キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

ハスキーな魅力

2020年08月31日 | Weblog
今朝は北の空に雲がかかっていてチョット秋っぽい。
いくら何でも8月も終わりなんだから、何処かに秋の気配が濃厚に感じられないと物悲しいあの感じが楽しめない。
朝、4時に目が覚めてYouTubeで最近の出来事の解説をまとめて聴いた。
WILLの番組で、中国とITに詳しいオネエチャン深田萌絵が元気だ、それにしても色々な分野でやけに深く突っ込んで研究している若い人がいるもので、中国の秘密結社を理解しないと今の流れが分からないのは、欧米の秘密結社が分からないと今の政治経済の流れが分からないのと同様だが、この人の話を聴いていると中国人社会の裏の繋がりが良く理解できて、特に台湾の意外な面が分かり、見事なもんだなあと感心させられる。
後世畏るべし。
松田学の番組にも1年前から出ていて、気が付くのが遅きに失した感があるね。

6時になったので下へ降りて朝飯を作る。
シメジで出汁を取って豆腐の味噌汁、ピーマンの卵炒め、鰺の干物、胡瓜と茄子の糠漬けで食べた。
日曜日にやる、古い「新日本紀行」を楽しみにしているが、博多の山笠だった。
何時の映像か見損なったが、駅前がビル建設ラッシュだったから昭和40年代だったと思われる、その頃の山笠は今より粗くて活気があった。
当時はヤクザがいたり、仕事師も刺青をして粋がっていた頃だから、そんな感じが反映されていた。
今の映像はサラリーマン化して大人しい、博多山笠だけでなく日本国中が同様の変化を遂げた。
若い頃、中洲のクラブで酔っぱらって店に迷惑をかけ、翌日ママに謝ったが、男はあれくらいじゃなきゃ信用できないと歓待され、博多の気質は違うなあと感じ入った。
若い女がべらぼうに焼酎を飲みベロベロになるのにも驚いたが、酔って無抵抗の女をモノにするなんて男の風上にも置けないから、いっぱしの男の前では安心して酔っぱらうんだね。
でも、私を自由にしていいのよというサインとどうやって区別するんだろう。

二階に上がりブログをアップして、坂井泉水の2000年代のアルバム3枚を聴く。
あまり売れなかったアルバムだが、聴き込んでいると、売れていた頃より心を込めて作っているような気がする。

午前中はセットした8畳の部屋で松原みきを聴きながら三島由紀夫の対談集を読んだ。
今日は「肉の日」で、妻が朝早くから張り切って出かけたが、昼はイベリコ豚のカツレツになった。
インスタントの味噌汁があり、漬物も出来合いのを2種類用意してあり、サラダと付け合わせに人参のグラッセもあったので、結構本気で作ったようだ。
お陰で昼から喰いすぎた。
止せばいいのに食後に無花果を食べてしまった。
残暑が例年になく酷いのに、食欲が衰えないのは一体どうしたんだろう。

食後はおとなしく午睡をした。
ダラダラと5時半まで横になって本を読んだりしたが、次男と散歩に出ると日中の馬鹿げた暑さとは異なり、人間が行動する最低限の環境になっていた。
二宮を小回りに一周するコースを歩き、べとべとになった体を洗い、晩飯を喰った。
鰺の刺身、ソース焼きそば、ピーマンと鯖缶炒め、ミニトマト、茹で落花生、胡瓜糠漬け。
昼間、8畳でワインを1ケース発見し、マルサラと3種類のランブルスコがあり、ランブルスコを1本冷やしておいたが、良く熟成していて美味かった。
もちろん妻にも勧めたが、やや甘口で弱発泡性の軽いワインは女に受けるんだなあ、美味そうに飲み干した。
その後、チーズとおかきで久し振りにティーチャーズをロックで飲んだ。
2週間ぶりでアルコールを飲んだが、いくらでも身体に染み込んでいくような感じだったな。

2階に上がり、須藤薫をじっくりと聴く、何度目か分からないが、ようやく各曲の違いが分かって来た。
全38曲あるので、もっと聴き込まないと何とも言えないが、頭の「やさしい都会」荒井由実と筒美京平の楽曲はいい。
このアルバムはシングルが発表順に並んでいるが、若い頃より年を取った時のほうがハスキーな感じが強くなる、このハスキーヴォイスがやっぱり魅力かな。
リリーの割れたハスキーヴォイスじゃなくて、シャープな感じなんだけど、丸顔と関係があるのかなあ。

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「飲み屋」という宇宙

2020年08月30日 | Weblog
昨日に続いて今日も不快だ、きっと湿度が高いのだろう。
日本の南西に台風があるらしく、その影響で湿った南風が吹いているのだろうか、九月になろうとしているのに、これじゃあ晩夏の物悲しい風情もあったもんじゃない。

何故か昨夜はよく眠れ、4時間ぐっすり眠り目覚めが良かった。
昼寝を2,3時間するから、夜これだけ眠られると快調だ。
階下に降りると、炊飯器のスイッチが入っておらず、鍋で炊くことにしたが、ここのところスイッチが入ってないことが多く、ついに妻がボケてきたんじゃないかと怪しんでいる。
元々ボケているが、更にボケると面倒くさくて嫌だなあ。
先に風呂に入り、出てきてから電気釜の米を厚手の鍋に移して少し水を足しガスコンロに掛けた。
既に米が十分水を吸っているので、15分で見事な具合に炊きあがった。
蒸らしておくとおこげが出来て、その風味がいいんだよね。
出汁を取って茄子の味噌汁を作り、鰺の干物を焼き、茄子のオリーブオイル焼を作り、胡瓜を糠床から出し、納豆で朝飯にした。

9時半まで上林暁の酒場小説集「禁酒宣言」を読んだ。
この人の小説及びエッセイはある程度持っているが、あまり読んだことが無く、文体と小説世界に慣れるまでれるまで少し時間が掛かった。
私小説なので、同じ題材が繰り返し出てくるのと、身近な出来事はそう多彩じゃないからパターンに慣れるのも早い。
当時、多くの文人が中央線界隈に住んでいて、上林も荻窪と阿佐ヶ谷の間の天沼に住んでいたから、井伏鱒二を大将にして、駅の近所の安い酒場に集まって夜ごと呑んでいたのではないか。
まだ半分しか読んでいないが、駅前の飲み屋が舞台になっているものが多く、酒飲みとしてはだらしなく飲むのが肯定されているので心持いい。
これを編んだのは坪内祐三で、先日読み終わった野坂昭如のエッセイと同じ編者だ。
このころは勢いがあり、常盤新平などもその勢いを評価していたが、最近はチョット影が薄く感じられる。
ちくま文庫用に酒にまつわる小説が編まれて1999年に出たが、16年後の2015年に2刷が出ているから売れなかったんだろうね、その2刷を買った。
今はもう新刊では手に入らないから、気になった本は買って置くべきだね。
小沼丹、木山捷平、尾崎一雄などの私小説作家は地味だからベストセラーにはならないが、根強いファンが少数いて読み継がれている。
この人たちの本も見かけたらとりあえず買って置くべきだ。

JA湘南へ行き、ミニトマト、茄子、胡瓜、落花生、ピーマン、獅子唐、無花果、花を買った。
昼は昨夜のミネストローネにペンネを入れたパスタにミニトマト、無花果、カステラ、ドーナッツを食べた。

余りにも暑くて湿度が高く不快だったので、二階でクーラーをかけて午睡。
6時前に起きて散歩に出たが、出た瞬間は暑くて不快だったが、歩いているうちに南西の風が吹いてきた。
熱気と湿度を含んでいたが、風があると救われるもので、少し気分が良くなった。

家に帰り風呂に入り晩飯を食べた。
〆鯖、昨日作ったものだが具合よく酢が入っていて美味かった。
茹で落花生、胡瓜と茄子の糠漬け、ミニトマト、茄子とオクラの海老煮、ムツ煮、煮豆、無花果、昨夜の残りの小烏賊煮と鯖の竜田揚げ、オールフリー、麦茶、水出し珈琲、野菜ジュース。

