キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

大晦日

2018年12月31日 | Weblog
盆暮れに鹿児島の串木野の薩摩揚を大量に買って、隣近所やお世話になった人たちに配るが、母がたくさん食べたいと言うので妻がべらぼうに頼んだせいで、とてもじゃないが食べ切れ無い量が残っている。
おでんにして食べることになり、人参天、野菜、エソ天、棒天をふんだんい入れて、大根、蒟蒻、豆腐、生揚げ、鶏と海老の袋物、玉子、春菊など異質な種を加えた。
晩飯のメインはおでんになったので、当然酒を呑むことになり、おしつけの刺身とおでんを肴にずいぶんと吞み、飽きたら乾きものを出してきてさらに呑んだが、毎晩よくぞ飽きずに呑めるものだと呆れている。
妻もここ数日一緒になって同じだけ呑んでいるが、寝酒にスコッチの湯割も飲んでいるようなので、僕より酒飲みである。
本人もどうしてこんなに飲めるんだろうと呆れているが、僕よりかなり若いから内臓がまだまだ頑強なんだろう。


NHKで韓国の映画監督が村上春樹の「納屋を燃やす」を原作にしたドラマを観た。
1981年にハワイで知り合った韓国人の友達や、1989年に妻と息子とで行った済州島の様子とは若い人たちの風俗が全く違っていて、日本の90年代のような感じがし今昔の感があるが、農村部では昔ながらの生活が営まれているようにも見えた。

主演の女優が農家の庭先で日が沈んだ後に上半身裸になって踊り出す場面で、薄暗くて見えにくかったものの乳房が綺麗だったな。
韓国の女性は肌が透き通るように白く、べらぼうな美人がいるが、このドラマでは整形をして可愛くなった設定だったが、かなり綺麗な女優だった。
ドラマは投げかけた問題の説明が十分ではなく分り難かった。
最近こういった作りのドラマや映画があるが、意味が拡散して解釈の仕方があまりにも多すぎて詰まらないと思うね。

4時前に目が覚めたが二度寝をして7時半に起きた。
朝めしは、まだ大量にあるおでんを温めて食べ、ANKERを持って娘の家に行き、パチの世話をして、珈琲を淹れて炬燵で温まりながら蒲地幸子を聴いた。
西部邁の本を持って行ったが、蒲地幸子本人が作詞をしているので、詩を聴いてみようと思い読書はやめて聴き入った。
人生の応援歌と言われているようだが、男と女の関係について、あなたが居るからお互い強く生きていけるという理想的な関係について繰り返し歌っている。
関係性の意味をはっきり示した真摯な感じがバブルの後の90年代に受けたんだろうなあ。

パチは何時もは娘としか遊ばないのに、娘がいないとなるとすり寄って来てゴロゴロやった後に、腹の上を走り回ったりして、やけに元気に遊んだ。

家に帰って来たのは昼直前で、ご飯が大量に残っているので炒飯にすると、妻が材料を揃えていたので、フライパンを振って作った。
まあまあの出来だった。

午後は神棚の掃除をして、榊を取って来て、灯明をあげて柏手を打った。
妻がお飾りを買ってあとり、母がうるさく一夜飾りは駄目だと言うので、神棚以外も掃除をして飾った。
妻が西友に買い物に行くので、僕と下の息子が運搬係として付いて行った。
上の息子が車でどこかへ出かけたので、3人で歩いて行ったが、妻は歩くのがやけに早い。
家に帰ったら、がっくりと疲れてしまった。


夕方の餌をやりに娘の家に行き、パチの世話をしてから炬燵に潜り込みレコード大賞を観た。
記憶に強く残っているのは70年代の新人賞や大賞で、当時は歌謡曲が輝いていたなあと思う。
その後は踊りが主体となったグループが対象を取ることになり、ダンス曲を歌唱力のない人たちが歌い、楽曲としても質が落ちたなあと観ていた。
ただし、AKB48の楽曲は優れている。
6時半過ぎに妻がもう晩御飯を食べていますよとやって来て、パチを抱っこして喜んでいた。
家に帰ると白菜と豚肉をミルフィーユにして鍋に入れて加熱したものと、カンパチのカマの塩焼きがあり、とりあえず食べたが、そのうち酒が呑みたくなりストーブのお湯で燗をつけて呑んだ。
当然妻も隣で呑みだし、5合ほど漬けたが、割とあっさり切り上げた。

母の居間に移ってボクシングを観ていたが、日本人が判定で勝った試合の後に、アメリカでタイトルを奪取した日本人がTKOで勝ち、早めに終わってしまった。
二階に上がり本を読もうと思ったが、気が付いたら深夜で部屋の伝記と読書灯が煌々と点いていたのを消して本格的に寝た。

今朝は4時に起きて音楽を聴きながら西部邁を読んだ。
法律・習律=ルールについて書いてある論文が集まっているところで、ルールを司る司法が世論に寄り添う傾きを厳しく批判していた。
世論=マスコミが権力になっている現在、政治も司法も知識人もそれに寄り添ってしまっている。
所詮世論など何の価値のないものであることがほとんどだが、それを批判すれば世論の反撃にあうのでおべんちゃらを使う為体である。


大晦日の朝は快晴である。




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今年最後の肉の日

2018年12月30日 | Weblog
物凄いいい天気になった。
西高東低の典型的な冬の気圧配置になると、湘南はぽかぽか陽気になるが、朝の気温が下がる。
予報では2℃だったので安心していたが、5時半に目が覚めて気温をチェックしたら⁻2℃で、慌てて庭に出てミニトマトに水をかけたが、朝見たらすっかり低温でやられていた。
昨夜、パチの面倒を看に娘の家に行ったときに身を切るような寒さだったのに、水をかけて置くことを気が付かなかったのが失敗だった。
これで越年は出来なくなった。
まあ、今回は低温の走りだったので、来春迄持たせるには2月下旬まで続く零下の可能性の朝をすべてやり過ごさなければならないので、あっさり最初の朝に結果が出てしまったほうが良かったのかも知れない。

