LOVE STORIES

Somebody loves you-J-POPタッチで描く、ピュアでハートウォーミングなラブストーリー集

幻想即興曲 18

2017-04-10 11:00:47 | 小説

18

17より続く)

「しょうがないなあ」

 百合香は、のび太を諭すドラえもんみたいな口調で言った。

「私が左手を弾くから、コウは右手だけ弾いて」

 ピアノソロ用の曲を連弾するという手があったのか。

「私の音は聞かなくていいから。まず自分の弾く音に集中して」

 息がかかるほど近くに百合香がいる。ステージ用のドレスではなく、白いノースリーブのサマーセーターに、ブルージーンズ。かえってスタイルが浮き彫りになってなまめかしい。連弾用に書かれた曲でないから、右手と左手の距離は近い。肩と肩がぶつからないようにするために、ぼくは左の肩を後ろに引く。すると百合香の肩を受け止めるような形になる。けれども、百合香もまた自分の右手が邪魔になるから右肩を引き気味になる。近すぎる距離に戸惑っていると活が入る。

「なにをしてるの。位置関係の調整なんて弾き始めれば自然にできるはず。要は弾けるか弾けないか」

 その通りだった。百合香の左手がオクターブでシャープのかかったソ#の音を強打する。彼女が次にド#の音を弾くのに続けて、ぼくが彼女の親指がいた場所から分散和音を弾くと次の瞬間には、その場所には彼女の左手がせり上がってくる。ぼんやりとしていると指と指が衝突してしまう。一人でピアノを弾くよりもずっとスリリングだ。ぼくの右手が高音部を疾走しているあいだ、彼女は淡々と分散和音を一定のリズムで刻み続けている。そこから連符の最初の音を強く弾くのを忘れないで。そこからは二音目を強く。そこで左手にアクセントが移るから、普通に弾いて。そして最初のテーマが戻ってくる。しだいにせり上がり、高まった音は、百合香の和音にあわせるように一気に坂道を駆けおりる。彼女の左手が近づきオクターブで拍を刻みながら下降してゆく。ここで曲は転調し、テンポはラルゴとなる。そう、あの懐かしいメロディーだ。そこで一休みしようとすると百合香は「続けて」と言う。

「いろいろ直す部分はあっても、とにかく最後までたどりつくことが先決なのだから」

 百合香の左手が美しい分散和音を奏でながらせり上がってくる。そこでぼくの右手は主旋律を奏でるが、分散和音の傍ら、彼女の左手はユニゾンの音を奏でゆく。胸が熱くなる。目がしらに涙がたまりはじめる。その感情が伝わったのか、彼女も気分がウェットになったような気がしたが、顔は見る余裕がなかった。そして、繰り返しの中で甘美な中間部が終わりを告げようとしていた。再び右手の疾走が始まる。ぼくの右手は駆け上がり、そして駆けおりる。いつのまにかポリリズムはなくなっていることに気がつく。最初にこの部分を弾けばよかったのか。ぼくの右手が規則正しく分散和音を刻む間に、彼女の左手はあの中間部のメロディーを低音で奏でるのだった。そして、そっとやさしく二つの音をわずかに時間差を加えながら響かせるのに合わせて、ぼくも四つの音を、ついで三つの音をかすかにタイミングをずらしながら弾く。こうして連弾版の「幻想即興曲」は終わった。

 

 まるで巨匠の凄い演奏を聞いた後のように、ぼくたちはしばらく黙っていた。数秒間の沈黙ののちに、口を開いたのはぼくの方だった。彼女はハンカチを取り出し、涙をぬぐう。

「ごめん、ぼくが泣いたから伝わっちゃったのかな」

「そうじゃないの。中間部のコウの音がとてもきれいだったから、それで感動しちゃったの。おばあちゃんのことを思い出したけどね」

 なぜだろう。幻想即興曲の中間部が死者の思い出を喚起してしまうのは。ぼくは子どものころ、このメロディーのオルゴールで涙が止まらなかったことを告白した。この曲との出会いが、まるでこの日のために用意されていたような気さえしたのだった。

19へ続く)


『幻想即興曲』 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19

『ペーパーリレーション』 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10,11-12,13-14,15,16-17, 18, 19

『ホワイトラブ』 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10, 11, 12, 13, 14, 15, 16, 17, 18, 19


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