ゆめをみて、めをさます。
ひとは意識無意識にその違いを埋めようとするのです。
その結果が現実と呼ばれるもの。
埋まらなかった結果が痛み。
幻視にして幻肢。
脳は現実を見て、脳は夢を見るのです。
その差分を幻肢痛と呼んだり動機と呼んでみたり。
ゆめをみなくなったり、痛みを感じなくなったら
世界はどう見えるでしょう。どうなるでしょう。
違いがなくなったら。
とりまく世界が、自分と同じものになったらうれしいのでしょうか。
「ほっするところにしたがってものりをこえなく」なったら。
それが幼年期のおわり?
少なくともいまは、わたしはそれを望んでない気がします。
Diska
ひとは意識無意識にその違いを埋めようとするのです。
その結果が現実と呼ばれるもの。
埋まらなかった結果が痛み。
幻視にして幻肢。
脳は現実を見て、脳は夢を見るのです。
その差分を幻肢痛と呼んだり動機と呼んでみたり。
ゆめをみなくなったり、痛みを感じなくなったら
世界はどう見えるでしょう。どうなるでしょう。
違いがなくなったら。
とりまく世界が、自分と同じものになったらうれしいのでしょうか。
「ほっするところにしたがってものりをこえなく」なったら。
それが幼年期のおわり?
少なくともいまは、わたしはそれを望んでない気がします。
Diska