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キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

トキワ荘の青春

2019年02月28日 | Weblog
午前中JA湘南へ行き花を買い、帰りに娘の家に行きパチの世話をした。
娘たちは中之条へ出かけており、玄関を開けるともうそこにパチが居て、部屋を歩くとすり寄って来て直ぐに腹を出してひっくり返った。
腹をさすり首を撫でてやると酷く喜び、奥の部屋まで行くのに何度もこれを繰り返す。
餌と水をやり、トイレの掃除をしてから珈琲を淹れて飲んだ。
30分ほど音楽などを聴きながら一緒にいたが、帰るとなると玄関のところまで見送りに来るから可愛い。
妻は出迎えも見送りもしないから、どうしてもパチの方が可愛くなる。
妻もマルを猫っ可愛がりにしているが、その気持ちも分からぬでもない。


昼は葱そばだと云われ、日本蕎麦だと思っていたら中華そばだった。
最近では葱嫌いで嫌がっていた妻もこれを好んで作るようになったが、拉麺の究極は葱そばと高菜そばなので、そのうち高菜そばも教えてやらないとね。


プレシネは「Stalag 17」1953年 米映画、ドイツの捕虜収容所が舞台になっていて、コメディタッチの戦争映画である。
このようなタイプの映画は余りないので面白く観た。
アメリカ兵捕虜がジュネーブ協定を持ち出して待遇に文句をつけるところがあったが、日本人捕虜収容所では無かったことだろうね。


下の息子が帰って来たので一緒に散歩に出た。
大磯方面へ歩き、プリンスホテル手前で折り返して二宮駅南口迄戻り、パンとマドレーヌを買った。
前に近所の人から、このパンが美味いと聞いていた。
夜、少し食べてみたが、シャリシャリする感じの触感が良かった。


家に帰り、マドレーヌと紅八朔を食べ、娘の家に行き、再びパチの世話をして珈琲を飲んだ。
ANKERのスピーカーが壊れてしまったので、音楽を聴く楽しみが半減したが、それでもスマホのスピーカーで聴いている。
早く新しいのを買わなきゃね。
家に帰ってくると妻と息子が晩飯を食べていた。
サバの味噌煮、紅菜苔、ブロッコリー、おからだったが、薄味のおからが何とも美味かった。
食後2階に上がりベッドで横になって本を読み始めたが、直ぐに眠ってしまい目が覚めたら11時過ぎ、部屋の灯りを消して再度寝て、次に目が覚めたのが5時だった。

花沢徳衛「脇役誕生」を読み、残り少なかったのですぐに読了した。
「ドサ廻り」の語源が書かれていて、佐渡のような田舎にまで巡業に行くことで、佐渡が反転してドサになったとのこと。
ドサが佐渡から来ていたとは思いもよらなかったので、ちょっと嬉しくなった。

こういうのってネットで調べると直ぐに出て来るけど、佐渡が流刑地で一度流されるとなかなか戻れないので、地方巡業に出ると直ぐには帰れないという意味もあるらしい。
もう一つ、佐渡は博打で捕まると流された地で、役人が賭場へ踏み込むことをドサとも称したらしい。
語源や起源てのは中々本当のことは分からないが、ドサが佐渡に由来していることだけは確からしい。


その後7時半まで、昨夜本棚を整理していて偶然手にした石ノ森章太郎「章説-トキワ荘の青春」を読んだ。
去年の10月に中公文庫から出て、買ってそのまま他の本に紛れていた。
石ノ森章太郎は漫画もエッセイも読んだことがないが、トキワ荘で赤塚不二夫とひじょうに親しくしていて、この本の中でも何時もつるんでいる。
赤塚不二夫は滅茶苦茶なことをやるが、一人になるとすごく哀しい風情を見せ、そこがたまらなく好きだが、飲むと大騒ぎをするのも、梯子酒になるのも、それは寂しいからで、よく分かるんだなあ。
きっと好きな赤塚不二夫が出て来ると思ったので買ったのだが、予想以上に面白い。

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コマキスト

2019年02月27日 | Weblog
朝めしは、ホッケの干物を焼き、ジャガイモの味噌汁とモヤシとホウレン草と豚肉炒めを作って食べた。
豚肉の下処理に紹興酒を入れるのを忘れたが、そのほうが小麦粉と片栗粉が綺麗にまぶせ、フライパンに引っ付かずきれいに仕上がる。
しかし、見た目はいいが、味わいに深みが無い。
多分この問題を解決するには、大量の油をひいて強火でさっと炒め、一度火から降ろし取り分けて置き、野菜を炒めてから一緒にするんだろうなあ。
これをやるには家庭用のガスの火力では無理で、業務用のガス台を買わなければいけないが、娘はそれを買って炒め物を愉しんでいるようだ。
その場合の問題は太るってことなのだが。

