キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

ボルドーの新しい流れ

2008年02月29日 | Weblog
先日ボルドー右岸の協同組合のかたが事務所に見えてお話をさせていただいたのですが、コート・ド・ブライの生産量の60%コート・ド・ブルグの生産量の30%を占めるまでに拡大したそうです。
700軒の農家が加盟しており、過去10年くらい不振をかこったボルドーのプティ・シャトーの生産者も、このような形になってくれればかなり生活が安定するだろうなあと一人勝手に安心いたしました。
ぶどう生産者からぶどうあるいはワインを引き取り、製造からボトリング、販売まで一環して行ない、生産者には早めに決済をして収入の安定を図ることは、ボルドーの無名生産者にとって一番ありがたいシステムではないかと思います。

資本の集中により、最新鋭の醸造設備が可能になり、最新の技術を持った醸造家がワイン造りをする事で、お金持ちの有名シャトーに対抗する現代的な品質のワインが可能になります。
マーケッティングもその道のプロが担当するわけで、パケッージから宣伝広告のプランまで少なくとも一人の農民が行なうのと較べれば月とすっぽん、金魚と鯨くらいの差が出ることは間違いありません。
以前から協同組合というものは存在しましたが、その協同組合が合併し近代化をなしえた事で昔のイメージを一新したなあと思います。
個別の農家が造るワインの個性というものは当然失われますが、アヴェレージの品質を劇的に高めた事は間違いありません。
このマス生産の中でも個性化についての努力は払われており、スタンダードのバルクワインはネゴシアンへ販売、最優良キュヴェからはボトルワインが造られ個性的な品質を目指しております。

既に名声を博している有名シャトーは、今後も利益を畑や醸造設備、ワン造りに再投下して益々その品質と名声を高めてゆくでしょう。
一方協同組合はよりアペラシオンの中で占有率を増やし、価格支配を強め利益を農民に分配してゆくでしょうし、品質の向上への再投下も怠らないでしょう。
ボルドーでもこの二元化の波は今後も大きくなってゆく事と思います。
ワイン生産に関わる皆さんの生活基盤が安定し、高品質のワインを供給してくれる事を願いたいものです。

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茹で南京豆の法則

2008年02月28日 | Weblog
姪の結婚式が沼津であり、お迎えのバスに乗って出かけました。伊豆の山々を越えた遠いところと思っておりましたが、東名高速で旧東海道線とほぼ同じルートで箱根山を迂回して走ると、意外に近く小一時間で到着しました。車で出かけるときは何時も箱根か伊豆までで中々沼津まで直接出かけることが無く、近いもんだなあと認識を新にいたしました。

茹で南京豆分布の法則に従いますと、沼津辺りの人達は大変温厚で結構な人柄、とても好ましい土地として認識しております。気候が温暖なところでは、南京豆が栽培されており、産地の人達は掘りたての南京豆の泥を落として殻ごと茹でて食べる風習があります。最近では色々なところでこの茹で南京豆が出されますが、一昔前までは、鹿児島、静岡県西部、湘南辺りがこれを食する特異的な地域で、この辺り出身のかたが料理屋、スナック、バー、クラブなどやっておられるとつまみに出される事があり、お里が分かり話が弾んだものです。この茹で南京豆は掘ってから時間がたつと豆が硬くなり、豆の良し悪し、茹で方の稚拙より何よりも、掘ったら直に茹で上げる事に仕上がりの良否が掛かっている一品です。

茹で南京豆の地域は気候が温暖で南に海があり、魚貝類や農産物が豊富で豊か、生活に困る事が無く、人柄が温厚でお人好し、裏を返せば騙されやすく、忍耐我慢が不得手、お気軽な性格になりがちです。静岡県西部と湘南では大人物が輩出しないという共通点があります。しかし鹿児島だけは何故か西郷隆盛、大久保利通を出していて、都から遠いことがその要因ではないのかなと密かに思ってます。まあ物事には例外があるもので、ましてや私が勝手に唱えている茹で南京豆理論、確たる裏づけがあるわけではありません。それでも可愛い姪が沼津へ嫁に行ったことを、それほど不安に思わずに済むのは、この“茹で南京豆を食べる土地に悪人無し”というインチキ理論に負っているところが大なのです。

