浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

大杉榮のこと(3)

2020-09-16 20:30:33 | 社会
 テレビや新聞は、スカ内閣のことをあれこれと報じていることだろう。安倍政権の7年8ヶ月の最大の問題は、ことばというものに対する信頼感を失わせたことであると思う。そしてスカ内閣もそれを続けるのだろう。

 そういう時代であるからこそ、現実と離れて過去の思想的・文化的蓄積を振りかえることも必要ではないかと思う。

 今日は9月16日、大杉栄、伊藤野枝、橘宗一が虐殺されてから、97年目である。もっと長く生きることが出来ていたら、彼らの思想的・文化的蓄積は量的にも質的にも、より大きなものになっていたことであろう。

 まず大杉栄の人生を年表風に示そう。

大杉栄の人生(1885~1923)
1885 香川県丸亀で、大杉東(丸亀連隊少尉)・豊の長男として誕生、まもなく東京へ。
1889 富士見小学校附属幼稚園入園。12月新潟県新発田へ。
1895 高等小学校入学
1897 新発田中学校入学
1898 三好校長の解任に抗議して同盟休校に参加。
1899 名古屋の陸軍幼年学校入学。
1901 不良行動により30日間禁足。友人と決闘して重傷。11月放校処分。
1902 東京学院中学校入学。6月母急逝。10月順天中学編入。足尾鉱毒問題に関心を持つ。『万朝報』で幸徳の反戦論文を読む。海老名弾正により洗礼を受ける。
1903 外国語学校仏語選科入学。12月、平民社訪問、以後社会主義研究会に参加。
1904 父・東出征。キリスト教から離れる。『平民新聞』に「名古屋より」を書く。
1905 外国語学校仏語選科卒業。年上の女性と同棲。
1906 日本社会党に参加。3月電車賃値上げ反対闘争に参加、逮捕される。保釈後、堀保子と結婚。日本エスペラント協会に参加、学校をはじめる。「新兵諸君に与う」訳載で起訴。この頃から無政府主義に接近。
1907 クロポトキンの『青年に訴う』の訳載で追加起訴。巣鴨監獄(5月~11月)。
1908 1月金曜会屋上演説事件で堺、山川均らと検束される(~3月)。6月「赤旗事件」で検束、懲役2年6ヶ月(千葉監獄)。
1910 大逆事件。11月出獄。12月、売文社に参加。
1911 1月幸徳らが処刑される。「春三月縊り残され花に舞ふ」
1912 10月『近代思想』創刊。
1913 7月荒畑寒村と「サンヂカリズム研究会」。
1914 9月『近代思想』廃刊、『平民新聞』発刊(4号を除き、すべて発禁)。『生の闘争』『種の起源』翻訳。
1915 3月『平民新聞』廃刊、10月『近代思想』復刊(発禁)。神近市子と・・。
1916 1月『近代思想』廃刊。2月伊藤野枝と・・。4月野枝、辻潤の家を出て大杉と同棲。不道徳を非難される。11月 葉山の日陰茶屋で神近に刺される。『労働運動の哲学』。
1917 1月堀保子と別れる。9月魔子が生まれる。ロマンロラン『民衆芸術論』、クロポトキン『相互扶助論』翻訳。
1918 『文明批評』創刊、発禁により廃刊。『労働新聞』発刊、発禁により廃刊。
1919 「演説会もらい闘争」を展開。5月巡査殴打事件で起訴。『労働運動』(第一次)発刊。豊玉監獄に入獄。『獄中記』
1920 出獄。『労働運動』廃刊。10月上海へ密航し、コミンテルン代表に会う。12月堺利彦らと「日本社会主義同盟」結成。クロポトキン『一革命家の思い出』翻訳。
1921 週刊『労働運動』(第二次)発刊。『労働運動』廃刊。『労働運動』(第三次)発刊。
1922 北九州の八幡製鉄所大罷工二周年記念演説会で演説。日本労働組合総連合創立大会出席のため大阪へ。12月ベルリンで開催予定の国際アナキスト大会の招待状を受け取り、上海へ密航。さらにパリへ向かう。ファーブル『昆虫記』翻訳。
1923 2月フランス到着。5月パリ郊外で演説し逮捕される。6月フランスを追放される。7月帰国。9月関東大震災の混乱の中、虐殺される(38歳)。『日本脱出記』、『自叙伝』。

 以上である。大杉は、38歳の人生しかなかったこと、それも最後は強いられた死であった。

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