JA湘南に自転車で行き、椎茸と紅菜苔を買った。
冬の椎茸は成長が遅く味が濃厚で美味い。
先日、茎が赤い菜花と書いたが、真面目に名前を調べてみたら紅菜苔と云うらしい、見ればアブラナ科ってわかるけど、揚子江中流域原産らしい。
イオンに向かい、葉書ホルダーを買う。
先日のOB会で、昔の仲間のゆくえを捜すのに葉書を引っ張り出したが、整理をしていない葉書や手紙が多く、1960年代から今まで一気に整理することにしたので、最終的には50冊程度のホルダーが必要になるのだろう。
昔の葉書や手紙を読みながらだから、本の整理同様捗らないが、楽しみながらやっている。
80年代から一昨年迄仕事第一で生きてきたので、いつ何があったか定かではなく、それを確認しながらやっていて、大切な人との関係をきちんと全うすることなく流れてきてしまったという反省も深い。

妻がマサに買い物に行くから一緒に行かないかと誘うので助手席に乗り出かけた。
朝この海で捕れた背黒鰯、通称しこ鰯があり、これを買った。
妻は肉を5種類以上買ったのではないか、懲りないやつだ。

昼はスパゲティに冷凍して作り置いたトマトベースのソースに茄子を入れたものをからめて食べた。
旬に関わりなくトマトを買ってきては煮込んでソースを作っているが、夏の味が濃い時に一年分を作ればいいのになあと思う。
でもそれを云うと冷凍ストッカーを買えと言われるので甘んじて季節外れの薄い味のトマトソースを食べている。

プレシネは「ドクトルジバゴ」これも二回目で、しかも長尺、夜には「ソロモンの偽証」があるので疲れ目が心配だが、結局全編見てしまった。
やっぱりこの映画は面白い。
主題は何なのかねえ、ロシア革命の悲惨さ、我々はその結果を知っているので共産主義が当初考えられていたほどいいシステムではなく、資本主義に欠陥があるものの、こっちのほうがまだましだという事を心得ている。
実は僕も高校時代共産主義に夢中になったことがあったが、その問題点に気付いたのではなく、その熱狂が嫌になって遠ざかった。
システムの問題と共に、他人を熱狂させてしまう所にも問題があったなあと思う。

共産主義を目指していないのに未だ日本共産党を名乗っている党があるが、いい加減にせいけん名称を変更して、緩やかな社会主義的傾向を持つ政策政党としてやっていったらどうなんだろう。
公明党の組織票と合わせたら、これほど固い岩盤票は無いわけだから、弱者を思う手厚い福祉を標榜して政策をすり合わせたら、意味のある二大政党制が可能のような気がするのだが。

夕刻、梅沢方面へ散歩に出た。
いい春の宵だなあって思える、隠居生活は生きてるって感じさせてくれる。

風呂に入って、晩飯を食べる。
しこ鰯の天婦羅とから揚げ、茄子、蕗の薹の天婦羅、玉葱と桜エビのかき揚げを塩で食べた。
このしこ鰯というのは調理が酷く面倒で、妻は半分しか開きに出来ずGiveUp、残りをから揚げにしたが、いずれも滅茶苦茶美味かった。
白ワインを二階から持ってきたが、たべ始めると箸が止まらず、結局開けず仕舞となった。

から揚げはバケットに挟んで塩とレモン汁をかけて食べたが絶品だったね。
妻が、鰯はパンに一番合うわね、と云ったが、白身の刺身をパンに載せて食べても美味い。
平目を釣ったら、薄造りにしてパンの上に並べ、オリーブ油とレモン汁、塩を振りかけて食べてみてよ。
要は白身魚のマリネとパンが合うってことだけどね。

「ソロモンの偽証」を観た。
これも二度目で、しかも長尺なんだけど前編と後編に分かれているのが救いなんだな。
いきなり僕の大好きな尾野真千子が出て来るんで、目が離せなくなっちゃったんだけど、これ原作の宮部みゆきがいじめを題材に暴力を描いているんだ。
子供の頃、友人を平手でひっぱたいて気分が凄く悪くなり、それ一回で以後暴力を振るうことは無くなったが、他人から暴力を受けて反撃しないと物凄く悔しさが残り、その悔しさを抑えるのってすごく大変なんだよ。
継続的にいじめを受けたやつが、反撃しないで納得して生きてゆくってのは鬱屈が心に堆積して残り、まっとうに生きてゆくのは現実的に不可能なんじゃないかと思う。
この映画で、いじめを受けていた女の子が、いじめをしたやつを殺人者として告発したというのは、それがでっち上げにしろ暴力に対抗する方法としては、暴力より非難される度合いは低いんじゃないか。
後編の「裁判」の経緯と結末を忘れたので、この後の推移が楽しみだ。
記憶力の減退ってのは悪いことばかりじゃないねえ。


