盆暮れに鹿児島の串木野の薩摩揚を大量に買って、隣近所やお世話になった人たちに配るが、母がたくさん食べたいと言うので妻がべらぼうに頼んだせいで、とてもじゃないが食べ切れ無い量が残っている。
おでんにして食べることになり、人参天、野菜、エソ天、棒天をふんだんい入れて、大根、蒟蒻、豆腐、生揚げ、鶏と海老の袋物、玉子、春菊など異質な種を加えた。
晩飯のメインはおでんになったので、当然酒を呑むことになり、おしつけの刺身とおでんを肴にずいぶんと吞み、飽きたら乾きものを出してきてさらに呑んだが、毎晩よくぞ飽きずに呑めるものだと呆れている。
妻もここ数日一緒になって同じだけ呑んでいるが、寝酒にスコッチの湯割も飲んでいるようなので、僕より酒飲みである。
本人もどうしてこんなに飲めるんだろうと呆れているが、僕よりかなり若いから内臓がまだまだ頑強なんだろう。
NHKで韓国の映画監督が村上春樹の「納屋を燃やす」を原作にしたドラマを観た。
1981年にハワイで知り合った韓国人の友達や、1989年に妻と息子とで行った済州島の様子とは若い人たちの風俗が全く違っていて、日本の90年代のような感じがし今昔の感があるが、農村部では昔ながらの生活が営まれているようにも見えた。
主演の女優が農家の庭先で日が沈んだ後に上半身裸になって踊り出す場面で、薄暗くて見えにくかったものの乳房が綺麗だったな。
韓国の女性は肌が透き通るように白く、べらぼうな美人がいるが、このドラマでは整形をして可愛くなった設定だったが、かなり綺麗な女優だった。
ドラマは投げかけた問題の説明が十分ではなく分り難かった。
最近こういった作りのドラマや映画があるが、意味が拡散して解釈の仕方があまりにも多すぎて詰まらないと思うね。
4時前に目が覚めたが二度寝をして7時半に起きた。
朝めしは、まだ大量にあるおでんを温めて食べ、ANKERを持って娘の家に行き、パチの世話をして、珈琲を淹れて炬燵で温まりながら蒲地幸子を聴いた。
西部邁の本を持って行ったが、蒲地幸子本人が作詞をしているので、詩を聴いてみようと思い読書はやめて聴き入った。
人生の応援歌と言われているようだが、男と女の関係について、あなたが居るからお互い強く生きていけるという理想的な関係について繰り返し歌っている。
関係性の意味をはっきり示した真摯な感じがバブルの後の90年代に受けたんだろうなあ。
パチは何時もは娘としか遊ばないのに、娘がいないとなるとすり寄って来てゴロゴロやった後に、腹の上を走り回ったりして、やけに元気に遊んだ。
家に帰って来たのは昼直前で、ご飯が大量に残っているので炒飯にすると、妻が材料を揃えていたので、フライパンを振って作った。
まあまあの出来だった。
午後は神棚の掃除をして、榊を取って来て、灯明をあげて柏手を打った。
妻がお飾りを買ってあとり、母がうるさく一夜飾りは駄目だと言うので、神棚以外も掃除をして飾った。
妻が西友に買い物に行くので、僕と下の息子が運搬係として付いて行った。
上の息子が車でどこかへ出かけたので、3人で歩いて行ったが、妻は歩くのがやけに早い。
家に帰ったら、がっくりと疲れてしまった。
夕方の餌をやりに娘の家に行き、パチの世話をしてから炬燵に潜り込みレコード大賞を観た。
記憶に強く残っているのは70年代の新人賞や大賞で、当時は歌謡曲が輝いていたなあと思う。
その後は踊りが主体となったグループが対象を取ることになり、ダンス曲を歌唱力のない人たちが歌い、楽曲としても質が落ちたなあと観ていた。
ただし、AKB48の楽曲は優れている。
6時半過ぎに妻がもう晩御飯を食べていますよとやって来て、パチを抱っこして喜んでいた。
家に帰ると白菜と豚肉をミルフィーユにして鍋に入れて加熱したものと、カンパチのカマの塩焼きがあり、とりあえず食べたが、そのうち酒が呑みたくなりストーブのお湯で燗をつけて呑んだ。
当然妻も隣で呑みだし、5合ほど漬けたが、割とあっさり切り上げた。
母の居間に移ってボクシングを観ていたが、日本人が判定で勝った試合の後に、アメリカでタイトルを奪取した日本人がTKOで勝ち、早めに終わってしまった。
二階に上がり本を読もうと思ったが、気が付いたら深夜で部屋の伝記と読書灯が煌々と点いていたのを消して本格的に寝た。
今朝は4時に起きて音楽を聴きながら西部邁を読んだ。
法律・習律=ルールについて書いてある論文が集まっているところで、ルールを司る司法が世論に寄り添う傾きを厳しく批判していた。
世論=マスコミが権力になっている現在、政治も司法も知識人もそれに寄り添ってしまっている。
