ある土木技術者の雑記帳

日頃感じたメモ、新聞投稿。"野にして粗だが卑ではない"生き方を目指す・・んなこと言っても結構難しいと感ずる今日この頃

電子入札の危うさ

2010-12-31 11:22:17 | 社会・事件

<発端>
 ある公共事業の入札の実話である。A社がB官庁のC調査業務について、応札することになった。もちろん他社も十社ほど応札した。この業務はまともに積算すれば、おおよそ1000万円程度になることは、どの会社も承知していた。A社はこの業務をこなすほどの力量、余力がないことは分かっていたので、応札には高い値段を入れればいいと思っていた。
 そこで、A社営業責任者は電子入札の応札日に、「本命ではないから」と、女子営業社員に1800万円と入力するように指示した。しかし、その社員は誤って108万円と入力した。万単位の位取りの理解や復唱する慎重さがこの社員に足りなかったかもしれないが、ともかくもA社はダントツの安価でこの業務を落札してしまったのである。不幸にもB官庁側では、この入札に最低制限価格は設けていなかった。入力金額を誤りましたと業務の契約を辞退などすれば、それこそ指名停止になる。

<思惑>
 この後の経緯はどうしても気になる。電子入札になり、このようなことは起こっているのである。低入札契約とともに、なんとなく目立たないようであるし、「恥」を広言するのはないだろうが、実際は多発している。大切な応札価格であるが、これがテンキー入力によって決まるのだし、受注を目指したい本命ならともなく、欲のない会社では、この入力には神経などいきとどかないケースも多かろう。
 このようなケース、さてどうすればいいか。A社にとってはB官庁はどういった顧客か?が一番重要かであるが、指名停止になっても辞退できれば辞退した方がいいかもしれない。この先何年でも指名停止にしてくれていいという相手かもしれない。社長という立場の方が平謝りしても、この善後策を携えて行かないと、いけないわけである。
 B官庁にとってはどうだろう。そもそも官庁とは税金の執行責任者であるから、法律を遵守するという低水準の役人であってはならないと思う。ある程度の納税者が納得できる合理的な善後策がないといけないわけである。1000万円の仕事が108万円で実施できるならありがたいことこの上ない、とだけ思うだろうか。そう思う人もいるが、その成果の内容にまず不安を抱く人は多い。仕様書の通りにしてくれればいいが、調査業務などは専門家の判断などを多く要する箇所が多く、手を抜いたからそれが明らかに検出されるわけではない。そうなると、1000万円程度と期待しても、これが無理になる。どうせ108万円の仕事として成果を受け取るしかないのではないか、
 ということは受注者(ここでは受注予定一歩手前社)と発注者の双方で、この契約はしたくないなあ、と思っている状態である。そして、なんとか、応札結果を無かったものにしたいと思っている、双方が。こんなんが実態である。どうすればいいか、この当たりは双方が智恵を発揮しなければならない。

<私見>
 そもそも、発端はA社のケアレスミスである。A社にこのような事態を起こし、混乱を惹起させる意図はない。それどころか、「この仕事はできない」と投げてかかったが故のミスである。A社の営業責任者の責任こそ問われるものの、A社が破格で業務を実施しなければならないような「制裁」を受ける必要はない。制裁措置ならば、「指名停止」こそ適切である。という考えの人もいるだろう。A社側からの契約辞退に対し、B官庁が粛々と所定の措置をとればいいだけである。
 A社社長は、営業責任者、入力担当者にどのような指導をするか?。本来、受注に熱心でない仕事に対する場合の応札額記載は、昔も今も慎重でなかったはずである。これも懲罰人事などを安易にしていいかどうかは難しいと私は思う。これは今度はA社社長が世間に試されているわけである。
 これが筆者の意見であるが、これに賛意を示すかどうかは、読者の考え次第である。

 あなたがA社、B官庁だったら、どうする?。

追記:この実話のその後は明らかではないですが、非常に興味ある事例です。この事例の発生をコンピュータ社会の進展のせいにするわけではないが、IT技術の発展は、人間の持っている良識や能力(気配り、言葉使い)などをどんどん劣化させていく方向に向かわせてしまう。こんな傾向がある。応札金額、受験願書、申請業務、入金業務、これら一切はインプット作業である。これは正常な社会だろうか。