ある土木技術者の雑記帳

日頃感じたメモ、新聞投稿。"野にして粗だが卑ではない"生き方を目指す・・んなこと言っても結構難しいと感ずる今日この頃

どんぶり勘定―国島正彦の持論―

2006-12-04 17:32:22 | 社会資本
 今日、ある講習会に行ってきた。拙文はこの夜叩いている次第。講師は3人だったが、なんといても、国島先生(東大教授)のお話が面白い。声質にド迫力があっていい。加えてマイクを通しているので、こっちは寝れない状況だ。(本来寝てはいけないだろうが、他2名の講演者のお話は眠かった)
 国島先生のお話は面白い。清水建設で現場や設計で活躍された国島さんらしい人柄が出ていた。確か、群馬の月夜野大橋の現場設計主任をしていた時代もあったはずだ。国島さんがもう何年か持論にしている公共事業の構造的な問題点を、ノンストップでくっ喋るので、聞く方は大変に聞く興味が湧く。
 公共事業の問題点とは、以下のようにご整理していた。
  ①支払いが一括後払いが、経営圧迫する(手形乱発)
  ②前払いが1/3、1/4もらえるがこれが技術力向上を阻害する(諸外国の例を見ると、全部1ヶ月毎の支払い)
  ③検査、設計変更にも「技術者意識」不在(検査とはとんでもない量の写真と書類の山が成果である、これは技術者不在である、かける手間等損失も大きい)
 どんぶり勘定とは、細かく収支を計算したり、帳面に記入せず、あるにまかせて金を使うこと。
 先生は、もともとが、公共事業は過去も現在も、発注者も受注者も「どんぶり勘定」だったという。これは入札制度、契約制度、VE制度、DBなどたくさんやっても同じなのである。これにさらに緊縮財政下だからといってコスト縮減の言葉(命令)の嵐になってきた。これに対しても、設計、施工のシステムの分析など正確にできない発注者側は”とにかく、1割減で今度はやってくれ、仕方ないだろう、仕事がないよりいいだろう”でめでたく、コスト縮減が達成できる。こんな、”イイカゲン”なモノがあってはいけない。これが好景気で分からなかった、今までは。



 余話
 ”どんぶり勘定”の語源は、「どんぶり勘定の『どんぶり』は職人などの腹掛けの前部に付けた大きな物入れのことである。
 職人達がこのどんぶりにお金を入れて無造作に出し入れしていたことから、大雑把な金の出し入れを「どんぶり勘定」と言うようになった」ととネットにはある。参考までにこの場合のどんぶりは、どんぶり鉢の「丼」ではないのである。ひらがなで「どんぶり」でいいのである。実は、先生はこのような持論を日刊工業新聞に掲載したところ、「丼勘定」と変な漢字変換されてしまったという。新聞社に抗議したら、新聞社は訂正文を出したという。
 国島さんの持論を拝聴するのは、もう2度目になるだろうか。一時期の若々しい先生も、なんとなく貫禄が出て、江守徹のようになってしまったが迫力は衰えず、である。