キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

枯淡の境地

2023年09月30日 | Weblog
昨日は次男と家から真南の海岸へ行ってみたが、昔の面影はなく波消しブロックが波打ち際に積み重なり、これじゃあ平目釣りのルアーを投げて渚を移動することも出来ない。
今日は5時前に一人で大磯方面へ歩きだし、日吉跨線橋を渡って帰って来た。

少し休んでいたら晩飯が出来ていると妻に呼ばれた。
小鯵の刺身が出来ていて、焼き茄子、キャベツと肉炒め、胡瓜の糠漬けで今日買った「白鶴純米」を飲んだ。
「月桂冠本醸造辛口」と比べると味が濃くてしつこい感じがした。
年を取って軽い酒が好ましくなっているのを感じる。
白鶴は灘の酒なので伏見の月桂冠との水による酒質の違いも感じた。

もう10年以上前になるが「駒鮨」で昼にチラシを頼んで、「神亀純米」をぬる燗にしてもらって呑むのが楽しみだったが、ある時から重く感じるようになった。
「神亀」はかなり濃厚に出来ている酒だが、それが良くて探し出しては飲むくらいだったのに、その時、自分の身体の変化を感じたが、今ではさらに軽い酒が好みになっているようだ。
A5の神戸牛や大トロを喰いたいと思わないのと軌を一にしている。

途中で栗を茹で、チーズトーストを作り、無花果を食べ、ティーチャーズの水割りを飲んだ。
気がついたら10時になっていたので、4時間も飲み喰いしていたことになる。
しつこいのを喰わなくなっても軽いのを大量に喰えば一向に減量しないのも頷けるが、枯淡の境地は死ぬ前に訪れるのだろうか。

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南中した名月を眺めたが

2023年09月30日 | Weblog
中秋の名月で酒を飲もうとグラスにたっぷりとティーチャーズを注いで庭に出てみたが、生憎雲に隠れて月は観えなかった。
部屋で音楽を聴いて飲んでいたらその内雨音がしだして東の空に月を眺めることを諦めた。
零時になったので音楽を止めて二階へ上がってベッドに横になり空を眺めたら中秋の名月が南中していた。
東の空にオレンジの大きな月を眺めるのもいいが、白く煌々と輝く小さな月を真上に眺めるのもいい。
2002年に天安門広場で観た中秋の名月はまさに南中した月で、9月21日であったが思いの外空気が〆って見事な輝きだった。

月を眺めていたせいか、今朝は何時もより目が覚めるのが1時間遅く5時だった。
4時に音楽を掛けるときには音量に気を遣うが、流石に5時ともなればすぐに夜が明けるので大きめの音量で中森明菜を聴いた。
古いOnkyoのCDプレイヤーと新しいOnkyoのスピーカーを繋いで聴いているが、ここ潰れちゃったから、15年前のプレイヤーと5年前のスピーカーだ。
Onkyoが最後にリリースしたブックシェルフスピーカーを2種類買ったので、全部で3種類のスピーカーがあり、それぞれ音が異なるので時々アンプとのコンビネーションを替えて聴き比べている。
何せ音痴で耳が良く無いから、色々な音源を聴き比べることが出来ない、楽曲は何時も中森明菜の「ballade」に入っている「Second Love」が基本で、時々4種類の違う録音で聴き比べている。
スピーカーとアンプの組み合わせが12パターンあるので聴き分けを試みているが駄目だね、耳と共に記憶力が悪い。
中森明菜では「Second Love」が一番好きだが、ZARDだと「心開いて」、以下、竹内まりや「駅」、森高千里「渡良瀬橋」、松任谷由実「守ってあげたい」、南沙織「ひとかけらの純情」、西島三重子「流されて」、日野美歌「横浜フォールインラブ」とバラード系の楽曲が並ぶ、多分聴き飽きないんだろう。
でも、中原めいこ「やきもちルンバボーイ」、坂本冬美「コーヒールンバ」だから例外もある。