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女性の一人酒

2008年02月27日 | Weblog
新刊が出ると必ず購入する作家の一人に川本三郎さんがいらっしゃいますが、最近「東京暮らし」が出ましたので、リアクションバイトいたしました。永井荷風の研究家、映画評論家、街歩きの達人として高名ですが、私は特に街歩きのエッセイに惹かれております。今回の「東京暮らし」には猫に関するエッセイが多く含まれておりましたが、先日読売新聞紙上で嵐山光三郎さんが猫本のベストに村松友視さんの「アブサン物語」を挙げられておりましたが、川本さんの猫の部分だけを纏めれば猫本の双璧に位置するのではないかと感じました。私は赤ん坊の頃に顔を引っかかれた事がトラウマになっているのか、個人的に猫が嫌いなので猫好きの人のような熱烈な心頭は出来ませんが、それでも面白く読みました。

このエッセイの最後に“女性の一人酒”という題の小文があり、銀座の蕎麦屋でコップ酒を片手にシステム手帳を開いているスーツ姿のキャリアウーマン風女性を、頼もしいと賛美しておられます。酒を飲む女性に対する偏見が多く、かつては蕎麦屋や焼き鳥屋で女性が一人で清酒を飲むことに対する抵抗があったと思います。5年前にベストセラーになった川上弘美さんの「センセイの鞄」は、居酒屋で一人酒を楽しみにしている女性の支持を受けてヒットしたと書かれておりますが、私の感覚ではこの小説の主人公ツキコさんが、鮪納豆やらっきょうを肴に燗酒を飲んだお陰で、女性が一人居酒屋に入る環境が整ったと考えておりました。杉浦日向子さんの「ソバ屋で憩う」なども大いに女性を勇気づけたのではないかと思っております。

その因果関係はどうであろうと、蕎麦屋にしろ焼き鳥屋にしろ居酒屋にしろ、夏は白一色、冬は黒一色の店内に色彩が加わった今日この頃をとても好ましく感じています。





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鰻とフランス人

2008年02月26日 | Weblog
先週金曜日夕刻ジャン・フィリップが来社する前、僚友のオリビエ・トリコンがオフィスに来ました。だいたい彼とは一緒に寿司を喰って、ああだこうだと寿司について話をする事が事が多いのですが、今回は趣向を変えて鰻を食しました。午後一時を過ぎて出かけたのですが相変わらず「わかな」は大入り満員で、サラリーマンが昼食をとっている風情ではなく、横浜にも中金持ちが多い事が分かります。それでも運良く席があり、待たずに座る事が出来ました。鰻丼と肝吸いをオーダーしてから待つのは鰻屋の宿命、裁いて素焼きして蒸して付け焼きするまでに最低でも小一時間は掛かります。ここは流行っているので、オーダー前にフライングで仕事を進めているので三十分位の辛抱で済みます。待っている間に、鯉の洗いなんぞ肴に一杯も中々良いものですが、この日はお茶を飲みながらお話をして待つことにいたしました。

日本人が鰻好きなためボルドーの人達にも迷惑をかけているのは申し訳ないと思っておりますが、稚魚を大きくしてから食べているのがせめてもの慰め、フランス人が来るとなるべく鰻を奢るようにしているのも、心のどこかにある罪悪感が動機になっているのかもしれません。ともあれ世界中から稚魚を集めまくっている事に対する批判は、甘んじて受けなければいけません。鯨、鮪、海老、鰻など日本人が特異的に好むものが世界の食の流れに大きく影響をいたしております。しかし、これと同じ事が近い将来中国で起こるのは先ず確実で、鮪に既にその兆候が現われております。

