キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

最終電車鴨宮グループ

2020年01月23日 | Weblog
大きなホテルチェーンのソムリエやバーテンダーをやった人で、僕が経営していたワインの会社も手伝ってくれた古い友人Yが亡くなった。
朝、突然奥様から電話があり、ひどく驚きがっかりした。
去年の9月迄現役でホテルなどへワインを販売していたのだが、退職してから慰労の会をやろうと誘ったら、あまり具合が良くないので、良くなったらと待っていたのだが、まさか亡くなるとは思わなかった。
僕も退職した後は環境が急に変わり慣れるまで体調が悪かったが、何れ慣れて良くなるだろうと軽く考えていた。
今から35年以上前、惚れていた女と結婚できず、毎晩野毛辺りを酒を呑んで徘徊していた頃、横浜発0時23分小田原往き最終電車15両目で、何時もお会いし親しくなった仕切り役のバンマスのHさんの紹介で、東京から乗ってくるYと知り合った。
その後、新宿のホテルのバーへ度々呑みに行ったし、妻を連れてメインダイニングのフレンチにも行き、妻も僕もそれぞれ大学時代のOB会をやらせてもらった。
僕の会社に来てもらってからは、客先に行った帰りに時々飲んだ。
最後に飲んだのは茅ケ崎で、馴染みの店を5軒梯子した。

家に行ったことはなく、住所を調べて車で出かけようとしたら妻も顔を見ておきたいというので二人で出かけた。
線香をあげ、額に触れたらやけに冷たかったので死んだんだなあと実感した。
10年位前に心臓が悪くなり深刻な状況を名医に助けられ、一度死んだものと思っていた節があり、身体を気遣いながらも真摯に生きたと思うのでよしと思いたい。
しかし、68歳はいかにも若く、数年は小田原から湘南にかけて二人で遊びたかった。
最終列車の鴨宮グループは、ピアニストのTさん、バンマスのHさん、そしてホテルマンのYと3人とも鬼籍に入ってしまった、哀しい。

昼は家でパンケーキとソーセージを焼いて食べた。
牛乳が切れていたので卵を増量して作ったが美味くなかった、レシピ通りに作るのが一番美味いようにメーカーが研究してあるのだろう。
ふっくらと焼く秘訣を最近TVで観たのだか、一体何をどうやるのかさっぱり思いだせない、切実でないことはすぐに忘れる。

プレシネは期待していた「パリの屋根の下」だったが、思ったほど面白くなかった。
それでも昔のパリの街角の様子が偲ばれたのが良かった。
ラザール・メールソンがスタジオに再現したパリの街並みだが、人間現実のものに縛られるから、かなり当時のパリの雰囲気が再現されていることと思う。
主人公が街角で歌いその楽譜を1フランで売っていたが、当時はそんな商売が成り立っていたんだねえ、今では思いもよらないが、すっかり文明の利器に毒されてしまった。
最後のシーンで主人公とその友達が往きつけの店でルーマニア人の女を取り合うが、その店の名前が「Maison Imaque」最低の家というバーで、監督のルネ・クレールはこれを映したかったんだろうなあと思われるカメラワークだった。

大磯方面に散歩に行き、何時もの公園で前日の女の子たちより少し上の女の子たち3人に会った。
やはり、帰りがけに見送りを受けた。
相撲は炎鵬のとったりを観ていい気分だったな、前日はあまり変わらない身長の貴景勝に苦戦したが、相手が大きいほうが左右に変わり下に潜れるので相撲になる。

晩飯は太刀魚の煮つけ、鶏の手羽先のトマトソース、スティクブロッコリー、ひじき煮、もつと大根人参蒟蒻煮だったので、イナリヤトのワイン、太刀魚と鶏に合わせポルトガルの赤を開けて飲んだ。
何故か妻も飲んだがグラス2杯で止めた。
でも、今朝台所に降りたらウイスキーの湯割を飲んだ形跡があったので、最初から二度飲みをして温まって寝る予定だったのだろう。
ワインを3杯呑んで麦焼酎に柑橘を絞り入れて飲み、同じのを持って母の居間に移動して音楽を聴いて少し眠った。
酔った時に少し眠るのは実に心地よい。
10時ころ起きて確定申告の準備のために医療費の整理をした。
ざっと45万だから、35万が控除される。




コメント
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