貴族政治と言われている平安時代でさえ、飢饉疫病に際して大乗経転読に加えて給付金や減税をしていました「脩徳は虚ならず」としています。
日本後紀 / 大同三年(808)五月辛卯(10)条
「辛卯 (平城天皇)詔して曰く ・・・ 頃者天下諸国 飢餒繁に興る 疫癘相尋ぎ 多く夭折を致す ・・・ 其の畿内七道。飢疫を言上せる諸国は 今年の調 宜しく咸く免除せよ 仍ち国司は親しく郷邑を巡し 医薬営救せよ 兼て国分二寺をして大乗(経)を一七箇日転読せしめよ。 左右京も亦た宜しく使を遣はし普く振贍(しんせん・贍(た)らざるを振(すく)ふ)を加へよ 庶幾(ねがはく)は善を為し効あらしめ困窮を済ふに畝糧をもってせよ。脩徳は虚ならず・・・」
出曜經に「人欲脩道當離家業。除去憍慢不興想著。乃得惠施不望其報。謙恭卑下脩徳之本。輕人貴己殃禍之災。是以教人閑靜之處。然後乃得脩於道眞。