最近、妻に母の居間を占領されるので、奥の8畳にPanasonicのCDラジカセを持って来て、ソファーを置き、音楽を聴きながら読書が出来るようにした。
松原みきを聴きながら上林暁「禁酒宣言」を読了した。
巻末の「上林暁の小説における『飲み屋』という『宇宙』」というスタンレー鈴木の短い論考が優れていて、日本にしかない「飲み屋」という宇宙=神話世界を見事に解説していた。
イギリスのpubやフランスのcafeに憧れる気持ちも強いが、日本の「飲み屋」や「居酒屋」は他に例がなく、海外のやつらにとって垂涎の的なんだよね。
日本人として、その文化をとことん味あわない手はない。

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安倍政権の終わり

2020年08月29日 | Weblog
昨日久し振りに釣りをやったせいで、何時もだと朝飯の後2時間ばかり読書をするのだが、ベッドに横になって本を開いて須藤薫を聴いていたら眠ってしまった。
9時半にJA湘南へ出かけたが、何時になく暑くだるかった。
売り場に着いてオバサンと話したら、今日は何時もより早く冷房を付けたから、暑くなるのが早いんじゃないかとのことで、体調だけのことではないらしく、朝から暑い一日が始まっていたようだ。
ミニトマト、茄子、無花果、アオムラサキを買った。
思えば8月も終わりに近く、栗や落花生も出てきてはいて、朝晩は涼しくなったが、日中の光の強さと暑さには参っちゃう。

昼は冷やし中華だった。
叉焼を焼いて無いのに、これになったのは妻が好んでいるからなのか、以前は嫌いだったのに変わるもんだな。
ロースハム、錦糸卵、胡瓜、ミニトマト、スグキ、紅生姜、胡麻、芥子で食べた。
食前に無花果、食後にカステラを食べた。

プレシネは、エイズで死んだロック・ハドソンがアパッチの族長を演じた1954年のアメリカ映画「TAZA、Son of CHOCHISE」だった。
エイズを公表したことは知っていたが、どんな人か知らなかった。
193㎝と長身で均整の取れたマッチョな役者で、この人が層なのかと今日初めて認識した。
共演者や映画関係者の間では同性愛者であることが早くから知られていたらしい。
当時、エイズは同性愛者の病気と考えられていたっけ。
西部劇はアメリカ人のマッチョなところを賛美する映画だが、今の状況から観ると、インディアンやメキシカンを人間と認めていないところが随所に出てきて、建国の恥部を描いたものとなっている。
人種差別問題は根深く、スローガンを掲げただけでは解決するものではなく、事あるたびに噴出する厄介な問題で、何世代にもわたり長い時間をかけて深層心理を変えていかなければならない。

二階でベッドに横になって本を読もうと思ったが、午前中同様眠ってしまった。
昨日の釣りがよっぽど応えたのと、温度がそれほど高くないのに不快なのは湿度が高いのが原因してぐったりするようだ。
それでも次男と5時半から二宮を小回りに一周するコースを歩いた。
べっとりとした汗がへばりつき気持ち悪かった。

風呂に入って出てきたら、妻に今日は二人で晩御飯よと言われた。
次男は午後帰って来た食べたので晩飯を抜くそうで、長男は釣友と玄関先で七輪をやるとのことだ。
晩飯は、〆鯖が美味かった。
プレシネを観ていたら、相模湾で揚がった見事な鯖だと自慢するために、わざわざ妻が2本ぶら下げて見せに来たやつで、1本は〆てもう1本は竜田揚げにすると言っていたやつだ。
妻と長男はアニサキスに当たって病院で処置をしたのでかなり恐れていて、以後〆鯖は食べない。
夏野菜とベーコン、豚肉で煮込んだトマト味のスープ、板わさ、ミニトマト、茹で落花生、茹で栗、芥子茄子、胡瓜の糠漬け、無花果、煮豆、プリン、柿の種、オールフリー、麦茶、ほうじ茶。
アルコールを飲まない分、口寂しいのか、スイーツやお菓子を食べる傾向にあり良くない。

TVを4時間観た。
「NHK7時のニュース」、光紀ちゃんが夏休みで出てないのか面白くない。
「美の壺」氷、料理の器としての氷、オンザロック、ミストの氷。
「新日本プロレス」IWGP、インターナショナル、ダブル選手権、大技を多用すると、結局技が軽くなるから連続的に出すことになり、迫力が損なわれる。
「新日本風土記」道頓堀界隈、南の演芸、うどん屋、鰻屋、牛肉屋、お好み焼屋、芸者、ジャズなど、美味そうで楽しそうで行きたいなあ。
「ディアペイシェント」、千晶先生=貫地谷しおりさん強いなあ。

安倍首相辞任について、金融緩和による円安誘導は必要な施策だったが、性急過ぎたため、当時経営を任されていた会社でのワインの輸入の対応が出来ずにガタガタになった。
トヨタなどの輸出産業は良かっただろうが、輸入産業に対する配慮が無く、もう少し段階的な量的緩和を行って調整期間を作ってほしかった。
金融緩和による円安で貿易黒字が膨らみ、株価が上がり、失業率は軽減したが、財政出動に関して結局は行わなかったので、経済成長には至らなかった。
トランプのアメリカ、プーチンのロシアとは良好な関係を作り上げたが、国内外の親中派=グローバル主義者による妨害で大きな結果を残すことが出来なかった。
憲法改正により自主独立の方向を目指したが、中国が尖閣に上陸して実効支配をし、沖縄を狙うところまでされないと、国民はまともに安全保障を考えないという事だろう。

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Stay with Me

2020年08月28日 | Weblog
今朝は3時に目が覚めてしまい、そのまま松原みきの全アルバム6時間23分の続きをかけて聴いた。
さすがに未だ夜が明けず、暗かったので本を読む気にならず、じっくりと歌に集中して聴いていたが、やっぱりこの子はいいねえ、ヒット曲は多くなかったのに、与えられた楽曲を最大限に魅力的に歌い上げるために物凄く研究していて、どの曲でも真剣に聴いているといい曲に思えてくる。
亡くなって大分経ってからの追悼番組で、お父さんが「何でもよく出来て手のかからない子だった」とインタヴューにこたえていた。
仲の良かった従妹は「勉強が良く出来たので、大学に行くものだと思っていた」と言っていたので、子供のころからしっかりした頭のいい子で、努力家だったのだろう。
3歳からピアノをはじめ、学生時代にバンドでキーボードを担当していたらしいが、歌は元ジャズシンガーだったお母さんの影響をうけたのかもしれない。
高校時代独りで上京して、転校先の高校に通いながら、アメリカ軍のベースなどで歌っていたというから行動的でもあった。
デヴュー曲の「Stay with Me」がヒットして、その後じり貧になったが、LIVEハウスで歌い続け、30代は作曲に力を入れたようで、スージー松原の名前でアニソンをかなり作っている。
残念ながら子宮頸癌で40代を生きられなかったが、生きていれば60歳なので、余分な力が抜け深みを増した歌が聴けたのになあ、残念だ。
当時の雑誌などを見るとアイドルとして紹介されているから、「Stay with Me」のイメージを壊したくないからと、出演依頼を断っていたらしいが、それも確かに大切なことだし、亡くなったことでイメージが確立したともいえる。

6時に起きて風呂に入り朝飯を作った。
シメジと茄子と豆腐の味噌汁、茄子と胡瓜の糠漬け、茄子のオリーブオイル焼、納豆、山葵漬け。
昨日買った栗を茹でていたのをすっかり忘れていたが、水を切ってあった。

