浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

『朝日新聞』へのレクイエム

2024-05-20 21:36:03 | 

 今日、及川智洋の『外岡秀俊という新聞記者がいた(田畑書店)が届いた。最近あまり本を買わない私が、外岡に関するものだけは例外としてきた。

 このブログでも、何回か外岡を取り上げてきた。朝日新聞記者であった外岡は、最後のジャーナリストだと思っていたからだ。外岡のような記者が輩出していたら、新聞はもっともっと知的で、面白くなっていただろうと思う。

 東大の学生時代に『北帰行』で文芸賞を得た外岡は、作家ではなく新聞記者を選択した。のちに中原清一郎として小説も書いたが、やはり新聞記者、ジャーナリストとして生きたといってよいだろう。

 文章を書くという仕事において正確に書くということは、まず語彙が豊かでないといけない。ひとりの人間が何かを表現しようとするとき、その表現したいものを的確に表す語を保持していれば、すなわち豊かな語彙をもっていれば、表現したいものを他者により確実に伝えることが出来る。そしてもう一つは、表現したいものをバックアップするために、自分自身にできるかぎりの知の集積がなければならない。表現したいものは、たいしたものでなくとも、それは無数の知と連関しているはずで、その連関している知と表現したいものをつばげることによって、より深い表現へと向かうことが出来る。

 外岡は、その二つを確実にもち、さらに新鮮な問題意識と、現実を前にしての敏感な感性があった。だから彼の文は、読んでいてわかりやすく、また触発されるのだ。

 もちろん彼がもつ特性は、最初からもっていたものではなく、様々な書物や現実、そして新聞記者の先輩としての疋田桂一郎の存在があった。疋田から学ぶことが多かったようだ。

 さて本書であるが、読んでいてぐいぐいと引き込まれる。及川が外岡にインタビューしたものを主に掲載しているのであるが、その内容がまた豊かなのである。知らなかった事実がそのなかで語られ、ふむふむと同意しながら読み進める。

 浅田彰に取材したことがあったようで、浅田の語りがそのまま文になるということが書かれているが、たしかに文章となるような語りをする人はいる。私は幕末・維新研究者の故原口清氏からいろいろなことを教えられたが、原口先生の語りはそのまま文になるようなものであった。頭の良い人はいるのだ。

 本書はまだ途中であるが、買って損はない本である。ジャーナリズムに関心を持つ人には読んで欲しい。途中でも、何かを書きたくなるような内容を持っている。

 

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