LOVE STORIES

Somebody loves you-J-POPタッチで描く、ピュアでハートウォーミングなラブストーリー集

幻想即興曲 15

2017-04-07 13:35:10 | 小説

 

15

14より続く)

  次の日、つまり予定の日よりは1日早い8月10日に家の前で待っていると、向こうから赤い車がやってきた。ミニクーパーではないか。フロントグリルのシルバーが渋い。右ハンドルなので、国産車と勝手は違わない。

「お待たせ。乗って」

ドアが開かれ、ぼくは助手席に座ることになった。

「結構、古い型だね」

「そう、新しいのはスポーティすぎてしっくりこないから、90年代の状態のいい中古を買ったの」

「いつの間にか免許取ったんだ。東京じゃほとんど用なしだけど、こっちじゃあった方が便利だよね」

「家をあの場所に移すと聞いたときから、車がないとどうしようもないとわかってたから」

 百合香は車をスタートさせながら言う。ピアニストの運転はハンドリングが繊細なのか、驚くほどスムーズで、乗り心地がよかった。しかし、カーステレオはカセットを入れる旧式のタイプのままだった。流れだした曲は、TM NETWORKのGet wild.

「高級住宅地とはわかっていても、なんであんな高いところ」

「騒音対策もあるけど、主に津波対策ね。ピアノが水に漬かるの嫌だから」

 このエリアは、風景も環境も素晴らしいが津波に弱いのが最大の弱点だった。住宅の密集した市街地を抜け、路面電車と並走し、いつしか海沿いの道路に出た。百合香は、ハンドルを手にしたまま音楽をかける。

 

 聞こえてきたのは、ピアノバージョンのZARDだった。漁港を過ぎ、海辺はウィンドサーフィンをやる人や海水浴客でにぎわいを見せる。並走する電車が駅に停車するころ、聞こえてきたのは「My Friend」。アニメのテーマソングにもなっていたせいか、この曲を聞くとすぐに涙腺が決壊する。暑いさなかでも走り続ける白いユニフォームの高校生たち。あれはテニス部なのか。中学1年、つかのまのテニス部時代が蘇る。頑張れ、でも夏は熱中症に注意しよう。

 何羽ものトンビが円を描くように空を舞う。幼稚園の遠足でおにぎりをさらわれた記憶が蘇る。海に向けて飛び出した岩と樹木の塊が右手に見えてくる。岸に寄せては返す波の音が一層激しくなる。音楽はサザンオールスターズに変わっていた。「いとしのエリー」に続いて聞こえてくるのは「TSUNAMI」。

「私には東北におばあちゃんがいた。でも、なくなったのよ。津波で。おじいちゃんはその前に病気でなくなって、おばあちゃんは一人暮らしだったの。毎年夏休みに行っていたあのお家も、跡形もなく流されて」

 石巻、気仙沼、釜石、閖上、南三陸、富岡町、八戸…いくつもの被災地の映像がフラッシュバックする。その中のどこかはあえて尋ねなかった。しばらく会わない間に、見えないところで起こった村野家の悲劇。東北に親戚も友人もいないぼくは能天気に生きてきたのだった。

 川を渡り、トンネルを抜け、車は左に折れる。そして時計の逆回りに回り込むように高台の方へと向かってゆく。

 くねくねと曲がりくねった山道だが、いつしかなだらかな平地にさしかかる。そして広々とした舗装道をはさんで大きな住宅が向かい合うように並んでいる。コンクリートの壁で囲まれた庭はどれも相当に広い。

 

 そんな住宅の一つ、海に向かう切り立った崖に面した白い二階建てが村野家の新しい家だった。もっとも新築ではなく、十数年前に建てられたものをリフォームしたものらしく、建物自体の値段は決して高くない。高いのは土地代だけだそうだ。それでも、リフォームの技術が巧みなのか、白亜の住宅は異様に素晴らしく見えた。

 ゲートが自然に開き、広い前庭をしばらく走る。百合香は、リモコンでガレージを開けると、車を収納し、表の扉を開いてぼくを案内する。

「ふぉお、サンダーバード」

  1、2階を隔てる広いデッキと、壁面を覆う大きな窓ガラスからサンダーバードの秘密基地のように感じたからだ。

「残念ながらプールはないわよ」

 玄関をはいるとすぐに居間であるが、そこにもピアノが置かれている。最新型のYAMAHAのコンサートグランドだ。

大きな開口部で続く隣の部屋にも茶色いピアノが置かれているが、どうやらベヒシュタインらしい。一千万円くらいするのだろうか。

「父が海外で安く仕入れたのをオーバーホールしたの。だから市価の半分くらいかしら」

 さらに、庭に飛び出すようなガラス窓で覆われたような一室があった。そこにもまた木製の古びたピアノ。

「プレイエル。ショパンが使ったのと同じ種類のやつ。今はピカピカだけど、これも元の状態はかなりひどかったので、結構安かったの」

 ピアノ教師の母親と、楽器店経営者の父親、その間に生まれたメリットを存分に生かして、今の百合香があるのか。環境からして、到底足元にも及ばないような気がした。

「今は、誰もいないの?」

「父は海外、母はコンクールの審査員で関西へ」

つまり、この広々とした家で二人きりということなのだ。まさかベヒシュタインやプレイエルで練習するとは思わなかったが、彼女は居間から上がるらせん階段を上がり始めていた。

「こっちへ来て」

 通された先が百合香の部屋らしかった。白一面の壁に一枚の絵、だが本物のはずがない。マルグルットの「大家族」、海辺の曇り空の中央に翼を広げた鳩のような青空が浮かび上がるあの有名な絵のレプリカ。ここにも黒光りのするピアノが一台置かれている。ボディの側面には金文字でSteinway & Sonsと書かれている。

「ニューヨークスタンウェイ。今一番の愛機よ。さあ、覚悟はよろしくて」

 部屋を見回すと、ピアノのそばの壁には本棚があり、一面が楽譜でびっしりと埋まっている。音楽書の隣にはろろひぃーや写真がたてかけてあり、さらにその隣には無数のぬいぐるみがこちらを見つめている。でも、トロがあったり、クマもんがあったり、スヌーピーがあったり、プーさんがあったりで、てんでバラバラだ。

 そちらの方を見つめているぼくを見て、百合香は言う。

「自分で買ったものは一つもないのよ。すべてもらいもの」

 友人や親類からのプレゼントだけではなく、花束といっしょに、ぬいぐるみをくれるファンも少なくないのだろう。南側は一面の窓だが、ピアノの反対側には白いベッドが置いてある。おもわずどっきりした。

「こんな風に誰でも人を入れるの?」

「そんなわけないじゃない。日も浅いし、人を入れるのははじめてよ。まあ、コウは弟みたいなものだから」

「今は、生徒みたいなものじゃないのかな」

「生徒だったらお金とるわよ。ワンレッスン1万円。結構良心的価格でしょ。まあ、それくらいにしないと近所の女の子とか教えられないでしょ」

16へ続く)


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『ホワイトラブ』 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10, 11, 12, 13, 14, 15, 16, 17, 18, 19




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