昨夜は金曜日だったので、最初から妻が酒を呑むつもりでいて、め鰺の刺身、炒り銀案、鱈ちり、肉団子蟹肉餡かけが用意されていて、ストーブのお湯でチロリを湯煎して燗をつけて呑んだ。
寒いときはチロリは一合ずつ短時間で燗が漬くので、冷めないで呑める利点がある。
もっともすごい勢いで呑むので、息をつく間もなく燗をつけなければならない欠点もある。
とまれ、二人で八合ほど呑んだだろうか、落花生を出したり、クリームチーズに酒盗で呑んだり、到来物の佃煮セットを開けて潮吹き昆布を出したりと、肴の目先を変えて美味しくいただいた。
9時になったので娘の家に行きパチに餌をやり、糞の処理をして、炬燵に入ってTVを点けて、内田有紀主演の怪獣ドラマを観たり、吉田正の歌番組を観てパチと一緒に過ごした。
最初は足にまとわりついて、のどをゴロゴロ鳴らして頭を擦り付けたりしていたが、その内落ち着いて炬燵の中に入ったり、ホットカーペットの上に寄り添って横になったりしていた。

今日は29日なので、ヤオマサで肉の日と銘打って肉の安売りをしている、そのため妻が朝からそわそわしていて、あなたも行きますか、私は11時に行きますと言うので、下の息子と10:30に大磯方面に散歩に出る約束をしておいた。


今朝も娘のところへ行きパチの世話をする。
ドライのキャットフードは全部食べてあったので、半日分を補給し、トイレには糞がしてあったので取った。
最初は何時ものように纏わりついて騒ぐので、踏まないように気を付けないといけない。
お湯を沸かし珈琲を淹れて炬燵へ持って行き、持参したANKERでYouTubeの蒲池幸子を聴く。
主に90年代にヒットした曲だが、当時は聴いたことも無かったね、こんな清楚でスタイルがいい、165㎝で脚が長い子が居たんだなあと同時代に知らなかったことを惜しむ。
40歳で亡くなったが、生きていれば51歳だ。
平塚生まれで、秦野の学校に通っていたので、この辺りの女の子らしくおおらかでのんびりしているのもいい。

10時過ぎに家に帰り、下の息子と大磯方面へ散歩に行き、ヤオマサで妻に頼まれた小町ポークを買って、車でやって来た妻に渡す。
息子と二人で南下して、大磯プリンスホテルの西駐車場から富士を眺める。
屋や雲がかかっていたが綺麗な姿だった。
相模湾も黒潮が綺麗に入って冬の光に輝いて実に綺麗だったので、海岸に降りて歩く。

昼は焼きそばだったが、餡が緩くて麺がのびて美味くなかったね。
妻は炒め物が苦手なので僕が作ればよかったが、30年もやっていて進歩しないのも凄い。


ここのところ西部邁の「批評する精神Ⅳ」橋爪大三郎・中田考「一神教と戦争」藤木TDC「アウトロー女優の挽歌」の3冊を枕頭に置き、ベッドに横になって手に触れたら読んでいるが、どれも面白い。
西部の本については既に書いたが、小沢一郎に自由主義者としての期待をしている、この後「小沢一郎は背広を着たごろつきだ」というのを書いているので、期待は裏切られたのかも知れないが、現在小党ながら自由党の党首だ。
橋爪と中田は立っている場所が違うので、かみ合わないところが面白い。
僕なんかもキリスト教にアメリカ教により間接的に洗脳されていて、イスラム教についての理解を欠くところが多いが、目から鱗の話しが多く新鮮だ。
藤木の本は、エロ・グロ・暴力についての考察で、スケバンにスポットを当てているが、膨大なスポーツ新聞、芸能雑誌などの読み込みからなっていて、好きじゃなきゃ出来ない根気のいる仕事だ。


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窓掃除

2018年12月29日 | Weblog
JA湘南へ背中で日を浴びながらぽかぽかとしながら自転車で行き、葱、紅心大根などを買い、娘のところへ寄った。
明日からタイへ出かけるので、今年最期の珈琲である、新しいタイプのフィルターを買ったとかで、それで淹れてくれたがフィルター能力が強く透明に近い感じで、味わいが薄っぺらかったね。
このフィルターに逢う淹れ方があるんだろうけどまだ研究の余地が大ありだな。
今回のタイ旅行では山岳民族のところへ行き、数年前に植えた珈琲の収穫をしてくると言うから楽しみである。
二年前に行って収穫した時は未だ気も小さくて収穫量も大したことなかったが、今回はある程度の量が期待できる。

昼まで窓の拭き掃除をした。
数年間掃除らしいことをしていなかったので、砂埃や綿埃がこびりついていて、1時間ほど掃除をすると見違えるようにきれいになった。

昼にご飯が食べたいと言うので、妻にその旨伝えたが、飯を炊いただけで昼の用意はしていなかった。
僕は牛肉と野菜を炒めて餡にして拉麺にかけて食べ、息子はピザを焼いて食べ、娘は鯖を塩焼きにして食べた。
食後はアールグレイを淹れて、シュトーレンの残りを食べた。

プレシネは「プレートランナー」だったが、途中から観たことあるなあと思ったが、結局最後まで観てしまった。
SFって思いもつかない世界が描かれていればいいなと思うが、大体予想通りで面白くない。
半村良のようなストーリー性があるものなら読むんだけどね。
続いて続編があったが目が痛くなったこともあり観なかった。


知人のところへ落花生を送るのに「豆友」へ行った。
娘が行った昨日の午後は混んでいたらしいが、この日はお客が誰もいなかったので、すぐに終った。
それでも一日忙しかったらしく、200gたのんだ砂糖をまぶした豆がぎりぎりある程度だった。
昔は今ほど高くなかったので塩と砂糖を500gずつ送ったものだが、最近はカロリーが高いので、皆さん量を食べなくなったこともあり300gずつ送るようになった。

右足のふくらはぎに痛みがあるので散歩を控え、部屋の掃除を少しして、うろうろしていたら夕方になり、風呂に入って台所へ行き酒を呑みだした。
筑前煮がテーブルの上にあったのでそれを肴にしていたら、その内鮪の刺身が出てきた。
妻も呑むと言うので銀杏を炒った。
オーブンに鶏のもも肉を入れて焼いていたようで、それも2本出てきたが、この鶏1本と銀杏をおおかた妻が食べ、ハイピッチで酒を呑んだので踊りだしそ歌だった。
だが、この日は母の着替えの当番なので自重したようだ。

息子が気を使って当番を替わってくれたが、調子が狂ったのか急に不機嫌になり、あなたは何時も役に立たないとか、余計な事ばっかりしているだとかぶつぶつ言いだしたので麦焼酎「古代」をもって母の居間に避難した。
10:45から西部邁の自裁についての家族の証言番組があるので、それまで時間潰しに高橋哲也の玄界灘の落とし込み釣、加山雄三の歌、漫才や腹話術の芸能、中国情勢についてのプライムニュースなどをザッピングしながら観たが、時間の無駄だったね。
こんなことなら二階へ上がって本を読めばよかった。

