浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

オスプレイ、日本の空を自由に飛ぶ

2017-03-13 22:07:44 | その他
 日本国民にオスプレイを慣れさせようとしているのかも。
 
http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20170313/KT170313FSI090009000.php
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【本】ポール・ギャリコ『雪のひとひら』(新潮社)

2017-03-13 10:44:24 | その他
 ある冬の寒い日、遙か空の上で、ひとひらの雪が生まれた。そして彼女は、真っ白に覆われた山村に舞い降りた。雪に覆われたそこは、とてもとても静かだった。彼女は、そこで雪のひとひらの生をはじめた。

 雪だるまのひとひらになったり、後から降り続く雪の下に埋もれたり、しかし春になり、彼女はとけてながいながい旅に出る。谷川からだんだん大きな河に入り込み、途中水車でまわされたり、火事を消すホースの中に吸われたり、下水溝から再び大河に流れ込み、そして大海原へ。その間、雨のしずくと結婚しこどもができ、しかし雨のしずくとは死に別れ、大海原に入る前に子どもたちと別れ、そして大海原を漂ううちに熱帯地方で、彼女は昇天する。

 人の一生を暗示するような雪のひとひらの生。その生が、美しいことばに囲まれてたどられていく。そしてその生は、造物主のまなざしのもとで展開されていく。途中、彼女は、何故に私はこの世界に生まれてきたのか、という問いを繰り返す。私とは何か、私の生とは何か。その問いに、造物主は応えてはくれない。造物主は「沈黙」を守る。

 しかし彼女は、昇天を前にして、思う。

 「むなしく生まれてきたのではなかった」

 「雪のひとひらは、自分の全生涯が奉仕をめざしてなされていたことを悟りました。彼女は野の花をうるおし、蛙を憩わせ、魚を泳がせ、人々のパンのために水車をまわし、火事を鎮め、巨大な艦船の運航をたすけたのでした。生まれおちてこのかた、彼女の身に起こったあらゆることどもの裏には、何とまあ思慮深くも周到な、えもいわれず美しくこまやかで親身な見取図がひそんでいたものでしょう。いまにして彼女は知りました。この身は、片時も、造り主にわすれられたり見放されたりしてはいなかったのです。」(96~7)

 「だれひとり、何ひとつとして無意味なものはありませんでした」(98)

 彼女が消えるとき、彼女はなつかしいやさしいことばを聞く。

 Well done,little Snowflake.Come home to me now.

矢川澄子さんの訳は、「ごくろうさまだった、小さな雪のひとひら、さあ、ようこそお帰り」。

私は、「よくやったね、小さな雪のひとひら、いま、帰ってきたのだね、お帰り」。

 美しい文、雪のひとひらへのやさしいこまやかな愛情、字のつながりが、こころを洗う。

 キリスト教の信仰を背景にした短い物語ではあるが、生を考える契機にもなる。

 Well done よいことばだ。私はキリスト教徒ではないから、造物主はこういうことばをかけてはくれないだろう。だが、私は、自分自身に向けてこのことばがかけられるような生をおくりたいと思う。

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【本】松島泰勝『琉球独立宣言』(講談社文庫)

2017-03-13 09:20:49 | その他
 本書は、文庫本の書き下ろしである。松島には、すでに『琉球独立への道』(法律文化社)があるが、本書はそれを土台にしながら、簡便に琉球独立の必然性を語ったものである。

 第一章 もう独立しかない・・
 第二章 どのように独立するか
 第三章 そもそも琉球の歴史とは
 第四章 独立したらどうなる
 第五章 琉球独立宣言

 第一章の「もう独立しかない」という結論は、辺野古新基地建設問題や沖縄平和運動センターの山城議長の超長期勾留に見られるように、沖縄は、日米の植民地状態にあることを前提とする。かつて植民地にされていた地域が次々と独立してきたように(それは第二章で検討されている)、沖縄も独立すべきである、ということにつきる。

 沖縄が、1879年の琉球処分以降、いかに人間扱いされてこなかったか。翁長知事等が東京をデモ行進すると、「日本政府に楯突く者ども」という無理解の暴力的なことばが投げつけられる。日本には、政府が行うことはすべて正しいという、狂信的な者がネトウヨを含めてかなりいるようだ。
 沖縄の人々が、現状を訴え、これはひどいではないか、と主張しても、本土政府から、日本国民から一貫して無視されてきた。

 第三章に記されているように、沖縄は琉球王国として独立国として長い間存続してきている。それを暴力的に、軍事的に、明治政府によって琉球王国が「大日本帝国」に包摂されてしまったのだ。沖縄は独立国であった、その国が「大日本帝国」の植民地として存続し、第二次大戦後は日本政府とともにアメリカ軍の植民地支配が二重に覆い被さってきたのである。それは不当だという、沖縄の人々の訴えは、しかし無視され続け、カネをあげればいいだろうとばかりに、さらに本土資本の餌食とさえされてきた。

 これでは独立するしかない、という結論が導き出されるのは当然だろう。

 第四章は、独立後の琉球の未来像を示している。琉球独立は、夢物語ではなく、現実に可能であることを第二章とあわせて、証明していく。

 本書は、沖縄の人々の苦渋の訴えである。本土の日本国民を覚醒させるためにも、沖縄は独立するのだという、本土住民に向けた宣言でもある。

 大部の本ではない。本土国民は、本書の訴えを聞かなければならない。


 
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