あかまど(仮)

net初心者で自称ソフト技術者。Gamer属性。netは人の望み?それとも?

カンパニエバトルの話。その3。不公平。

2008-02-23 20:39:18 | games
カンパニエバトルの話。

カンパニエバトルでは、「これムリだろという状況」がよくある。味方NPC部隊がいなくて、敵が3部隊同時に来ててしかも闇の王親衛隊が絡んでたりすると、特にミンダルシア方面では絶望的な状況によくなる。
これを「ゲームバランス的におかしいだろ」と言わせない状況設定があるのが、FFXIをして画期的と思う。
個々の戦闘でも、隣の戦闘が負けるとこっちに来るかもとか、実際来てこっちも倒れたりとか、助けを求めて味方のいるところに走っていった人がいて、それが原因で敵の進軍速度が極端に速くなった上に味方のヘイト状況が不明でケアルもうかつにできなくなったりで大混乱して壊滅したり、とか。自分が原因じゃなく自分が不利になる状況がとても多い。
極端な話、敵が40体いて味方は一人とかいう、個人用のゲームとしてはありえないような不条理な状況もあり得るはずだけど、そこで「□eが」とかいう言葉が出てこないのが、何とも新しい。ウォーゲーム的な要素にも関わらず、これまでにないほど正しく(T)RPG的と思う。

「負けても所詮は一つの局地戦だし」とか、「負けると経験値ロストないけど悔しい」とか。「現状のリソースで最善を尽くす」とか、あるいは「個人的なロスが少ないように、拠点は放棄してテキトウに消耗戦をやって稼いでずらかる」とか。
傭兵のくせに「稼ぎは全部国庫行き。国庫支出で現物支給」にしても、何か「正規軍じゃないし」、とか「戦略的な部分で動いてる感があるから」と、納得してしまう。
「倒せないのは仕様が腐ってる」とか「ジョブバランスが悪いから強化しろ」とか、そういうのは(TRPG的な意味の)GMに言うのは(T)RPGのプレイヤーとして「おかしい」であって、「倒せないのは世界がそうなってるから」とか「このジョブは弱い。そういうもの。あるいは自分が用法を理解できてない」とか思うのがプレイヤーの役割。GMに言っていいのは、「この仕様だとおもしろくないからこうした方がいい」とか、「このジョブはこれだと楽しめない」とかであると思う。
理論上でも勝てるはずのない戦闘。絶対不利な状況。
そういうものをFFXIというゲーム内に持ち込めたのが、画期的だ。

カンパニエバトル。
勝利条件が「クリア」じゃないどころか、「自軍の勝利」ですらなく、「自分の稼ぎ」であるのが何とも明快で心地よい。
クリアとか自軍の勝利を目的にしてたら、不条理な状況にはストレスが溜まるばっかりだったろう。
もちろん、自分の稼ぎのために、自軍の勝利を目指したりするオプションもあるけど、実際「与ダメ被ダメ回復で査定稼ぎのために味方に見付かりにくい場所で敵占有して戦闘時間延長」とか「査定稼ぎのために安全地帯で自己強化してタイムキャップ到達でタグ再発行の繰り返し」とかに走る傭兵は、実際1戦場味方40人として5人ぐらいは安定して居ると思う。
そして、それはべつに「悪い」ことじゃなくて、ただ、ボランティアで敵の陽動で時間稼ぎしてる人とかから白い目で見られるとか、事故った時レイズがなかなかもらえなくなるとか、あるいは、絶望的な敵に絡まれた人はさりげなくそういう場所に突っ込みたくなるとか、そういう傭兵世界のゲームなのだ。

あるいは、PCはもっと不真面目に戦って、国庫を圧迫して獣人軍支配地域が増えてシギルの効果が上下する経験をする、という状況を想定したデザイン意図だったかも知れない。

Kimiru-Hamiru

カンパニエバトルの話。その2。学狩。

2008-02-19 21:06:59 | games
FFXIのカンパニエバトルの話。別の話題。
例によってFFXI知らない人は置いてきぼり。


カンパニエバトルには「学狩」で参加することが多い。
今学者はLv56。まだ「いろいろやろうぜ」状態だし、Lv75、というかDivine Inspirerあたりがソロで倒せるようなレベルで参加しないと見えにくいこともあるし、他のジョブでの参加感も気になるから、ジョブ固定してるわけではないけど、Lv40ちょっと前から学狩で参加することが多かった。

