経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

日本の命運を分けた5分間

2013年08月10日 | 経済
 その日、消費増税検証会議は最終日を迎えていた。各界からの意見聴取は進んでいたが、ほとんどは「予定通りの増税はやむなし」であった。誰もが「国の借金はGDPの2倍」という言葉には不安を感じていたし、もうここまで来たら、後戻りはできないだろうと空気を読んでもいた。「増税は国民の総意」となって、万一の責任を問われないとなれば、総理も乗るに違いない。そんな観測ももっぱらだった。

 最終日も滞りなく進み、意見表明もあと一人となった。残っていたのは、ある業界の代表であった。温厚そうな会長は、「どうか景気対策の方もよろしく」と条件は付けたものの、やはり賛意を表して締めくくった。これで会議も終わりという安逸な気分が流れ、あと5分で刻限という、その時だった。隣に座っていた副会長がおずおずと手を上げ、「一つ教えてもらえまへんか」と関西弁で尋ねてきた。

 副会長は、特に意見を言いたかったわけではない。せっかく、首相官邸の会議に招かれたのだから、記念に発言しておきたかっただけである。そこで、事前に配られていた『中長期の経済財政に関する試算』という資料の中の適当な数字の意味を聞くことにした。何でも良かったのだが、副会長は経理畑の出身であり、会社で言えば収入に当たる「国の税収」が前年度より減っていることが引っかかっていた。

 「2012年度の税収が43.9兆円なのに、今年度は43.1兆円に減っておるんですが、なぜなんですやろ」

 あまりの瑣末な質問に、メインテーブルの諮問会議の委員は訳が分からず、陪席している役所の担当官の方に振り向いた。不意の質問に担当官は慌てて答えた。

 「2012年度は決算の数字、2013年度は予算の数字だからです」

 答えを聞いた副会長は、怪訝な顔をした。

 「減収の予算を立てたということでっか?」

 安易に「減収」を良しとしない企業の経営者としては、当然の疑問だ。

 「いえ、そうではなく、2012年度は景気が上向き、結果として税収が上ブレしたということで、当初は増収の形でありました。」

 「それやったら、予算の目標かて上方修正せな。大体、どのくらいになりますの。」

 企業と違い、国が簡単に予算を見直せないことを、副会長は分かっていなかった。しかも、会社では、「数字にうるさく、しつこい」と部下に嫌われていた人である。まあ、有能でも人望のないところが、引き上げられ、副社長まで出世した理由ではあったが…。意表を衝かれ、担当官が口ごもっていると、副会長は、たたみかけてきた。

 「法人税って、何兆円でした?」

 「はぁ、10兆円くらいだったと」

 「なら、3兆円は行けますわ。新聞で上場企業は3割増益いうてましたから」

 「まあ、そうでしょうね」

 担当官は、早く終わりたい一心で、適当に答えてしまった。

 「いやいや、もっとですわ。わしらの会社は法人税の6割増しで、地方税も払ってますもん。せやから、ざっと、… 5兆円の増収というとこですかな」

 副会長は、東京の官僚をやり込めた気がして大満足だった。調子に乗って、「わしらの税金は大切に使ってもらわないと…」と言いかけたところ、会長が目配せをしたので、そこで言葉を呑み込み、ほどなくして会議は終わった。

 こうして、担当官が「ようやく済んだ」と一息ついていたところに、携帯電話が鳴った。会議のネット中継を見ていた役所の幹部からだった。電話の声は怒りに満ちていた。

 「キミは一体、何をやってるんだ! 今年度の税収の見込みが低いことがあからさまになったじゃないか。ヒントを出してどうする。5兆円も上ブレするなんて知れたら、消費税は1%でいいってことになりかねん。増税のもくろみはブチ壊しだぞ。少なくとも、再試算をしろってことになる…」

 まだ携帯はがなり立てていたが、もう担当官の耳には入らなかった。「オレは左遷だ」という絶望感が頭の中で渦巻いていたからである。

………
 結局、今年度の自然増収をきちんと織り込んだ再試算がなされ、それに基づいて、来年春の消費増税は1%、その1年半後に2%、更に1年半後に2%のアップと決まった。国の進む道が偶然とも言える些細な出来事で分かれるのだから、歴史は実に不思議なものである。もっとも、総理は、こんな一件がなくても、そうするつもりであったようなのだが。

 その後、シャドーバンクの一つが破綻したことで信用不安が起こり、中国は3%台の成長に沈んだ。また、米国も、「出口」が近づき、住宅投資が勢いを失って、成長が鈍ってしまった。日本への影響が心配されたが、消費増税を圧縮したことで、内需拡大の循環が途切れず、外需の不振を補うことができた。そして、国民は、「無理な増税をせず、危うく難を逃れた」と胸をなでおろしたのである。

 同じ頃、飛ばされてしまった担当官は遥か沖縄にいた。彼は、好景気で賑わう国際通りを眺めつつ、「みんな喜んでいるのだから、これで良かったんだよ」とつぶやき、黒糖入りのアイスコーヒーをゆっくりと楽しむのであった。

*この物語はフィクションであり、実在の組織や人物とは一切関係がありません。

(今日の日経)
 JFEインフラ合弁・ミャンマー。米は株と住宅で財政改善・滝田洋一。製造業4割経常増益、非製造業はリーマン超す企業も。生保の外債シフト進まず、なお国債。個人消費に一服感年金特会の黒字が過去最高。中国は投資・消費伸び悩み。

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