ある土木技術者の雑記帳

日頃感じたメモ、新聞投稿。"野にして粗だが卑ではない"生き方を目指す・・んなこと言っても結構難しいと感ずる今日この頃

憂悶の日々

2010-12-03 00:31:09 | エッセイ

シルビア
 過日平成22年11月28日に歌手シルビアさんが亡くなる。肺がん、52歳の早世。なんといっても「別れても好きな人」で有名だ。昭和54年(79年)のこの歌は売れたこと売れたこと。やはりシルビアさんの清楚な感じと、あでやかできれいな感じ、その割りに声は伸びるのは魅力的である。他の同年代のアイドル歌手と一線を画していた。大人の女を感じさせた。ネットで昭和55年(80年)の紅白歌合戦に出場したときの映像を見た。とってもきれいの一言。「吉永小百合さんの再来」って感じ。目じりがたれていて、吉永小百合よりさらにいい。
 ヒット曲は多い。別れても好きな人、それぞれの原宿、うそよ今夜も、コモエスタ赤坂(ロスインディオスと)、アマン(菅原洋一と)。デュエット曲というのをこの世に広めたのは、このロスインディオスが、この女性シンガーをボーカルに起用したことが大きい。
 このシルビアさんと私は二歳違いである。彼女は大阪生まれで高校のバレー選手で、実業団バレーにも進むが、その後歌手の弟子入りをし、クラブ歌手になっていた。その後ロスインディオスの初代女性ボーカル歌手として中央デビューを果たし、21歳のとき「別れても好きな人」のヒットとなる。芸能通ではないが、遺児(長男)の年齢(19歳)から推して、31歳頃結婚されたと思う。その後離婚されたらしいが、この時の旦那と長男は、最後は本当に献身的な看護をしたと、報道された。「別れても好きな人」を地で行くような生き方と書く記事もあった。長男にとっては大好きな母親だったろう。幸多き人生だったろう。
 私も結婚は31歳で、今は上の子(娘)が19歳になっている点などは同じである。それぞれの人生だから悩む内容は違うだろう。彼女の場合は、趣味は女性にしては珍しい磯釣りとある。磯で釣り竿を差し出し、波間を見つめることがさぞかし、いやしになったのだろう。

しばたはつみ
 彼女も平成22年3月に56歳で亡くなる。心筋梗塞。電車通勤のとき、なんども彼女の歌声をウオークマンを通して聞いていた。そう昭和57年から59年の間だろうか。パンチの効いた声は、これまた「プロ」だった。声で聞かせる数少ないプロフェッショナルだった。
 彼女は昭和28年(52年)生まれである。私より8歳年長になる。

中川昭一
 彼は平成21年10月、56歳で亡くなる。何もなければ、そう遠くない将来には、首相になる可能性があった。しかし、2009年のG7の記者会見における泥酔失態事件、その後の落選、政権交代になかで、変死する騒ぎとなる(急性心臓発作というが)。
 世では坊ちゃん政治家のレッテルを貼るが、右派の論客として防衛問題を棚上げしないで、棚から下ろし、親台派を自認し、李登輝さんとも親しいと聞くと、本当に真っ当な政治家に見える。
 彼は昭和29年(53年)生まれ、私より7歳年長になる。

そして、憂悶の種
 この3氏はその世界で、名を成している点では、私とは違う世界に生きてきたわけであるが、50歳をそう何年も越えないで、他界したこと、そして、私が今月(平成22年12月)に50歳になるということに、昨今の「楽しまない」、憂悶の種があるのである。
 心配症になってもいけないし、意味ないし、これら諸氏の死に至る事情は似ているわけではないし、この時代、50歳台で鬼門に入る方は、本当に少ないのであるが、やはり、「憂悶」の原因をなしているようである。
 YOUTUBEであった「別れても好きな人」をはじめ、70年代後半からのムード音楽をシャワーの如く「浴びて」みて、懐かしく、あの時代、自分は何を考え、何をして、何に悩んでいたのだろうかと、どんどん思い出される。しかし、この楽しい時間の後、やはり、・・・
   楽しからざる時間がふっと訪れる
こんなことをしていても、明日も会社があるからと、自分を納得させるが。歯切れの悪い拙文をここに結ぶ。
 (平成22年12月4日 0:30 息子早朝には沖縄へ修学旅行へ出立予定也 )