日本の政官財は、利権でつながっている。馬鹿を見るのは国民。税金は俺たちのものだという、政官財の面々、みんなで分け合うのは当たり前。その不正をただそうとしても、公的な権力は頬被り。
http://buzzap.jp/news/20170731-kake-takeshita/
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名前だけは知っていて、きちんと知っていなかった矢内原であるが、矢内原という人間の生の軌跡を知ることができた。
『帝国主義化の台湾』だけ読んだことがあり、キリスト者であると同時に社会科学者であるという認識を持っていたが、矢内原はまずキリスト者であることが核にあり、さらに一歩進んで「預言者」という自覚を持った徹頭徹尾キリスト者であったことがわかった。
本書は、矢内原のそのキリスト者であることを浮き彫りにしているような気がした。
矢内原は、キリスト者としては一貫しているが、社会科学者としては現実の変化に照応しながら現実主義的な対応をしていたようだ。天皇の位置づけなどにそうした面が出ているようだ。
著者は、「おわりに」において、本書で叙述してきたことを簡潔にまとめていて、ずっと読み進めてきたことが最後に確認できるようにしてあり、この「おわりに」だけを読んでも本書の内容が想像できる。
私は、矢内原のナショナリズムに彩られた言説、著者は「宗教ナショナリズム」としているが、それもキリスト者であることと同様に一貫していることを感じた。
矢内原は、1893(明治26年)生まれ。明治生まれにとってのナショナリズムの刻印はなかなかのものだ。
矢内原はキリスト者、とりわけ無教会キリスト者として、聖書集会や講演会を開催する一方、他方で「嘉信」を発行していた。無教会クリスチャンが個人誌を発行し、集会・講演会を開催するという方式は矢内原がその典型となったのではないか。故溝口先生も、「復活」を発行し、また毎日曜日の集会や講演会を開催していた。
矢内原を知るためには、手頃でよい本だと思う。
『帝国主義化の台湾』だけ読んだことがあり、キリスト者であると同時に社会科学者であるという認識を持っていたが、矢内原はまずキリスト者であることが核にあり、さらに一歩進んで「預言者」という自覚を持った徹頭徹尾キリスト者であったことがわかった。
本書は、矢内原のそのキリスト者であることを浮き彫りにしているような気がした。
矢内原は、キリスト者としては一貫しているが、社会科学者としては現実の変化に照応しながら現実主義的な対応をしていたようだ。天皇の位置づけなどにそうした面が出ているようだ。
著者は、「おわりに」において、本書で叙述してきたことを簡潔にまとめていて、ずっと読み進めてきたことが最後に確認できるようにしてあり、この「おわりに」だけを読んでも本書の内容が想像できる。
私は、矢内原のナショナリズムに彩られた言説、著者は「宗教ナショナリズム」としているが、それもキリスト者であることと同様に一貫していることを感じた。
矢内原は、1893(明治26年)生まれ。明治生まれにとってのナショナリズムの刻印はなかなかのものだ。
矢内原はキリスト者、とりわけ無教会キリスト者として、聖書集会や講演会を開催する一方、他方で「嘉信」を発行していた。無教会クリスチャンが個人誌を発行し、集会・講演会を開催するという方式は矢内原がその典型となったのではないか。故溝口先生も、「復活」を発行し、また毎日曜日の集会や講演会を開催していた。
矢内原を知るためには、手頃でよい本だと思う。
テレビを見るのはやめよう!
わが家はテレビを一切見ない。音楽を流しながら本を読んだりしているが、その方が人生は豊かになるように思う。
今までもテレビはほとんど見ず、ニュース番組だけを見ていたが、それも芸人どもが並んで無責任な放言を垂れ流していることに辟易していた。
さらに驚くべきことに、吉本興業が何と政府機関の宣伝隊となったようだ。いよいよ政権がテレビ全体を乗っ取る作戦のようだ。テレビよさようなら、である。
http://lite-ra.com/2017/07/post-3349.html
わが家はテレビを一切見ない。音楽を流しながら本を読んだりしているが、その方が人生は豊かになるように思う。
今までもテレビはほとんど見ず、ニュース番組だけを見ていたが、それも芸人どもが並んで無責任な放言を垂れ流していることに辟易していた。
さらに驚くべきことに、吉本興業が何と政府機関の宣伝隊となったようだ。いよいよ政権がテレビ全体を乗っ取る作戦のようだ。テレビよさようなら、である。
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