1704- ラ・ボエーム、フリットリ、フィリアノーティ、沼尻竜典、東フィル、藤原歌劇団、2014.11.3
2014年11月3日(月)3:00pm オーチャードホール
藤原歌劇団プレゼンツ
藤原歌劇団創立80周年記念公演
プッチーニ 作曲
岩田達宗 プロダクション
ラ・ボエーム
第1幕+第2幕 36′+19′
Int 25′
第3幕 25′
Int 20′
第4幕 30′
キャスト(in order of appearance)
1.マルチェルロ 堀内康雄
1.ロドルフォ ジュゼッペ・フィリアノーティ
2.コルリーネ 久保田真澄
3.ショナール 森口賢二
4.ベノア 折江忠道
5.ミミ バルバラ・フリットリ
6.ムゼッタ 小川里美
7.アルチンドロ 柿沼伸美
他
藤原歌劇団合唱部
多摩ファミリーシンガーズ
沼尻竜典 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
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舞台は、最近の機能性や新しいもので古さを演出する、と言ったことが皆無の、古くて古いもの。昨今のトレンドから言って、少なくとも新しくて古いものにシフトするべきだろう。舞台構造や予算の制約はあると思いますし、このオペラに演出のインパクトは必要なのかという話もあるかとは思いますが。
とりあえず、歌う場さえ整えばなんとかなる。第2幕の最後、上下2段構えの妙はあったが、沼尻のいつになく反応しない棒が全般を支配。東フィルの弦は張りつめたもので透明な厚さを感じさせてくれる素晴らしいものにもかかわらず、鈍重な流れになっていた。
ツボな箇所をさーっと通過。歌詞としぐさの妙が欲しいところでは、歌い手は相応なアクションなのだが演奏のほうは頓着せず進む。来日ロールのちから関係が大きいのかもしれずなのだが、モミュスでのムゼッタとボヘミアンのやり取りを見ていても同じ具合なので、まぁ、ここは指揮者のハウスでもないし、いろいろ妥協の産物的なところもあるかもしれない。
例1個、第4幕、偽寝から起きたミミに振り向き死の床に流れるロドルフォ、一番の音楽的呼吸が詰まっているところだろう、すーっと通過。演出家と連携が取れていたのかも疑問な舞台でした。ゼッフィレルリが執拗にこの場面、レヴァインにいちゃもんつけていた練習風景、何かで見たことがありますが、第2幕で人と動物を舞台に乗せれるだけ乗せるというコンセプトが哲学的かどうかわかりませんが、少なくとも究極のなにかを求めて進むゼッフィレルリの強い表現力と裏にある意志と努力の力の結実を感じたものでした。今回そこまで求めるものではありませんが、ふと思い出しました。
沼尻、本意の舞台だったのか。
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フィリアノーティはこれまで聴いたことがあったかどうか今は思い出せません。細身長身の歌い手で、声だけ取ればパヴァロッティと同じく、一点光源型(と自分では呼んでいる)。喉の奥にある小さなレーザー光の源がそのまま外に放射してくる感じ。パヴァロッティのような黒光りする潤い具合とは別のもので、放射線の広がり具合も違う、また、カレラスみたいな泣き節は一切ない。求めてはいけない。
当節、スタイルよく、このように一見ひょうひょうと、というのは語弊があるかもしれないが、のどが向いた方向に鋭く突き刺さるテノール、潤いや過度なドラマチックなものにはあまり縁のない、機能的システマティックなスタイルがはやりと実感。デジタル風味でこれはこれで悪くは無い、声も出ていました。1個壊れると全部だめになるというデジタルな弱点は勘弁願いたいが。
こちらのコンプレックス的思い込みなのか、1,2幕は、なんで俺が日本人と歌ったり相手しないといけないんだよ、みたいな雰囲気が少しありましたが、それはもしかすると歌よりも舞台でのいわゆる演技の不自然さによるものだったかもしれません。つくり演技で滑らかさがなく不自然。
3幕から本気度が垣間見えてきて、彼にはあまり騒々しくない舞台や出ている役者の数も少ないシーンのほうが気持ちの安定などの面で歌いやすいような気がしました。1幕のChe gelida maninaの歌いだしと3幕の絶唱は別物であったとはいえ、落ち着かない騒々しさもクールダウンしていない状態での、冷たい手を、でした。これは伴奏指揮も問題でした。
3幕の4人のアンサンブルは絶妙、特に隠れミミを横に、マルチェルロと歌いかわすロドルフォの切実度は大変にシリアス。終幕への流れがつかめました。
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ロドルフォが1幕で、Che gelida manina冷たい手を、と歌い始め、終幕大詰め死の床でミミがChe gelida manina冷たい手を、とあの時あなたは言ったわ、と歌う。歌詞の流れとしてはここで、対となり完結する。110分のオペラですが、プッチーニの考え抜かれた構成感や対の妙をいたるところに感じないわけにはいかない、その一つがこれ。110分がこれほど長く感じられる瞬間はありません。作曲家の勝ちに聴衆は負ける、負けていいなと思う瞬間ですね。