深夜の読書と早朝読書では、花沢徳衛「脇役誕生」を読んでいる。
日本共産党員でもあり、演技論でも理屈っぽいところがあるが、晩年の著作なので、ひょうひょうとした文章ならもっといいのにねえと思いながら読んだ。
「樅の木は残った」で栗原小巻の父親役をやったのが印象に残っているが、あの頃(1970年)の栗原小巻は実に綺麗だったなあ、もちろんコマキストになった。

当時、吉永小百合を好きなサユリストとコマキストが世の男を二分していた。
例えば、「男はつらいよ」に吉永小百合は、1972年「柴又慕情」9作、1974年「寅次郎恋やつれ」13作に高見歌子として2回、栗原小巻も、1970年「新 男はつらいよ」4作 宇佐美春子として、1985年「柴又より愛をこめて」36作 島崎真知子として同じく2回、マドンナとして出演している。



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3本映画を観る

2019年02月26日 | Weblog
酷くいい天気だった。
春爛漫と云ってもいいくらいで、梅が満開、沈丁花の香りが道に漂い、早咲きの桜が咲いている。
朝、大磯方面へ散歩に出ると、畑の蓮華が咲きだしている、鳥が繁殖期を迎えたのか盛んに囀っている、川の鯉の動きも激しい。

散歩に行く前に、今日も妻に昼に手巻き鮨を作るので、鮪が足りないから買ってきてと云われる。
下の息子にリュックサックを背負わせて、散歩に出たので、マサでキハダ鮪の柵、落花生、鰤のあら、おはぎを買った。

昼に家に帰りつくと、妻が既に卵焼きを二本焼き上げていて、干瓢を煮ていた。
飯が炊き上がり、今日は5合にしたので合わせ酢を自分で作ると、酢、梅酢、レモン、塩、砂糖などで調合を始め、炊き上がった飯に振りかけ鮨飯を作った。
5合の調合比率を覚えているが、4合、3合になると多分掛け算が出来ないのだろうと思うが、市販のすし酢を使う。
ともあれ、鮨飯が出来上がり、キハダ鮪、メバチ鮪、帆立、卵焼き、干瓢、カッパなどを好みで海苔に巻いて食べた。
何時も碗ものを作れと五月蠅く言っていたので、出汁を引き、菜花と蒲鉾で澄まし汁を作ってあった。
出汁をケチったので旨味が少なかったと妻も反省したが、塩気が強く旨味が無かった。
鮨飯は巧く行ったでしょと自賛していた。
多分、家庭で鮨をやるときに一番難しいのが干瓢だと思うが、この日は煮具合はぴったりだったが、甘みが足らなかった。
全体的には、妻が鮨好きなので頻繁に作っていて安定しているため、ひどく不味いという事はない。
最近養殖の魚を使うなと言ってるので、ハマチ、タイ、カンパチ、シマアジ、サーモンなどの養殖魚を買わなくなったのも良い。
家庭の鮨は、基本的には鮨飯が美味く、鮪と干瓢、卵焼きがあればそれで良く、種3品の目利きと調理を上達させることが大切だと思う。
加えて、初夏にガリを1年分仕込んで置けるようになると凄いんだけどね。

何故かこの日プレシネがあり、「Speed」1994年 米映画を観た。
アクションの場面を作るために脚本された作品で、ストーリーは詰まらないありきたりのものだ。
最近、と云ってもこれは1994年の映画だが、もうこの頃には如何にスピードや暴力、アクションを観せるかに傾いていたんだね。

7時から「男はつらいよ」マドンナが真野響子のを観た。
真野響子は大学時代カティサークのキャンペーンガールで好きだったが、今観ると、確かに綺麗だが、凄く綺麗って感じではない。
近頃、若い頃のアイドル何人かに目を奪われることがあるんだけど、年を取るとハイティーンの輝く瞳に弱いのかなあ。
「男はつらいよ」は3度も4度も観ているものが多いが、これは初めて通しでじっくり観たような気がする。
何しろ50作近くあるので、一々覚えていられないが、マドンナで内容を思い出すことが多いね。

9時にはTVの前を離れて二階に上がり読書をしようと思っていたのに、TV番組を観たら「私をスキーに連れてって」があり、3回目なんだけど原田知世がすごく可愛いのと、若い頃の時代感が味わえるのでつい観てしまった。
車や無線など当時の最先端のものが使われていて、それぞれ凄く流行ったらしいんだけど、当時はこの映画を観てないし、そういったモノに興味が無く、ひたすら呑んでいた。
でも、若いオネエサンにジジイのくせにデーハー好きだって批判されるけど、女の髪形や化粧、服装はこの頃のものが好きだなあ。

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幼児性という宿痾

2019年02月25日 | Weblog
この日、午前と午後二度散歩をした。
午前の散歩は大磯方面、先ずは南に葛川まで歩き、川沿いを大磯プリンスホテルまで行く、海が望める明るいバーでカクテルを一杯飲みたいなあと思ったが、朝酒は余りにも愉悦が過ぎると思いとどまる。
ここで好きなカンパリソーダを伊豆半島に沈む夕日を眺めて飲んだ頃は僕も時代も若かった。
時代も僕も老いてきた今は佇まいそのものが黄昏なんで、朝日を浴びてブルーキュラソーでも飲むのが良さそうだね。
午後の散歩は東に向かい、盛りの梅を眺めながら駅裏に出て、海岸へ降りた。
ルアーマンが二人、見るからに投げやりにロッドを振っていたが、海は穏やかで平目が掛かるかも知れない。