西部邁の番組は娘と息子が出てきて、自裁前に何かできることがあったのではないかと、後悔を語っていた。
僕も父を亡くした時は、後悔の気持ちが強かったことを思い出したが、日頃から何時別れることになってもいいような、きちんとした関係を結んでおくことが大切なんだと悟った。
そう悟りながら、母との関係はこれでいいんだろうかと自問している。
自裁の原因については、脊椎の神経を圧迫されて手が不自由になっていて、自筆原稿が書けず娘の智子さんの手を煩わせていた。

16歳の高校の同級の奥さんと25歳で結婚し50年一緒に暮らしたが先立たれた。
奥さんとのことが書かれた本を3冊ばかり読んで感じたのは、西部は頭はいいがエキセントリックで一人で置いておくと何をしでかすか分からないところがあり、奥さんがそれをすべてコントロールしたように思う。
原稿はまず奥さんが読んだというから、最大の理解者で信頼も愛情も寄せていたことが伺われ、はっきり言うと甘えていたんだと思う。
そういう連れ合いを持たなかった僕には、その喪失感の大きさは分からないが、精いっぱい愛されたことがあり、その相手を短期間で失ってしまっただけでも死にたいほど辛かったから、50年、最初に出会った時から考えれば58年精いっぱい愛され続けた相手を失ったら、もう抜け殻だろうね。

西部邁に敬意を表して、この夜と翌朝「批評する精神Ⅳ」を読んだ。




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二日酔いのカレー

2018年12月28日 | Weblog
二日酔いの朝を迎えたが、ゆっくりと風呂に浸かり、朝飯を食べたら少し元気になった。
とはいってもかりそめの元気さで、きっと午後になるとぐったりと疲れが出て来るに違いない。
JA湘南へ自転車で軽快に漕いで行き、白菜、里芋、蓮、切り干し大根を買った。
帰りに娘のところへ寄って珈琲を飲んでいると、妻がやって来て、昼に上の息子と二人でインドカレーの「さくら」に行くが、あなたたちはどうすると聞いた。
昨日下の息子を「さくら」に誘ったら、ダイエットをしてるから行かないと断れたらしく、今日は上の息子が休みで、下の息子が大磯のクラブへ行ってしまったので、この成り行きになったらしい。
「さくら」は最近できた店で、カレーをあまり喰いたくはないが、どんな店か興味があるので行くことにして、予約を入れて、それぞれ車と徒歩と自転車で現地に集まることにした。
僕は歩いて向かったが、西友の北にあるビルの2階なので、25分で到着し、まだだれも来ていなかったのでビールをたのんで飲んでいた。
その内、妻と息子が車でやって来るのが見えて、時を置かず娘もやって来た。
娘は豆、僕はマトン、妻と息子はスペシャルランチ、カレーが2種とタンドリーチキンがセットになってるのをたのんだ。
ビールが終わったので、タンドリーチキンと赤ワインをたのんだ。
ワインは多分安物のカベルネソーヴィニョンで、ギンギンに冷えていた。
タンドリーチキンはスパイシーで美味かった。
昼のドリンクと肴になる単品は安いので、二階から下界を眺めて酒を飲むにはいい店だ、南向きに窓が開いているので冬は暖かいしね。

出てきたカレーはソフトで甘く、あまり好みじゃなかったが、最近は日本人に合わせている店が多いのでこんなものだろう。
30年前の関内のネパール人の友人がいた店や、10年前の野毛の36スパイスは美味かったなあと懐かしむことが多い。
同じ店でも調理人が変わると味がガラッと変わり、何時頃の何処って話になる。
妻も10年近く前に海岸段丘の上に忽然と出来たインドカレー屋の初代のシェフが作ったカレーが美味かったと言っていたが、そこは相模湾を眺められるので、その後も何度かお供をして行ったことがある。


1時前に家に帰り着いてプレシネ「アゲイン」を観た。
この映画も二度目だったが、28年前の野球部マネージャー妊娠中絶に絡む暴行事件で、埼玉県の決勝を辞退した埼玉学院のメンバーのキャプテン中井貴一ところに、暴行事件を起こした選手の娘波瑠が、マスターズ甲子園に出ないかとやって来るところから話は始まる。

中井は波瑠をかつてのエースで今は失業中の柳葉敏郎のところへ連れて行くが、柳葉は冗談じゃねえ、あれが無ければ俺はプロでやれたかもしれないのにと、波瑠に酷い言葉を吐く、一度は柳葉の家を辞した2人だったが、中井が思い直して柳葉に家に戻り、お前力があればプロにも行けたが、大したことなかったのに酷いこと言うなとつかみ合いの喧嘩になる。
これともう一回、地方大会の1回戦に勝った夜の祝賀会で、波瑠の素性が先輩に分かってしまい、波瑠が知らなかった父親とマネージャーの事件を知って、祝勝会の会場から飛び出したのを中井が追い、慰め、これから神戸には帰れないから家に泊って行けと誘うが、どうせ私はマネージャーを妊娠させた娘だから、押し倒して上に乗るんでしょうと言うが、このセリフ原作にあったのかなあ、凄くいいなあと思って観た。
何回か勝ち進んだ時に、マネージャーだった和久井映見が、OBのみんなの前で、28年前に事件の真相を話す。
相手は他校の生徒で、そいつを殴って傷害事件を起こしたが、波瑠のオヤジは本当のことを言ったら、野球部の連中が相手を殺しに行くし、お前も非難されるから、俺を悪者にしろと二人で嘘をついていたことを告白する。
ものがたりの中だと、ここにちょっと無理があるんだけど、こういう心理ってのも人間にはあるから、そういうもんだと納得しましょう。

キャッチボールが人と人を繋ぐ関係の重要なものとして描かれるが、相手が補給しやすいように胸をめがけて投げ、補給したら同じように相手の胸をめがけて投げる。
相手が分かる言葉と態度を示し、それを受けて同じように分かりやすい意志表示を相手にするってことなんだけど、ここでは親子の関係改善について象徴的に使われている。

