熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立演芸場…6月花形演芸会

2018年06月19日 | 落語・講談等演芸
   6月の 第469回 花形演芸会 のプログラムは次の通り
      
落語「長短」 三遊亭楽天
曲芸 丸一小助・小時
落語「死ぬなら今」 三遊亭朝橘
上方落語「遊山船」 桂吉坊
―仲入り―
落語 「ちりとてちん」三遊亭圓楽
漫才 母心
浪曲「稲むらの火」 菊地まどか
宮本麗子=作 曲師=佐藤貴美江

   吉坊の落語と菊池まどかの浪曲を聞きたくて、出かけたのである。
   祖父がラジオで聞いていた浪曲が、私の最初の古典芸能への接触だが、別に好きでも嫌いでもなく、何の興味も湧かなかったのだが、最近、国立演芸場に通っていて、しばしば、聞く機会があって、面白いと思い始めたのである。
   それに、最近、女流の落語家など古典芸能で、女性芸人の活躍が目覚ましく、一寸、雰囲気のある芸を楽しめるので、注目しており、若くて綺麗なまどかが、新作ながら、あの有名な和歌山の「稲むらの火」を演じると言うのである。

   まず、吉坊の「游山船」
   天神祭りで賑わう夕暮れ時、喜六と清八の二人連れが、浪花橋の上から大川を見下ろして、賑やかに行きかう夕涼みの屋形船を見下ろして、無学な喜八が少し学のある清八に挑む頓珍漢な会話が世間離れしていて、実に面白い落語。
   喜六がボケで清八がツッコミと言う、正に、上方漫才の落語バージョンと言った感じで、テンポの速い小気味よい吉坊の畳み掛けるような大阪弁の語り口が秀逸。
   御大人が、芸者や舞子、太鼓持ち、料理人を従えての屋形船の模様を存分に聞かせて、最後は、
   碇の模様の揃いの浴衣を着て派手に騒いでいる稽古屋の舟に見とれた清八が、
   「さても綺麗な錨の模様」と呼びかけると、舟の上から女が「風が吹いても流れんように」
   感心した清八が、喜六に「お前のとこの嫁さんの”雀のお松”は、あんな洒落たことよう言えへんやろ」と言ったので、頭にきた喜六が、家に帰って、嫁さんに、無理に、去年の汚い錨模様の浴衣を着せて盥に座らせて、屋根の天窓に上がって声を掛けようとするのだが、どう見ても汚くて絵にならないので、
   「さても汚い錨の模様」 洒落た嫁はんのこたえは「質においても流れんように」

   殆ど内容のない噺で、毒にも薬にもならない人畜無害の落語だが、正に、語り手の話術の冴えが光る高座で、Youtubeで、ざこばや笑福亭松鶴の「游山船」が聞けて面白いが、吉坊のパンチの利いた爽やかな落語を楽しませて貰った。

   菊地まどかは、アラフォーの大阪市出身の浪曲師、演歌歌手。
   このタイトルの「稲むらの火」は、1854年(嘉永7年/安政元年)の安政南海地震の津波の時に、紀伊国広村の庄屋濱口儀兵衛(梧陵)が、自身の田にあった収穫直後の稲藁に火をつけて、村人たちを安全な高台にある広八幡神社への避難路を示す明かりとし誘導して助けたと言う実話をもとにした話で、小泉八雲が、「A Living God」として著わしており、有名な逸話である。
   30分弱の菊地まどかの名調子が、感動的であった。
 
圓楽は、歌丸の必死で高座を務める様子を笑いに紛らわせてまくらに語っていたが、心の交流があったればこそ、優しさがホロリとさせる。
   あまりにもポピュラーな「ちりとてちん」
   芸の年輪を感じさせて面白かった。

    三遊亭楽天も三遊亭朝橘も、圓楽一門会のメンバー。
   三遊亭楽天は、元ダンサーと言う特異なキャリアーで、02年の入門と言うから、落語歴は新しくて二つ目だが、既に、大物の風格のある堂々たる語り口。
   三遊亭朝橘 の「死ぬなら今」は、阿漕な商いで巨万を築いた伊勢屋の旦那が死んで、閻魔庁へ出頭して、閻魔大王ほか、冥官十王、赤鬼、青鬼など居並ぶお偉方に賄賂を握らせて天国行き。代々の伊勢屋の遺言で「地獄の沙汰も金次第」が定着して、その悪事が露見して、地獄の鬼たちお偉方は、すべて、天国にしょっ引かれて、地獄は空っぽ。「死ぬなら今」だと言う噺。
   三遊亭朝橘の話術の面白さが、冴えて楽しませてくれた。
コメント
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