす以外でGDEを増やす必要があります。すなわち、投資(I)を増やすことにより貯蓄(S)を増やすという関係になります。
因果関係を逆に認識しているということは、経済学者は貯蓄も投資も理解していないと言ってもいいでしょう。
>しかし、日本は、これで大失敗した経験を持つ。1980年代後半から90年代前半にかけて、年金積立金の大規模な造成をしたために、消費不足に苦しみ、財政赤字を出して、公共事業で補うはめとなった。加えて、輸出に頼ろうと、円安狙いで行過ぎた金融緩和をやり、バブルを招いてしまう。無闇な貯蓄は、経済に歪みをもたらす。これが現実だ。
因果関係を逆に捉えるほど、貯蓄も投資も理解していないのですから、ある意味当然の結果かと……。