運ばれてきた鰻丼は、脂が強く味が濃いためフランス人には好まれます。肝吸いの鰹出汁も旨味が濃縮されていてとても好まれます。オリビエも美味そうに喰っておりました。鰻丼にわざわざワインを合わせる必要も無いのですが、肝焼き、蒲焼には酸があるワインが捨て難く酒より合うと思います。その場合ブルゴーニュのような洗練されたものをあわせるより、甘味があり濃厚な南仏のカブザックのようなワインが合うのではないかと推測しております。いえ、これは罪滅ぼしでフランスワインを鰻に合わせようってんではありませんので、ええ。
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ジャン・フィリップ・マルシャン

2008年02月25日 | Weblog
先週の金曜日の夕刻、ジャンフィリップマルシャンが横浜オフィスを訪れ、夕食を共にいたしました。私とフランス帰りの佐和さんをご招待したいとの事で、こちらで宇多がわを予約をし和食をご馳走になりました。週の初めには大阪でオリビエ・トリコンと一緒にお好み焼きを食し、そこでも燗酒を楽しんだそうで、日本での食事にはやはり酒が一番合うし美味いとの認識を持っているようです。宇多がわにはオリビエ・トリコンのシャブリが入っているのですが、やはり燗酒で行きましょうとの事で、最初から最後まで山形の男山をぬる燗でつけてもらいました。

鰹、寒鰤、平目の昆布締め、鯛の湯引き、青柳、烏貝のお造りと男山に舌鼓を打っていました。烏賊の塩辛、焼き筍、メバルの煮付けなど完全に酒に会う肴を選び三人で随分と徳利を空にいたしました。元々ジャン・フィリップはフレンチの料理人をやっていた事があり、出てくる和食の皿を興味深く眺め、いかに調理してあるかを観察して、可也の度合いで再現出来るところまでになっております。フランス人は食にたいする興味が旺盛で、好奇心のある人は見知らぬ料理を必ずたのみ、フレンチとは異なる洗練された和食に魅せられるケースが多いですね。

ジャン・フィリップのブルゴーニュのスタイルは、木樽の風味は控えめですが、強いタイプだと思います。これだけ和食に対する理解が深いのですから、これらに合うエレガントで軽く、洗練されたワインを造ってくれるたら良いとおもうのですが、フレンチレストランの顧客を多く持っているため、私が思うようなワインが実現されません。日本向けに特別なキュべを依頼すれば良いのでしょうが、今度は私のほうにそれほどの確信が無く、そこまでいたっておりません。しかしながら、本来の彼の赤の造り手としての名声の陰に隠れている白は中々のものだと思います。サン・ロマン1996など若い頃は溌剌として、熟成が進んでからはクリーミーで奥行きがあり、長い間とても美味しく飲めました。和食にあわせてもとてもよいワインでした。
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シャトー・カブザック

2008年02月24日 | Weblog
先日モンペリエ通信でお話したアンモナイトのワインのドメーヌへ佐和さんが行き、その報告をいただきました。以下はそのレポートの一部です。

“車でBelbezeとCazellesの畑を見学。Belbezeの畑は標高250~300mでアルジロカルケールの土壌。幹のしっかりした古木。畑は非常に丁寧に手入れがされていて、他の畑とは手の入れ具合が全く違った。もう1つの畑は標高400mに位置し、非常に広大な面積で石灰岩がごろごろしている土壌。昼間の気温を吸収して熱をためて、夜の低温時には地中深く葡萄に熱を与えてくれる。この畑も非常に丁寧にCultivateされており、繊細なワインが造られる理由が納得できる。
セラーは新樽が整然と並べられ、見事でした。タンクは比較的大きめのタンクを使用。
Mr.Dondainは何年か先に 彼の標高400mの畑の一番高地にシャトーとセラーを作り、余生はワイン作りにささげるとのこと。彼の本業の会社はFamily Companyで現在株を親族に売却しているところ。近いうちに彼は引退し、ワイン作りに専念するとのこと。“