朝、何時ものように7時半に起きて雨戸を開けて、風呂に入り、朝飯を作った。
友人にもらった食パンと山下で買い求めたバゲットがあり、スクランブルエッグを作り、アールグレイを淹れ、ミルクを温めた。
庭からレタスを採ってくればよかったが、何だか野菜を喰いたくない気分だったので、チーズを出して食べた。

久し振りにJA湘南へ自転車を飛ばしたが、すでに季節は春盛り放題くださいで手袋も要らなかった。
紅八朔、ブロッコリー、スティックブロッコリー、小松菜を購入。
出がけに、これから叉焼を焼いて昼は拉麺にするから麺を買ってきてと妻に言われ「冗談じゃねえよ、大の男が帰りしなに女房の使いなんか出来るかよ」と心の中で思ったが、もちろん口には出さず、素直に西友に寄り、札幌の麺、モヤシ、支那竹、鳴門巻を買った。

昼は予定どおり拉麺で、喰いすぎないよう控えめな量を作り食べた。
この日のトッピングは、煮卵、モヤシ、小松菜、鳴門巻、支那竹、焼き海苔、刻み葱が用意されていたが、僕は煮卵以外を載せた。
叉焼は肩ロースとヒレだったが、肉の旨味はヒレの方があったが、汁に溶け出す脂が必要なので肩ロースも外せない。
食後に到来物の虎屋夜の梅を食べた。

食後は二階で読書のつもりだったが、ベッドに横になったら日が当たり、いつの間にか眠っていた。
それでも3時に起きて4時過ぎに散歩に出かけるまで本を読んだ。

散歩から帰り風呂に入って晩飯を食べた。
妻が午後長い時間を掛けて、豚肉と大根、人参、椎茸を煮込んでいたが、それに茹でた菜花と赤い茎の菜っ葉(名称不明)を載せて食べた。
豚バラ肉の塊は箸で千切れるくらい柔らかくなっていたが、大根と人参が溶けそうで煮すぎ、素材によって調理時間を考えりゃいいのにと思ったが、口には出さなかったのは言うまでもない。
鰯の塩焼きもあり、身をほぐしてバケットに載せオリーブオイルをかけて食べたが、この喰い方をすると白ワインが欲しくなる。
去年カディスの友人の家で鰯を食べた時には5匹も喰い、フィノを随分飲んだなあと懐かしく思い出した。
この料理はシンプルだが美味い、新鮮な鰯が手に入ったらぜひやってみるといい。
パンをトーストして、大蒜を粒のまま擦り付ける、そこに鰯を載せてオリーブオイルを垂らす。
合わせるワインは辛口で匂いのない白ワインですぜ。
料理のポイントは一つ、新鮮な鰯を使うこと、古いと臭くてどうにもならない。

8時半に当番だったので母の着替えを手伝って寝かせ、9時に二階に上がって「マスコミ亡国論」を読んだ。
12時まで読んでいたのを覚えているが、その後眠ってしまい6時に起きて再び読み、7時過ぎに読了した。
この本の中に酷く可笑しいところがあり、一人で深夜笑い転げていた。
土井たか子が消費税にたいして、無論理の感情論で「ダメなものはダメ」と切って捨てて選挙に大勝したのを覚えていらっしゃるだろ。
それに対して西部邁が「大人が幼児の論理を用いて、それで通用するというのは、もし馬鹿でないのだとしたら、日本人はよほど退屈と苛立ちに苦しんでいるのであろう」と批判したのだが、西部節全開に喝采した。
これだけだと十分に可笑しさが伝わらないけど、引用が長くなるので大笑いしたい人は「マスコミ亡国論」をぜひお読みいただきたい。
購入しても1,000円、図書館にも在ると思います。
ちなみに論旨は、消費税(間接税)に賛成で、サラリーマンは収入が100%透明で自由業の人達のような合法的な脱税が出来ず不利だが、この消費税導入は所得税(直接税)と売上税の減税がセットになっていて、サラリーマン家庭は大いに有利な税制改革であった。
直間比率の是正という狙いもあったんだよ。
日本人の幼児性がこの改革の本質を理解せず、感情論で反対に回ったことを嘆いているのだが、日本人の宿痾になっている幼児性は、唾棄すべきあのゆるキャラに典型的だ。




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アペリティフ

2019年02月24日 | Weblog
二日酔いの良い点は、もう外へ遊びに出られないから、じっとして本でも読むしかなく、読が捗る点である。
午前中は完全にベッドの中で、「『影の総理』と呼ばれた男 野中広務」を読み、午後読了した。
内容につては既に書いたが、彼が生きた同時代の政治家についても書かれていて、かなり幅の広い動きが分かるので暇がある方には一読をお勧めする。

