ヤマトタケル考(2)
古事記・日本書紀に登場
最近は、『古事記』・『日本書紀』のクライマックスに登場する英雄ヤマトタケルといっても ピンとこない世代が多くなりました。
そのため、「ヤマトタケルは何者か?」について、少し説明しておきます。
NHK出版の『古代史の謎に挑む(一)』は、ヤマトタケルを次のように説明しています。
ヤマトタケル加古川に生まれる?
・・・その昔、日本に一人の英雄が登場した。それはいまからおよそ1600年前、日本の歴史の中でもっとも多くの謎につつまれている四世紀ここと言われている。
その英雄こそ大和朝廷の日本統一に大きな役割をはたしたと伝えられているヤマトタケルである。
『古事記』と『日本書紀』によってヤマトタケルの一生をおってみよう。
彼は、播磨、現在の兵庫県加古川市付近に生まれたと伝えられている。
第十二代 景行天皇(けいこうてんのう)を父として、母はこの地方出身の稲日大郎姫命(いなびのおおいらつめのみこと)であった。
ヤマトタケルは双子の弟であり、幼名を小碓命(おうすのみこと)と名のった・・・・(以上『古代史の謎に挑む(一)より』
もちろん、ヤマトタケルの物語は事実を語ったものではありません。
しかし、伝承であれ加古川地域から日本統一にかかわった英雄が登場しているというのは愉快なことです。
写真は、ヤマトタケル兄弟が産湯(うぶゆ)を使ったと伝えている石のタライです。加古川市加古川町美乃利の住宅地の一角にあります。(no3856)
*写真:ヤマトタケルの母の御陵(日岡御陵):伝承では彼女の墓と伝えている。
◇きのう(1/26)の散歩(12.462歩)