3時過ぎに下の息子と大磯方面に散歩に出かけ、4時過ぎに帰って来て風呂に入り、2階で休んでいると、妻がもうご飯が出来てますよと呼びに来た。
鰺とマンボウの刺身、大きな鯖の塩焼き、豚汁、スティックブロッコリー、薩摩揚、酒を飲みたいところだったが、二日酔いで迎え酒をやっているので、ぐっとこらえて食べ終わると2階へ上がって横になった。
クリスマスも終わり、ジャズのクリスマスソングも色あせ、ビッグバンドを聴きながら、いつのまにか寝ていて3時前に目が覚めた。


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久し振りの野毛

2018年12月27日 | Weblog
かつての上司、83歳になられるご婦人と「利休庵」で待ち合わせ、㈱輸出入サービスセンターOB会の打ち合わせをしながら、利休蕎麦を食べた。
かつては昼にはカツ丼を食べたものだが、夜の席が早く始まるので軽めのものにしたが、これはおかめに海老の天婦羅が入っていて食べ応えがあり、昼には零余子ご飯が付くのでかなり腹が一杯になった。
かつての社員が写っている古い写真を50枚ほど持参してお見せしたので、感慨深げに眺められていた。

混雑する利休庵は多くの人が待っていたので食後直ぐに出たが、TJLの開園迄時間があったので、文明堂に喫茶部に入り、珈琲とどら焼きの皮のような菓子をたっぷり蜜をつけて食べた。
これでかなり満腹になった。

この日のTJLはクリスマスソング特集で、B小沢、P楠、V福山の何時ものトリオだった。
1時ちょっと過ぎに会場に着いたら満席に近く、それでもどうにか2人並んで座れるところを捜して座った。
同伴の老婦人が気に入っているかどうか気になり、曲に集中できず何時もの幸福感が脳に漂わなかったなあ。

会場の前で別れて、二軒隣のBOに寄って古書を眺めたが欲しいものが無かった。
既に朝、乗換駅の大船の駅構内のBOOK EXPRESSで気に入った新刊本を3冊買えていたので余裕を持って眺めたこともあるが、最近古書では発見が少なくなった。
この書店は新刊の配本が一番早く、小体な店舗の割に感度のいい本を置いてあるのでよく利用する。

深沢七郎「書かなければよかったのに日記」中公文庫
この人の本は持っていなければ必ず買うのだが、特異な作家で、その世界は他では味わえない。

美濃部美津子「志ん生の食卓」新潮文
これ単行本で持っているかもしれないが、写真とイラストを見たことが無かったので買っておいた。
池波志乃、馬生、志ん生の奥さんと同じ顔をしているね、母僕娘がやけに似ているが、どうも遺伝子は女男女と発現する可能性が高いような気がする。
落語家では馬生が何と言っても一番好きで、色っぽくて粋だったねえ。

橋爪大三郎・中田考「一神教と戦争」集英社新書
橋爪大三郎の師匠筋の小室直樹の「イスラム教原論」は内容の濃い宗教解説書で面白く読んだが、中田考はイスラム教徒であり学研でもあるので、また違った角度からムスリムに触れることが出来る。
山本七平が言う所の日本教の日本人には最も馴染まない宗教だが、キリスト教世界が行き詰まった今、イスラム教の理解失くして新しい地平は開けない。

BOから伊勢佐木町へ出て、港の方へ歩いて船に乗って冬の横浜港を一巡りしようと思ったが、今朝出がけに三遊亭歌丸のファミリーヒストリーを観たので、生誕地である真金町へ足が向いた。
もう30年も前に、開店前の同伴で、クラブのママと鳳神社へ熊手を買いに行ったことがあるので大体の位置は分かったが、正確な位置をスマホで見ながら歩いた。
近くへ行くとソープランドとか、色っぽいサーヴィスをする店があり、ビルが立ち並んでしまって様変わりしたかつての花街に微かにその面影を残していた。
鳳神社は見つからず吉田橋商店街に出てしまったが、ここも数十年前に来たことがあり、かつては知人が輸入食品の店を出していた。
時間はたっぷりとあったので、商店街を突き抜けると三吉商店街に変わり、川にぶつかる角に三吉演芸場があった。
ここも数十年前に来たことがあったが、感じが随分と変わっていた。
吉田橋商店街を鎌倉街道の方に戻ると、途中に鳳神社へつながる路地があり、鳳神社へ出た。
昔の印象よりやけに小さな神社に感じた。
家内安全を祈った。

鎌倉街道を渡り黄金町の方へ歩き、娘の友人夫婦の工房を訪ねてみることにした。
そこはかつてストリップ劇場であった「黄金劇場」を改装したところで、1階はステージと客席、2階は踊り子さんの控室になっていたが、1回は大工としてやっているダンナの作業場、2階は絵などを描いている奥さんのアトリエになっている。
30年以上前にストリップ劇場に来たことがあるが、当時も場末の廃れた劇場であったが、こんなに狭かったかなあと感じた。

大岡川の川沿いを下流に歩き、日乃出町に出たが、そこにもストリップ劇場の「日乃出劇場」があり、こちらは現在もやっていて、小向美奈子が出演していた。
アサヒビールのキャンペンガールから、AV女優になり、麻薬で捕まったが、この業界はそんなことは関係なく使ってくれるところがいいねえ。
太りすぎで気持ち悪かったが、多少は痩せたのだろうか。

桜木町まで歩き、コレットマーレの紀伊国屋で新刊書を眺めた。
文庫と新書はBOOK EXPRESSに劣るが、売り場が広いので新刊の単行本をゆっくりと眺めた。
特に芸能関係の書棚が充実していて、ジャズ、映画関係の本で買いたいものが数冊あったが、購入は1冊と決め絞り込んだ。

藤木TDC「アウトロー女優の挽歌 スケバン映画とその時代」洋泉社
写真が無いのが残念だが、立ち読みで読んだか所の、かつてのスケバンと、高度成長後のスケバンの違いの分析がなるほどとうなずけさせられたので、2,700円とやや高かったが購入した。
スケバン映画はあまり好みではないが、ピンク映画と日活ロマンポルノは封切館で観ていたので、他のジャンルの映画よりは馴染みがあり、知っている映画や女優が出て来ると思われ、面白く読めるんじゃないかな。

ぴおシティの地下の美濃屋でおかきを買ってから、福家へ行った。
すでに一人N君が来ていて、福寿の純米4合瓶をもらい呑み始めた。
6時前にもう一人Kさんがやって来たので、蛸ぶつ、鮪赤身、芹の胡麻和え、河豚の山葵和えなどをたのみ、本格的に飲みだした。
夫々2年振り、3年振りだったが、30分ほどして34年振りに逢うNI嬢がやって来た。
もう50の半ばだが横顔は30代に見え実に魅力的だった。
後で正面から見たら、やっぱりオバサンだったので安心したけどね。
このブログ読んでるから、なるべく褒めておかなくちゃいけないのもう少し書くと、声、喋り方、性格は34年前と同じで若々しかったですよ。
4人で4合瓶を3本開けて、その後僕はヒレ酒を2杯飲んだ。

