福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

神道の新しい方向、折口信夫・・3

2017-02-28 | 法話
一体、日本の神々の性質から申しますと、多神教的なものだといふ風に考へられて来てをりますが、事実においては日本の神を考へます時には、みな一神的な考へ方になるのです。
たとへば、沢山神々があつても、日本の神を考へる時には、天照大神を感じる。或は高皇産霊神を感じる、或は天御中主神を感じるといふやうに、一個の神だけをば感じる考へ癖といふものがあります。(天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は、『古事記』では、天地開闢の際に高天原に最初に出現した神であるとしている。その後高御産巣日神(「たかみむすび」、「高皇産霊」は日本書紀の表現)、神産巣日神が現れ、この三柱の神を造化三神という。)


その間にいろ/\な神々、最も卑劣な考へ方では、いはゆる八百万の神といふやうな神観は、低い知識の上でこそ考へてゐますが、われ/\の宗教的或は信仰的な考へ方の上には、本当は現れては参りません。日本といふ国の信仰の形は、さういふ風があると見えて、仏教の側で申しましても、多神的な信仰の方面を持ちながら、その時代々々によつて、信仰の中心は、いつでも移動してをりまして、二・三或は一つの仏・菩薩が対象として尊信せられて参りました。釈迦であり、観音であり、或は薬師であり、地蔵であり、さういふ方々が中心として、信じられてゐたのです。これが同時に日本人の信仰の仕方だと思ひます。

日本人が数多の神を信じてゐるやうに見えますけれども、やはり考へ方の傾向は、一つ或は僅かの神々に帰して来るのだと思ひます。今日でも植民地に神社を造つたその経験を考へて見ますといふと、皆まづ天照大神を祀つてをります。この考へ方はおそらく多くの間違ひ――多くの植民政策を採る人の間違つた考へを含んでゐた、或はそれを指導する神道家が間違つた指導をしてゐた、といふことを意味してゐるのでせうけれども、やはりその間違ひの根本に、さういふ統一の行はれる一つの理由があつた。つまりどうしても、一神に考へが帰せられねばならぬところがあつたのだと思ひます。
それで、われ/\はこゝによく考へて見ねばならぬことは、日本の神々は、実は神社において、あんなに尊信を続けられて来たといふ風な形には見えてゐますけれども、神その方としての本当の情熱をもつての信仰を受けてをられたかといふことを、よく考へて見る必要があるのです。千年以来、神社教信仰の下火の時代が続いてゐたのです。例をとつて言へば、ぎりしや・ろうまにおける「神々の死」といつた年代が、千年以上続いてゐたと思はねばならぬのです。
仏教の信仰のために、日本の神は、その擁護神として存在したこと、欧洲の古代神の「聖何某セントナニガシ」といふやうな名で習合存続したやうなものであります。
われ/\は、日本の神々を、宗教の上に復活させて、千年以来の神の軛クビキから解放してさし上げなければならぬのです。こゝに新しい信徒に向つては、初めてそれらを呼び醒さなければならないでせう。とにかくさうしなければ、日本の只今のかういふ風に堕落しきつたやうな、あらゆる礼譲、あらゆる美しい習慣を失つてしまつた世の中は救ふことが出来ません。また、そればかりではありません。日本精神を云々する人々の根本の方針に誤つた処が、もしあつたとしたなら、この宗教を失つてゐた――宗教を考へることをしなかつた――、宗教をば、神道の上に考へることが罪悪であり、神を汚すことだと、さういつた考へを持つてゐたことが、根本の誤りだつたらうと思はれるのです。だからどうしてもわれ/\は、こゝにおいて神道が宗教として新しく復活して現れて来るのを、情熱を深めて仰ぎ望むべきだと思ひます。

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