LOVE STORIES

Somebody loves you-J-POPタッチで描く、ピュアでハートウォーミングなラブストーリー集

幻想即興曲 11

2017-04-03 12:08:53 | 小説

11

10より続く)

 将棋崩しという遊びがある。将棋の駒を入れた箱を裏返し、箱を取り除くと将棋の駒の山ができる。指を一本だけ使い、交互に一つずつ駒を滑らせ盤の外まで移動させ取り除いてゆく遊びだ。山を崩しカチャリと音を立てると失敗。初めは、平らに置かれたものを滑らせて取り除くだけ良いが、やがてもたれたかかった駒を移動させたり、向きを変えたりする必要がでてくる。後ほど難易度が高くなる。

 

 短期間にレパートリーを取りそろえるのは、将棋崩しに似ていると思った。コンクールのコンテスタントは、毎回こんな思いをして練習しているのだろうか。それとも圧倒的な技術があるために、初見で弾き通し、後は暗譜と表情をつけるだけで終わるのだろうか。もっとも、村野百合香がそんなやっつけ作業で、レパートリーをものにしているとは到底思えなかった。ぼくはと言えば、演奏に魂をこめることをほとんどあきらめている。形式主義的な割り切りだ。それゆえにこそ、短期間で何とか弾けるようになっているのだ。

 

 難曲揃いの中でも、比較的与しやすそうなのが、別れの曲だった。三部形式ではじめと終わりは中級程度の難易度、右手は主旋律と伴奏の両方を演奏したりする部分もあるが、美しいメロディーを歌うテンポそのものが遅いのですぐに弾けるようになる。問題は中間部だ。ドラマチックに、左右の重音が移動する。しかも、右手は上向し、左手は下降する。次に左右の手は逆行しながら、同じリズムで重音を刻み続けることになる。その動きに頭が慣れるまでには、かなりの時間がかかるのだ。そして、前後の部分と合体し、通しで演奏できるようになるまでに三日を要した。

 

 ショパンは、こんな美しいメロディーを書いたことがないと言ったと伝えられるが、客観的に見て、別れの曲が一番美しい旋律かどうかは疑問である。伴奏部分まで含めた演奏効果で同じ程度に美しいメロディーは数多くあるだろう。子守唄、ピアノ協奏曲第一番第二楽章、ノクターンやプレリュードのいくつか。とりわけ第13番、第17番、第21番のプレリュードは雨だれよりも美しいメロディーで歌い続ける。中でも、第13番のプレリュードは、基本的にははじめと同じメロディーの後半部分で和音の広がりが十度を超え、0コンマ何秒か遅れて最高音を奏でることになる。上に外れたこの音が悶えるほどチャーミングなのである。

 

 これらの曲へと浮気しないためには、ストイックな決断が必要だった。

 

 後、十二日。残り3曲。


12へ続く)


『幻想即興曲』 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9,10,11,12,13,14,15,16,17,18

『ペーパーリレーション』 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10,11-12,13-14,15,16-17, 18, 19

『ホワイトラブ』 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10, 11, 12, 13, 14, 15, 16, 17, 18, 19




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