カンパニエバトルは、範囲攻撃が多くてLv20ぐらいだと即死が多かったけど、後衛であれば、とりあえずギリギリの遠くからケアル2でもポイゾナでもしてれば「相当弱くても」多少は稼げるし、何より、戦闘に参加できるし貢献できる。実際、学者ではLv20前からちょくちょく参加してた。


学者はLv40が一つの区切り。カンパニエバトルにおいては特に。

Lv40で範囲化と戦術魔道書のチャージが加わる。これがあると、範囲化プロシェルや範囲化ケアルが可能になって、成立条件はいろいろあるものの敵味方それぞれ2部隊以上もいる戦闘であれば、「サポ関係なしに、短時間に、ローリスクに、かなり」稼ぐチャンスが生まれる。

個人的な狙いは、「なるべくNPCを一箇所に集めて戦闘参加させて、まとめて範囲化プロシェル、損害が出たら範囲化ケアル」という一点に絞って、あとはその状況を作ることに集中する。
これが理想的な形で成功すると、ケアル3で200回復できる人なら、数秒の間に6000HPの回復が可能になる。
味方NPC30人が一箇所にいて全員200以上ダメージ受けてる状況というのはまずないし、回復枠査定は1戦闘5000までと言われてるみたいだけど、一つの目安。範囲攻撃多い敵に近接NPCが当たればダメージはかなり食らうし、Lv40学者なら2回まで範囲化連発できるし、ケアル4使えればチャンスの幅も広がる。

以上。
「学者40以降の狙いはNPCへの範囲化ケアル。次点で範囲化プロシェル。あとはオマケ。」


これを踏まえて。

いまぼくが学狩というジョブでやってるのは、「敵の数と兵種と位置情報をシャウトで周知する」こと。敵一部隊10体の情報は無茶でも、NMの位置とか、ザコが集まっている場所とかいう形でなら可能。戦闘状態に入ってるときの敵増援時の周知も重要。
味方PCの援護、端的には「よろこばれる」という側面もあるけど、ドライな方面、あるいは「べっ、べつにアンタなんかのためにやってるんじゃないんだからねっっ」という方向から見ると、

・PCが序盤の戦闘中にNMに当たると大体レイズに追われる展開になるし、ザコが拠点に殺到する。するとNPCが散って範囲化でカバーできない。
・レイズは135MPで30ポイント。ヘイト取らないのはメリットだけど、ケアル3x3の方がお得感があるし、PC傭兵が戦闘不能や衰弱状態になってると自分が立ってる場所が危険になる確率が上がる。
・自分の都合で話を進めたいから、恨まれることは避けたい。具体的には、戦闘時間を延ばしたい人のジャマをして、ソロってる人の場所を周知して殲滅するケースは多い。端的には、戦闘時間が延びることのメリットは多分あんまり多くない気がしている。学者が範囲化ケアルで稼げたときは既にNPCが相当ダメージを受けてるわけで、充分な戦闘時間が過ぎてるはずとかいう後付の理屈はいろいろ付けられるけど。
・開幕の敵、第一波については、PC側が前の戦闘の消耗から復帰してないとかでなければ、周知しない。早すぎると(特にガイジン)が前線を拠点から遠い所に展開する。特に、星降る丘北部とかジャグナー拠点南フェンス前あたりに展開されると、弱い人はラフレシアやトラがいて近づけないとかいう都合もあるし、何よりNPCが戦闘参加できないと学者的には困る。メリットが少ない。

とかいうことになる。


赤とか白忍で殴るとかでなければ、カンパニエバトル参加する魔道士は、MPが簡単に尽きる。薬だのジュースだの使うのでなければ、ヒーリングは必須。その時間は、ヒマ。
考えてみると、「狩人が戦闘に参加してる状態」で広域スキャンは実質不可能。ヒーリング時間が長ければ長いほどレーダー見るチャンスがある。恐らくはどのジョブより学狩がレーダーを見る機会に恵まれている。
ついでに、広域スキャン範囲はサポ狩ではLv20のが上限らしい。つまり、学者の区切りであるLv40のサポ狩のスキャン範囲を越えるのは、「戦闘参加してる限りレーダーが見られないメイン狩人」のみ。

