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(6より続く)
正面玄関の出口で空を見上げ、濡れて帰るか、タクシーでも呼ぼうかと思案していると、
「傘持ってきてないんでしょう。いっしょに帰られますか」と声がした。「車でというわけにはゆかないけど」
「大丈夫ですか。ここ学校なのに」
「全然。そういうのを気にするような校風ではないの。みんな車で相乗りして帰ってるし」
雨はさらに激しくなる。
いつしか二人で歩きだしていた。不思議な気分だった。雨を避けようとしても避けきれず、自然と二人の距離は近づく。かすかに触れ合う肩が妙に生々しかった。
「学校ってね、竜宮城みたいなものよ。生徒といっしょに過ごす時間はとても楽しい。でも、一年経つとその三分の一はリセットされるの。3年経つと完全に別の世界に変わる。そして、後には何も残らない。ただ齢をとるだけね」
その気持ちはわかるような気がした。予備校だって同じようなものだが、生徒との絆はずっと薄い。中学受験熱血指導の学習塾なら少しは濃いかもしれないが、それでもはかないものだ。同窓会が行われることはまずない。
「川の流れのように、若い生徒たちは目の前を次々に通り過ぎ、後に僕たちは取り残される」
「アポリネール、それに『方丈記』ね」
「教科は何を?」
「言わなかったですか?国語、本当は現代文の方が好きなのだけれど、授業は古文ばかりですね」
「国語ならときどき教えることがありますよ、中学生相手に学習塾で。何でも屋なもので。古文漢文は知識の骨組みを教えるだけで時間が潰せるけど、現代文は難しいですね」
「先生、さようなら」と声がして、生徒が追い越してゆく。もちろん声は赤塚佐和子に向けられたものだ。はやしたてるわけでもなく、ほのかな温かみが私たちを包んだ。
駅が近づく。ゆっくり歩いても15分ほどしかかからない。国道の横断歩道を渡るあたりから車の通行量が一層激しくなり、駅の喧騒が近づく。エスカレーターに乗り、タイルの貼られたスカイデッキを歩く。大きな百貨店と一体化した駅はまもなくだ。
「最初はね、小さな親切、余計なお世話。鬱陶しいなあって思った。でも、クレーマーじゃなさそうだし、やらなくてもいいことにわざわざ時間を潰すなんてどんなお人よしかなとも思ったの。どのみちどんな小さな情報でも、この種の問題は放置できないから」
「まあ、突っ込まなくてもいい問題に頭を突っ込んで、問題をかき混ぜるのは僕の悪い癖ですから」
切符を買い、駅の改札をくぐる。二人の向かう方向は正反対、彼女は東北へ。私は南西へ。
「雨の日、車はよく同乗させてもらうことあるけど、相合傘なんてするの、生まれてはじめてだった。ドキドキした。それでは」
そう言って彼女は人ごみの中踵を返した。なんだかすごいことをさらりと言ってるな。
「もう一度お会い…」
そこまで言いかけた私の声は聞こえなかったようだ。
(8へ続く)
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この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係がありません。
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