JA湘南で茄子、胡瓜、ピーマン、無花果を買った。
午前週に石牟礼道子の「食べごしらえ おままごと」を読んでいたが、読了した。
水俣が何処にあるのか知らなかったが、グーグルマップで調べてみると、行ったことがある人吉と阿久根の間なんだなと実感できた。もっと北の方だと思っていたんだけどね。
チッソが有機水銀を垂れ流す前の暮らしが書かれていて、貧乏をしていたが海と山のものを贅沢に食していた。
石牟礼が東京へ出てきて感じたのは、野菜が全然違うことで、こんなものを食べていては豊潤という意味が分からず、共通感覚が得られないと言葉が通じなくなることを懸念していた。
お正月を迎えるのに、餅を搗きや煮〆を作るなどの手仕事をきちんとやっていないと、時間が平坦に過ぎていってしまい、時間の更新が出来ないというような意味の事が書かれていた。
同感ですね。
湘南暮らしでは、朝獲れた相模湾の魚を喰い、近所の農家が持ち寄った野菜を食べているが、石牟田が堪能した山菜の恩恵にはあずかっていない。
僕と長男が釣りをやるので直接海の恩恵にあずかるが、畑仕事はやっておらず農家にお任せだ。
弟は自家菜園を拡大し、大山の麓と花水川の河岸段丘に畑を持っていて、自分で食べる野菜を拘って作って、買った野菜は食えないと言ってる。

二階で音楽を聴いていたら、麻婆豆腐を作ったからお昼にしようと妻がやって来た。
何だか冷蔵庫に肉が大量にあり、最近子供たちも僕も肉を喰わないものだから、残っていた牛肉と豚肉と牛筋を使って、いきなり麻婆豆腐と肉豆腐の合いの子の様なものを作ったのだ。
これ以外におかずは無く、ご飯と一緒に食べろという事で、味付けが濃いと僕が喰わないから、気を付けて薄めにしたらしいが、とにかくすごい量だった。
麻婆豆腐の中にご飯を少し入れて食べるって感じだったが、肉がふんだんで不味かろうはずはなく、心ならずも余った肉の消費に大いに協力してしまった。
文句を言わずに食べたものだから、やけに妻の機嫌が良かった。
食後にメロンと無花果を食べた。

プレシネは、ここのところイングリッド・バーグマンの映画を特集しているのか、ユル・ブリナーとの「ANASTASIA」1956年だった。
これで二度目のアカデミー主演女優賞を取ったとのことだが、41歳のバーグマンは綺麗だった。
第一回目の受賞は先週観た29歳のときの「Gaslight」1944年で、3回目は助演女優賞で1974年59歳のときの「Muder on the Orient Express」だった。
学生時代観て魅了された「CASABLANCA」は1942年27歳だった。
これもプレシネで、この3年で2度放映されているけど、また観てみたい。

4時から大磯寄りの海岸へ釣りに出かけた。
海の具合は良さそうで、色が良くて潮が流れていたので、鯖は堅いなと思ったが現実は厳しかった。
前半のサーフトローリングでは、メッキがかかっただけで、それでもメッキが遊んでくれただけでもよしとしなくちゃ、後半のミノーイングでは掛かったと思ったら、麻袋の切れ端で本当にがっかりした。
まあ、重くなった後に生体反応が無かったから、一瞬座布団ヒラメかなと思ったが、その後すぐに活きものでないことが分かった。
家に帰ったのが6時だったから、優に1時間以上は竿を振っていたことになる。
去年、割といいリールを買ったが、このリール魚に縁がなく、多分今日のメッキが唯一の成果じゃないかな。

昨日の昼にオーダーした須藤薫のCDが着いたので、素早く風呂に入り、PCに取り込んで聴きだしたら、妻が魚が焼けたと呼びに来た。
白鯛の刺身、カマスの塩焼き、茄子の芥子漬け、胡瓜の糠漬け、茹で栗、茹で落花生、出汁巻き卵、南瓜煮、オールフリー。

7時半前に二階へ上がり早速須藤薫を聴いた。
実はこの人どんな人か良く知らない、風評で歌が上手いとの事だったので買ってみた。
松原みき、亜蘭知子、土岐麻子もほとんど知らなかったが、数曲聴いて良さそうだと判断して買ったのだが、須藤薫はほとんど聴かないで買った。
ちょっと声がハスキーなところがあり、そこがいいが、もう少し聴き込んでみないと良さが分からない。
ベッドで横になりながら聴いていたが、いつの間にか眠ってしまい、10時半、1時に目が覚めたが、そのまま眠り気が付いたら5時だった。
久し振りの釣りで疲れてしまったんだなあ。

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8月は戦争映画が多い

2020年08月27日 | Weblog
さて、お次の本は何にしようかと右手の棚を眺める。
ここには落語や映画などの芸能関係の本と、食品と酒に関する本があり、どちらかというと気晴らしになる本が多いので、眺めるだけで楽しい。
石牟礼道子の本があったので、何でだろうと思って手に取ったら、見覚えのある表紙で「食べごしらえ おままごと」中公文庫だった。
2012年初版発行となっているから、文庫化されたときに買って置いたのだろう。
二年前に亡くなった時に茅ケ崎の長谷川書店で、追悼で「苦海浄土」他が平台に並べられていて、よっぽど買おうかと思ったが、TVのドキュメンタリーを観ていて、水俣病を受け止める準備が出来てないとチョット無理だなあと見送った。
その同じ著者がこんな本を書いていたんだと意外だった。

3時過ぎに目が覚めてYouTubeで幾つかの番組を聞いた。
最近は松田学さんの番組を聴くことが多い、温厚な方で、色々な方をゲストに呼んで話を聞くから多岐に渡りものを知ることが出来る。
6時半に起きて朝飯を作る。
エノキと豆腐の味噌汁、茄子と胡瓜の糠漬け、ピーマンの卵炒め、納豆。
マルのトイレの掃除をしてから二階に上がり、南沙織を聴く。
高校時代は夢中だったが、大学に入り荒井由実に心変わりしてすっかり忘れてしまった。
最近になって、シングルAB面のアルバムと「17才」を聴いているが、英語で歌っているポップスがいいことに気が付いた。
日本語は舌足らずのところがあるが、アメリカンスクールに通っていたから英語は凄く流暢で綺麗なんだよね。

机から北の空を見ると夏空に逆戻りで紺碧だがやや白っぽい、これが秋になると澄んで空が高く感じる。
PCで調べ物をしたりして遊んでたら、あっという間に9時半で、郵貯の通帳、固定資産税の納付書などを持って飛び出した。
先ずはJA湘南へ向かい、ミニトマト、茄子、胡瓜、椎茸、無花果を買った。
南へ5分ほど走り郵便局で南安曇野から有機のコシヒカリを送ってくれる友人に3回分の代金を送金した。
町役場へ向かい、母登記簿謄本をとり、固定資産税を納付した。

家に帰ってくると汗が噴き出したので、直ぐに風呂に入り、スイカと無花果を食べた。
南沙織の続きを聴きながら、今までに発売されたレコードとCDを調べて、現在購入可能なアルバムに当たってみた。
LPで入手できないものがかなりあり、CDのベストアルバムも何度も出ていて入手できないものが多い。
オリジナ曲はある程度確保できるが、洋楽のカヴァー曲がものすごく多く、邦楽のカヴァー曲も思いの外多いので、これをかぶらないように入手するにはどの組み合わせがいいのかと頭をひねる。
本人は発売したレコードとCDを全部持っているのだろうか、時々それを見たり聞いたりしてないと何を歌ったのか分からないだろうなあ。
それでもディスコグラフィーのデータが残っているのは根強いファンがいるからだろうなあ。
来年はデヴュー50周年だけど、知的で常識があるから、何もやりませんと言っているらしい。
67歳だからね、ミニスカで ”あの恋の初めの日を誰かここへ連れてきてほしいの” とは歌いにくいだろう。
でも、もし歌うなら、チケットが10万円でも、万難を排して観に行く。

午前中は何を買おうかなあと色々と通販のサイトを見ていたが、須藤薫のCDを買うことに決めてオーダーした。
新しいミュージシャンも聴かなくちゃね、とは言いながら1980年代に活躍した女性歌手で、すでに亡くなっていて、温故知新なんだけどね。