ということで、学狩ならでは、というスタイルが、多分ある。性能的な点でも、カンパニエバトルと同時に実装されたことも、あとなにより「軍学者」という名前も、偶然じゃない気がする今日この頃。

…というあたりで長い前置き終わり。

その3へ続く気もするけど、いつ書くか不明。

Kimiru-Hamiru



追記(2008/03/13):
2008/03/11のパッチでカンパニエバトルと学者の仕様が大幅に変更されたため、この記事の戦術面の記述は基本的に再検討が必要と考えてよさそうです。詳細はここでは触れませんが、学者本体の強化よりも、「味方NPCの強さ、NPCへの女神降臨の章後の魔法の効果範囲、NPCのヘイトの考え方」の変更が大きいと思います。配布品のチューブも、補給が強化されてるしポテンシャルが高そうです。数回の参加の印象では「危険は増したけど、単純な戦術が取り難くなった分おもしろくなった」です。

カンパニエバトルの話。その1。

2008-02-19 19:57:36 | games
FFXIの話題。

最近カンパニエバトルがおもしろい。「プレイスタイルが固まってない時期のゲーム」的というか(いや、そのものなんだけど)、個人的な振る舞いによって結果がどうなるかとか、指揮系が全くない傭兵団の混沌の中でどういう秩序が生まれるかとか、そういう原初的なところがおもしろい。1週間後もおもしろいかどうかとか、3月のパッチでどうなるかとか、いろいろ未知数ではあるけど、今おもしろい。
カンパニエバトルが何かというのは知らない人に説明するのはムリなので省略。Googleにでも聞いたら、何をしたら知る機会があるかだけはすぐわかると思う。

他のオンラインゲームで実現されてたりとか、それ自体が売りというかそれ以外何もないようなゲームもあるんだとは思うけど、FFXIではこういう混沌は画期的。「《経験値》《パーティ》《いりませんか?》」とか「《午後》Snoll《戦闘》《いりませんか?》2/6《/tell》《ください》」とか「PL《くれませんか?》《いたわる》」とか、「『anonymousなアレ』に最適化するために、意図してそういう方向に変更されてきたデザイン」とは全く違う、「多分、『anonymousなアレ』さえなかったらそうはならなかった、恐らくは最初に目指して、これまで失われてきたデザイン」が、いまそこにはある。

たまたま同席した少人数戦闘でアドリブ連携とか、戦闘中に敵増援で窮地にとか、敗走とか、予期せぬ味方の援護とか、期待した援護の味方が既に死んでたりとかあるいは査定稼ぎのバファイ連打に夢中だったとか。
《ケアル》《くれませんか?》に反応してヤグードに袋叩きに会ったり、以後は学習して見捨てたり、あるいはそれでもケアルしてみたり。
絶対勝てない敵増援部隊に仕掛けて味方のNPCまで誘導してPC援護とか、役に立つかは別にして、召喚ミサイルとリレイズ程度あればPKを狙ったNM誘導すら可能。

「6人(n人)パーティをどう編成するか」というWizardryの呪縛から解き放たれてるのが素晴らしい。
「弱い奴でも、いないよりいたほうがマシ。戦力。」というデザイン。
それは、ヴァナディール世界の中で異彩を放つ。画期的だ。「耳の院屋上の子供」だって戦うことができるし、なにより、それがうれしいのだ。
ふとヴァナの外、ゲンジツと呼ばれる世界のデザインが今どうなってるかを思い出したりもする。

Kimiru-Hamiru

赤い輪の箱。

2008-02-06 22:44:02 | games
XBOX360。
最近にわかに起動頻度が上がってたのですが、ちまたで話題の「Red Ring of Death」にかかったようです。しばらく、ゲーム開始直後にフリーズして電源スイッチ以外の入力を受けなくなるという状態が続いた後、本体電源スイッチの周りのランプの4つのうち3つが赤く光るようになって、今はもうそのランプが点灯する以外、画面もなにも出てきません。
これって懐かしいPing of Deathに引っ掛けてて、でもXBOXユーザーの世代だと誰もそんな昔のことを知らないとかそんな分析もあるのですが、どうでもいいですね。