妻が娘たちを昼に招いているらしく、零時過ぎに部屋に迎えに来た。
台所に行くと娘たちは妻が作った食前酒を既に飲んでいて、メインは牡蠣ご飯、サブに鰺の酢〆、ホウレン草の胡麻和え、それと鶏と根菜類のソテーのような見たことも無い料理が出ていた、どうも栗原はるみのレシピーらしい。
牡蠣ご飯は定番なので安定した旨さだったが、娘に拠れば妻の肉料理にうんざりしていたが、「きょうの料理」のレシピで作るようになり喰えるものが出て来るようになったと、この鶏料理を好意的に見ていた。
アペリティフは4,5日前に、妻が娘のところの庭から檸檬を6個収穫し、うちの庭のローズマリーと生姜、僕が買った蜂蜜を大量に使い、漬け込んでおいたものに、白ワイン、ソーダを合わせて作ったもので、どちらかと云うと夏向きのアペリティフだったが、料理本を渉猟しているうちに目に留まって心惹かれてしまったものらしい。
この何日か、漬け込んだ瓶を胸に抱えて振ったり眺めたりしていたので、愛情というか執念というか、粘っこい感情が絡まり付いている。
二日酔いで飲まされたので頭がくらくら来たが、ジンジャーエールに一番近い味わいだと思う。

食後はプレシネ「大統領の陰謀」を観た。
二度目だが、どんな映画だと云われても説明できないくらい部分的にしか覚えていなかった。
ロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマンがワシントンポストの記者に扮してウォータゲート事件で大統領を追い詰める物語だが、ちびのホフマンの長髪はいただけないなあと前回同様に感じた。

4時、思ったより回復していたので大磯方面へ散歩に出かけた。
帰ってきて母の部屋で蜜柑を食べていたら、その内晩飯が出来て、鰊の塩焼き、大根おろし、スナップエンドウ炒め、チーズサンドを食べた。
9時から「新日本風土記」釜ヶ崎、10時から「トクサツガガガ」を観るので、いったん二階に上がり読書をしようと思い、西部邁「マスコミ亡国論」を読み始めたが、直ぐに眠ってしまった。

それでもどうにか9時前に起きて「新日本風土記」を観た。
釜ヶ崎という通称名で通っているが、実際にそういった地名はなくアイリン地区と呼ばれているらしい。
日本が得意の名称を変えれば問題が隠れるといった考え方で、ドヤ街はドヤ街のままだ。
日雇がここから全国に派遣されているらしく、明日から派遣で四日市に行くという労働者の出発前日と当日を追った映像もあった。

「トクサツガガガ」は仲村さんが遂にオカアサン松下由樹に反乱を起こし、顔を張られた後に張り返すという暴挙に出たが、何だか力道山の空手チョップを思い出したなあ。
世間や母親の抑圧に耐えて、視聴者にそこまでするこたあないだろう、やっちまえと何度も思わせて、反撃を実行せずに失望感を与え、これ以上耐えられないところまできて一気に天下の宝刀空手チョップで鬼畜米英を叩きのめす。
このパターン100年前から同じで、いやもっと前からだね、分かっていても喝采を送ってしまうんだなあ。
来週は最終回とのことだから、一気に抑圧から解放された仲村さんの晴れ姿を堪能できる。

とっても安心した気分で2階へ上がり「マスコミ亡国論」の続きを読む。
予想はしていたが、この間読んだ西部本と同じ内容が多く、論旨はだいたい分かっているんだけど、何度も同じことを読むことで学んだ事を習えるから、血肉になるのだよ諸君。
西部の批判の多くは、マスコミと大衆に向いているが、少数のエリートが国の行く末を決める安倍政権は、そのマスコミと大衆操作にたけていることが分かる。
直接的には小選挙区制と政党交付金が安倍独裁政権を実現したが、これを全体主義と命名したら、マスコミや大衆は拒絶反応を示すに違いない。
視聴率優先のTVや購読者数を確保しなければいけない新聞・雑誌が本来の権力批判の機能を失い、軽佻愚劣な大衆に批判能力がないのなら、エリートが話し合い議論をしながら国政を勧める機能を取り戻さない限り日本の明るい未来はない。
政治には金がかかるのだから大衆の金銭感覚で批判をしないこと、派閥のネガティヴな所だけ批判して、その解消策としての小選挙区制、比例代表制、政党交付金が独裁者を生むことがハッキリしたのだから、先ずそれを改めること吝かであってはいけない。

二日酔いがまだ残る頭でこういった難しいことを考えたのがいけなかった。
眠れなくなり、時計を見たら1時を過ぎていた。
よっぽど階下に降りてコニャックでも啜ろうかと思ったが、OB会で会った美人から、酒を呑みすぎないようにとの優しいメールをいただいていたのを思い出し思いとどまった。