中々詳細な報告書で大変満足しております。南仏のワインに繊細さを与えている理由は、標高の高いところに畑が位置し、日中でも比較的低温、加えて夜温が低く果実に酸の集積がされる事。古木であり収穫量が少なく果実にエキス分の集約がされワインに複雑さと軽さを与えている事。土壌がアルジロカルケールのためミネラル分がワインに複雑さと奥行きを与えている事。やはり金に飽かして新樽をふんだんに使っているのは予想通りでしたね。それと見逃してはいけないのが、アンモナイトの作者ドンダィン親父ののワインにかける情熱、金持ちの余技かと思いましたがお見それいたしました。

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ブルゴーニュ試飲会

2008年02月23日 | Weblog
2月21日にブルゴーニュワインのセミナー及び試飲会が、ウエスティンホテル東京でありました。セミナーはブルゴーニュのかたがその特性について説明され、一般的な事が多く、目新しい事はあまりありませんでした。最後に聴講をしたかたから質問があり、全く頓珍漢な答えをしていらしたので、おい大丈夫かよと思わず余計な心配をしてしまいました。地質学と土壌学をある程度やっていないと答えられない質問でした。まあ、現地に行って、畑を見てまわり、ワインを大量に飲み込む事が一番の理解に繋がるわけで、言葉による説明には限界があり、ブルゴーニュに肉薄するのは難しく、道しるべになれば役割を果たしているのだと思います。

試飲は典型的なブルゴーニュを赤白揃えて、渋谷康弘さんがコメントをなさいましたが、やはりそのコメントに新しさや輝きは無く、この分野の停滞を顕にしているような気がいたしました。通り一辺倒なコメントではなく、新しい言葉を駆使したワインの表現が欲しいですね。開高健さんや嵐山光三郎さんなどのエッセイを読んでおりますと、いかにも美味そうだ喰いたい、飲みたいという表現に遭遇いたします。そんな風に皆さんにワインを表現できたらと思うのですが、こちとら言語芸術の素人ですから、そこまでは行けないにしろ、いいかげんワインのテイスティング・コメントの常套句とさよならしたいものです。

試飲会場には当社の関係者、といっても相変わらずのオリビエ・トリコンとジャン・フィリップ・マルシャンですが、夫々ブースを持って奮闘しておりました。彼らは複数の輸入元があるので、アグリが全面的に表に立って協力をするわけではなく、黒子になって協力をしています。2007年の雹による収穫量の激減で価格がさらに高騰したシャブリは、ユーロ高と相まってバンバン売れる商材ではなくなり、新たチャネルを持った輸入元をオリビエが探し出してくれたら良いなあと思ったりしております。ジャン・フィリップのところのワインも、ボージョレ・ヌーボーをある程度の数量販売しているだけで、彼の高級ブルゴーニュ・ワインの販売はさっぱりです。他の輸入元がコンスタントに販売してくれているので、そちらの販売の応援をしているような有様です。いずれにしろオン・トレード・マーケットへの販売の拡大は急務です。

さて、気になったワインですが、AFグロと試飲商談を行い幾つかのワインの購入をいたしました。名前が通っていて人気があり、ブースの前も人だかりで大変な賑わいでした。飲んでみて心を動かされるような、あるいは音楽が鳴り出すような素敵なワインには当たりませんでしたが、全てのワインがハイスタンダードで、高い人気は安定した品質によって培われたものだと感じました。

もう一社ジャン・フィリップの友人の処のワインが中々でした。うちのソムリエはボンヌ・マールが絶品と大誉めで、私はボーヌの1級に掴むものを感じ、上出来のブルゴーニュに仕上がってゆくのではないかと感銘を受けました。