Rへ移動してマールを2杯飲んだ。
福家もRも去年12月に来て以来だったから丁度1年振りだった。
福家は大女将、女将、親方の3人が変わらず店に出ていたが、Rはアシスタントの男の子が辞めて女の子が入っていた。
男の客が多いから、女の子がいたほうがいい。

3軒目、ミラクル商会へ行き、何を飲んだか記憶にない。
多分1杯ずつ飲んで、店の前で別れ、僕はNI嬢に連れられ根岸線で横浜へ出て、東海道線に乗せてもらって帰って来た。





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蕎麦・刺身・リゾット

2018年12月26日 | Weblog
昼に妻と下の息子で「昭庵」へ行き酒を呑んだ。
先週妻に奢る予定で出かけたが休みだったので、昼間なら確実に開いているだろうと電話で開いていることを確認して出かけた。
10年ほど前、まだ下の息子が小学生だったころに、二人で散歩に出るとちょっと寄って酒を呑んでそばを手繰ったので、下の息子はこの店に馴染みがあり、今回も積極的についてきて、しかも軽く酒も呑んだ。
純米酒の「喜長」を2合燗につけてもらい、蓮根のきんぴら、鰊、おでん、板わさをつまみに呑みだしたが、奥行きのある酒で思いの外美味く、結局3本飲んでしまったが、小上がりで冬枯れの景色を観ながら呑む昼酒は格別だ。
追加した肴、切り干し大根のはりはり漬け、再びの鰊で酒を呑み終わると、妻、鴨南蛮大、息子、天婦羅蕎麦大、僕、ざるを食べた。
蕎麦は太めの生粉打ちで美味いが、高いのが欠点で、お客は中年から老年の美味しいものを少しだけいただきたいと言う人達だけだ。


ヤオマサに行き、は鰹、烏賊、鰺を買って夜の刺身にするために買ったが、妻は、夜も酒を呑むつもりだ。
クリスマスだからと言って、鶏モモ肉を多量に買い込んでいた。
落花生と川崎の葛餅を買い物かごに放り込んでおいた。


店を出ると雨が降っていた。
妻が、大変だ、布団を干したままだと叫び、そのまま雨の中を歩きだしたので、付いて行った。
少し待てば止むのになあと思って歩いていたが、10分ほど歩くと小降りになりやがて上がった。

実は僕も布団を干してあったのだが、部屋の上の屋根が突き出ているので大して濡れていなかった。
布団を取り込み、暖房を点けて冷たくなった布団を温めていたら眠ってしまった。
結局5時すぎまで寝てしまったが、昼酒の後の昼寝は極楽である。

風呂に入り、落花生を肴に酒を呑んでいたら、娘たちが鎌倉からケーキを買って帰って来た。
は鰹、鮪、烏賊、鰺の刺身と、鰺の酢〆が出てきて本格的な酒盛りが始まったが、その後スティックブロッコリー、カリフラワーが出てきて、鶏のももをコンベックで焼いたのが出てきた。
白ワインを飲みたかったが、二階に取りに行くのが面倒くさくて、引き続き酒を呑んだ。
チーズが各種出てきて、そのうち娘が鶏の骨を回収して出汁を取り、カリフラワーのリゾットを作った。
リゾットを作るときにイタリアの安物の白を使ったので、それを飲めばよかったなと後で思った。
最後にアールグレイを淹れてケーキを食べた。
スポンジが素朴な味で、好みのケーキだった。
現代のクリームは上品で濃厚で香りがあるので、スポンジは素朴な風味のほうがいいと思う。
つい、評判を取りたくてパテシエは全てを作り込んでしまうが、濃淡強弱でバランスされたものが良いよね。


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クリスマス

2018年12月25日 | Weblog
今朝は、二日酔いである。
夕方、娘のパートナーがやって来て、年賀状の印刷をやってくれた。
昨年までは大磯に居た友人に一夕奢るだけで、名簿作成から印刷まですべて丸投げしていたので、挨拶文の文面を考えるだけで、出来上がった年賀状を受け取り投函するだけだったが、今年はリストの入力をやった。

7時に印刷が終わり、そこから呑みだしたが、妻が太刀魚、鯵、野菜のフライと切りたんぽを作っていたので、ビール、酒、麦焼酎と飲み進めた。
焼酎は午後、下の息子と大磯に散歩に行ったついでに、息子が妻のために買った日田の老松酒造「古代」3年以上熟成品と謳ってあるやつだったが、なめらかでアルコール臭が無く中々の物だった。
途中で妻がステーキを焼きだしたので、2階の貯蔵庫から南仏の赤ワインを出してきて呑んだ。
2015年の若いワインで、友人がこの春送って来てくれた奴だったが、フルーティでまあまあの味わいだった。
肉は直ぐに飽きたので、スペインの山羊の熟成したチーズと、到来品のリーさんのカンパーニュをストーブで焼いて肴にした。
妻はワインをグラス1杯飲んだが、酒がいいと燗酒を呑み続けたため、銀杏を炒ってやり、山羊のチーズが苦手なので自分でカマンベールを出してきて食べていた。

TVは日曜美術館、9時からNHKスペシャルでオリンピック施設の建築現場で日本の特殊技術を紹介しているのを時折観ていた。
10時半ごろ、そろそろ娘がバイトから帰ってきそうなのでお開きにしたが、二階へ上がってYouTubeでジャズを聴いているうちに寝てしまった。
今朝は6時に起きて、慌てて西部邁を読んだが、頭がぼーっとしていて10ページを1時間以上かけて読んだ。
しかし書いてあることは内容が濃く、とはいっても何時もの大衆批判だが、何度も何度も繰り返して字面を追っていると、西部の真剣な感じが滲み出てきた。
90年初頭にすでにここまで日本の退廃が進んでいて、西部の警鐘にも拘らず30年近く好転することなく悪い方へ滑り落ちたことに、言論は虚しいと言って自裁してしまったんだなあと、一周忌を前に感慨を新たにした。