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EISC・OB会

2019年02月23日 | Weblog
一日寝てどうにか二日酔いも癒えたので、3月21日の㈱輸出サービスセンターOB会について書かなきゃね。
20名参加予定のところ、当人の病気とご家族の病気などで3名が不参加になり、17名での会になったが、40年近く振りに顔を合わせたかたもあり、話が尽きず、大いに盛り上がり4次会までやった。

11時から馬車道の生香園でスタートしたが、当時、取り扱っていたハワイマウイ島のパイナップルワイン「マウイブラン」を飲んだら、38年前のハワイの事がいっぺんに思い出され、タイムマシンに乗って1981年に戻ったようで、味覚と嗅覚の記憶ってのは身体に沁みついているもんだなと改めて思った。
30分ほどカクテルタイムで挨拶をしたり昔話をしてから、着席して僕がEISC(Export Import Service Cnter)に所属した方たちのその後について報告をしたが、亡くなられたかたも多かったのが残念。
予想以上に消息不明なかたたち多く、3か月以上準備をしたので、もっと調べて集められたかなあとやや反省した。
親しい取引業社、倉庫業、乙仲、広告代理店、印刷業4社5名に参加していただいたが、食品酒類輸入会社には必須のかたがで、長いお付き合いがあり、それぞれEISCとの思い出などを語っていただいた。
EISCを外から客観的に観られていたので、へーえと思ったことも多く、もっと前に聴いていたら会社の経営に役立ったのになあ。
12時から食事を出してもらったが、3時近くまで話が絶えず、旧社員のかたに自己紹介をやってもらうタイミングを失った。

生香園の4階から眺めて交差点のはす向かいにイタリアンバーがあったので、スマホで探して電話をし、12,3名分の席を作ってくれと依頼した。
20分くらい経って席が空いたと電話があり、15名で二次会に向かった。
便利な世の中になったものだ。
酒が呑める人はワインと軽いつまみ、飲めない人が珈琲とスイーツで2時間ほどいたかなあ。
女性陣が帰る時間になるのを潮に、店の前で記念撮影をし、3次会の利休庵へ10名で向かった。

利休庵は既に混んでいて、2階の隠し部屋のようなところに席を作ってもらった。
5点のつまみセット10人分と菊正宗の燗とビールを飲んだ。
既に6時間話をしたのに尽きないもので、8時過ぎまで飲んで騒いで〆にもり蕎麦を喰った。

吉田町から野毛に向かって歩いたが、7人で橋本に入り、からすみを肴に地酒を冷で呑んだ。
10時過ぎまで飲んでいたような気がするが、意識がぼんやりしてよく覚えていない。
桜木町まで歩き、そこで散会となったが、一緒に帰る人がいて大船まで根岸線に乗ると、ワンタンメンの美味いのがあるからと誘われ、餃子でビールを飲み、雲吞麺を喰った。

どの様に帰って来たのか定かではないが、相方は平塚なのでそこまでは年寄り二人で助け合いながら帰って来たものと思われる。
偶然目が覚めたら二宮で、乗り過ごさずに帰ることが出来た。
家に帰ると零時を回ったところだったので、大船はさっと切り上げたものと思われる。

17人から15人、10人、7人、2人と会が深まる度に人数が減ったので帰ることが出来たんだなあとぼんやり考えている。
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OB会前夜

2019年02月22日 | Weblog
酷い二日酔いである。
一昨日のことから書かなければいけないが、昼に辻堂へ出かけ、娘たちと知人を引き会わせて5人で新事業の計画についての話をした。

場所は辻庵で、そういうことになればワインを飲むことになり赤と白を夫々開けた。
5種類ほどの前妻の盛り合わせとメインはブイヤベース、デザートはケーキとクレムドブリュレ、最後に珈琲を飲んで2時間のランチが終わった。

このランチの前に辻堂BOにより1時間ばかり本を物色して、高坂正堯「世界史の中から考える」新潮選書 1996年花沢徳衛「脇役人生」岩波書店 1995年を買った。

桜木町まで移動をして、駅前のコレットマーレの紀伊国屋で新刊を眺めた。
前回は休館日でガッカリしたが、この日は開いていた。
のんびりと眺めているとKさんから、馬車道十番館でお茶を飲んでいるので来ないかとメールが入り、慌てて西部邁「マスコミ亡国論」青志社菊池正史「『影の総理』と呼ばれた男 野中広務 権力闘争の論理」講談社現代新書を買って向かった。

Kさんと21日のOB会の最終打ち合わせを生香園新館で行い、5時に山口からみえたOBの一人とアパホテルで30年振りに会い、鳥伊勢本店で焼き鳥を喰いながら旧交を温めた。
9時過ぎに二宮駅に帰り着き、CVSでビールとつまみを買って家でゆっくり飲んで寝た。

3時前に起きてしまい「影の総理と呼ばれた男」を読む、野中務は10年ほど前に熱中して読んだことがあり、気になる政治家だが、残念ながら去年か一昨年に無くなっている。
田中角栄との交流、京都の革新政権との戦い、逆差別の解消への戦い、弱き者へのまなざしが書かれている。
加藤の乱のときに加藤に対してあなたは将来総理になる人なんだから、ここは鉾を納めなさいとTVから説得していたのが強烈な印象だった。
剛腕だが優しさを持った人で、その後野中に関連した本を集めて読んだなあ、だがまだこの人の心の底に切り込んだ気がしない。
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ヨーロッパ近代史

2019年02月21日 | Weblog
一日雨も良いの天気で気分が晴れなかったな。

朝めしは椎茸と蕗の薹の味噌汁、ホッケの干物、白菜の漬け物、納豆とありきたりのものを喰い、JA湘南へ出かけた。

スティックブロッコリー、椎茸、ホウレン草を買い、イオンへ行きバナナ、モヤシ、「高砂 純米」を買い、隣の100円ショップで写真ホルダーを三つ買う。
帰りに山下へ寄りバゲットを3本買った。
娘のところへは寄らず家に帰って結婚式、二次会、新婚旅行の写真で未整理なものをホルダーに入れて整理した。
思えば長い間放置したものだ。
一枚ずつ写真を見てゆくと、叔父や叔母はほとんどが亡く、義父も父も居ない、その代わりその頃赤ん坊だった姪が大人になり子供が3人もいるのだから、32年間はあっという間だったが、その変わりようは激しい。


妻と下の息子が病院へ行ったので、用意されていた母の食事を温めて出し、自分用には小松菜とモヤシを棒拉麺と一緒に茹でて、叉焼、蒲鉾、葱をトッピングして食べた。
面倒くさいとモヤシを一袋入れたせいで、満腹になり、多少過剰気味だった。
それでも食後にはお茶を淹れて羊羹を食べた。

プレシネ「True Grit」邦題「勇気ある追跡」はジョン・ウェイン主演、グレン・・キャンベルが助演の1969年の西部劇で14歳の少女が親の敵討ちにジョンウェインを雇い、見事仇討ちを果たすが、グレンキャンベルは死んでしまった。
中学生の頃グレン・キャンベルを良く聴いたが、彼の後男性シングルヴォーカリストは余り出なくなった。

雨具を着て国府まで散歩に出て1時間ほどで帰る。
風呂に入って晩飯を食べる、何故か妻の機嫌が良いので怖い。
トマト味のロールキャベツと鰊の塩焼きの二品、だが、ロールキャベツはべらぼうにでかく、それが二個よ沿ってあったのでそれだけでかなり満腹になる。
鰊は大根おろしが添えてあり、レモン汁をかけて美味しくいただいた。
食後に川崎の葛餅を食べた。

BS3で「イッピン」会津木綿を観たが、これ以前にやったやつで、縞のストールが欲しいと思ったのだが、今回も伝統的な縞模様に惹かれた。
9時から「アナザーストーリーズ」でこれも前にやったやつぁうだと思うが女子プロレスを観た。
「1985年のクラッシュギャルズ」柳沢健という本があるが、この年大阪城ホールでの長与千種vsダンプ松本の髪切りマッチでブームのピークを迎えた。
この試合を7列目で山田花子が観ていて、いじめに遭っていても耐えて強く生きようと決心して柔道を習い始め、中学卒業と同時に全女に入っている。
残念ながら受け身が出来ず4か月で首になるも、その後の吉本での活躍の支えになった。
中川翔子も全女を目指すが、その門は閉ざされ、オーディションで選ばれ、ウインクとしてデビューした。
当時の10代の少女の心を鷲掴みにし、内向的で大人しい少女が耐えて強く生きてゆく、新しいタイプの女を創出した。

10時に二階へ上がって読書をしたが、例のごとく直ぐに眠くなり寝てしまった。
だが2時半に目が覚めてその後眠られずえらい目に遭った。
本を読むには眠気があり、眠ろうとすると目が冴えるというあれだ、君塚直隆「ヨーロッパ近代史」を読むが一向に進まず、かといって十分な睡眠もとれぬまま朝を迎えた。
それでも最初の数十ページを読んだところで思うことは、第1章でレオナルド・ダ・・ビンチを取り上げてイタリアルネッサンスを解説しているが、懇切丁寧な説明で初心者の僕にはありがたい本であることが分かった。
素人にも分かるように説明できるってことはこの君塚直隆という男只者ではないかも。


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さかなくんの孤独

2019年02月20日 | Weblog
午後プレシネを観ていたら、妻が磯っ子とマサへ行くので、魚を買ってくる必要がありますかと聞いた。
前夜茹でたスティクブロッコリーと蒸した人参でパタージュとイベリコ豚のカツレツにするつもりらしかったが、何時も魚を喰わせろと叫んでいるので聞いてきたのだ、嫌な顔をされながらも魚魚と言っている効果は確かにある。
無暗に魚魚と言っている人物に「さかなくん」がいるが、彼も世間の風当たりが強い中でよくぞ魚を褒めたたえていると賞賛したい。
ともあれ、マサで米神で上がった大鰺を買ってきてくれたので刺身で食べたが、餌を食べているんだろうねえ、旬ではないのに実に美味かった。
こういうのを喰っているから外で鰺刺しなんて喰う気にならないんだなあ。

