=118 ~木の因数分解~(家具工房つなぎブログ)

南房総でサクラの家具を作っています。ショールーム&カフェに遊びにおいでください。

旅の終わり

2009年03月18日 | 【出張】木を感じる旅~西日本編~
(2009年3月18日 東京湾アクアライン海ほたるのカフェより)

約20日間の「木を感じる旅 ~西日本編~」
が終了しようとしています。

今回は、学校が始まるまでの時間を利用して、

・木の現場をたくさん見る
・現場とは、工房だけでなく、伐採現場や製材現場、また販売現場も含む
・きっと専門的なことはあまり理解できないが、感じることをしたい

そんな目的の旅でしたが、
なかなかいい旅だったかなと思っています。

それもすべては人のおかげ
旅先で出会った方々、
どこの馬の骨ともわからない私に熱心に説明してくださった方々
人を紹介してくださった方々

やっぱり何をするにも人のつながりが一番ですよね。

大変遅くなりましたが、この場をお借りして皆様に改めて感謝申し上げます。

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※訪問者へご連絡※

2009年03月17日 | 【出張】木を感じる旅~西日本編~
この度、3月中旬まで「木を知り木を感じるための列島半北上木の旅」を決行しております。

道中のいきさつは随時携帯メールで更新していく予定ですが、
まとまった内容のものは後日パソコンから投稿していきますので、内容が前後することがあるかもしれません。
予めご了承ください。

管理人
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はたなか(尾鷲)

2009年03月17日 | 【出張】木を感じる旅~西日本編~
(2009年3月17日)

尾鷲産のトチノキをメインに使った家具工房です。
トチノキだけの家具屋さんなんて珍しいですよね。
私も初めてまじまじと見る栃の木の複雑な木目にうっとりです。トチノキは適度な堅さですが、複雑な木目のとおり、部分部分に堅い箇所があり昔から鉋の刃こぼれがおきやすく、「大工泣かせ」な木であったそうです。
しかし、尾鷲周辺のトチノキも現在は伐採禁止になっており今後はより希少価値が出てくるものと思われます。

一方、ショールームの端に数点置かれたヒノキの作品に私は目を奪われました。
ヒノキの白さとその醸し出す清潔感がなんともいえません。実際家具にするにはやはり強度が弱いようですが、なんとかヒノキの家具というものも工夫してみたいと思いました。
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尾鷲森林組合

2009年03月17日 | 【出張】木を感じる旅~西日本編~
(2009年3月17日)

尾鷲ヒノキという銘木を皆さんご存知ですか?

大変申し訳ないのですが、私はこの銘木を知らず木曽ヒノキ等と異なるこの尾鷲ヒノキという渋いブランドに興味を持ち「森林組合おわせ」を訪れたのでした。

私が訪れたのは、森林組合の中でも製材加工をしている「円柱加工場」で、一級建築士でもある濱田様がご説明をして頂けました。
場内は私の大好きなヒノキの香りで一杯でシ・ア・ワ・セ!


さて、尾鷲ヒノキの特長をあげる前には、順を追っていかなければいけません。

【尾鷲の地形、気候、植生】
・非常に峻険な山が海岸まで迫っており、林は急勾配
・言わずと知れた「日本一の降雨量」の地
 ※町の方に聞いてみると、雨の日も多いし雨量も多いとのことです。一昨年あたりの台風のときは、「みるみるうちに」、「信じられないでしょうけど」「本当にみるみるうちに」胸元まで洪水になったと興奮気味に語って頂きました。
・そのため温暖湿潤でシダ類が繁茂

これらの条件があって、尾鷲ヒノキが育てられれています。

【尾鷲ヒノキの育成】
・峻険な山地のため、比較的栄養の少ない土地でも育つヒノキが選定されている
 ※民有林のおよそ7割がヒノキで占められ、スギは4%足らずで他県との違いが明確
・植付本数8000~10000本/haという密植を行っている
・これはシダ類などの下層植生の成長が早いので、それに負けないように早めにヒノキの林を作る
・密植することで地域の雇用を創出している
・植付10年後あたりから弱度の除間伐を繰り返し(30%ずつ行っていく)、およそ20年が経過し5メートル以上に成長したあたりからは、今度は林の栄養分を蓄えたり土壌の流出を抑えるためにシダ類の繁茂に適するように林をきれいにしていく

【尾鷲ヒノキの特長】
・温暖湿潤な気候のため冬でも成長し、年輪の黒目の部分(冬に成長している部分)が厚い
・そのため身が締まっていて、重く、耐腐食の強度が高い
・板には赤みやピンクの部分もある(木曽ヒノキは夏に成長する白い部分でほとんど占められている)

・香りも特殊(木曽ヒノキとは異なる)
 ※削ったり水分に浸すと香りが復活するので、入浴木としても最近販売中

【尾鷲ヒノキの活用】
・建築材の柱
・部屋の扉枠など造作材
・その他建材

なんでもそうだと思いますが、高い単価で販売できる材から優先的に選別し加工していて、比較的大量のスギに対し少量のヒノキを有効に活用するという意図が強いと思いました。

たしかに実際のヒノキを見てみると、スギに対して成長が緩慢なことがわかります。それだけ貴重な材であることは確かです。
濱田様は今後一層ヒノキの付加価値を活かした販売の拡大を目指していかれるそうです。
私も大好きなヒノキの香りが日本に溢れるように期待しています。

濱田さん、お忙しい中ご説明ありがとうございました。


◆樹齢100年くらいからの材
2番玉(根元から丸太を切った2番目くらいの部分。高さ6メートルくらい?)で、直径30~40センチくらいでしょうか。



◆20年~30年のヒノキ



◆熊野古道センター

濱田様にご紹介頂いた、オールヒノキの大型建造物です。



◆スギとヒノキの違い
森で実物を見れたことと資料によって、今回の旅のひとつの目的であった「スギとヒノキの違い」もわかるようになりました。これは私にとって非常に大きなことです。

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根来塗りの根来寺

2009年03月15日 | 【出張】木を感じる旅~西日本編~
(写真:庭園の建物内にあった小さな仏様)

岸和田行くのに、海側を通るよりこっちの山のほうが近そう。

この投稿のカテゴリーどおり、まさしく「木のむくまま」通過したのが根来寺。

そういえば、この前お会いした前の会社の方が言っていました。

「私、最近根来塗り非常に興味持ってるんだよね。行きたい」

と。

「すいません、先に行かせて頂きます」

と心の中で軽く謝り、根来寺に向かいました。


根来寺で一番有名な建物は、国宝の大塔。
とにかくデカイ搭です。
普通の大きなお寺の本殿に、二層目をつけて搭にしてしまったと思うくらいの大きさです。


重そうな二層目の軒を支えるために棒がありますが、この棒は法隆寺などにもありましたが創建当初はなく後世にその補強として入れられていたそうです。
しかし、お寺の方に聞いたら「こちらの搭は創建当初からあるんですよ。設計ミスで重くなってしまったんですって」と教えて頂きました。

昔の匠もミスしちゃうんですね。そこがなんだか人間味があって気に入りました。

しかし、その大塔の壁には「豊臣秀吉の弾痕」もあり、歴史の厳しさも同時に感じます。

「俺、当時ここに立っていたら撃たれていたな」
などと、どうでもいい想像を働かせるのでした。

春を目の前にやけに寒い一日で、小雨がぱらついていましたが霞んだ山寺の雰囲気がまたいとおかしでした。

しかし、残念ながら根来塗りの伝統については、上記歴史の中で各地に飛散、伝承されましたが、逆にここ根来寺にはそれほど多くの伝統は残されてはいないようでありました。
残念。


◆お地蔵さんも寒いのかな?帽子かぶらされています。
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大きな木のおもちゃで遊ばせてもらってるんですから

2009年03月15日 | 【出張】木を感じる旅~西日本編~
(2009年3月15日)

「俺達、一年に一回、大きな木のおもちゃで遊ばせてもらってるんですから」

祭りをやるためにはだんじりが必要。
だんじりを作るためには木が必要。
その木が今、どんどんなくっている!

そんな事実を前にして、100年後のだんじり祭のために木を植える活動を始めた人がいる。

それが萬屋さんの「泉州だんじりの森プロジェクト」です。

だんじりは部位によって使われる木材が異なります。

・本体・・・ケヤキ
・前梃子・・ヒノキ
・車輪・・・アカマツ
・後梃子・・シラガシ



折からのだんじり新調ブームですが本体のケヤキ材は国内では既に希少になりつつあり、
(だんじりの重さは約4トン、材料はそれの3倍のケヤキが必要なそうです)
車輪に使われるアカマツも昔は地元泉州でとれていたものが今はなく県外に依存している状況だそうです。

特にこの車輪、地元ではコマと呼ぶそうですが、この利用量にびっくり。
私の常識では数年とか10年に一度くらいで交換すればいいものかと思っていたら、なんと寿命は走行距離10キロだとか。
したがって、祭礼中に履き替えを行い、一町内で一年に6~10個のコマが消費されているそうです。
泉州にはおよそ270台のだんじりがあるそうなので、年にすると1600個くらいのコマが消費されているというからこれはもうただごとではありません。

「俺達、一年に一回、大きな木のおもちゃで遊ばせてもらってるんですから」

そう言う「泉州だんじりの森プロジェクト」代表の萬屋さんの言葉に大変共感しました。

→泉州だんじりの森プロジェクトブログ
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「摂河泉の神賑わい」

2009年03月15日 | 【出張】木を感じる旅~西日本編~
(2009年3月15日)

「摂河泉の神賑わい」は、岸和田市を中心に今年2回目を迎える祭礼に伴う伝統文化を紹介していくイベントで、
今年は「摂河泉」とあるとおり、摂津、河津、泉州という大阪府全体に範囲を広げました。

時間も、12:30~21:00までとボリュームたっぷりの内容でした。

冒頭、民の謡の森田さんより、

祭礼とは、神事と神賑から構成されていて、
→神事・・・「神様を祀る」・・・・例祭式、神輿・・・・・・・・神様中心
→神賑・・・「神事を盛り上げる」・だんじり、獅子舞、相撲・・・人中心

というわかりやすい説明があり、各地にあるだんじりや山車、獅子舞なども形は違えど、神事を祝い盛り上げるための活動だという共通点が理解できました。

中でも面白く希少であったプログラムが「彫物師の座談会」です。

彫物師はだんじりを支える裏方になる方々で、普通お会いすることもなかなかできないと思います。
しかも壇上にあがった皆さんは、まだお若いんですね。30代40代です。まずはこれにびっくり。

しかし壇上にプロジェクターで映し出される彼らの作品、「合戦もの」の彫物は迫力感と緻密さに溢れていて間違いなく匠の技を感じます。
正直どうやったらこんなものが彫れるのかと思ってしまいます。

正面土呂幕の超立体的な彫物は5枚くらいの板を重ねて、レイヤーのような要領で見せているそうです。
この部分は、匠が合計4ヶ月くらいの時間を費やして完成させるそうです。

最近は、施主さんである町内からの要望も多く資料持参が増えてきているそうです。
彫物の大事な部分はバランスで、
もちろん史実に基づいていますが構成によっては歴史では対面していない武将同士を同じ板内に登場させ彫物を盛り上げていくそうです。

また岸和田では、講談といってだんじりの彫物を使ってそのエピソードを紙芝居のように聞かせる催しも行っているそうです。
これは目と耳で学習でき、地域の財産だんじりを有効活用しているとてもいい事例だと思います。

最後は岸和田出身の3名が、本日の会をまとめるのですが、ほとんど岸和田のお話に終始。
当たり前ですよね、これだけ岸和田の祭りが好きなんですから。
ややもすると外の居酒屋で見かけそうな会話かもしれませんが、私の地元の飲み会もこのような雰囲気です。祭りのことだけで一晩話し続ける。
とてもいいことだと思います。

「だんじりを曳き疲れて道路に座ったときの角度から仰ぎ見たあの彫物がなんとも言えぬ。彫物師は、この角度を計算に入れていたに違いない。」
とか。


そして本当に最後、森田さんの言葉で共感した点が2点。

「笛の旋律が甘くなったり、掛け声が変わってきている。守るべきものは守り、『変わる』のではなく、意志を持って『変える』ことをしていきたい。」
「神賑から神をとったら単なる賑わい、イベントになってしまう。そのようなことはしてはならない」

祭りをはじめあらゆる物事に通じる大事な考えだと思いました。
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創造的破壊? 「岸和田だんじり祭」

2009年03月14日 | 【出張】木を感じる旅~西日本編~
(2009年3月14日)

祭りと言えば、「岸和田だんじり祭り」と答える日本人も多いと思う。
そのくらい有名な岸和田だんじり祭りは、交差点を勢いよく曲がっていく「やりまわし」がテレビの放送でもよく流れ、
とりわけ有名だが、私は「やりまわし」の他にも「彫物」や「お囃子(鳴物)」も特筆すべきものだと関心を持っていて、
昨年「平成地車見聞録」というだんじりの鳴物や当日の様子を音だけで捉えた、ある意味マニアックなCDを購入しています。

祭りのハードの部分である「だんじりの形と彫物」、
ソフトの部分である「やりまわしと鳴物」が高度な次元で融合し、
またそれらを担い伝承していく地域の「人の力」が素晴らしいと考えたわけです。

昨日、岸和田に着いて「だんじり会館」を見学し、
またそこで急遽紹介していただいた本日のイベント「摂河泉の神賑わい」に参加して、そのパワーを実感することができました。

ある岸和田人いわく、「だんじり祭りが一番。しかも一番の前に必ず絶対がつくから」と、
いかにも大阪人らしい表現が真であることの理由は、
「平成の世になってから既に泉州地域で100台以上のだんじりが新調された」という事実に集約されていると私は思います。

最近の金融危機はさておき、この平成という価値観が多様化した現代において、
「1台1億円以上」
の費用を要するだんじりの新調を地域住民の寄付によって実現させてきました。

新調する理由は、
もちろん中にはだんじりの老朽化もあるようですが、
何人かのお話を聞いてみると

「新調したほうが盛り上がるから」、
「気分がいいから」、
「立派なだんじりにしたい」

といった至極積極的な理由です。
私の地元、いや日本のほとんどの地域がだんじりや山車、屋台を所有していても、昔の1台を大事に使い、
現代において絶対的な必要性がないのに新調するということを考えている地域はほとんどないと思います。

昔のものを使い続けるのではなく、新しいものを作り出す。
この精神と行動が、私は岸和田だんじり祭りを世界有数のお祭りにしている所以だと考えます。



新調することによって大工、彫物師はたまた提灯やその他祭礼道具の職人に仕事が生まれ、仕事の存在によって技術が磨かれ、後輩へ技が伝承がされ、さらに新しい創意工夫が生まれてくると思うのです。

また当然新調するにあたって各町内は寄合を重ねることで地域の結束が強まっていくそうです。

(だんじり会館でだんじりの模型の上で舞いの真似をする子供)

「形あるものはいつか滅ぶ」

というのは世の条理です。とりわけお祭りにおけるだんじりの曳行ややりまわしは、そもそもものが壊れていくことを前提としているかもしれません。
それを積極的な新調によって常に新陳代謝を繰り返していく。
そうすることで、実は祭りの心と人々の結束を永続させていくことにつながっているのだと思いました。


(市内の洋服店で見かけた だんじりの屋根の形をしたハンガー)
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ジョージナカシマ記念館

2009年03月12日 | 【出張】木を感じる旅~西日本編~
1.木から始めること
2.木を知ること
3.木のこころを読むこと
4.木と対話すること

ジョージナカシマさんが大事にしていたことです。

ジョージナカシマさんは有名な日系アメリカ人の木工家で、そのコノイドチェアは家具好きな方なら見かけたことはあるでしょう。私にとってはアンバランスなくらいの大きさの肘掛板や、少々長めの天板を持ったサイドボードなどのデザインが印象的で、実はそれらがアンバランスのようで調和しているというところが好きです。

そのジョージナカシマさんの世界で唯一の記念館があります。

広いスペースに作品というべきか商品というべきか、たくさんの椅子やテーブル、棚が置かれています。同じタイプの椅子でも昔に作られたものと現在に作られたもの、アメリカで作られたものと日本で作られたものなどが存在し、ジョージナカシマ好きには見るところ満載です。

スタッフの説明を聞きながら、

・たしかにサンダー仕上げの米製と鉋仕上げの日製での違う雰囲気
・2本、3本、4本の脚を持つ椅子のバリエーション
・中でも2本脚で有名なコノイド(疑円錐型)チェアの2本脚は動かしやすく、日本の畳用であったこと
・またコノイドチェアは「ドウツキ」が2箇所で製作をスムーズに行うことができ、製作者のことが考えられていること
・同じく有名な3本脚のミラチェアのミラとは娘さんの名前であり、彼女の成長に従って椅子の脚が短くなっていく椅子が何点もあり、ジョージナカシマさんが大事にしていた「家族」を感じられること
・テーブルの脚にこだわり、特にテーブルの定員を超えてもみんなが座り団欒しやすいデザインになっていること

といったポイントを学ぶことができました。


さて、このジョージナカシマ記念館その所在ですが、高松の桜製作所にあります。
創業60年を誇り職人さんの手仕事を大事にしてきた家具工房です。

今日はこの桜製作所の企画室長の河崎さんにお話を聞くことができました。

とにかく「作る」ことに徹している桜製作所の職人さんは、直接ジョージナカシマさんとお仕事をした世代と、これからの桜製作所を担っていく若手で構成されており、分業を主体に職人の技が磨かれていきます。

非常に面白かったのは、「残業なし」の社風。
社員である職人にとっても会社にとっても有益ではない残業は原則なしという社風で、夕方17時には工房が閉められています。

その一日の業を終え静まった工房を覗かせて頂くと、やっぱり全員が帰られたわけではなく一人の若者が作業をしていました。なんでも自分用の道具箱を作成しているとのこと。割といい木目の材を利用しているということで「そうなんですよ、先輩からいじめらるんですよ」と冗談を言い笑いながら話している。すると、そんな先輩の一人でしょうか、また一人の職人さんが現れ、「しゃーないな、手伝ってやるよ」と言っています。
とても楽しそうな仕事の後の工房でのやりとりです。

また工房での職人さんの棚を拝見させていただくと、

「おー、なんだこの鑿は!」

砥ぎに砥がれて、その刃はピカピカに光っていますが重みのある色で、その形状も磨り減り細っているというよりは絞り落とされた凹凸のあるアスリートの肉体のような造形です。
また鑿も鉋も整理整頓され、職人はそれぞれ自分で自分の道具を作ったり、道具を収納するものを作られていました。
前職ですがご自身職人の経験のある河崎さんも、いい仕事をする職人は、道具を大切にし、道具を自分で作り、そして現場がきれいと言っています。

企画室長という肩書きでありながら自らを「何でも屋」と称する河崎さんは、企画から営業、特別なお客様の送迎までオールラウンドに活躍されており、中でもすごいところが会長が最終判断をされる木取りの候補を選び出すことをされていることです。何人もの木工家のお話をお聞きしても最も難しい部分が木取りであると私も何回も聞いてきました。それをわずかな時間の中で学びつつあるところが素晴らしいです。80歳になられるという会長様のお眼鏡に適う木取りとは?図々しくそのポイントをお聞きしようとした私ですが、なかなか言葉では言い表せないそうです。ある意味感覚のところがあるのでしょう。

なんといっても桜製作所の木材のストックはすごいですから、その何千枚?何万枚?もあるかという板を毎日毎日、思考を交えて見つめていると、やがて「量は質に転化する」のでしょう。そうした優良で豊富な材に囲まれれる環境にある河崎さんをうらやましくもありましたが、実際の仕事はそう甘くはありません。イメージした家具にマッチする板を引っ張り出してはサイズを見たり木目を見たり、これでもないあれでもないと来る日も来る日も倉庫での格闘が続くこともあるそうです。3日間血眼になって探し続けて4日目にひょっと見つかることもある。そんな仕事でもあるそうです。

この材置き場は確かに工房の裏の倉庫ではありますが、ご自身の目で直接材を選びに来られるお客様が足を運ばれる場所でもあります。そして実はそのときが、お客様が家具を購入するプロセスの中で最も興奮されるところでもあるのです。自分でたくさんの木の中から好きな木目、ときにはクセのある穴あきの材など、個性のある木と出会える場所、それがこの材置場。だからその場をどうやってお客様にとって最高の場所にしつらえるか、どうやってお客様に喜んでもらえるように対応するか、これに河崎さんは強い使命を持って取り組んでいます。同時に多くの時間を費やして材を選び木取りをした板を披露させていただける河崎さんにとっての華やかな舞台でもあるそうです。

新分野の製品企画にも余念のない河崎さんを筆頭に、今後の桜製作所の新たな成長が楽しみです。

これから夜の部が始まりますが、まずは昼の部について、河崎さん本当にご対応ありがとうございました。

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Don't think,Feel!「イサムノグチ庭園美術館」

2009年03月12日 | 【出張】木を感じる旅~西日本編~
(写真はイサムノグチさんのイニシャルロゴ)

DEWの今井さんがオススメしてくれましたが、
「往復はがきで事前予約要」って、どんな美術館なんだろう?
と思って、予約しておいたイサムノグチ庭園美術館

午前10:00.
10名ほどの定員で、定刻どおりツアーのスタート。

とにかく「インスピレーションを感じてもらうこと」が目的なこの庭園は、
イサムノグチさんの生前そのままの姿を保持し、説明板なども一切ない。
またイサムノグチさんの作品には自由な感性を促すために題名のついていない作品も多い。

源平の戦いで有名な屋島と五剣山に囲まれたもの静かな地に古い蔵や民家を移築され、屋外に置かれた石の作品群と合わせた空間すべてが美術館という設定。

はっきり言って挑まれているのだろうか?
「君は何を感じるのか?」

「石って木とまた違った素材で味があるなぁ」と思う以外、残念ながら凡人の私には「ピーん」というインスピレーションは訪れなかった。

でも、最初は石のオブジェと思ってなんとなく眺めるしかなかった作品を30分も見ていると、作品のところどころが気になってくる。
「この石の感じ、この切り口って結構いいなぁ」

はっきり言って「見ている」だけで、未だ「感じるレベル」になんか到達していないわけですが、
でも、少しでも「いいなあ」と思えたことを手帳にスケッチできたことはうれしい。

ここは、この先、来るたびに、時間が経過するたびに、また違う何かを伝えてくれるのかもしれない。

そんな期待を持つことができました。
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