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LOVE STORIES

Somebody loves you-J-POPタッチで描く、ピュアでハートウォーミングなラブストーリー集

幻想即興曲 8

2017-03-31 10:37:15 | 小説

より続く)

 次の日は家庭教師の日だった。母親経由で依頼された近所の高校2年生の女の子を相手に、苦手だった科目の英語を教える。最近は、数学よりも英語の方が評判がよくなったくらいだ。得意な数学や理科は、どうしてもこのくらい普通にわかるでしょという発想が出てしまう。つまずく生徒は、その当たり前が当たり前でない。そこを頭が得心するまで説明するか、あるいは簡単な問題を数多く解く中で体で覚えさせるしかないのだが、つい先を急いでしまう。それが不満の種となるのだった。

 

 英語はただ単に説明すればいいわけではない。理解しても、英文が出てこなければ意味がない。だから、文法を説明したらすぐ、その例文を覚えさせれば必ず力はアップする。この日はよりによって、厄介な仮定法を教える回になっていた。

 なぜI wish I were a birdと言うのか。If I were you,と言うのか。絶対に変だよね、あやしいよね、不自然だよね。でも、それでいいんだ。実際、私は鳥でも、君でもないんだから。I am a birdやI am youは事実の世界。I were a birdやI were youは空想の世界、ドラえもんの世界なんだ。

 

 そんな風にして、I wish I could fly freely.というセンテンスを何とか覚えさせる。だが、もっと厄介な文章が教科書の後の方には出てきた。

 If I had worked harder then, I would be rich now.(もしあのときもっと一生懸命働いていたら、今ごろ私はお金持ちになっているでしょう)

 

「先生、これは仮定法過去?それとも過去完了?」

「まあ、両方が合わさった形だし、あえて言えば仮定法過去なんだろうけど、公式通りじゃないよね。公式通りだと主節の方は、wouldなど助動詞の過去形+have +過去分詞と言う形にならなくてはいけない。これは、過去に起こった出来事が現在に影響を与えている場合で、わかりやすく言うと、バック・トゥー・ザ・フューチャー構文だ。」

「バック・トゥー・ザ・フューチャー構文?何、それ?ウケル」

「『バック・トゥー・ザ・フューチャー 』という映画見たことがある?」

「うん。テレビでだけど見たことあるよ」 

「さて、ここにデロリアンという名のスーパーカーの姿をしたタイムマシンがあるとする。そして高校生のマーティは、自分の親が出会ったころまでタイムトラベルする。すると何が起こった?」

「お母さんがマーティを好きになる」

「それから?」

「ビフという現在の父親の上司に母親を横取りされそうになる」

「もしそうなるとどうなる?」

「マーティは生まれない」

「そう、だから、マーティの写った写真はだんだんかすれてゆくわけだ。焦ったマーティは何とか二人をくっつけようとする。そして、ついにマーティの父はビフを殴り飛ばし母親を手に入れる。そして、マーティがデロリアンで現在へ戻ってみるとどうなった?」

「父親と上司の関係が逆転して、今はビフは父親の部下として車を磨いている」

「そう、これを仮定法を使ってまとめると、『もしも父親があの時ビフを殴っていたなら、今頃彼はビフの上司であるだろう』となるよね。タイムマシンがあれば可能だけど、そうじゃなければ不可能な世界。これが、仮定法の世界、そしてこれを英文で表すとIf my dad had hit Biff on the face then, he would be Biff’s boss now.ということになる。だから、バック・トゥー・ ザ・フューチャー構文」

「よくわかった。でも、先生、一つ問題が」

「何?」

「完全にネタバレなんですけど」

                      

 If I had practiced playing the piano harder then, I would be a better pianist now. (もしあの時もっと一生懸命ピアノを練習していたら、今はもっとピアノが上手だろう。)

 ぼくが生きているのはまさにそんな世界だった。そしてタイムマシンがまだ発明されていない以上、ひたすら昼寝から覚めたウサギのように、あたふたと努力し続けるしかないのだった。でも、何かが欠けているような気がした。

 

 小学校6年のころ、ぼくは138センチしかなく、百合香は145センチあった。そして、ピアノを弾くとき、彼女は大人みたいにヒールの高い靴をはいたので、彼女はとても大きく見えた。技術的な差に、そんなフィジカルな引け目が加わって、ぼくは彼女から距離を置いたのかもしれなかった。今さら、あの時にやれなかった努力をやったとして、何をぼくは手に入れようとしているのだろう。プロのピアニストになりたいわけではない。就職試験に使うあてもない。でも、いったんついた情熱は消しようがなかった。分別の歯止めの利かないゾーンへと、いつの間にかぼくははまり込んでいた。

                      

 次の日一日がかりでぼくはマズルカの第5番を弾けるようになった。どこにも難しい部分のない曲だった。ただ、どこかしらとっつきにくいイメージがあったのだ。それは、ショパンの中にある、ポーランドの土着的な部分、民族的な部分だったのだろう。マズルカほどではないが、ポロネーズも同じような距離感を感じていた。

 

 東欧へでも旅すればいいのか、ポーランド映画を観ればいいのか。アンジェイ・ワイダ?悪くない。だが、今は時間がない。

 

 とにかくこれで6曲。あと8曲。

へ続く)

 


『幻想即興曲』 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9,10,11,12,13,14,15,16,17,18

『ペーパーリレーション』 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10,11-12,13-14,15,16-17, 18, 19

『ホワイトラブ』 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10, 11, 12, 13, 14, 15, 16, 17, 18, 19 

 
 この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関わりありません。



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