晩飯は件のスープに豆腐を入れたものと、鰺、ホウレン草の胡麻和え、イベリコ豚のカツレツを食べた。
ホウレン草はあっじが濃すぎて一口で止めたが、カツレツは檸檬を絞って振りかけディジョンマスタードで食べたが美味かったなあ。

月曜日は夜もプレシネがあり「鍵泥棒のメソッド」2012年 堺雅人、香川照之、末広涼子が出て来るラブコメディ+トリック映画、この堺雅人はわざとらしい演技が無くて、というより設定がわざとらしかったからかもしれないが、よかったね。
「鎌倉ものがたり」でも主演を円いていたが人気があるんだねえ、広末涼子も久し振りに観たが、こういった役も出来るんだね。
香川照之はどうも脂っこくて好みじゃないけど、今は歌舞伎やってるんでしょ、舞台の方が個性の強さが薄められるから合ってるのかもね。
とにかく面白かった、邦画ってのは駄作が少ないように思うな。

映画を観終わって二階に上がり本を読む予定であったが、直ぐに眠くなり寝てしまった。
4時に目が覚めたが、暖房を点けて二度寝をしたら7時まで寝られた。
充分寝たのに寝起きは余り爽やかでなく、睡眠の質が悪かったのかもね。

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十三夜月

2019年02月19日 | Weblog
物凄く天気のいい一日だった。
完全い春だなあ、散歩の出ても日に光を浴びると暖かだし、梅も満開から散っている樹も多く、沈丁花も開きだして春の香りが道々に漂っている。

朝めしはホッケの干物、若芽と蕗の薹の味噌汁、白菜の漬け物、納豆。
JA湘南へは自転車を飛ばし、赤の鉄砲百合とジャガイモ、人参、玉葱を買った。
午前中は二階のベッドで日向ぼっこをしながらの読書、妻が見当たらないので何処にいるんだろうと思ったら庭で草むしりをやっていた。
天気が良いのでやりだしたんだろう。
その内、昼はオムライスでいいですかと聞きに来たが、ご飯が余ると炒飯かオムライスになるんだよね。
前は西洋料理店のオムライスを真似て濃厚な味わいだったが、あれはたまに食べるからいいんで、家で食べるなら飽きないように薄味にしたほうがいいと言ったら、最近は薄味に作ってあるので好ましい。
スープまでは手が回らなかったようで、インスタントのオニオンスープを食べた。
食後にアールグレイと羊羹。

プレシネは「アポロ13号」1995年 米映画、1970年にあった爆発事故をもとに映画化したらしいが、その事故を覚えていない。
宇宙に対する興味がほとんどなかったから、今もあまり無いけど、記憶にないんだろうね。
危険が多いし閉所で気が狂いそうになるだろうから宇宙船に乗ろうなんて気にならない、潜水艦も嫌だね。
トム・ハンクスが主演だったが、この人随分いろんな映画に出ている。

30分ほど二階のベッドで「海洋国家日本の構想」を読み、読了した。
5本ほど論文が入っていて、最後がこの本の題名にもなっている海洋国家日本の構想であったが、この論文が一番いいね、イギリスと日本の比較から、今後日本が考慮すべき点を挙げているが、1964年の出版なのに、その後この提言を実行していない、あれから半世紀以上が経っているのに敗戦後の経済優先から豊かな国になってからも発展途上国への支援で世界のバランスを取って生き抜く道に踏み込まず、今もその時の感覚のままだ。
この支援なんだけどカネを出せばいいってもんじゃなく、現地に行き実情をよく把握して、その問題点に共感して支援することが出来なければ、逆に反感をかうこともある。

海洋国家イギリスが世界を支配した時には、国を挙げて海賊交易を支援した。
外へ向かう者たちは冒険心があり、国内のエスタブリッシュから観ると胡散臭いが、そこに活力が宿っていることを理解していたんだね。
外に開かれた部分を抹殺したのが、歴史上「鎖国」と「満州事変」であったとの指摘をしている。
鎖国は分かりやすいが、満州事変は在支那人に対する共感が、政府も参謀本部にもなかったとの指摘だ。
海洋国家日本が内部に籠ったらお終いなんだ、外へ向かう人たちを共感を持って支援すること出来ているのだろうか。

4時から下の息子と散歩に行く、南へ歩き葛川沿いを大磯プリンスホテルまで歩き、途中白鷺と鷺、鴨を観た。
六所神社へ出て、そこから家へ折り返した。
東の空に十三夜の月が見事だった。
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