フリットリはミミにしてはちょっと栄養がついていますけれど、圧する歌唱、雰囲気モンセラ・カヴァリエ風なところもありますが、彼女のピアニシモの威力とはまた違ったどちらかというとメゾフォルテからフォルテあたりの伸び具合、それに声質の柔らかさ、なんとも言えず身を浸すことが出来てうれしくなる、悲しいストーリーではあるのですが。
彼女の場合、とにかく声が美しくきれい。まずそこがおおもとに有って、そこに陰影のニュアンスが加わる。それと抜群の安定感。苦しそうな声出しではないので聴くほうとしては彼女の歌に身を浸していくことが出来る。安定の素晴らしさと居心地の良さ。
フィリアノーティとフリットリ、歌としては対等なぶつかり合いで迫力ありました。
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オーケストラの響きが良かっただけに、アゴーギクや流れる歌心が今一つだった指揮が残念なところがありましたが、これも言い出したらきりがないということで。
おわり
1703- マーラー、角笛、Sym.4ハーディング、新日フィル2014.11.2
2014年11月2日(日)2:00pm サントリー
マーラー・プログラム
「子供の魔法の角笛」より 3′6′4′3′4′
テノール、アンドリュー・ステイプルズ
交響曲第4番 16′9′22′10′
ソプラノ、森麻季
ダニエル・ハーディング 指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
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当初は、前半後半ともにLisa Milneリサ・ミルンという方が予定されていたのだが、急病で出られないということで、これは本当に急病だったのかもしれないと斜めに構えつつ、ご本人には悪いが聴くほうとしては嬉しい前半後半別々のソリストとなりました。前半はなんとソプラノに替わりテノール、後半はめざましい森さんとあいなりました。
ミルンさんを聴かないと何とも言えないわけですけれど、相応な納得感はあります。
前半の角笛。代打ステイプルズはもちろんお初で拝見、張り切っているように見えました。声質がソフトでまろやか、歌詞に合わせた表情が豊かで丁寧でした。ハーディングの棒伴奏がその丁寧さの上を行く濃さで、双方同じベクトル感覚であってシナジー的な音楽的効果が良い方向に出たと思いました。ハーディングのあまり思いもかけない濃密なマーラーながら、作為的なわざとらしさのまるでない自然でシームレスな流れ。
ステイプルズはピッチが心もとなくなった箇所がありましたがマジ顔で合わせにくる。修復可能な自覚症状は大切なことですね。オペラならキャラクターロールがよさそう。
全体が濃密な角笛、なかなか良かったです。
後半のシンフォニーはハーディング流がもっと表に出てきたようです。指揮ぶりを見ていると弦にもっと反応しろと言っている。特に第2ヴァイオリンに対しては自己の哲学がより一層有りそうな感じで、しつこく指示。
リズムの躍動感やアインザッツの正確性といったあたりとは別の部分での音楽的感覚があるように見えました。また、自発性があまり感じられないNJP用の指示かもしれません。
積極的で主張できるオケなら言わずもがなの不要指示で、もう一段先のことをしたかったのだがままならずといったところか。ただ、オケ反応は悪いわけではなくて相応にプレイ。練習と本番というよりやっぱりオケレベル的なところに問題の着地ポイントがありそうな気配は常々感じるですが。
森は以前オペラでは割と拝見。このような楽曲での出番も一二度聴いた記憶有ります。短い出番ですが柔らかくて丁寧な歌は好印象。それに見栄えがいい。
ニヤニヤにやけながら指揮する指揮者は日本人で特に目立つのですけれど自分としては結構気になっている部分。にやける暇が有ったらもっと的確で克明な棒を振れ、演奏中に決して満足するようなツラは出すもんではない、と思っているのからすると、音楽を凝視したにやけないハーディングには好感。
それから最近チェロにN響を卒業したポニーテールさんが陣取っているのですが、チェロ陣を引っ張り、かつ横の第2ヴァイオリンをしっかり見据えて気合を入れている感じがひしひしと伝わってくる。心なしか一つのオタマジャクシを最後まで丁寧に鳴らし切るようになったと実感。N響とは明らかにレベルの異なる団体ですから、なにかそのような意識改革があったのかなとふと思いました。N響との違いを意識改革の部分で言うと、N響はヴァイオリンの第1プルトと最後尾プルトが同じ意識レベルで弾いている。このオケはそうとは感じられないということです。ただ改革断行を考える場合は個々人のスキルレベルの観点が優先度が高いでしょうから、そこらへんの兼ね合いは外から見ていると余計なおせっかいかもしれません。
最後に、コンマスの今日の頑張りは目に見えて明らか。
おわり