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2014年11月12日(水)7:00pm 東京芸術劇場
ロッシーニ セビリアの理髪師、序曲 7′
ブルッフ ヴァイオリン協奏曲第1番 8′+9′+7′
ヴァイオリン、諏訪内晶子
(encore)
バッハ 無伴奏ソナタ第3番より、ラルゴ 3′
シュトラウス アルプス交響曲 49′
(encore)
エルガー ニムロッド 4′
プッチーニ マノン・レスコー間奏曲 5′
ポンキエリ ジョコンダより、時の踊り(抜粋) 2′
アントニオ・パッパーノ 指揮
ローマ・サンタ・チェチーリア国立管弦楽団
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パッパーノは初めて聴いたのかどうか覚えていませんけれど、棒を持たない、風貌、纏っている緩めの上着の雰囲気、割と極端なしゃくりあげの振り、職人肌の棒振りに見えてきます。阿吽の呼吸でしょうから今更見た目からこのコンビのことを語る話でもありませんが、日常的に聴けるオケでもありませんし、受けてサイドとしては情報量は多いほうがいい。
一聴してうまいレベルのオーケストラサウンドが鳴り響く。メカニカルでうならせるのではなく、柔らかい帯のうねりが束になりねじれたりほぐれたりする。スキルレベルの話はベースにあるがそれがことさら見えることは無い。昨年のシャイー&ゲヴァントハウス管は以前に比べてスキルがベラボーによくなったけれど、それだけでした。別にゲヴァハウでなくてもいいというか、オーケストラの積み上げてきたものが無くなってしまった印象のほうが強い、つまり名前を借りた別集団の様になっていた。
このオーケストラはそのような現象とは真逆な感じ。アルプス・シンフォニーで歌いまくるおじさんのティンパニーの叩き具合を見ればそれこそ一目瞭然といったところです。ティンパニーが歌っているのです。
ロッシーニクレシェンドなどと言わずとも曲想に沿った演奏をこの集団がプレイするだけで自然現象的にそうなる。雪のスロープのようなお見事な演奏で快感満喫。
来日オーケストラ団体に日本人演奏家ソリストが出演するケースが最近やたらと多い。これいいのか悪いのかわかりませんが、ソリストレベルの話は横に置くとして、どうしてもお金のことが脳裏をよぎる。早い話安く済むのじゃないか、それが客の負担減少につながっていないじゃないのかといったあたり。それに、やるほうもわざわざ来日してプログラムの半分とは言わないがオケ伴奏では、負担軽減かもしれないがやる気も少なくとも上向きとは言えないような気もする。本当にこのてのプログラム多い。
諏訪内は音がでかい、この一点だけでもインターナショナルな世界で生きていける。そんな気がします。今の時代にあっている感じです。鳴りがいいというのは音がでかいだけではなく共鳴できるぶれない芯が常日頃から安定的に身についているからなのでしょう、安定感よく曲を堪能できます。やられすぎている曲ではありますが。
オーケストラの来日公演なれば、オーケストラルな曲を聴いてみたいというところは強いのですが、相応に満足できました。肝のすわり方が表情に出ているあたり商業的な萌え具合においても割り切っている部分があるやに見えますね。彼女にはそんな雰囲気も全部消化してしまっている女気のような印象さえ受けます。
後半のアルプス、イタリアのアルプスは坂がきつくても滑らかなのかもしれない。パッパーノの棒では、劇的な頂点は頂上にあるわけではなく、また殊更に劇的である必要もなく、後半の自然な息の長さが感動的、最初にも書いたティンパニーがまるで歌を奏でるように奏されている、一見の価値あり、ほかのインストゥルメントもあとは推して知るべし。素晴らしく光る太陽に雪山が光っている。オーケストラの音色は、桃色といったところか。
今のゲヴァントハウスにはやろうと思っても出来ないことなのです。同じになれとは言わないが失ったものの大きさを噛みしめる、いやならちょっとだけ立ち止まって振り向いてほしい。
生きている鍾乳洞ですよ。
おわり