昼過ぎたので台所へ降りようとしたら、揚げ物の匂いがしてきた。
妻がトンカツと茄子のフライを揚げていた。
ここ数日具合が悪く、揚げ物をやらなかったのでいい傾向だと思っていたが、どうも体調が回復したようだ。
キャベツの千切りが欲しいが買ってないとのこと、野菜はミニトマトとスグキを食べることにし、最中の殻に入っているインスタントの帆立の澄まし汁を作った。
本人はかつ丼を作って食べていた。
食後に松露とエクレア。

プレシネは1977年のイギリス映画「A Bridge Too Far」で、マーケット・ガーデン作戦を映画化したものだ。
1944年8月にノルマンディーに上陸した連合軍の進撃速度が速く、兵站が伸びて間に合わず停滞した。
一つにはオランダの港を押さえて、陸揚げポイントを確保するため、もう一つは9月になってオランダからロンドンへV2ロケットの攻撃が始まり、スピードが速く迎撃不能であったため発射基地を叩く必要があった。
パットン大戦車隊の映画でも描かれているように、英軍のモンゴメリー元帥と米軍は仲が良くない、この時のアメリカ軍総指揮官アイゼンハワーとの意見の食い違いもあり、連合軍の作戦は円滑ではなかった。
この作戦の詳細についてはじっくり研究しないと分からないが、要は空挺部隊でオランダへ続く進路の重要拠点となる幾つかの橋脚を確保し、機甲部隊を進軍させる手筈だった。
空挺部隊は基本的に軽武装で、迅速な作戦に有利だが、待ち構えていたドイツ軍は重装備の主力機甲部隊で幾つかの空挺部隊は対抗しえず壊滅し、作戦は失費に終わった。

3時間の長尺だったので疲れて、二階で横になって休んだ。
5時半に次男と一緒に大磯方面へ散歩に行き、風呂に入って、晩飯を食べた。
餃子、蓮とパプリカ炒め、胡瓜と生姜の糠漬け、茹で落花生、ミニトマト、蕎麦ボーロ、無花果、ノンアルコールビール。

7時半に二階に上がり坂井泉水の2000年代のアルバム2時間54分を聴く。
その後松原みきのスタジオアルバム6時間23分を聴く、

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戦後の酒文化

2020年08月26日 | Weblog
3時過ぎに目が覚めた。
何故か目が痛いので読書は止めてYouTubeで時事解説を聞くことにしたが、眠ってしまったようだ。
4時に目が覚めて、違う番組を聞いた。
規制が多くなってピーッという音が入って聞き難かったり、過激な内容は有料放送化するので、当たり前な温厚な論調のものが多くなったが、それでも嘘ばっかりで無価値な地上波TVよりは格段に優れている。
地上波へ広告を出す企業が減っていて経営が厳しいらしいが、これだけ酷いものを垂れ流しているなら、早く潰れてしまったほうが世のためだ。

7時近くに起きて台所へ降りた。
出汁が引いてあったので、それにシメジとえのきを入れて茸の出汁を加え、豆腐を入れ味噌汁にした。
胡瓜と茄子を糠床から出し、ピーマンと獅子唐の卵炒めを作り、昨夜の残りの栄螺の壺焼きと茄子の胡麻煮で朝飯を喰った。
胃腸が頑健に生まれたので朝飯が一番美味く感じ、夏でも食欲が増進するばっかりで夏太りする。
年を取ったら食が細り自然に痩せるという望みは老衰で死ぬ寸前まで叶わないようだ。
ダイエットのために禁酒をしているが、元来甘党なのでアルコールの代わりに果物やスイーツを食べちゃうのもよくない。
直ぐに2階へ上がり、昨日買ったCD3枚を聴いた。

9時半にJA湘南へ向かったが、未だ光も強く気温も高いが盛りを過ぎているので、チョット寂しさを感じる。
既に一人オバサンが待っていたがマスクをやっていなかった。
マスクなんてそんなに大きな意味がないうえに、コロナ感染者がいない二宮でやっている意味が全く無い、オバサンも世間体だけよと言ってた、分かっていらっしゃる。
マスク、三密、社会的距離より、一番効果な手洗いを最優先にしたらいいのに最近聞かないなあ。
初期の段階ではどのような性質のヴィルスなのか分からなかったが、弱毒化したのか、集団免疫が形成されたためか、死亡率が0.02%と極端に低い、今では風邪と同程度の脅威になっている。
インフルエンザでの死者数が去年3,000人程度で、コロナによる死者が1,200人だから、その数字の比較を新聞やTVが提示するだけで馬鹿げたコロナ不安が軽減するんじゃないのか。
人間が生きてゆくうえで最も大切なことは人との関係性であるのに、コロナを理由にそれを疎遠にするのは悪手だ。
地上波も視聴率が獲れるからって、偏向報道でコロナの危険性を過剰に煽ったり、初期の対応を誤った医者も、それを隠すために対応を改めないのは科学者として恥ずべきなんじゃないのか。

ミニトマト、胡瓜、茄子、ピーマン、無花果を買った。
昼は押し寿司を作ると昨日から妻が張り切っていて、鯛、小肌、小鰺を〆てあり、酢飯を作っていた。
お昼を過ぎたので台所に降りてみたら、小肌と鯛の押し寿司が出来ていたので、早速切って食べた。
鯛は相模湾で昨日の朝揚がったもので、小肌は長男が釣ったものだったから、酢〆とはいえ新鮮で美味かった。
後から出てきた小鰺の寿司も美味かった。
二宮の小鰺で昨夜刺身で食べて美味かったが、鰺は小振りのもののほうが味が繊細で美味い。
汁ものを作ってなかったので、お茶を淹れて食べたが、鮨は熱いお茶が一番合う。
食後に無花果、和菓子を食べた。

プレシネ「Midnight in Paris」2011年米/スペインを観た。
アメリカ人の脚本家がフィアンセと共にパリに来たが、真夜中にやって来るプジョーの古い型の車がタイムマシンになっていて、憧れの1920年代のパリへ連れて行ってくれた。
そこでフィッツジェラルド、ヘミングウェイ、ピカソ、ダリ、エリオットに会う。
ベルエポックの時代に憧れるピカソの恋人と一緒に、さらに時代をさかのぼり、ロートレック、ゴーギャン、ドガに会うが、彼らはこんな時代は最低だとルネッサンスに憧れていた。
人間いつの世も古き良き時代に憧れていることが分かったが、パリの魅力に抗しがたく、フィアンセとは別れパリに残ることになった。
そりゃあ歴史の無いアメリカより時間が幾層にもなっている町のほうが魅力的だよ。

