ペーパーリレーション
1
封筒を開き、答案の束を取り出すと声がした。無数の声、声、声。あるものは憎悪に満ち、あるものは無力感にうちひしがれていた。あるものは、自信に満ち溢れ、あるものは自信と不安が相半ばしながら揺れ動いていた。
ざっと一通り目を通した後、上の一枚にのみ集中し、採点を行ってゆく。答えを見ながら、〇と×をつけるだけの簡単なお仕事だ。とは言え、記号や数字だけが続くわけではない。ある程度、長い語句や文を書かせる問題もある。すべて記号なら、マークシートにして、コンピューターで採点すればよいわけで、人力を要するということは、まだ現在のコンピューターでは処理できないか、プログラムを組むにはコストがかかりすぎ割が合わない問題が含まれているということなのである。
記述問題が空欄であれば、いちいち正誤を判定するまでもなく、その問題の得点はゼロとみなすことができる。あっさり斜めに線を引くだけでよいので、不労所得に近い。同じ試験の採点であっても、そこそこ学力のある生徒のグループは、手間がかかり、学力のない生徒のグループは空欄が多いゆえに楽である。答案一枚当たりの単価は、試験の記述問題の量によって変動するが、どんな答案であろうと同じである。たとえばこの試験の場合のように、一枚85円で、二百数十枚の答案を採点するのは一見割が合わないように思えるが、案ずるより産むが易し。不出来な答案が混じれば混じるほど、採点はワープを連続的に行うことが可能になる。だから、じっくり採点すれば一枚5分はかかる答案も、ほんの十数秒で終わることもある。いくつかの記号を判定し、空欄に斜線をひき、〇の数をカウントし、部分点を集計するだけで出来上がりである。
逆に飛びぬけて優秀な生徒の答案も楽である。記号や数字はほとんど合っているし、記述部分の問題のみ注意すればそれでOKだ。解答内容も大きく外れた内容が書かれていることはほとんどないし、何よりも意味不明な日本語に悩まされることがない。一番やっかいなのは、いかなる教師の指導なのか、知識はうろ覚えで不正確のオンパレードなのに、やる気だけは人一倍あって、ひたすら根性で記述部分の空白を埋めてあるような答案である。それも読める字ならまだよいが、判読しがたい癖字となると本当に時間がかかる。完全に無関係な内容なら、秒殺で×印をつけることができるのだが、それなりにキーワードを拾ってあると、ここで1点、ここで2点と、採点要領に従って部分点を与えてゆかなければならない。
ふう、と一息つき、コーヒーを一口口にする。答案を汚すリスクがあるから、ドリンクを飲みながらの作業は望ましくないが、何も口に入れないと眠くなるし、退屈するのを防ぐためにはやむをえない。ただ、何かをしながらの採点は危険なので、必ず作業の手を止めるようにしている。答案の上にコーヒーをこぼすというようなヘマは一度もないが、意外な盲点でテーブルに滴が残っていたり、袖についていたりしてあわてたことは一度や二度ではない。ティッシュで拭き取って消えればよいが、残ってしまうと大惨事である。消しゴムで表面をわずかに削って目立たなくするとか、採点の赤ペンをその上にのせるなど様々な裏技があるが、そんな作業はないにこしたことはない。テーブルの汚れやそでの濡れに注意しながら私は採点を続けた。
(2へ続く)
『ペーパーリレーション』 1, 2. 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10, 11-12, 13-14 ,15,16-17, 18, 19
『ホワイトラブ』 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10, 11, 12, 13, 14, 15, 16, 17, 18, 19
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます