=118 ~木の因数分解~(家具工房つなぎブログ)

南房総でサクラの家具を作っています。ショールーム&カフェに遊びにおいでください。

緑のゆくえ アートチャレンジ

2020年05月25日 | 【海外出張】パキスタン編
「10日間アートチャレンジ vol.10」

中国大同「緑のゆくえ」


アートチャレンジも本日が最後となりました。
お付き合い頂いた皆様ありがとうございました。
偶然にも緊急事態宣言の解除とともに終了です。

人間とウイルスの構図は何一つ変わっていないわけで時期尚早な気はしますが、
背に腹は代えられない経済の問題もあるのでしょう。
したがって「アフターコロナ」「ウィズコロナ」について早くも動き出さなければいけないような状況ですが、
私の頭の中はもう少しゆっくり考えさせてほしかったなぁというのが実感です。

人が自らの移動距離を誇ることはもうないでしょうし、
地産地消という掛け声よりも深い意味でのブロック内での経済循環を高め(グローバルとの繋がりを持ちながら)、
個人的には今以上に自分が気持ちがいいと思える人との仕事ができて、
自給というスタイルをもう少し生活に取り入れていきたい(これは個人で完結ではなくて仲間やエリアでできればいい)
そして大本の経済システムや政治といったものも変わっていくのではないだろうかと。
こんなことがモヤモヤとは浮かんできますが、
これから目指すビジョンを明確に描き、具体的な行動目標まで落とし込んだ絵はまだ描けていません。

まとまりのない話になりましたが写真については、
最後はやっぱり笑顔の写真を選びました。
すでに何人かに真面目に突っ込まれていますが「自撮り」ではありません(笑)
砂漠化が進行している黄土高原の緑化活動でよく訪れた山西省大同での一枚。
当時植林した苗もすでに20数年が経ち、
枯れてしまったものもあるかもしれませんが、
少しは緑が増えていればいいなと思います。
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裏石林

2020年05月24日 | 【海外出張】パキスタン編
「10日間アートチャレンジ vol.9」

再び中国へ「裏石林」


その村の名前を知らない。
私がどうしてその村を知ったのか、
なぜ向かうことになったのか、
正直さだかではない。

その村は観光客がごった返す世界遺産「石林」から少し足を延ばしたところにあったが、
なにぶん普通の村なので、観光バスなどなく住民が日々の交通に使っている乗合タクシーで向かう他手段がなかった。
名前も知らないその村は、
石林よりはいくぶん控えめだが同様の奇岩が連なり、
麓に広がる湖を初めて目にしたとき、私はとても神々しさを覚え「仙人が住んでいるのではないか」と衝撃を受けたことを覚えている。
まるで自分が何か重大な発見でもしたかのように。
そしてこの地を日帰りで離れることはできないと決意し、
興味のままに散策し日没までこの村を堪能した。

ただ決して考えていなかったわけではないのだが、
日が落ちた村に乗合タクシーはやってこない。
観光地でもなんでもない村には宿もない。
あるのは小さな商店が一軒のみ。

電灯もろくにない村が暗くなるにつれ、私は少々、いやかなり心細くなった。
野宿をするのにはさすがに危険を感じ、
考えられる手段は、村に一軒の商店に宿を頼むしかない。
見ず知らずの人と一夜をともにするのはそれなりに緊張したが、
それは宿主も同様であったであろう、感謝しかない。

翌朝一番の乗合タクシーで私はこの村を去ったが、
本物の石林よりも自分の心に感銘を残してくれたことは間違いなく、
自分だけの秘密の「裏石林」と勝手に名前をつけていた。
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天地人 フンザの少女

2020年05月22日 | 【海外出張】パキスタン編
10日間アートチャレンジ vol.8」

「天地人」


自分が危険を冒してまで向かったパキスタンの目的地、
それはヒマラヤの六千、七千メートル級の山々に囲まれた谷「フンザ」。
春に訪れれば杏の花が咲き乱れ、そこはまるでこの世の桃源郷とも、
ナウシカの風の谷の舞台ともいわれている地だ。
昔旅先で出会った人からその谷の存在を聞いた私は、10年以上もの時間憧れを持ち続け、
ようやくフンザへの旅程を立てることができた。
首都イスラマバードから未舗装道路を含め30時間くらいの過酷なバス旅を経ての到着。
が、例年より寒冷だったために杏の花の満開には数日早かったのだが。。。まぁこれも旅です。

写真はその谷で撮影した一枚。
少女が真剣な顔で杏の花に手を伸ばし、よく見れば足元には石ころまで積んでいて
「あともう少し」って思わず言ってしまったかもしれない。
実は被写体を見つけてから撮影までほんの数秒の猶予しかなく、
私の写真歴の中でも最速のクイックモーションを求めれたと記憶している。
マニュアルカメラの露出とフォーカス、フレーミングを合わせながら、
最適な瞬間にシャッターを押す、「そう、彼女の手が伸び切った瞬間」だ。
手応えはあったものの、フィルムカメラゆえその成否が判明したのは帰国後に現像してからであったが。

「天地人」
とはそもそもの意味やいろいろな例えがあるだろうが、
私は自己流に写真撮影にあてはめ、
好きな写真が撮れたときはいつも「天地人が合わさったな」なんて思っている。

「地」は、例えばきれいな風景や趣のある街並みなど撮影スポットであるが、実はその場にいるにはそこへ赴く意思が必要であり、
さもなくば写真を撮ることはできず、当たり前のようだが現場性という写真にとって最も大切な要素だと思っている。
そのうえで、私は風景だけの写真よりは何かしら人が映っている画が好きなので、
「人」は、まさしく人。しかもその風景やシーンにはまるお爺さんだったり子供だったりが、
どこからかともなく現れてくれることが多かったので自分はとてもラッキーだった。
そして「天」は光の具合を含めそれらが融合する一瞬のタイミングではないかと解釈し、
その結晶が一枚の写真としてフィルムに焼き付けられている。

なんて言ったらちょっとかっこつけすぎで笑われるかもしれない💦
でも現代では4K?8K?の動画を回し続け、あとからお気に入りの静止画を切り出せばそれで事足りる時代のようであるから、
まったくもって過去のロマンチシズムであろうと自覚しているのでお許しいただきたい。
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パキスタン「誤算の先入観」

2020年05月19日 | 【海外出張】パキスタン編
「10日間アートチャレンジ vol.7」

いざパキスタンへ「誤算の先入観」


2009年当時の話だが、連日の自爆テロの報道により私は入国する前からガッチガチ。
少しでも西側諸国の人間と思われてはいけないと、
目的地に着くまでは、できるだけ人と関わらない、会話しないとだんまりを決めこんでいた。
でもどうしたって腹はすく、飯は食べないといけないから街の市場に出てみる。
すると私は感じた。そして街の人との何度かのやりとりから「この人たちすげー親切」ということをほどなく理解した。
先入観というものがいかに無用でいい加減なことかということを知る。
ただ一方でイスラマバード滞在中私がチェックアウトしたホテルから数百メートルのところでも自爆テロが発生していることもまた事実。

旅の途中のドライブイン、トラックで移動する家族を見かけた。
遠くを見つめる弟の視線はなんだか大人っぽく、
そして私を見つめる姉の視線は刺すようにするどい。

先入観は無用だが「この国には拭い難い厳しい現実がある」ということも忘れてはならないと思った。
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広い庭 モンゴル

2020年05月16日 | 【海外出張】パキスタン編
「10日間アートチャレンジ vol.6」

中国からお隣のモンゴルへ。題して「広い庭」


パオから出れば、そこは大草原。
塀や門なんてものはない
見渡す限りがその家の庭といってもいい。
でも遊牧の民の彼らには、
そもそも「自分の」「わたしの」なんていう偏狭な考えは持ち合わせていないに違いない。