所詮世論など何の価値のないものであることがほとんどだが、それを批判すれば世論の反撃にあうのでおべんちゃらを使う為体である。
大晦日の朝は快晴である。
おでんにして食べることになり、人参天、野菜、エソ天、棒天をふんだんい入れて、大根、蒟蒻、豆腐、生揚げ、鶏と海老の袋物、玉子、春菊など異質な種を加えた。
晩飯のメインはおでんになったので、当然酒を呑むことになり、おしつけの刺身とおでんを肴にずいぶんと吞み、飽きたら乾きものを出してきてさらに呑んだが、毎晩よくぞ飽きずに呑めるものだと呆れている。
妻もここ数日一緒になって同じだけ呑んでいるが、寝酒にスコッチの湯割も飲んでいるようなので、僕より酒飲みである。
本人もどうしてこんなに飲めるんだろうと呆れているが、僕よりかなり若いから内臓がまだまだ頑強なんだろう。
NHKで韓国の映画監督が村上春樹の「納屋を燃やす」を原作にしたドラマを観た。
1981年にハワイで知り合った韓国人の友達や、1989年に妻と息子とで行った済州島の様子とは若い人たちの風俗が全く違っていて、日本の90年代のような感じがし今昔の感があるが、農村部では昔ながらの生活が営まれているようにも見えた。
主演の女優が農家の庭先で日が沈んだ後に上半身裸になって踊り出す場面で、薄暗くて見えにくかったものの乳房が綺麗だったな。
韓国の女性は肌が透き通るように白く、べらぼうな美人がいるが、このドラマでは整形をして可愛くなった設定だったが、かなり綺麗な女優だった。
ドラマは投げかけた問題の説明が十分ではなく分り難かった。
最近こういった作りのドラマや映画があるが、意味が拡散して解釈の仕方があまりにも多すぎて詰まらないと思うね。
4時前に目が覚めたが二度寝をして7時半に起きた。
朝めしは、まだ大量にあるおでんを温めて食べ、ANKERを持って娘の家に行き、パチの世話をして、珈琲を淹れて炬燵で温まりながら蒲地幸子を聴いた。
西部邁の本を持って行ったが、蒲地幸子本人が作詞をしているので、詩を聴いてみようと思い読書はやめて聴き入った。
人生の応援歌と言われているようだが、男と女の関係について、あなたが居るからお互い強く生きていけるという理想的な関係について繰り返し歌っている。
関係性の意味をはっきり示した真摯な感じがバブルの後の90年代に受けたんだろうなあ。
パチは何時もは娘としか遊ばないのに、娘がいないとなるとすり寄って来てゴロゴロやった後に、腹の上を走り回ったりして、やけに元気に遊んだ。
家に帰って来たのは昼直前で、ご飯が大量に残っているので炒飯にすると、妻が材料を揃えていたので、フライパンを振って作った。
まあまあの出来だった。
午後は神棚の掃除をして、榊を取って来て、灯明をあげて柏手を打った。
妻がお飾りを買ってあとり、母がうるさく一夜飾りは駄目だと言うので、神棚以外も掃除をして飾った。
妻が西友に買い物に行くので、僕と下の息子が運搬係として付いて行った。
上の息子が車でどこかへ出かけたので、3人で歩いて行ったが、妻は歩くのがやけに早い。
家に帰ったら、がっくりと疲れてしまった。
夕方の餌をやりに娘の家に行き、パチの世話をしてから炬燵に潜り込みレコード大賞を観た。
記憶に強く残っているのは70年代の新人賞や大賞で、当時は歌謡曲が輝いていたなあと思う。
その後は踊りが主体となったグループが対象を取ることになり、ダンス曲を歌唱力のない人たちが歌い、楽曲としても質が落ちたなあと観ていた。
ただし、AKB48の楽曲は優れている。
6時半過ぎに妻がもう晩御飯を食べていますよとやって来て、パチを抱っこして喜んでいた。
家に帰ると白菜と豚肉をミルフィーユにして鍋に入れて加熱したものと、カンパチのカマの塩焼きがあり、とりあえず食べたが、そのうち酒が呑みたくなりストーブのお湯で燗をつけて呑んだ。
当然妻も隣で呑みだし、5合ほど漬けたが、割とあっさり切り上げた。
母の居間に移ってボクシングを観ていたが、日本人が判定で勝った試合の後に、アメリカでタイトルを奪取した日本人がTKOで勝ち、早めに終わってしまった。
二階に上がり本を読もうと思ったが、気が付いたら深夜で部屋の伝記と読書灯が煌々と点いていたのを消して本格的に寝た。
今朝は4時に起きて音楽を聴きながら西部邁を読んだ。
法律・習律=ルールについて書いてある論文が集まっているところで、ルールを司る司法が世論に寄り添う傾きを厳しく批判していた。
世論=マスコミが権力になっている現在、政治も司法も知識人もそれに寄り添ってしまっている。
所詮世論など何の価値のないものであることがほとんどだが、それを批判すれば世論の反撃にあうのでおべんちゃらを使う為体である。
大晦日の朝は快晴である。