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小選挙区制とAKS48

2018年12月24日 | Weblog
午後、PCの前で雑用をしながら音楽を聴いて遊んでいたが、外が暗くなってきたので散歩に出た。
玄関を出ると雨が降った跡があり、まだ少しぽつぽつと微かに降っていたが、構わずそのまま歩き出した。
最近は大磯方面へ行くことが多いが、葛川で鳥を観るのが一つの目的でもあり、満月を眺めるために東に進路を取ったこともある。

家に帰って来たらまだ5時前だったが、早々に風呂に入り寝間着に着替えてジャズを聴きながら読書をしようとしたら、妻がトントンと口でノックをしながら部屋に入って来てご飯の準備が出来ていますと言った。
変な言い方をするなと思ったが、下に降りてみると、妻が得意にしているのっぺい汁と、スナップ豌豆の茹でたのと、午後焼いていた叉焼が切ってあった。
「一ノ蔵」が少し残っていたので、呑むかと聞いたら少しいただくわというので、小さなコップに分けて冷で呑んだ。
そこで辞めるのかと思ったら、妻は何時も一人で飲むときに使っている分厚い大きなグラスに西友のPBの純米酒をなみなみと注いで電子レンジで燗をして呑みだした。
比較的暖かくストーブを点けていなかったので、湯煎で燗も出来ず、銀杏を炒ることも出来なかったが、そういうことお構いなく吞むときは呑むのである。
酒が一口で終わったので、氷を入れないでウイスキーソーダを作り飲もうとして、新しいソーダを開けたら、机の上に呑みかけのソーダがあったの見えなかったのと文句を言われた。
バカヤロウ、何故開ける前に言わなかったんだと言ったら、目の前のソーダが見えないようじゃオシマイネと言われた。
妻というのは酒を不味くするためにいるようなもんだ。


この日は当番なので8時半まで飲んで、母の着替えを済ませて、9時からの「小選挙区制」成立の裏側を描いたドキュメンタリーを観た。
後藤田正晴と小沢一郎が主導した選挙改革だが、小沢の懐刀の平野貞夫もインタビューに応じていた。
小選挙区制になってから政権交代が実現したが、政治が不安定になったとの批判もある、それに対し小沢は、まだ始まったばかりだからと答えていたが、確かにその通りかもしれない。
大きな政府と小さい政府を標榜する政党が、緊張感をもって拮抗しながら前に進んでゆくことは望ましい、だが世論とそれを誘導するマスコミの権力が強くなりすぎている今、政策論議無しで大衆を扇動する映像ビデオクラシ―と単純な言葉リテラシーがセットになって政局を左右する。
さて、何をすればいいのか。

10時過ぎに二階に上がり、ベッドで横になって新しくYouTubeに投稿された動画を視聴しているうちに眠ってしまった。
4時に一度目が覚めたが、二度寝をして気が付いたら6時だった。
慌てて「俳句の50年」を読み、目出度く7時半までに読了した。
高浜虚子の自伝がこんなに面白いとは思わなかった。
俳句を作ることもあるが、無手勝流なのでどうやればいいのか分からないでいたが、やはり誰かにいいものを選んでもらうことが必要で、何千首と作り、いい悪いを評してもらっているうちにいい悪いが分かるようになるとのことだ。
とにかく多く経験しなければならないのは何事も同じだが、そこに指導者がいることが肝要なんですね。

日本の技術とか芸能といったものは、だいたいこれと同じように継承されてきたが、子供の頃、橋本香所先生に書を5年ほど習っていたが、お手本をもらい、それを見て真似て書いたものを持って行き、赤で直してもらうことを永遠に繰り返した。
そして、それが唯一の書の方法であることに気が付いたのは後年だった。

天気は良くないが、雨もよいなので然程寒くなかった。
雨戸を開けて、風呂に入り、朝飯の準備をした。
昨夜の残りののっぺい汁を温めて、塩鮭を焼き、蕪の葉の漬物を細かく切り、葱を切って納豆を作った。
鮭がだぶったが、蕪が抜群に美味かった、2週間塩と昆布、唐辛子に付け込んだので乳酸発酵による旨味だね。


葛川沿いを北に向かって散歩に出て、途中で雨に降られてびしょ濡れになったが、まあ死ぬわけじゃなし、これで風邪をひいたことも無いので気にせずずんずん歩いた。
イオンでポストカードホルダーを買った。
大昔からの年賀状が沢山あるので、そいつを整理しようと思っている。
手紙と葉書を眺めていたら、凄いものが出て来るので驚いた。
未だ恋人では無かった頃の女性からもらった年賀状は、他人行儀で硬いことが書いてあり、その後の甘ったるいラヴレターと全く違って、女ってこんなに変わってしまうのかなあと恐ろしくなった。
年賀状の整理もしなきゃいけないんだけど、昨日写真の整理をしていたら、ポストカードサイズのものが多いのに驚いた。
そういやこの間36年前のネガを現像にキムラヤへ行ったらオネエサンにLサイズにするかポストカードサイズにするかってね、値段同じだったから大きい方を選ぶやつが多いんだろうね。
そんなわけで、とりあえず2冊買ってきた。

ずぶ濡れで帰ってきたら、妻が今日は葱そばだから作ってよと言われた。
とにかく人使いが荒い、泥葱を3本取り出して縦に二つに切り目を入れ斜めに切った。
叉焼は妻の作品なので細く切ってもらい、葱とゴマ油とオイスターソースで和えた。
何のことはない茹でた拉麺にこの葱と叉焼を載せるだけだが、先日も書いたが究極の麺は単純で、葱と高菜なんだよな。
生の葱が嫌いな妻は葱を拾って電子レンジにかけていたが、僕と息子は一気に食べた、そして実に美味かったなあ。
最後の方で、朝切っておいた大根の葉の漬物を入れて食べたが、要は高菜そばと一緒で、漬物の風味と酸味と歯応えが抜群だったね。
烏龍茶を淹れて、シュトーレンを食べた。
広州にいる知人が持って来てくれた烏龍茶もあと残り少なくなってしまったが、このお茶は実に美味い、しみじみと3回お湯を足して飲んだ。


外は雨が降っていて暗いので、こういう日は音楽を聴くのが一番で、この間机廻りを整理した時に出てきた古いCDをかけて聴いた。
とはいっても相変わらず松任谷由実と大黒摩季から離れられないのが悲しいねえ、好みの顔かたちで色っぽくて歌が上手いオネエチャンが出てきてくれたら直ぐそっちへ乗り換えるんだけど、中々現れないよね。
AKB48の戦略は、オニイチャンに対し、48タイプのオネエチャンを提示したら一人くらい好みの子がいるだろうってことだと思うが、AKS48(赤坂48)っての作って、二十代後半以降のオネエサンを48タイプ揃えてくれたら、オジサンたちが夢中になるんじゃないかなあ。
この戦略は銀座のクラブを舞台に拡大させたってことだと思うけど、ゲイトフィーが格段に安いことで、機会がビンボー人に解放されたんだよね。