Googleできる範囲で軽く調べたのですが、Red Ring of Deathというのは、「マザーボードの故障」を表してて、それ以上でもそれ以下でもないというか、それ以外の情報が得られない、という意味になるらしいです。
去年の中ごろから?広まった話で、ユーザーサイトとかでは、「XBOX360は熱に弱くて、処理の重いソフトを動かすと寿命がちぢむとか、冷却効率いろいろ対策してると寿命が延びるとか、縦置きすると通風の循環が悪くなってダメとか、タオル巻いて起動、電源切ってしばらく放置すると直る」とか、いろいろアレな情報が蓄積されてるようです。

修理は2,3週間かかって、修理内容は実質マザーボード交換と同義。

どうせだから新しいの買っちゃおうかとかも考えたのですが、現行機種でも、どうもバラつきがあるみたいで、対策が採られてるという人と、それでも起きるという人(<べつに矛盾はしてません)がいるようです。
Amazonで購入したので、購入店持ちこみの線はなさそうで、対策は未定。ちょっとWebで見た範囲では、文脈に関係なくサポートに電話しないとダメみたいな印象です。

うーん。XBOX360。
「やたらにマーケットプレイス中心な展開が鼻につく感じ」はあっても、全体として好感度は低くなかったのですが、動かないのは困りますね。
やっぱり「バージョン3(あるいは3.1とか3.51とか)未満はヒトバシラ向け」、「普通の人はそれまで手を出すな」、というマイクロソフトの伝統は受け継がれてるみたいな気がしてきました。XBOXがVer1で360がVer2?

Diska

ちゅーず。

2008-02-05 10:37:19 | ことば
突然思い付いた。

スーパーチューズデイってもしかしてchoose dayとひっかけてる?火曜日の謎、解明!」

3秒後に思い直す…

「いや、発音ぜんぜん違うよな。」

そもそもカタカナでも、「慣習的表記」じゃなくて「自分の発音に準じた表記」で書こうと思えば「テューズデイ」と「チューズ」で違うし。
と、思いつつも一応辞書で確認。確かに違う。

Goo辞書: choose
Goo辞書: Tuesday

やれやれ。

と、ここで終わらない。ほんとに関係ないのか?

日本人的、もっと限定して言えば、日本の英語の先生的、文部省的には区別すると思うし、イギリス人が混同することはないと思うけど、Super Tuesdayとは、アメリカ人のアメリカ人に拠る、アメリカ人だけのためのアメリカ語、しかもカリフォルニア語でもニューヨーク語でもなく、全米で使われるアメリカ語。

「カリフォルニア英語では[t]の音は4種類ある」

という英語の先生の言葉を思い出したりする。言語学者とか音素関係に厳しい職業の人でもない限り「寿司(すす)と煤(すす)はちがうべ?茄子(なす)と梨(なす)のどこが同じだぁ?」とか、あるいは東京人でも身近なところでは、mもnもngも「ん」で表記して「明らかに違う発音をしてるけど同じ音」と看做してるような感じで、Tuesdayとchoose dayを同じ音としてとらえてるということはないか。
あるいはダジャレが成立する程度に似てる音として認識してる可能性はあるんじゃないのか?「えらい人」とか、あるいは、広範なアメリカ人が抵抗なく使えるダジャレなのか、あるいは「キャッチとしてはこれぐらいムリがあるダジャレの方が庶民感覚に訴える」とかいう高度な(高度か?)マーケティング的判断があったのか。

これは、アメリカ人に聞く、というか、アメリカ人でもかなり広範囲な地域、クラスで、サンプルを相当数集めないと結論は出せないのかも。アメリカ人は「お国言葉」にやたらプライド高い人が多い気がするから統計も大変に違いない。
WikipediaJの記述に拠れば、「アメリカ南部地域」が発祥らしいから、その辺の歴史的経緯も考慮に入れる必要があるかも。

中途半端な考察おわり。

KimI