後一月もすると、昨年10月に一週間ジュブレ・シャンベルタンのジャン・フィリップの安ホテルに滞在して、探し回って買い付けたブルゴーニュが日本に到着いたします。直に飲めるエレガントで繊細なワインと少し寝かせようと買い付けたものがあるのですが、この最初のグループのワインは飲んだときに嗅覚味覚の刺激が脳にホップして、音楽や色彩に変化するような驚き、飛躍、美しさを持っているような気がしてます。そんな事あるかい、と仰るかたがいらっしゃると思います。ま、私だけが感ずる事なのかもしれませんが、最近はそんな事をキーにワインを選んでおります。近いうちに該当するワインを具体的にご紹介しようと思っておりますので、ぜひ楽しみにしていてください。

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キュイジーヌ・コンテンポレーヌ

2008年02月22日 | Weblog
かつてヌーベル・キィイジーヌと言われ今は対価になったフランスの料理人が、会席料理などのアイディアを取り入れたりして、フレンチの革新をいたしましたが、今の新しい流れを称する言葉がこの「キュイジーヌ・コンテンポレーヌ」との事のようです。カンテサンスの岸田周三シェフの言に拠れば「ソースを使わずに素材の味わいを以下に表現するか」がこの思想の核心のようです。

先日、火入れの方法に感心して稚拙ながら自ら試みもしてみたのですが、元来ソースなど作る技量も無いため、今まで私がやっていた料理がキュイジーヌ・コンテンポレーヌ・現代的な料理という事になるんでしょうか。この思想の実現には、新鮮な素材が手に入るという絶対的な条件が必要です。東京には世界のシェフが羨む築地市場があり、日本中いや世界中から最高の魚介類が集ります。また、大田市場にも同じく最高の野菜果物が集り、この二つの市場から遠く離れていなければ、キュイジーヌ・コンテンポレールの思想の実現は地理的に可能です。もう一つの考え方は、全ての食材は集らないものの魚と野菜の産地の近くで事を行なう事で、意欲的な若いシェフが地方の漁港近くや山間に店を開いておられます。その場合通常お客様が居る場所から離れますので、時間を掛けてお客様がそこまで食べに行く必要がでてきます。

数年前から札幌に行くとフレンチを食べてみようという気になるのですが、多くのお店がソースをなるべく使わずに素材の旨味を組み合わせたお皿を出してくれるので、食べ飽きせず好ましい感じなのです。蝦夷鮑・鱈・牡丹海老・ズワイ蟹・毛蟹・馬糞雲丹・津軽海峡の鮪・つぶ貝・ホッキ貝・八角・ホッケ・宗八鰈・帆立・蝦夷鹿・トド・鯨・トマト・アスパラガス等々直に思い浮かぶだけでもこれだけの新鮮な素材が手に入るわけで、垂涎とあいなります。考えてみると少なくとも寿司刺身が美味い都市はキュイジーヌ・コンテンポレールの思想実現が可能となります。しかも札幌のフレンチは驚くほど廉い。
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モンペリエからの便り

2008年02月21日 | Weblog
今週はモンペリエでヴィニシュッドが開催されており、アグリからは佐和さんが私の代りに行ってくれております。3月上旬と4月上旬にイタリア出張を組んでいるため、老齢の身にはここでフランス出張をかますとそれこそ生命に影響が出かねず、お願いをした次第です。

毎日真面目にモンペリエ便りを送ってきてくれているのですが、二日目まではアグリの取引先のブースを回るだけで新規のメーカーへのブースへの訪問など出来ず、旧知の12軒を廻ったのみとの事です。タリケ、ボデガス・カスターニョ、カブザック、ラストーなどが出展しているのですが、毎度12回に渡り社名変更、役員変更、子会社の吸収合併の説明をして居るそうで、誠に大変だとの事。矢張り出向かなくて良かったと胸をなでおろしております。