5時半に橋本健二「居酒屋の戦後史」を読了しいた。
予想していた内容とは異なり、データを使って戦後の飲酒傾向について解説するところもあり、時代の節目が良く分かった。
戦後居酒屋の起源は闇市であったこと、戦後、米を食料に回した関係で酒の生産が十分でなく、ビールが配給品になったため、戦前比較的高収入の人達が飲んでいたビールが広く行きわたり、その後のビールの人気普及となった。
焼きトンが焼き鳥と言わるわけは、明治時代鶏肉は豚肉や牛肉より高く高級品のイメージがあったので、そのイメージを借用したのではないか。
鶏肉が高かったというのが意外だったな。
終戦時の日記で、高見順、山田風太郎、古川ロッパ、徳川無声と愛読していた日記が紹介されたので、新味はなかったがちょっと嬉しかった。
坂口安吾と内田百閒の随筆も紹介されていて、嗜好が僕と似てるなあと共感を覚えた。
居酒屋チェーンの「ニュートーキョー」森慎太郎、「養老の滝」木下藤吉郎、「天狗」飯田保の解説があり、酒を飲み始めたころにお世話になったなあと懐かしかった。
酒が大手によって桶買いで大量生産された時代の問題点を指摘し、ある伏見の酒蔵は地方の下請けに、アルコール20度の場合、日本酒度△8.0~9.5、酸度とアミノ酸度1.9~2.1、精米歩合75%、仕込み温度17~19℃、酒母は協会7合か6号、調味液は白米1,000㎘でブドウ糖120kg、粉あめ250㎏、グルタミン酸ソーダ500~800gと指定して作らせていた。
それを自社ブランドで、伏見の銘酒として売っていたんだから、有名ブランドが総じて不味かったのもうなずける。それでも全くモルトが入ってないウイスキーもあったから、原料に米を使っているだけ良心的か。
偽物作っちゃオシマイだよというのが歴史から得られる教訓なんだけどな。
酒もウイスキーも長い低迷期を抜け出すのに四苦八苦したし、ビールも偽物作りだしてから駄目になったじゃない、目先の利益を追いかけるってのがいかに悪手か分かっていても、背に腹は代えられないってのが人間なのか。
居酒屋が衰退したのは、格差社会が影響しているが、若い女性が救いとなる可能性を指摘している。
女性の飲酒の歴史は古く、太古から飲んでいて、例えば万葉の時代は歌垣で歌を作って酒を飲んでたが、これはパートナーを探す会で、どうも乱交パーティと思われ憧れてたんだけど、楽しいことは長続きしないもので、9世紀に禁止され、女性は飲酒の席から遠ざかった。
だが、どぶろくを作って家で飲んでいた。女はしぶといねえ。
ところが、明治政府が軍事費確保で酒に重税をかけ、自家醸造を禁止したため、女性の手から酒が奪われた。
事程左様に近代化というのは遅れたものであることがお分かりいただけるでしょう。
1972年「天狗」が洋風居酒屋で女性客の集客をし、1973年「つぼ八」がターゲットを若いサラリーマン女性に絞ったため、居酒屋文化に女性が参入した。
思えば万葉から昭和まで長い間女性は外での飲酒を禁じられていたわけだ。
妻を見ていると、そんな時代があったなんて信じられないけどなあ。
ここへ来ての問題点は、格差拡大で貧困層がかつて飲んでいた焼酎も飲めなくなっていることだ。
ちなみに富裕層の特徴としてはワインとウイスキーの消費が多い。
若い子たちが居酒屋で飲むときに、飲み放題に誘導され、質の良くないアルコールしか飲まないために、飲酒文化の質が落ちていること。
ビールにかかる酒税は世界的に高く、もっとも高いと言われるイギリスの2倍、他の多くの国の10倍であり、これが税の逆進性を生んで、貧困層から徴収する酒税の比率が高くなっている。
国税局にとってはアルコールの65%を占めるビール様飲料からの税収確保は生命線だから、ビールメーカーとの知恵比べになり、メーカーが第二のビール第三のビールで酒税の軽減を図るが、なおビール様飲料の酒税は高い。
ここでビール様飲料の酒税は改正されるか、あるいはされたかだが、本来酒税はアルコール度数に課税するやり方が合理的だ。
余りビールを飲まずハードリカー好きの僕にとっては好ましくないけどね。
ともあれ、日本が一番貧富の差が無かったと言われる1970年代後半に、酒についても貧富の差が無い公平な飲み方がされていた。
酒業界で生きている人間なら読んでおくべき本だが、貧富の差をなくすことが、酒文化に限らずあらゆる文化を健全に発展させてゆく最良の道であるから、それには経済と政治をよく理解して、格差の無い社会を実現しないといけない、読むべき本は多く忙しいぞ若人諸君。

次男と一緒に大磯方面へ散歩に行った。
上弦の月が美しかった、いよいよ夕暮れ時は秋の気配濃厚だ。
蝉と虫が同時に鳴いていた。

風呂に入って晩飯を喰った。
鮪とマンボウの刺身、ゴーヤチャンプル、茄子の海老煮、胡瓜と茄子の糠漬け、ミニトマト、チーズスナック、無花果、プリン、クッキー、アサヒノンアルコールビール、麦茶。

食後二階に上がり、昨日買った3枚のCDを聴いた。今日3度目。

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CD3枚を買う

2020年08月25日 | Weblog
野坂昭如が読み終わってしまったので、机の前に座り、また右側の書棚を眺めて次に読むのを探してみたが、早稲田の社会学者橋本健二の「居酒屋の戦後史」が目に飛び込んできたので手にした。
祥伝社新書で2015年に出たもので、発売後直ぐに買って今まで温めて置いたものだ。
熟成期間が終わり、いよいよ読みごろになったという事か、今、古本で買えば100円か200円で手に入るけど、本は手に入れるタイミングというのがあるから、その気になったら直ぐに買えと先人に言われたので、なるべくそれを守っている。
もちろん人それぞれだから、思うようにすればいいんだけど、どんなに安く買ったとしても読まなければ高い買い物になる。

江利チエミがジャズスタンダードを歌ったアルバムを聴いているが、戦後進駐軍と共に入ってきたジャズに当時の若者が夢中になった。
父は14歳で志願して予科練に入り、16歳で終戦になり鹿屋基地から帰って来て、仲間と一緒にジャズとダンスで遊びまわっていたらしい。
国家に裏切られた気持ちが強かったようで、学問を修めていなかったから、帰って来てから勉強をすることなど考えなかったらしく、やるせない気持ちを遊びにぶつけていたようだ。
十代に何かに熱中すると、何であれ上達するから、歌と踊りギターが上手かった。
5年ほど遊んでから会社員になったようで、最初は平塚の日産車体に行っていたが、兄に誘われ川崎の昭和石油に替わった。
昭石では野球に熱中して、ピッチャーだったらしい。
僕が物心ついてからは、野球の審判で休みの日には出かけていた。
晩年、カラオケをご近所のご老体と共に熱心にやっていたが、もっぱら演歌を歌っていた。
江利チエミは「チエミのさのさ」を聴いた事があるくらいで、ジャズを歌ったのを知らない。
英語を習う機会が無かったので歌えなかったのかもしれない。
それでも、このアルバムを聴くと、父の事を思い出す。

今日は昨日と違い朝から日が出てカラッとしていて、風があり光の強さの割に暑さを感じない。
でも、昨日までの秋の雲とは異なり、空は入道雲だ。

5時に目が覚めて渡邊哲也の番組を視聴して、6時半に起きて朝飯を作った。
茄子の味噌汁、ピーマンと獅子唐の卵炒め、スグキ、胡瓜と茄子の糠漬け。
台所へ降りると長男が魚の処理をしていた。
カンパチとコノシロを釣ったようだが、カンパチはともかく、コノシロはルアーで釣れるのだろうか、
1月にコノシロ付きの鰤を釣る時には、スレで掛かったコノシロをそのまま投げて釣るから、カンパチがコノシロに付いていたのか。

9時半にJA湘南へ出かけた。
茄子、胡瓜、ミニトマト、無花果、アスター、ユリを買った。

昼は凄く久し振りに「チャルメラ」醤油味を食べた。
昔から塩はサッポロ一番、醤油はチャルメラと思っていたが、多分20年ぶりくらいに食べたんだと思うが、麺が進化していて美味かったなあ。
他のインスタントラーメンを食べたことが無いから、単なる思い込みに過ぎないが、思い込みは確信に変わるから余計に美味いんだろうねえ。
午後は母とのリモート面談で渋沢に向かった。
途中、ヤマダ電機でUSB充電器とオーディオケーブルを買った。
ついでにブルトゥーススピーカーを見たが品揃えが少なくてがっかりだった。

母は相変わらず手や足が痛くてもう駄目だ、生きているのが辛いと言っていた。
コロナで直接の面会が出来ないので精神的に参っているが、対応のしようがない。
帰りに渋沢BOでCDを3枚買った。
ZARD「Good-Bye My Lonliness」1991年、これでZARDのオリジナルアルバムはすべて揃った。お膝元なんでZARDの品揃えは豊富だが、この6曲25分のデヴューアルバムは3枚あった。
直ぐに聴いてみたが若々しい、表題曲は歌手になる夢がかなった楽曲なので、晩年まで最も思い入れが強かった。
南沙織「17才」レコードは1971年、CD化は多分2013年、持っているレコードと内容はすべて同じだが、40年ぶりに聴いてみて、擦り切れるほど聴いたのに、思っていたのと歌詞メロディーが違うので、ちょっと意外だった。
A面が有馬三重子と筒美京平のコンビによる楽曲、B面がポップス。
大黒摩季「MOTHER EARTH」1998年、90年代は大黒摩季の時代でもあった。
勢いがあるし、音もいい。ちなみにGood-Bye My Lonlinessでは、デヴュー前の大黒摩季がコーラスに参加している。