音楽に夢中になって残月を眺めるのを忘れた。

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月を観ながら考えた

2023年09月30日 | Weblog
鈴木邦男「竹中労」を読了した。
鈴木は小難しい理論をくどくどと書くことは無い、大体過去にあったことを書くだけなのだが、そんな人がいたんだと感心させられることが多い。
今回は竹中労についての交友を書いてその人となりを浮き彫りにしたが、大杉栄と大川周明の左は僕がまとめるから右は君がまとめてくれといった関係を、竹中は野村秋介と結び世の中を変えようとしたが、不幸にも行き違いの出来事があり思ったようにいはならなかった。
右と左の相いれない点は三島由紀夫と全共闘の間で天皇が問題になったが。これを棚上げすると似たことを云っている部分が多い。

若いころは天皇なんていてもいなくても関係ないだろうと思っていたが、年を取るにつれ日本の核心が天皇であることが分かって来た。
権力は時代と共に変ってきたが、それが絶対的なものにならない仕組みとしてあり、独裁者が生まないのに有効だと思う。
権力と権威が分離できたことがミソだと思っている。
元々民が飢えず幸せであることを祈るのが天皇の役割であり、そうであるから権力を握ったものは畏れた。
縄文時代から豊かな自然に恵まれた日本は食物が豊富で殺し合いがほとんどなかった。
そのため日本では闘いが強いものがトップになる必要は無く、武力を用いず統治できる能力を持つものがトップになった。
そこへ稲作が入って来てさらに食糧事情は安定し、ますますその役割が求められ、天皇は稲作を司ったのであろう。
民主主義というのはまあまあの制度だが、欠陥もあり、その欠陥が最近露呈している。
日本もアメリカの民主主義のひずみを真に受けて混乱しているが、アメリカに左右されず日本独自の解決方法を取れたら見事な統治がなされるかもしれない。
社会主義の実験国家としてのソ連が崩壊し、資本主義、民主主義実験国家のアメリカが崩壊寸前まで来ているが、今後生き残ってゆくのは過去に伝統を秘めた西欧の伝統国であり日本だろう。
イスラム社会を実験的な民主主義に変えようとするのも疑問だ。
要は高々2百年チョイの国家が強大な武力でその国の制度や倫理を押し付けてきているわけで、武力の点では劣るが長い歴史の中で培われてきた制度や文化や規範が劣ると云うことではない。
一面的な価値で上下を点けられちゃたまったもんじゃないと皆さん声を上げだしたんだから、ひるまずにちゃちなグローバリズムを唾棄したらいいんじゃないか。
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昼は寿司

2023年09月29日 | Weblog
次男が休みで家にいたので車でJA湘南へ行き、そのまま秦野のヤマダ電機へ行き、さらに渋沢のBOを覗いて帰って来た。
ヤマダ電気の会員になっていて2か月に一度使える500円券があり、癪だから気が向くと車で出かけて不要なものを買っているが、現在のガソリン代の高騰を考えると決して得にはならない。
BOでは買うものが無く、中井の山を越えて中村川に出て川際を海まで下り東海道を上って帰って来た。
秋の気配濃厚な山河を眺めるのは悪くない。
何時ものように音楽はZARDをかけていたが、渋沢のBOは坂井泉水の実家から近い。
お膝元で聴く坂井泉水はヤッパリ一味違う。

今日は小田原の寿司屋にでも行くかと次男と昨夜話していたが、妻は閉所恐怖症で電車やバスに乗れないから諦めることにした。
電車でサッと行って、チラシと燗酒を頼みタネを喰いながら酒を呑み、酒が美味ければもう一本たのみ、肴が無くなれば何か切ってもらい、そんなことをやって一時ばかり飲んでいるのが悦楽なのだが、こんな風に妻と一緒に鮨屋に出かけたことが無い。
帰りがけにオネエチャンがやっているワインと洋酒の立ち飲み屋で2,3杯飲んでから、いい心持でお堀端を歩いて鯉など眺めているのがじつにいい。