昨日はカブザックがモンペリエ近郊にあり、車で1時間との事早起きをしてドメーヌ訪問をしたようです。昨年末横浜中華街華正楼で新社名のお披露目をしたときに、最後の料理台湾筍肉味噌炒煮にあわせてカブザック・アンモナイト(通称)を出しましたが、参加各位から絶賛を浴びました、そのワインの生産者です。ラベルにはアンモナイトが描かれ、印象的で、果実の濃縮を極限までして新樽で熟成した、ワイン造りの教科書に載っているような典型的な良い子ちゃんスタイルです。このように造るとミネルヴォアなので、通常重たくて鈍で嫌になっちゃうのですが、このワインが高い評価を受けているいわれは、重い中にエレガントな軽快さをもつことにあると思います。適度な酸と収穫量を制限した古木から獲った果汁の複雑な風味と味わいが、とても付き合っていられない詰まらない優等生で終わるところを、価値のある味わいのあるレベルまでに引き上げているのだと思います。その辺りの事を佐和さんしっかり見てきてくれると良いのですが。

ここの親父はパリに住み、ドメーヌを買って使用人に管理をやらせているとの情報を佐和さんからモンペリエ通信いただきました。何しろ凄い金持ちですから尊大で、扱い難い事といったら半端じゃありません。今回朝早くからドメーヌを見せたいなどと言ったのも、邪推すればあの親父のことゆえ、改築した豪華なセラーや金にあかして買った新樽などを見せて、どうだいと威張ってみたいのかも知れません。しかしながら、尊大で気難しい人物ですが、子供ぽいところがあるので、からかって熱くさせると付け込む隙も多く、実に愛すべき人物でもあるんです。
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細雪とバーガンディーホワイト

2008年02月20日 | Weblog
市川昆さんがお亡くなりになりましたね。私はあまり映画を見ないので大きな思い入れがないのですが、なんと言っても小学生の時に観た「東京オリンピック」が印象的です。
望遠レンズを駆使して選手の息遣いや緊張感、不安な表情を捕らえた映像は、当時画期的な出来事でした。その後馴染みがあるとすれば、テレヴィで観た「木枯し文次郎」ですね。上条恒彦の主題歌ともども強く印象に残っております。

巨匠といわれる方がお亡くなりになると、代表作品がテレヴィで流されるのが常ですが、一昨日の夜「細雪」を拝見いたしました。1983年の作品ですが、この頃の俳優、女優は馴染みが深いですね。その後テレヴィもあまり観なくなり、今の方たちは誰が誰だか分からないですが、ほとんどのかたの名前を覚えておりました。最近は物覚えが悪いのと、興味が無いので覚えないのですが、昔の事は覚えているもんだなあと感心しました。それで昔の事ばかり懐かしく、結果若い人の感覚からどんどんどんどん離れてゆき、交流不能と成っているようです。

といいましても谷崎さんの原作を読んだのが30年前、京都の花見の場面のみを覚えているだけで、他のことはすっぽり頭から欠落しており、昔の記憶も怪しいものです。その様なわけで、この原作にあるのかどうか調べてみないと分かりませんが、映画では一箇所ワインに言及する場面があり、むむむと膝を乗り出しました。伊丹十三扮する銀行勤めの本家の義兄が、丸の内支店長に栄転する折、義弟に当たる分家の石坂浩二に、それじゃあ一杯やるかと“バーガンディーの白がある”といって男二人で本家の奥の部屋に向かうシーンです。

確かこの小説の時代設定は昭和13年、大阪の没落商家に婿入りしたエリート銀行員はバーガンディーワインを美味いワインとして嗜んでいたようです。この後中国戦線が拡大して太平洋戦争に突入し、海軍幹部は戦争末期までワインを嗜んでいたという話も聞きますが、富裕層の間では徐々にワインが飲めなくなったと思います。戦後はアメリカ人の嗜好でスコッチウイスキーが一部に出回りましたが、高級輸入ワインが復活するまでには随分と長い時間がかかってしまいました。





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