5時半に大磯方面へ散歩に出て、葛川で翡翠を観た。
堤邸下あたりで、川上に向かって飛翔していたがダイヴして狩りをして、切り返して川下に向かいもう一度ダイヴ、獲物を得られず川上に向かって一直線に飛び去った。
このパターンの捕食行動を初めて観た、結構器用なんだなあと驚いた。

風呂に入って晩飯、カンパチ、二宮の小鰺、鰹の刺身、茄子の胡麻煮、ひじき煮、栄螺壺焼き、ミニトマト、胡瓜と茄子の糠漬け、バタピー、チーズスナック、無花果、プリン、アサヒノンアルコールビール。
アルコールを飲まないと暑くならないので快適だ。

昼観られなかったので、つい先日観たような気がするが、宮沢りえに釣られて「ぼくらの7日間戦争」1988年角川事務所を観た。
内容は大したことないが、とにかく少女から女になる端境期の宮沢りえは観る価値がある。
女になってからは、あまり好みじゃなかったんだけどね。

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ドイルとモンテーニュ

2020年08月24日 | Weblog
2006年に刊行が始まった光文社文庫の「新訳シャーロック・ホームズ全集全9巻」は、僕の机の左側の本棚のガラス戸付きの棚に大切に収納されているが、最初に出た「シャーロックホームズの冒険」を途中まで読んだだけで、そのままになっている。
日暮雅通の新訳で文庫とはいえ洒落たカバーデザインで、大変気に入っていて、隠居したらゆっくり安楽椅子で葉巻をくゆらせ、スコッチの古酒を舐めながら読もうと思っていたのだが、隠居しても結構忙しく、安楽椅子が未だないし、タバコを止めてしまったので葉巻が吸えない、しかも大切に取っておいたスコッチの古酒を全部飲んでしまったから、思い描いた隠居生活とは大いに違っている。

もう一つ、隠居の楽しみとして買って置いた本に、2005年から刊行が始まった白水社の宮下志朗訳「モンテーニュ エセー全7巻」があり、これも同じ棚に大切に収納してある。
最後の7巻が出たのが2016年だから、11年かけて訳し上げた労作だ。
これも同じようなシチュエーションで読もうと楽しみにしていたが、飲む酒はコニャックの古酒でなければならない。
モンテーニュならボルドーが妥当じゃないかという方がいらっしゃると思うが、食事にはいいが読書の友としてはやっぱりハードリカーがいいと思う。
多分、モンテーニュも読書の際には、自分のシャトーのワインではなく、コニャックを舐めていたのではないか。
幸い、シャトーボーロン・エキストラがまだ5本残っているはずで、ゆっくりと時間をかけて読んでも、これだけあれば7巻まで持ちそうだ。

こんな楽しみが残っていると思うだけで、豊かな気持ちになれるが、実際に読み始めたらすごく愉しいだろうなあ、早くその日がくればいいが、何時になることやら。

昨夜、音楽を聴きながら眠ってしまい、2時前に目を覚まし気温を見たら、最近は寝たままネットで調べられるから便利だが、26℃だったので、窓を開けて扇風機を点けた。
目が覚めてしまったのでYouTubeで何かいいのがないかと探して聞いていたが、また眠ってしまったようで、次に目が覚めたのが4時だった。
6時まで再びYouTubeでクリーンネットワークに関する番組を拾って聴いたが、これに関してはずっと前から渡邊哲也がその重要性を解説していて、いまさらという論評が多かった。
だが問題は、日本の政治家と財界が、まだその本当の意味を理解していないことだろう。
村社会は農村の旧弊だと思っている人がいるかもしれないが、偏差値エリートが作る政界や財界がまさに村社会で、外のまっとうな意見を聴こうとせず、村の中だけに通用する論理に従って安心しているわけだ。
エリートというのは本来自身の蓄財や栄達を捨てて、国民のために尽くす使命を持っていたが、偏差値をエリートの基準にしてから、カネと地位がその目的となってしまった。
こうなりゃあ、エリートに期待できないから、優秀な変人奇人に期待するしかないが、幸いなことにこの系譜の人達は一定数必ずいて、しかも無私でその能力を提供してくれるから、その場を提供すればいいだけだ。
ところが偏差値エリートは、この段になっても嫉妬と既得権益を守ろうとして妨害するだろうなあ。

6時過ぎに起きて朝飯を作って食べた。
出汁が引いてあったので、豆腐と若芽の味噌汁を作り、ピーマンの卵炒めを作り、胡瓜と茄子を糠床から出して、昨夜長男が食べるはずだった鮪と鯛の刺身が残っていたので食べた。
刺し身は炊き立ての飯と一緒に喰うのが一番美味いと思うが、夜は飯を喰わないので、朝食べるほうがいい。

日曜日の朝、昔の「新日本紀行」をやっていて、最後に少しだけ同じ場所の今の状況を映すが、4、50年前と今の比較が出来て凄くいいんだなあ。
当時高校生だった子が、オジイサンになって出てきたり、当時あった風習が無くなってしまったり、産業も変化も激しい。
中学、高校生時代の頃の日本の雰囲気が感じられ、東北のなまりが聞けたり、当時の生活が観られたりでとにかく面白い。
観る気にならない詰まらない番組ばかりやってないで、何故これをBSで良いからゴールデンタイムにやってくれないのかと思う。
当時の老人に言わせれば、昔の良いものが無くなったと嘆いていたのだろうが、まだまだ戦前から続く優れたものが残っていて、それをじっくりと観たい。

2階に上がってブログをアップしたり、調べ物をしながら、昨夜に引き続き松原みきを聴く。
シングルアルバムを編集した人がいて、6時間半のプログラムになっているが、これをかけておけばほぼすべての楽曲が聴ける。
この子はデヴュー曲の「STAY WITH ME」が最大のヒットでその後大きなヒットに恵まれなかったが、どの曲も凄く丁寧に歌っていて、任意のアルバムの一つの曲を聴いていても聴きごたえがある。
ラジオで、自分の曲を聴いていると、ここはこう歌ったほうが良かったとか、常にそういったことを考えながら聴くので楽しめない、と話していたが、細部に至るまで物凄く丁寧に歌っている。
自分の天職に、このくらい気を使って仕事をしたいものだと思う。

昼まで野坂昭如の「僕の遺産」を読んだ。
週刊文春に連載された1996年から99年までのコラム180本から坪内祐三が50本に編集したものだ。
高校生の頃心身の直木賞作家として盛んに小説を出していた頃で、「エロ事師たち」や「骨餓身峠死人葛」などを好んで読んでいたが、その後、長い間遠ざかっていた。
時々書店で新刊が出ているのを見たり、古書店で見かけると買うこともあったが、直ぐに読むこともなかった。
2016年にこの文庫が出て、その時買って置いたのを、数か月前に読みだし途中で止まっていたが、昨日読みだして読了した。
政治的な発言もあり、最近経済や政治社会に関する本を読んでチョット勉強したので、事実関係や論理的に杜撰なところがあり気になるところもあったが、若い頃から慣れ親しんだ野坂節を大いに堪能した。
時代としては、かつての漫才の相方青島幸雄が東京都知事をやり、小渕さんが首相だった時代で、ああ、そんな事あったなあと懐かしくもあった。