大草原にポツン
空と地平線以外に見えるものはなく、
買い物や名所めぐりのスポットもない。
やるべきことも特になく、
ただひたすら自分の時間だけがある。
「草原以外なにもない」ということを目的に向かった旅だったが、
ある意味自分が試されることに。

恥ずかしい話、早くも半日くらいでギブアップした私だが、
「精神と時の部屋」へ迎えの車が来たのは二日後のこと。
少しは鍛えられたかもしれない。
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「胡同の日常」

2020年05月12日 | 【海外出張】パキスタン編
「10日間アートチャレンジ vol.4」

中国北京より「胡同の日常」

氷点下の冬がようやく去ったと思えば、
すぐに夏がやってくる、北京の春はほんとに一瞬だ。
埃っぽい北京の空気が多少なりとも落ち着き、
決して豊かとはいえない都市の緑も存在感を増してくる。
5月という時期はどこでも気持ちのいいものだ。

この一時私はこの胡同(北京の裏道や下町を指す言葉)に通勤していた。
というのも、
この胡同にある知り合いの画家さんのギャラリーをお借りして、
帰国を前に中国で撮影した写真展を開催するご縁を頂いていたからだ。
準備期間から開催期間中、少なくとも3週間から一か月弱くらい。

毎日同じ地鉄(地下鉄)に乗り、
同じルートでこの下町の通りを歩いていると、
移動売店のおばちゃんと馴染みになったり、
いつも同じところで門前歯磨きをしているおっちゃんとかに出くわすことがルーティーンになってくる。

当時の胡同はまだ下町の集団生活色が濃く、
たとえば町内のトイレは共同で「通称ニーハオトイレ」が健在、
様々な人々が密接な距離で濃密な日常を送る生活の場であり、
私はそんな風景を眺めているのが好きだった。

「アイよぉー」と言いながら鉄の軋む音を立てるブレーキをかけながら曲がっていく荷台付き自転車、
「トイヤァー」なんて言いながら、立ち話に花を咲かせるおばさんたち。
この写真を見れば、決して動画ではないけれど写真に映る細部のひとつひとつが、
当時の風景を鮮明にそれこそ動画のように私の頭の中で再生してくれる大好きな一枚です。

ちなみにこの胡同の名は「豆板胡同」。
そうあの豆板醤の。(※中国語では板が違う漢字になります)
現在も存在しますが、
残念ながら写真のような風景は既にありません。
とても幅の広い立派な道路になり、
高層ビルやアパートの立ち並ぶストリートへと変貌していることを
オリンピック後の2009年に確認済み。
そういう意味も含めて私にとっては大切な一枚ですね。

「在りし日の胡同の日常」
といった題名のほうが正しいかったかもしれません。



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お伽の国のバンビーナ

2020年05月11日 | 【海外出張】パキスタン編
「10日間アートチャレンジ vol.3」

本日はイタリアに飛びました。「お伽の国のバンビーナ」。

~
白い壁に石積みのとんがり帽子がのった可愛らしい建物の写真をご覧になられたことがあるでしょうか。
トゥルッリと呼ばれる建物で街中が溢れているイタリア南東部にあるアルベレベッロ。
そこはまさにお伽の国でした。

皆同じ建物で派手な看板が出ているわけではないので「何屋さん」かわかりづらいけど、
石畳の街をいくら歩いていても楽しみは尽きません。
疲れているわけではないけど、バルで一服。
老紳士が「エスプレッソ」か何かを飲んでいますが、
スーツにネクタイは当たり前、お鬚にお帽子とまさにトラディショナル。
きっとご近所さんのはずなのに。
日常のオシャレとはこうなのかもしれないなんて感心していると、
お店の看板娘、可愛らしいバンビーナが私の頼んだアイスラテを運んできてくれました。
「グラッチェ!」
~
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アンコールワットの朝もや

2020年05月11日 | 【海外出張】パキスタン編
ジェフリーさんからお誘いいただいた「10日間アートチャレンジ」のバトン
少々お時間を頂いてしまいましたが、
本日よりチャレンジさせて頂きます。

