あかまど(仮)

net初心者で自称ソフト技術者。Gamer属性。netは人の望み?それとも?

民主主義者。

2005-03-27 23:32:45 | Weblog
斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」でこんな記事を見かけた。
「ファシズム」と「資本主義」と「アナーキズム」
「企業」はうまく回ってて「国家」はうまく行ってない。民主主義よくない。資本主義最高。とかいう話らしい。

ぼくは「オクノ総研 WEBLOG」のファンだ。興味深い。かっこいい。
とか思うのだけど。地元が選挙な今、この記事を見ると、何か違う。斜めうえを行ってない気がする。
----
究極的には、
>平等に配分された権力が、正しい選択を行なえるとは思えない。
の「正しい」という言葉に違和感がある。

この「正しい」は、politically correctとかじゃなく、「最適解である」というような意味で使っていると思うけど、それはつまり「企業とか、資本主義者とか、高額納税者にとって利益が最大になること」を最適化目標としていると思う。もっと言えば、「民主主義は企業人や既得権者に有害だ」と言っているように思う。
悪意を抜いて、耳あたりよく言い換えれば「自分の帰属する集団の競争力を最大化することは自分の幸福を最大化させる」という主張になると思うけど、「経済の尺度で競争力がない国家とか個人」とかの幸福は問題外にしていることには変わりない。具体的にしていくと、正当な主張であっても、あんまり大手を振って同調できる話ではなくなってくると思う。

別に、それが「悪い」とか「正しくない」とは言わない。
企業、経済っぽい立場の人が
平等に配分された権力が、「最適化された」選択を行なえるとは思えない。
と主張するのなら納得しやすい、というか、その立場において確実に「正しい」考えだとも思う。

…ソフト屋が「最適(最適化=Optimize)」という言葉を使うときに含めるのは、「特定目的にはベスト」とか「カリカリチューン」とか、もっと言えば「他の用途には向かない」、「他の特定用途ではかなりヤバい場合が多い」とかいうニュアンスだ。
「有権者は必ずしも何か企業、経済っぽいものに最適な選択をしない」という主張には何の違和感もない。
----
なぜ「正しい」に、そんなに違和感を感じたのか。
言葉尻を捕らえたといえばその通り。
なんだけど、ぼくは、筆者は「正しい」という言葉をわざわざ選んだと感じたのだ。

気になった要素の一つは文中の「神の見えざる手」だ。
経済に疎いぼくは、「神の見えざる手」という言葉には、「神の慈愛」だとか「個々人の幸福」なんてイメージが付随してしまう。

アダム・スミス直接読んだことないけど、中世の思想家ならば実際そんなニュアンスを含めてたんじゃないかと思う。もともと、「清貧はもう古い。教会通ってもバシバシ金儲け。神様も労働者の味方だ。経済学者は正義。」キャンペーンのために選ばれた言葉だった気がするし。
実際現代人が使うときにも「『何か』うまくいくらしい」という意味で使ってはいないだろうか?
自由主義経済を最優先した結果が、「個々人」の、あるいは「ぼく」の、「フトコロ」でなく「幸福」に貢献するというビジョンはどうすれば持てるのだろうか?

ともかく、そんな意味の「神の見えざる手」を信じて期待できる根拠を、少なくとも、ぼくは持ち合わせていない。「妄想と現実のループ」は、信じる人が少なくなれば「妄想」に収束するはずだ。「そんな意味の神の見えざる手」を信じてる人は空想具現化に足るほど数がいるのだろうか?

「正しい」という言葉に違和感を感じたのは、そこに
平等に配分された権力が、「(何か経済っぽい主体の利益に)最適化された」選択を行なえるとは思えない。
という分析的な意味ではなく、「神の慈愛を得るために民主主義じゃダメだ」、「資本主義で幸せになりましょう」という、fanaticなニュアンスを感じたからだ。筆者の意図がどうかは知らないが、ぼくがそういう印象を受けたのは間違いない。

僕は企業社会に帰属意識はない。自分が何主義者と呼ばれるのかは、知らない。多分、民主主義者ではあるんだろう。
投票結果が、当選者が、個人、というかぼくに最適な選択を行なってくれるかはわからないけど、その希望はある。
資本主義至上は、は「ぼくにとって」最適解でないとの直感もある。
あえて違和感のある言い方をすれば、
神の見えざる手が、正しい選択を行なえるとは思えない。自分の見える手が、正しい選択を行なったと信じたい
となるのだろうか。

間接民主制がうまく機能してるのか、とかいう疑問はあるけどね。
----
ちょっと感じるものがあったので書いてみた。
自分が引用されてちくちく書かれたらイヤだろうなぁ……。

KimI

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
神の見えざる手 (オクノ総研総裁)
2005-04-07 00:28:01
神の見えざる手 【かみのみえざるて】



人々のやる気が保証され、市場・価格メカニズムがうまく機能することを前提とすれば、経済全体は自由放任しておけば、「神の見えざる手」によってうまく利害関係が調整され、国は富む、という考え方。アダム・スミスの「国富論」に著されている。
an invisible hand[みえざるて] (KimI)
2005-04-07 07:44:17
用語ピンポイントで来られて、かなり激しくResに迷ったのでとりあえず責任転嫁してみよう…。たとえば

http://www.rui.jp/message/01/84/51_111e.html

「キャンペーン」の論拠はずいぶん前に大学講義で聞いたので、正当性は不明だけど、そこそこ(10bitとか)広まってる主張と思う。同じ主張に触れたことがあれば、同じ印象を抱くかもしれない。



いただいた定義の場合、ぼく的なポイントは「うまく」という文言と、「前提」の条件付けが学者間で共有されてるか、あたりな気もする。

「国」が富んでもぼくも「企業も」うれしくないかもだけど、それはまた別な話。

コメントを投稿