中島みゆきを大音響で聴いていたので、妻が「昼が出来たよー」と叫んでいるのが聴こえず、不機嫌にさせてしまった。
台所へ行ったら、僕の前には、ピーマンが嫌なので、ミニトマト、玉葱、ハム、チーズのピザが置いてあったが、各人自分のピザを食べていた。
次男と妻のは同じもので、ハム、チーズ、ミニトマト、ピーマン。
いくら何でも同じ味のピザを1枚食べるのでは飽きる、何だよ3種類を分けて食べるんじゃないのかと文句を言った。
折角、自家製のヒコ鰯の塩漬け作ったのに使わないの? オリーブや大葉も使わないの? 融通が利かないんだね、と嫌味を言ったら更に不機嫌になったなあ。
しかし、ヒコ鰯を捌くのって凄く面倒くさいし、朝早く「磯っ子」に大葉を買いに行くのも大変で、その点は大いに評価してるんだけど、用意した素材を何時使うんだろう、不思議なやつだ。
取り敢えずオリーブ漬けを出して、次男とピザの交換をし、味に多少のヴァリエーションをつけて食べ、食後にカステラとチーズ味のポテチをアールグレイを飲みながら食べた。

午後は釣り道具を引っ張り出してきてサーフトローリングの準備をした。
多少日差しが和らぎ、いよいよソーダ鰹がやってくるシーズンだ。
ワカシが釣れても、あまり好きじゃないから食べないが、ソーダ鰹は、釣れたてを刺身にすると鰹より美味いし、塩漬けにして焼いて食べると実に美味。
結局、雨が降り、その後日差しが出て出足を削がれて釣りにはいかず、音楽を聴きながら昼寝をした。

5時過ぎに次男がやってきて散歩の誘いを受けたので出かけた。
梅沢から海に降りてみたが、今日も波が小さくて釣り日和だった。
サーフトローリングをやっている人がいたので聞いてみたが釣れてなかった。
この人は椅子とJBLのBluetoothスピカーを持って来ていて、晩夏の夕暮れを愉しんでいる感じだったけどね。
昨日も見かけたが女性がサーフトローリングをやっていた。
投げて単純に曳くこの釣法は忍耐強い女性に合っているのかもしれない、餌付けなくていいしね。

次男とは市五郎下で別れ、大磯まで走ってゆくのを見送り、僕はそこから引き返して風呂に入り晩飯を作った。
妻が体調が悪いのかその気にならないだけなのか、晩飯を作るのを放棄したので、僕が作ることになったのだ。
茄子のオリーブオイル焼、胡瓜と茄子の糠漬け、ミニトマト、ラムの網焼き、バタピー、アサヒのノンアルコールビール。
ジョギングから帰って来た次男と二人で食べた。
厚切りのラムが美味かった。

10時まで2階で音楽を聴いて遊んでから、雪風の乗り込んだ少年兵二人の番組を観た。
お一人は母に生きて帰って来いと言われ、もう一人は国のために死ぬつもりでいた。
大和と一緒に海上特攻に行き、生きて帰るつもりでいた人は、突っ込んでくるグラマンに対して機銃掃射した時に、最初怖かったがパイロットの顔が見えて殺意に変わった。
死ぬつもりでいた人は、特攻で死ぬのは怖くなかったが、苦しまないで死にたいとだけ思った。
最後の攻撃も壊滅状態になり、作戦中止命令が出て命拾いしたが、沈没した大和の乗員を収容するときに、生きて帰ろうとした人は、片腕でロープに掴まった兵の脚を持つ兵隊を叩き落とし、その死体が浮かんできて背中の白いシャツが目玉のように膨らんだのを生涯忘れることが出来ないという。
死ぬつもりでいた人は、戦友を背負ってロープまでたどり着いた兵が、そこで気が抜けて沈んでしまい、背負われた兵はその兵を足蹴にしてもがき、結局二人ともおぼれて死んでいったのを見たが、何ともできなかった。
大和3,000人の将兵のうち、雪風が拾い上げたのは100人だった。
雪風は幸運艦で最後まで沈まず、戦後に引き上げ船となり、その後は中国に引き渡されて1965年まで軍艦として働いた。
このお二人は昭和2年生まれで、国際法で兵になれるのは15歳からであったが、国内法を制定して尋常高等小学校を出て14歳で海軍少年兵に志願させた第一期生だ。
半年の訓練を受け実戦に配備されたようだ。
昭和3年生まれの父はこの制度の第二期だったのかもしれない。
予科練丙の試験を受けたとのことで、船には乗らず、通信兵として航空隊を移動している。
分かっているのは最後の方で、相良村にあった人吉航空隊から、鹿屋基地に移動になり、終戦時はその分隊の牛根の水上機基地にいた。
最初は三重の航空隊に行ったとも聞いたが、あまり話さなかったのは、神奈川県出身というだけで酷く殴られたとのことで、最初の頃は殴られっぱなしで思い出したくなかったのだろう。

戦争は悲惨だが、戦わずして他国に隷属するのはもっと悲惨だ。
明治維新の頃からのアメリカと日本の関係を追ってくると良く分かる事だが、力の差があるのが分かったうえで知恵を絞り、決して引き下がらないことでしか誇りをもって生きる道はないという事だ。

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松原みきの季節だなあ

2020年08月23日 | Weblog
朝から曇っているが変に暑い、時々こんな日があるが、このまま日が出なければ酷暑にはならないだろう。
夏だから、毎日暑い暑いと言っていては何にもできないから、といってもいい年をして暑い最中お外で遊べばぶっ倒れる可能性もあるから自重しなきゃいけないが、読書に集中し「丘は花ざかり」を昨夜1時半過ぎに読み終えた。
読み終えてしまうと、ちょっとした虚脱感があった。
今朝、机の前に座ると、右手の本棚には落語、映画などの芸能や、グルメ本などの棚が3本あり、そこを眺めていたら「明治粋人奇人談」という本が目に飛び込んだ。
自分が変人だから奇人が好きで、というよりそういった人がいることで安心するところがあり、本屋でこの手の本を見かけると取り敢えず買っておく習慣がある。
手に取ってみると1995年のちくま文庫なのにかなり傷んでいて、きっと古書店で廉価で買い求めたのだろう。
著者が吉村武夫という知らない人だったが、著者案内を読んだら吉村昭の実兄で、なーんだって感じがした。
編者は森まゆみで、谷根千の山向こうの日暮里に著者が住んでいて知り合うことになったらしい。
粋人奇人づくし、仕事づくし、味づくしの3部に分かれていて、味づくしの川甚のところを読んでみた。
今はコンクート建築で結婚式もできるような建物だが、もとは川下の堤防の内側に建っていて、火事で場所を移り、その後建て替えたらしい。
帝大のボート部の合宿所にもなっていたそうだから、当時はさぞ流行ったのだろう。
柴又駅が出来てから、門前町が駅と帝釈天の間に発展したので、川筋にあった茶屋だとか料理屋がこぞってそちらに移った中で、川甚だけが川筋に残った。
10年ほど前に次男を連れて帝釈天詣でをし、矢切の渡しを見てから鰻を喰おうと訪ねたが、玄関がでかすぎて声をかけたが返事も無く喰いそこなった。
寅さんでは、妹のさくらの結婚式や同窓会がここで行われていたので、一度入ってみたかったのだが、結局、門前町の鰻屋でうな重を喰った。
帝釈天は日蓮宗だから比較的新しい寺で、庚申の日に縁日が開かれ庚申信仰とも関連が深い。
去年の春、地元の石仏のセミナーに出て庚申講について知ったが、60日に一度宴を開き、朝まで酒を飲んで親しんでいたのを知り、昔は今より進んでいたんだなあと感心した。
それを続けてりゃ地域社会の崩壊とか起こらなかったのに惜しいことをした。
壊れてしまったコミュニティーを再建するには多大な努力と時間とカネがかかる。
地域社会から会社へと生活の足場が移ったときに、会社が共同体の代わりになってしまったが、そこに地域社会の風習を受け入れる要素があれば、その後の社会の変動に対して懐が深い対応が出来たのにと思う。
結局、年功序列、終身雇用という日本的経営も破壊され、会社にも地域社会にも日本人が築きあげた財産が残らなかった。
嘆いているばかりじゃしょうがない、僅かに残った時代遅れで古ぼけ、一見無意味と思われるが、実は優れた慣習を繋ぎ合わせ、価値のあるものにしなきゃいけない。