ドライブの帰りがけに次男が、さて今日の昼は何だろうと聞くので、冷蔵庫に山のように肉があったから肉料理じゃないかと話していたら、寿司飯を炊いて卵焼きなどを作っていた。
昨夜の次男との企みが漏れていたのか。





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起き抜けに思ったこと

2023年09月29日 | Weblog
「南総里見八犬伝」は、朝ドラで牧野富太郎の妻寿衛の愛読書になっていましたが、事実かどうかわ知りません。
しかし、江戸末期から明治にかけて人気であったことは間違いなく、明治になってから西洋文化が入り坪内逍遥が近代に乗り越えるべき戯作であるとくさしたために読まれなくなったと云いますが、かように日本古来のものは劣るから捨て、西洋の素晴らしいものに変えていかなきゃいけないと云った馬鹿げたことが明治維新から長い間繰り返され、偶々3度戦争に勝ったものだから、俺たちはもう一等国だという誤った考えで大東亜戦争を戦いコケ負けになり、今度はアメリカさんの言いなりになりやって来たという次第です。

しかし、少なくとも誰が読んでも「八犬伝」は酷く面白く、馬琴も半生をかけて98巻も書き続けられたのは、人気があったからで、西欧のモノであれば詰まらないものでも崇拝する悪い癖で、古い日本のものだからといったことで捨ててしまうなんて言語道断、これほどのものが西洋にどれだけありますか。
戦前のモノでも江戸時代のモノでも室町、鎌倉、平安、奈良、弥生、縄文どの時代であっても優れたものは優れていると認めて大いに楽しんだり使ったりすればいいわけだ。
その点日本はいいですよ、2000年以上国が存続してモノや慣習が残っているから、それが歴史とか伝統とか云われるものだね。
ちなみに「八犬伝」を岩波文庫で読まなくても、今では映画や漫画ですでに八犬伝の恩恵を味わっていることも多いと思うな。
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里見八犬伝を思いおこしたが

2023年09月29日 | Weblog
昨夜は14番目の月を愛でつい酒を呑み過ぎたために「竹中労」が捗らなかった。
それでも鈴木邦男が三島の自刃に啓発されて作った「一水会」は新右翼と云われたが、左翼との交流が多い右翼団体で、竹中労、平岡正明、太田竜の三ばか大将との付き合いがあり、竹中労の先には里見岸雄が見え隠れしていて、三島由紀夫の「文化防衛論」は里見のコピーだと云われたことなどを知った。

里見は国柱会の創始者田中智学の三男で、国柱会には石原莞爾や宮沢賢治がいたのでその名前は知っていたが、その教義については知らない。
何となく東北を中心とした日蓮宗の一派と思っていたが、本部は江戸川区の一の江にあるので思い込みは駄目だね。
石原莞爾の「世界最終戦争論」は国柱会の教えが色濃いと云われているが、日本が満州で国力を蓄え最終戦争で勝利してその後に平和な世の中を実現するというものだ。
石原が最初のマッチポンプのやり方を見せてしまったのがいけないのだと思うが、功名を求めて陸軍幹部が我先に同じ手を使ったために日本を滅亡させてしまった。
無益な支那侵略は私的な欲望に根差した実に詰まらない動機だった可能性がある。

この秋読まなきゃいけない本が目白押しで消化不良必定だが、それでも平塚図書館に里見岸雄の書籍を2冊見つけ、控えめに1冊だけ予約を入れた。
鈴木邦男もそうだったらしいが、里見岸雄の名前を観て直ぐに「里見八犬伝」を思いおこしたが、どうも関係ないらしい。
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14番目の月が赤くて大きかった