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演歌ってなんだ

2018年12月23日 | Weblog
昨晩も妻と一緒に酒を燗して呑んでしまった。
烏賊の刺身とゲソ焼き、鮪の山掛けという酒に居あう肴があったのと、金曜日は母の夜に着替えにヘルパーさんが来てくれるので、妻が心が軽く呑む機会が多い。
まあ、飲むつもりだから肴を用意したのかも知れないけどね。
スナップ豌豆とスティックブロッコリーを茹でたのと、合い挽きにトマトを加えて作ったソースに豆を二種類入れたものを作ってあった。
どこかでレシピ―を見かけて作ったものだが、トマト味が気に入らなかったけど、牛肉と豆の煮込みは好物なので美味かったね、多分西部劇で鍋から皿に取り分けて食べているベタッとしたものがこれだろう。

ストーブで湯を沸かし、湯煎して漬けるが、徳利は備前で2合半入る。
これを3本漬けるのだが、3本目になると肴が無くなるか飽きて来るので、銀杏をストーブで炒る。
この時落花生を炒る網に銀案を入れて放置しておくが、気を抜くとバーンと爆ぜる。
蓋があるから飛散してくることは無いのだが、子供の頃銀案を炒っていて、爆ぜたのが唇に当たり火傷をしたことがある妻は、この音に大いにビビる。
それが面白いから、何時も網を揺すらず放置しておく。

金曜日は観るべきTVが7時半からの「美の壺」と9時からの「新日本風土記」があるので、6時から
2時間ほどゆっくりと酒を呑み、「美の壺」が終わると、少し片づけをして、この夜は白菜を漬けた。
白菜を2玉買ってあったが、立派なやつだったので1玉半で桶が一杯になり、半分は断念して妻に何かに使ってくれと渡した。

9時からの「新日本風土記」は演歌を全国に追っかけたが、演歌という言葉が昭和40年代初め五木寛之の小説「艶歌」に由来する新しい言葉だと知り驚いた。
僕に理解では、明治時代の政治的な演説歌が「演歌」だったが、これは今の「演歌」とは異なり、それが「艶歌」によって庶民の情緒を歌ったものを表すようになり、もう一度このカテゴリーの歌を「演歌」と呼称するようになったらしい。
TVの歌番組を観ているとオールドネームの演歌歌手が出てきて、衰えた美貌と声で歌っているのを観るに堪えないが、若い美貌と美声を持った子たちはヒット曲に恵まれないから、聴く気にならない。
詩も今の時代に合わないし、メロディも魅力的なものが少ない様に感じる。
若い人たちの心情を的確に詩に出来るのは若い人で、決して演歌の大家ではない、J‐POPがそこそこに若い世代に受け入れられているのだから、少なくとも作詞については考え直すべきではないのか、「新日本紀行」で演歌を聴く人たちを観ていたら、年配の方ばかりで、若い人に受ける演歌を提供することが喫緊の課題だと思う。
もう一つ、演歌を目指す若い人が、オールドネームの作曲家や歌手に弟子入りしているが、これもやめた方がいいと思う。
その先生方の世界観や感性は30年前には世間に受け入れられたかもしれないが、今では難しいでしょう。


10時までTVを観て二階へ上がってベッドに横になり、ジャズを聴いて本を読んだが直ぐに眠ってしまったようで、最初に0時に目が覚め、次に3時、その次に5時、最後に6時に目が覚め、慌てて高浜虚子「俳句の50年」を読む。
後半になってくると、子規が無くなっているので、漱石とのやり取りの文章が多くなる。
碧梧桐とは完全にたもとを分かっているが、元々親しく交友していたので、本人同士ならば会って話も通ずるだろうが、虚子派、碧梧桐派といった取り巻きが対立して引き離す傾きを持っているようだと書いている。
確かにそのようなことはありがちだなあと思う。

7時範囲起き上がり、雨戸を開けて、風呂に入り、朝飯を作る予定だったが、上の息子が釣りから帰って来て風呂に入っているので、風呂を断念して朝飯を作り出した。
冬至なので南瓜の味噌汁を作り、スナップ豌豆とスティックブロッコリーを温め、卵焼きを作り、納豆で食べた。
銅製の卵焼き器は抜群に扱いやすい、卵4個に砂糖と塩を入れて攪拌し、4回に分けて流し込んで丸めたが、砂糖のせいで綺麗な焦げ目がつき見た目も美しくなった。

JA湘南へ自転車で向かったが、ぽつぽつと雨が落ちてきていた、今日はこの後天気が下り坂になり、寒い当時となりそうだ。
柚子、大根、スティックブロッコリーを買った。
昨日鎌倉で遅くまで飲み食いしたので朝ゆっくりしていると悪いので娘のところへは寄らなかった。
午前中写真の整理をした。

昼は、鍋焼きうどんにしますとのことで、寒いのでまあいいかと思った。
全くいつもと同じように作った。
そこそこの味わいで、感動もなかったが、今度は味噌味にしてみようかと思う。



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ロマネスコ

2018年12月22日 | Weblog
今年もいよいよ押し詰まって来たが、さて今年は何かやり遂げただろうかと自問してみても、何もなく過ぎ去って行くような気がする。
それでも秋に、昔の恋を思い起こし、やり残し症候群に陥り、果たして思い通りの人生を歩んできたのだろうかと疑ったことで、欺瞞があからさまになった。
だが、それにいかに対処するかについては今のところ全く考えが浮かばず、時と共にその後悔の気持ちが薄れてゆくことを待っているのでは、今までと同じだなあと思っている。


昨夜は妻と酒を呑んだ。
夕方西友まで散歩をして、妻の晩酌用の西友PBブランドの純米酒(A)と味の比較をするために、北関東のメーカーで造られている2ℓパックの純米酒(B)を買って、この2種を燗にして同じ形状の猪口で飲んでみた。
Aは精米歩合が78%で、味わいは辛口でアルコールの香りがして単純だがキリっとしていた。
Bは精米歩合が70%で、米の味わいがある程度あり甘口に感じ、やや複雑さがあった。
妻はAのほうがいいと言い、僕はBのほうが美味いと言った。
ことごとくかように意見が分かれるのは見合いで無理筋の結婚をしたせいなのだろうか。