JA湘南へ自転車で出かけた。
歩くのと別な筋肉を使うので、毎日出かけると太ももの筋肉が充実する。
ミニトマト、胡瓜、茄子、無花果、ピーマンを買った。

昼はこのくそ暑いのに妻がちらし寿司を作っていた。
炊き上げた飯に酢を混ぜ、胡麻、人参、椎茸、蓮、干瓢を混ぜた飯をよそって食べてみたが、熱いので驚いた。
この陽気で冷めないんだ。
卵焼き、〆鯖、紅生姜、海苔を載せて熱いお茶で食べたが、中々美味かった。
材料に煮物が多く、作っている間中酷く暑かっただろうに、こんなものをよく作ったなと思うが、本人よっぽど好きなんだね。
食後に無花果、ケーキ、プリンを食べた。

午後は二階のベッドで涼みながら眠っていた。
時々目が覚めると野坂昭如のエッセイを読んでたけどね。
5時半に次男が散歩の誘いにやって来たので出かけることにした。
梅沢方面に行ったので、ついでに父の生家の墓参りをした。
急に思い立ったので、線香も花も持ち合わせがなく、水をかけてお参りした。
父は養子だったので、その墓には父の父母と長兄夫婦が眠っている。
墓から海を眺めたら穏やかで綺麗だったので、海岸へ降りることにした。
波は50㎝以下と小さくて、如何にも岸に魚が寄っているようで、ルアーを投げて歩いたら何かが掛かるような気配濃厚だった。
こんな好条件の日はめったにない。
心洗学園のところで海から上がり、駅の南を通って帰って来たが、6時半を過ぎると薄暗くなって虫が鳴いていた。

風呂に入って晩飯を食べた。
鮪と鯛の刺身、蒸し茄子、ミニトマト、到来物のスグキ、胡瓜と茄子の糠漬け、アサヒのノンアルコールビール。
柿の種、チーズスナック、無花果、プリン、麦茶。

8時に二階に上がり、午後から久し振りにYouTubeで松原みきの全アルバムを聴いていたが、その続きを聴いた。
秋の気配を感じる晩夏の夜には、情感たっぷりの歌声が素晴らしくいい。

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書を捨てて町に出よう

2020年08月22日 | Weblog
机の前から眺める北の空に秋の風情があったのに、今日の空は灰色がかった青で猛暑を連想させる嫌な空だった。
日中はまたもや34℃になり、暑いのなんのって、何時になったら秋が昼間に忍び込んでくるのだろう。

晴天の下、JA湘南へ向かったが、やや出遅れ10番目くらいだった。
胡瓜とミニトマトが買えれば事足りたので、余裕で順番を待っていたが、運良く最後の無花果も買うことが出来た。

家に帰って風呂に入っていたら、信金の担当者が来たが、30分後にもう一度来てもらうことにした。
前日イナリヤトの案内をしたので、午後に行ってくれたのだが、呼び鈴を押しても無しの礫で、やっていたんですかねえと言われた。
折角だからカバを1本貰おうと思っていたとのことで、大変申し訳ないことをした。
領収書を受け取り、少し話をしたが、地元の信金の人は本当によく歩いているから、細かな情報を持っていて、地元で小商いをやるには欠かせないなあと思う。

母の部屋で話をしたので、CDを持って行き久し振りにケンウッドのオーディーシステムで音楽を聴いた。
かつては良く名前を聞いたが、このメーカー今もあるのだろうか、価格のわりに品質が悪いと聞いたが、妻が15年くらい前に娘に買ってやったもので、妻の事だから品質を考慮して買ったわけではなく、予算の範囲内だから買ったのだろう。
音大でピアノをやってた割りには音にこだわりが無い。
日本の弱電メーカーは、中国に技術と組み立て工場を持って行ったので、国内が空洞化して技術が廃れ、雇用が無くなった。
その結果、劇的に安いものが買えるようになり、その分デフレが常態化し、GDPは国内総生産だから当然下がり、経済成長が止まり、失われた20年と言われることになった。
トランプが必死に技術の中国への流失を止め、アメリカ国内の雇用を確保しようとしているが、日本では、アメリカから親中派として名指しされた二階幹事長はこれで政治生命が絶たれると思われるが、ハニートタップとマネートラップで身動きが出来ない政治家と財界人が幾らでもいるから中国に対してハッキリNOが言えない。
企業は目先の利益優先だから、トヨタは中国からの撤退どころか新たに巨額の投資をした。
はっきりとアメリカに付くか中国に付くかを問われているのに、そして日本はアメリカに付く以外選択が無いのに、目の前に刃を突き付けられても、まだ事の重大さが分かっていない政治家と実業家がいるのには呆れる。
僕は今まで通りアメリカの庇護のもと巧く立ち回れと言っているのではなく、かつての強大な力が無くなったアメリカはパートナーを求めているのだから、自主独立を目指しながらパートナーとしてやっていく道を今こそ真剣に考慮すべきだと言っているのだ。

昼は炒飯になった。
茸のスープがあったのは上出来だ。
食後に無花果を食べた。

プレシネは1966年日活「愛と死の記録」だったが、つい最近放映されたばかりだったが、急遽西部劇に替わって渡哲也の追悼のため放映された。
吉永小百合が原爆症で恋人の渡哲也を失い、自らも服毒自殺する。
この二人、この映画の共演で付き合いだし、結ばれることなく終わったと言われている。
渡哲也は一回り上の世代だが、その世代の人達がどんどん亡くなって行くが、他人事ではなく、いよいよ僕らの世代も死に近づいているんだと身に染みて感じた。

5時半に散歩に出かけ、1時間歩き、風呂に入って晩飯を食べる。
今日はアサヒのノンアルコールビールだった。
伊佐木の刺身、鶏の南蛮漬け、胡瓜の糠漬け、夏野菜煮、ミニトマト、豆菓子、スイカ、珈琲フロートアイス。

金曜はTVの日だ。
7時半から「美の壺」鮨スペシャル版、90分に時間を延長して、江戸前握り、京都押し寿司、高知の地元の鮨2種、巻き寿司、ちらし寿司と盛沢山だった。
江戸前のちらし寿司が好きなんだが、好みの寿司屋がなかなか見つからない。
馬車道の「井桁寿司」のちらしが好きで、週に一度食べていたが、3年前に急に廃業してしまい、横浜に行く愉しみが一つ消えた。
9時から「新日本風土記」祭りの無い夏、夏祭りのかなりが疫病封じの祭りなのに、それが中止になっちゃどうしようもない、「PCR真理教」や「マスク原理主義」をブッ飛ばせ。
10時から「ディアペイシェント」を観た。
貫地谷しおりさん、だいぶ厚化粧で年齢を感じるが、まだ若いのだから違う化粧方法にしたらいいのになあと思って観ていた。

「丘は花ざかり」を読了した。
話の筋は大体読み通りだったが、この当時、女性が家庭の束縛から解き放たれてゆくときの危機について書いたものだ。
一盗二卑三妾四妓五妻と言われるが、美人姉妹の一盗二卑に当たる物語。
本の途中に、ブルーの万年室で波線が書かれていたが、この筆跡は明らかに僕のもので、話の内容については全く記憶が無いが、読んだことがあるのかもしれない。
中学生の頃からサラリーマン小説を読んでいて、社会や男女の機微については結構な知識があったが、その範囲内の通俗的な物語で、もし読んでいれば、世の中ってこんなもんだよと観念的に理解していたはずだ。
中学生の頃好きだった女性と相手も僕のことを好きだったのに、こういった小説を読んでいたので知識があまりに観念的で、キスしてセックスをしなかったので何事も起こらなかった。
寺山修二の「書を捨てて町に出よう」って、このこと言ってたのかなあ。

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