アートということでちょっと及び腰になってしまいましたが、
自分の好きな写真をご紹介していきたいと思います。
実は、毎年5月にご近所のミニギャラリーで小さな写真展を開催させていただいてきました。
今年で7年目の予定だったのですがコロナの影響で中止とさせて頂いてます。
今までの展示の中から自分も好きな写真を振り返って、
ご紹介させて頂こうと思いますので、どうぞお付き合いください。

若いころカメラに夢中になり、独学でといっても、
学ぶより慣れろというか、ただ中国大陸というとてつもなく広いフィールドを旅行して
シャッターを切っていただけです。
帰国後もアジアを中心に海外旅行に出かけ写真を撮っていました。
今や絶滅に瀕しているマニュアルカメラとフィルムで撮影したものですが、
画像は適当に家でスキャニングしているものも含まれているのでご容赦ください。

懐古主義です、おそらく。
でもフィルムカメラ時代の一枚の重みは、現代のデジタルカメラにはないような気がする。
一枚の写真を見返すと、20年前でもシャッターを押したその瞬間の記憶が鮮やかによみがえってくるのがなによりの証拠。
記憶のよみがえりのままに(少々あやふやなところもあるが)綴ってみたいと思う。

ということでまずvol.1は、
気持ちのいい朝の写真「カンボジア アンコールワットの朝もや」より。

~
昨晩約束しておいたバイクタクシーの兄ちゃんは、
日の出前の予定時刻にきちんとゲストハウスの入口で待っていた。すごい!(失礼💦)
でもけっこう海外はアバウト習慣だから、定時というものに感動する。

クロマーと呼ばれるマフラーのような便利布を首に巻き、
まだ少し肌寒い日の出前の空気を
バイクのニケツで切り裂いていく。
もちろんノーヘル。その爽快感は(ある意味死と隣り合わせだが)日本では決して味わえない。

今回の旅のメインとも言っていいアンコールワット。
その古代遺跡は密林の中で長く眠りについていて、
再発見されたのはまだほんの100数十年前という(たしか)

私はふと、100数十年前に意識を飛ばしてみたくなった。
最初に再発見した調査隊がアンコールワットを目にした瞬間とは、
ひょっとしたら、
静寂が包む朝もやの中、
今まさに朝日を浴びようとするこんな瞬間ではなかったのだろうかと。
~
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2009年3月 パキスタン旅行 ①

2010年03月08日 | 【海外出張】パキスタン編
だいぶ時間が経ってしまいましたが、
昨年3月に行ってきたパキスタン旅行の写真の一部を、
当時の日記を見ながら投稿させて頂きます。

お時間あればお付き合いください。
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ONE WORLD ②

2010年03月08日 | 【海外出張】パキスタン編
「ONE WORLD」

別にマスコミ批判ではない。
あらかじめ。

でも、いつから「News ニュース = わるい知らせ」になったのだろう。
テレビのニュースを見ていると、
流れてくる情報は決まって「マイナス」なものが多い。
8割以上がその類ではなかろうか。

おかげで、今世の中で起こっていることを正確に知ることができるようになった。
その中には直接、間接的に自分の生活に影響することもたくさんあり、
正直助かっている部分も多い。

でも、それでも「マイナス」なニュースが多いように感じるときがある。

自分から遠いところで起きた事件や事故、
それらに対して無関心でいいとか、
自分から遠く離れた場所のことは関係ないと言える勇気はない。

また、テレビ局の放送の限られた時間の中で、
いいこととわるいことがあったら、どちらを優先的に伝えるべきか。

いいことばかりを放送していたら、
それはそれでおかしな方向に行ってしまうのではないか。

そうした議論に明確な答えを持ち合わせているわけでもない。



一面的な情報を浴びると偏見が生まれ、
断片的な情報を鵜呑みにすると先入観が形作られる。

日本から遠い国。
地理的にも、文化的にも遠ければ遠いほど、
見ようとしても、触れようとしてもなかなか難しい

そんな国に対してほど偏見や先入観に、事実私の心は支配されていた。

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