昨夜は10時に寝て、0時2時4時と二時間ごとに目が覚めたが、再び目をつぶると2時間後に起きたものだから、何だか変な安心感があった。
もう一度寝て6時に起きると読書が出来なくなるので止めたのだが、やれば寝られたような気がする。

最近、YouTubeに1980年代の松任谷由実のアルバムがアップされたので、85年から88年までの4枚を聴いた。
その頃は仕事に夢中で、仕事が終われば飲んでいたので、歌を聴く余裕がなく知らない歌がほとんどだったが、2016年のベストアルバム「日本の恋とユーミンと」に収録されている曲が何曲かあったので、辛うじてそれだけは知っていた。
代表的な歌は割と初期に偏っていて、まあ大体芸術はそういう傾向が強いが、若いころの感性が時代にマッチして作品が人口に膾炙するものだ。
本の方は西部邁「批評する精神Ⅳ」を読みだしたが、僅か21ページの”流れてゆく日本”に2時間を費やした。
内容は大衆批判で、他にもいろいろな所で書いているのと基本的には同じだが、重要な内容を含むので少しどんな事か書いてみましょうか。
大衆(マス)は、法律というルールを重んじる公衆(パブリック)でもないし、道徳(慣習的規律)をおもんじる庶民(コモンマン)でもない、自分より優れたものの審判を一切認めない閉鎖的な人間で、討論を絶滅し、リンチというただ一つの方法を用いて行動するひとたちのこと。
分かりやすくいうと、愚劣で低劣で卑劣な人々。
世論が大衆の意見の寄せ集めとするなら、それは欲望の寄せ集めであり、公共性の偽装であり、私的領域の公共的領域への侵略となる。
大衆が金科玉条とするのは、ヘドニズム(快楽主義)とエガリテリアニズム(平等主義)で、これは近代が掲げる旗幟そのものである。
欲望が飽和状態になると満足を得られず退屈をもたらす、社会的平等を求め続けると最後は微細な差異に大きな苛立ちを覚える。
今の日本は民意=世論に一喜一憂する政治で、大衆の熱狂がファシズム迄行き着くことを思えば、この問題に警鐘を鳴らし続けた反大衆のバーク、カーライル、キルケゴール、トゥクヴィル、ショーペンハウアー、ブルクハルト、ニーチェ、ル・ボン、チェスタトン、ホイジンガ、オルテガ、エリオット、ヤスパース、カミュなどが出現しなかったことで、日本の近代化の一面性に危うさがあることが分かる。

7時半に起き出し、雨戸を開けて、風呂に入った。
庭の椿は、藪敬に続き、東にある「窓の月」が咲き、西の「乙女」も咲きだしていた。
いよいよ椿の季節なんだけど、季語は春なんだよな、今日が満月で冬至だから、明日から日は長くなり出し、気温は今後下がるけど光は春だ。

朝めしは、茸と小松菜と麩の味噌汁、マカロニグラタン、白菜の漬物、納豆、ロマネスコ。
ロマネスコは親しいKさんが栽培しているもので、最近このフラクタル形状の野菜を見かけるが、新品種かと思ったらローマのブロッコリーRomanesco Broccoloといって16世紀にはローマで栽培されていたというから古い野菜だ。
甘くて美味いよと言われて買ったが、妻いわくブロッコリーやカリフラワーより美味いとのこと、確かに甘みがあって美味い。
マカロニグラタンと合ったのでホワイトソース(牛乳)との相性がいいんだと思う。

小春日和の絶好の天気でJA湘南へ自転車を飛ばす。
白菜と菜花、薩摩芋の菓子を買う。
娘のところへ寄り、朝のコーヒーを飲む、パッチは完全に大人になってしまい、娘としか遊ばなくなった。
24日は推薦した鎌倉御成通りのフレンチレストラン「レネ」でクリスマスランチを食べるらしい。
シェフの実家が北フランスの肉屋だったはずで、豚のパテがスペシャリテ、ワインを飲みながら食べるのに良いんだな、ソースが掛かった料理よりあっさりしているので食事が快適に終るのもいい。
小町通りを少し散歩してから、立ち飲みの焼鳥屋やワインバーを梯子するのが面白い。
鎌倉は観光客の引きが早いから夜は空いていて古都の静寂を愉しむことができる。

昼はオムライスだ、出た―って感じだが、娘も卵をもって食べに来ると言う。
豚肉のミルフィーユのディープフライと鶏むね肉3種類、豚カツとメンチカツと肉の揚げ物が続き、みんな胃腸を壊したみたいで、娘は肉なら行かない、妻は今日はお昼食べないなどとこの二三日言っていたが、オムライスというのは微妙な料理だ。
ケチャップを炒めて酸味を飛ばし、ウスターソースとカレーを加えて作るのだろうか。

呼ばれて下へ降りたら妻と息子はもう食べていた。
卵の火の入れ具合をうるさく言うので、自分で卵を炒めろってことらしい、銅の卵焼き用の鍋に二個卵を溶いて入れたが、出来上がりは並みだったね。
味は、先日「えび屋」へ連れて行って食べさせたのがさっぱりしていたので、何時ものとは全然違うさっぱり味だったが、特別美味いとも思わなかった。
家で食べる料理を西洋料理屋のように濃厚にしてしまうと飽きるってことだね、これなら時々食べても飽きないと感じた。
家庭料理の要諦は毎日食べて飽きない料理を出すことだね。

プレシネは「Cheynne Autumn」1964年 ジョン・フォード監督 米映画、シャイアンが痩せた居留地を出て、元居たイエローストーン迄の過酷な旅をつづける物語。
途中忽然とダッジシティの場面に変わり、ワイアット・アープとドク・ホリデイのお馴染みのコンビが出てきて、シャイアンと戦うが、調子は喜劇調で他の場面とは異質。
長尺の中だるみを〆るための劇中劇のような感じだが、これが無くて一気に行った方がいいんじゃないかな。
ちなみにこの映画も二度目だけど、わくわくする感じは薄れるが、落ち着いて細部まで味わえるね。

大磯方面へ散歩に出て、国府郵便局で年賀状を購入、考えてみると土日祭日は休みだから、今日買っておかないと週末に印刷できなかった。
日が落ちてからも温かく、1時間と少し歩いたので汗をかいた、風呂に入って汗を流し、ゆっくりと温まった。


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