2023年09月28日 | Weblog
今朝は何だか蒸して不快だ。
昨夜から鈴木邦男「竹中労」を読みだしたが、竹中は名前を知っているだけでどんな人だったか知らないので、鈴木がやけに尊敬して、その気持ちが溢れんばかりの文章を読んでも実感が無い。
やはり鈴木が私淑していた朝日新聞社で自決した野村秋介は、自己顕示欲が強かったという人もいるが、自死をもって訴えたのを自己顕示欲とするならば尊敬にあたいする。
その右翼の野村を左翼の竹中が評価していたというから、やっぱり優れた魅力的な人物であったのだろう。
思えば、命より大切なものはないと云い始めた頃から日本は凡庸な国になって仕舞った。

午前中に「大東亜戦争と国際裁判」1959年を観た。
開栓初期の観たことのない実映像があり興味を引いた。
東京裁判を再現していたがどの程度史実に近いものか分からなかったが、結構日本も主張をしていたことが意外だった。
もっと意気消沈していたのかと思ったが法理を主張していたのは立派だなあと思った。
要は事後法によって行われた裁判で、アメリカの陪審員裁判というのは法理よりその場の雰囲気に左右されるもんなんだろうなあ。
勝てば官軍負ければ賊軍の論理で、インディアンを皆殺しにして土地を奪い、黒人を奴隷にして奴隷工場まで経営していた国に所詮公正な裁判など期待できなかったのだ。
その伝統は今も続いていて、近頃の民主党のやりようは、追い詰められてもいるのかとても法治国家の政党とは思えない。
まあそれが国内のことだけであればいいが、似非民主主義と自由を他国に押し付けるのだから質が悪い。
さんざひどい目に遭ったアフリカや中東諸国はもうアメリカの云うことなんて聞かない、世間というのはそういったもんでしょ。

酷く蒸して暑かったが、町内に配りものがあり、5時に表に出た。
そのまま軽く散歩をしたが、途中で犬の散歩の女友達に会い、共通の友人の尊父が亡くなったと聞いた。
東海道線の線路わきから6時前に眺めた月は赤くて大きくて素晴らしかったが、「14番目の月」だなあと云っても、隣で一緒に散歩していた女友達は何のことか分からずきょとんとしていた。
高々18歳違いなのに、かように共通経験と思ったものはズレている、何事も当たり前と思っちゃいけない。
まだ分からない人がいるかもしれない、「14番目の月」は荒井由実の4枚目にして最後のアルバム。

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この時代の記憶が薄い

2023年09月28日 | Weblog
昨夜、11時前に石津謙介の「味ばなし」を読了した。
1985年から1993年まで「味覚春秋」に連載したものから抜粋され編まれた本で、バブル期が始まるころから弾けた後まで、著者74歳から82歳までの晩年のエッセイ群だ。
文中に女子ファッションの肩パットの話が何度か出てくるが、あれ好きだったなあ、派手な化粧と髪形と相まった尻軽女が跋扈躍動した時代だった。

著者は好きな料理として河豚、鴨鍋、すき焼きを揚げているが、河豚は納得できるが、鴨鍋とすき焼きは関西出身の人ならではの好みなのか、僕ならさしずめ桜鯛のおつくり、鮎の塩焼き、土瓶蒸しとなるのかな、あるいはざっかけない鮨、蕎麦、鰻となるかもしれない。
版元の平凡社の同じシリーズに池辺良が「酒あるいは人」を書いているが、彼だったら鮨、蕎麦、天婦羅になりそうだ。
何れにしろファッションの世界で生き抜くには晩年になっても肉を喰うだけのバイタリティーが必要だったんだろう。

この時代、結婚をして子供が3人生まれたが、子供のことは妻に任せっきりで、仕事に熱中していたような気もするが何をやったか実感が無く、世間と同じように浮かれて過ごしてしまった。
70年近く生きて来たんだから時間の積み重ねというようなものがあってもいいように思うが、学生時代から中を飛ばして今になって仕舞ったようで、生きてきた実感が薄い。
先行きの短くなった今、人生を充実させて終わろうなんて思ってみても最早手遅れか。
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日本の優れたところを否定しちゃだめだ

2023年09月27日 | Weblog
今日に昼飯はトマト味のスパゲティだったが、ソースに水分がたっぷりとあり、カラカラにならずに美味しくいただいた。
味の善し悪しもあるが水分量というのがパスタには大きく影響するような気がする。
パスタそのものが美味ければ塩加減さへ間違っていなければそれだけで美味いからね。
特に手打ちのパスタがいいねえ、イタリアのメーカーのマンマが打ったパスタなんか最高だったなあ。

飯を喰って直ぐに、郵便局で送金をし、図書館でDVDを借りた。
その後、町内の毎週水曜にやっている”通いの場”でタオル体操などをやった。
これって10年以上前に大分でやり出して、高齢者の健康年齢を保つのに大いなる効果があり、町の財政を救ったものだからアホな自治体が右へ倣いをした。
完全な猿真似じゃなくてその土地にあったやり方にアジャストするなんて矜持が無かったのかなあ、隣の真似をしていりゃあどうにか生きて行ける日本の悪いとこだよ。
何処かが決めたことを四角四面にやっているような気がして心が楽しまない。

少しいつもと違う体の動かし方をするとめっきり疲れる。
横になったら6時近くまで眠ってしまった。
妻に晩飯だと呼ばれ、カマスの刺身で月桂冠を4合近く吞んだ、それほどカマスは脂が乗って美味かった。
他に、茄子の胡麻煮、揚げ餃子、茹で栗、高野豆腐煮、きゅりの糠漬け、谷中があり、結構しつこく呑んでしまったな。
最後はおかきと南部煎餅と無花果でティーチャーズのストレートを飲んだ。

チーチャーズを持って8畳に移動して、中森明菜のBOXを聴いた。
これってきっとオリジナルスタジオアルバムが全部入っているんじゃないかな、183曲12時間余の長丁場で、もちろん全部聴けるはずもなく、この間読んだ中森明菜の育ての親と云われているレコード会社のプロデューサー、生憎名前を失念した、が心血を注いだという初期の6枚くらいのアルバムを聴いた。
まだ子供っぽくってね、オジサン、きっと娘のように大切に可愛がってアルバムを作ったんだろうなあ。
当時は身命を賭してアイドルを育てる、そんなオジサンがいたいい時代だった。



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無声映画に嵌る

2023年09月27日 | Weblog
辻吉朗「血煙荒神山」1929年を観た。
主演は大河内伝次郎の二役だが、何しろこの無声映画の弁士と楽団が、合わせて450歳という明治大正昭和平成を生き抜いてきた芸達者と来ているから、これを聴いているだけでしみじみいいなあと思う。
弁士は浜星波、楽団はピアノ、トランペット、サックス、三味線、鉦太鼓といった構成。

映画は穴太の徳次郎が次郎長が世話した伊勢の吉五郎の縄張りである荒神山を奪ったために、次郎長の兄弟分の吉良の仁吉が吉五郎の加勢をしたが、鉄砲で撃たれ切り殺された。
映画はここまでだったが、これを聴いた次郎長は仇討のために吉五郎と対峙するが和解した。
また、講談や映画では仁吉が妻の寅次郎の妹のお菊を離縁して荒神山に向かうが、これは後からできたお話で、仁吉には結婚歴が無いらしい。
それにしても吉良の仁吉なんて如何にも年寄り染みた名前だと思っていたが、切られたとき28だったというから、命惜しむな名を惜しめってやつだなあ。
歌にも出てくる ”吉良の仁吉は男じゃないか” ”俺も生きたや仁吉のように”、ご存じ「人生劇場」の一節だ。
要は日本人が好きな物語なんだよなあ、義理人情が何よりも優先する、だけどそんなやつ少ないからこうやって残るんだよな。
「忠臣蔵」も日本人が好きな物語だが、自分の命を犠牲にしても筋を通すってやつね、
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