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LOVE STORIES

Somebody loves you-J-POPタッチで描く、ピュアでハートウォーミングなラブストーリー集

幻想即興曲 16

2017-04-08 21:45:37 | 小説

16

15より続く)

 百合香はグランドピアノの蓋を開き、支柱を立てる。鍵盤の蓋も開き、譜面台を立てる。鍵盤に触れようとすると「弾かせてあげないわけじゃないけど、まず手を洗ってね」と言う。手洗いは、階段を上がったすぐ先だった。

 

 スタインウェイの前に戻ると、ブルージーンズに白いノースリーブのサマーセーター姿の百合香はすでにピアノを弾き始めていた。コンサートの時とちがい、髪は後ろでまとめている。室内履きは3センチくらいの底が厚くなったものだ。公称157センチの百合香の身長だが、頭が小さく手足が長いためにモデルなスタイルのよさが際立ち、ドレスのときよりもなまめかしい感じがした。彼女が弾いていたのは、グリーグのペールギュント第一より「朝」。北欧のフィヨルドの海のきらめきが見えるような気がした。そして次の曲は同じグリーグの「ノクターン」。夜の森の中で聞こえる夜鳴き鶯の声。ベートーヴェンの『田園』同様、グリーグもまた自然界の音を巧みに音楽の中に取り入れたのだった。そんな風に、次から次へと小品を弾いてゆく。シューマン作、リスト編曲の『献呈』、ショパンの『夜想曲20番』、ラフマニノフの『ヴォカリーズ』、エリック・サティの『ジュ・トゥ・ヴ』、ドビュッシーの『レントよりさらに遅く』、ブラームスの『間奏曲 作品117-1』、バッハの『ラルゴ』(チェンバロ協奏曲第5番第2楽章)、そしてベートーヴェンの『ロンド・カプリッチョ(なくした小銭への怒り)』、最後はデュカスの『魔法使いの弟子』だった。

 

 ロマンチックな美しい曲が続いたのちに、ラストの二曲は貯まったエネルギーを爆発させるような激しい曲だった。『魔法使いの弟子』ではディズニー映画のあのシーンが浮かんできた。ミッキーマウス扮する魔法使いの弟子は、手抜きの掃除のために魔法を使って動かしたバケツやモップのコントロールができなくなって、部屋が水浸しになってしまうのである。そこで思い出す。なぜ、ぼくが「みつき」という名前があまり好きでなかったか。それは、小学校時代に「光希、ミツキ、ミッキー、ミッキーマウス、光希、ミツキ、ミッキー、ミッキーマウス」と呼ばれてからかわれたからなのだ。それで泣きべそをかいたことを知っているから、百合香は「コウ」と呼ぶようになったのだ。

                  

「どうかな、ミニコンサート」

「いいね、アンコールピースばかりのような気もするけど、好きな曲ばかり」

「そう、そのうちCD出すつもり。でも選曲や配列は悩むのよね」

「聴衆の反応を見ながら、ゆっくり時間をかけて決めるといい」

「そだね。さてと、耳慣らしも終わったでしょうから、ピアノを弾いてみましょう」

 はじめて触れるスタインウェイの音がどんなものなのか、百合香はそれを聞かせるためにあれだけの曲を弾いたというのか。

「いきなりショパンは駄目よ。多分誰のチェックも入っていない自己流でしょうから。昔弾いた曲、どれか弾けるかな」

「わかった。いや、わかりました。百合香先生」

「先生はいいから早く。私が聞きたいの」

 鍵盤に触れるだけで調律のよさが伝わってくる。自分の弾く音なのにかつて聞いたことのない輝きを帯びるのは不思議な気分だった。ぼくはヘンデルの「パッサカリア」を弾き始める。一見初心者用の曲のように見えるが、この曲はバロック時代の音楽のエッセンスが凝縮されたバリエーション、変奏曲なのだ。はじめは格調高く、しだいに自由になりながら、最後は怒涛のように速いパッセージとなり、奔放なカデンツァでしめくくる。

「凄い。いいわね。見える。虹色のまんまるい音の玉が見えるわ」

 共感覚と言うのだろうか、音とともに色が見える人がいることをどこかで読んだことがある。小学校のころも、そんな話を百合香がしたことがあったっけ。ぼくには音の色が見えない。どんな曲を弾けばどんな色になるのか、いつか聞きたいと思った。

 そして次の曲は、モーツァルトの『きらきら星変奏曲』、小学六年のとき、最後の発表会で弾いた曲だ。他愛もないシンプルなメロディーが、トリルで震え、ときにフーガでメロディーの追いかけっこをし、ときに何か他の曲を、ピアノ協奏曲第21番の第2楽章をなぞるそぶりを見せながら、無邪気に変化してゆく。その半分子供じみた遊び心がいかにもモーツァルトという感じなのだ。

 ぼくが弾き終わると、百合香は立ち上がって拍手した。

「さすが、コウ。全然衰えてないし、昔よりも上手くなってる」

「小学生の自分に勝っても全然嬉しくないんですけど」

「とにかく変奏曲が好きなのね。こうなると「デュアベリ変奏曲」とか「コールドベルク変奏曲」とか弾かせたくなるの。だから、ピアノは続けて。そして私に聞かせて」

「うん」

 でも、彼女が手放しで誉めてくれたのは、ここまでだった。

17へ続く)


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『ホワイトラブ』 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10, 11, 12, 13, 14, 15, 16, 17, 18, 19




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