キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

熱海の夜

2018年11月30日 | Weblog
昨日、千葉の友人と二宮発11:15の東海道線の電車で待ち合わせて、熱海まで出かけた。
大学時代仲の良かった6人でプティ同窓会を開くことになっていて、完全リタイアの二人で早めに熱海へ入り、飯を食って散歩をして、チェックインの2時にはホテルに入り、温泉にたっぷり入ろうとの計画だった。

ホテルは後楽園だったので、先ずは海まで下り、その辺りの店で魚を食べて酒を呑もうとの心心算であったが、渚通りと云うのかなあ、ソープランドなんかがある少し色っぽいところを通り、干物屋がやっている割烹料理に入り、ビールでノドを潤し、海鮮丼を注文して燗酒を呑んだ。
昼の酒は効くが、結構いい気持になって海岸までぶらぶらと歩き、ヒマラヤ桜を眺め、海が見えるベンチで休んだ。

今回とだいたい同じメンバーで熱海で呑んだのは16年ほど前で、お宮の松の向かいの大月ホテルに泊まったが、すでにこのホテルは無くなっている。
横浜ワインコレクションで温泉試飲会を開いたのもこのホテルで、懐かしいホテルが無くなったのは寂しい。

熱海港を西に歩くとウオミサキホテルに出たが、ここも経営が変わってブッフェスタイルの低価格ホテルになってしまった。
神奈川県酒販協同組合で女体盛をやって騒いだのは、もう30年も前になるだろうか。

後楽園ホテルはその先にあり、どうもイメージが良くなかったのだが、部屋も綺麗で料理も美味かった。
昼に酒を呑んだ料理屋の親方が、あそこは割と美味いものを出しますよと言っていたが、水道橋の後楽園ホテルの系列であることを教えてくれた。
そういや巨人軍が納会をここでやっていたことを思い出した。
以前、後楽園ホテル東京で試飲会とディナーを開いたこともあり、中村シェフが素晴らしいディナーを出してくれたことを思い出した。

その先にあるニューアカオは、この間の西へ進んだ台風で1階レストランのガラスが割れて大変なことになった。
遊覧船の船長の話では、海の上に柱を立ててそこに建物が乗っかっている構造で、建てられた当初は、建築家がたくさん見学にやって来たとのことだ。


後楽園に着いてチェックインをすると、きちんと教育された綺麗なオネエサンが部屋まで案内してくれて、浴衣のサイズや、こまごまとお世話をしてくれた。
このオネエサンは市原出身のSさんで、とっても感じのいい人でした。
帰りにもお見送りをしてくれて、少し涙で目が潤みましたよ。

直ぐに風呂に入って、部屋に帰り昼寝をして目が覚めると、辺りは暗くなっていて、対岸の熱海の町の夜景が綺麗でしたね。

夕方から仲間が集まって来て、ビールを飲み、静岡の友人が持ってきた生酛づくりの地酒を呑んだ。
この静岡の奨励米で作った生酛原酒が中々美味かった。
7時からの晩飯は、最上階の18階のラウンジでブッフェスタイルだったが、ブッフェとしては刺身と丹那豚のソーセージが美味く、サントリープレモル生、月桂冠燗、オックの白ワイン、赤ワイン、富士山麓ウイスキーをたっぷり飲んだ。
もちろんここからの夜景も見事だった。

部屋に帰ってから零時過ぎ迄、酎ハイを呑んで皆で話をして騒いだが、夕方から一貫して役に立たない詰まらねー話ばっかりだったなあ。
まあ、研修会に来ているわけでもなく、旧交を温めて、楽しい時間を過ごそうってのが目的だから、それでいいのだけれども何年経っても成長が無いんで呆れたねえ。

5時に起きて海からの日の出を見て、風呂に入り、7時に朝飯を同じところへ喰いに行ったが、晩に比べると質が良くなかったね。
いろんなの出さなくていいから、うまい味の干物と、海藻の味噌汁がほしかったなあ。
でもパンとコーヒーは美味かった。

9時に部屋を出て下の喫茶店でお茶を飲み、記念撮影をして、早帰りする友人3人を見送り、千葉と京都の友人と遊覧船に乗って30分の遊覧を愉しんだ。

この後、検番を観て起雲閣を見学した。
ここは根津嘉一郎の別荘だったところで、この人のことは中島飛行機を調べた時に出てきたので興味を持って見学した。
洋館が二棟あり、だれの設計かは知らないが、日本の大工が高い技術を持っていたためだろう、住みやすそうな素晴らしい部屋だった。
それにしてもうららかないい天気で小春日和ってやつだったなあ、最後に庭を散策したが、時間がゆったりと流れて実に贅沢な気分だった。

駅まで戻り、評判の蕎麦屋に行ったら3日間の臨時休業で嫌われ、その後入った店でたべた穴子丼は酷く不味くて、家の奥様が如何に美味い天婦羅を揚げるのか良く分かったね。
妻が欲しがっていた鰹の酒盗を土産に買った。







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ヤガラの天婦羅

2018年11月29日 | Weblog
先週土曜日、神楽坂で絵画同好会OB会に参加して、3次会迄いたので当番だった母の着替えが出来ず、妻が代わりにやってくれたので、今日の夜妻の当番日に僕がやることになっていたのをついうっかり忘れていたな。
晩飯時に妻が、あなた今日は呑まないのと聞いてきたので、ここのところ呑みすぎているので止めておくつもりだったが、燗酒器を出し、備前の大徳利に酒を入れて漬け始め、猪口も二つ出してきて酌までするので付き合って呑んでしまった。
肴はホッケ、鮭ハラミ、牡蠣入り豚汁、野菜の梅酢漬け、湯豆腐などであったが、さらに後半にクリームチーズと小田原のしんじょうなども出してきた。
酌をされ気持ちよくなってきたときに、ハッと気づいたのが母の着替え当番を替わったことで、何だよ呑んでる場合じゃないじゃん、どうりでお前何時になく調子がいいはずだと笑った。
火曜日の夕食時に妻が呑むことなんかなかったのに、どうしてなんだろうと端から疑ってかからなかったことがいけなかったね。
それでも6時過ぎに呑みだして、「イッピン」久留米藍胎漆器を観て、一つ欲しいなあなどと話しながら、8時過ぎまで呑んで母の部屋へ行った。


母を寝かせて、9時からは久し振りに「アナザーストーリーズ」ウォーター―ゲート事件を観た。
案内役が沢尻エリカから松嶋菜々子に変わっていたが、やっぱり沢尻エリカのわざとらしさがこの番組には似合っていて良かったね。
ウォータゲート事件は、沢尻エリカの時にやったような気がするが、内容は異なっていた。

今朝に佐高信と平野貞夫の「自民党は病んでいる」を読了したが、政権内部には陰謀が渦巻いていて、きれいごとでは権力奪取も維持も出来ないとは思っていたが、橋本龍太郎の愛人の天婦羅屋の美人女将が国の政治を左右することもあり、それに比べれば、ウオーターゲート事件はまっとうな権力維持抗争だなあと思ったりもする。

平野貞夫をこの本を読むまで知らなかったが、衆議院事務局職員時代にかなり勉強をしていて、政治の本質と事務手続きについて詳しく、前尾繁三郎の秘書官を経て、小沢一郎の懐刀として行動を共にしたひとだ。
佐高信との漫才のような掛け合いだが、話の中身が政治の裏側の事実なだけに凄味があって面白かった。

今朝もブランデンブルク協奏曲第5番第一楽章と共に起きて、雨戸を開け、風呂に入り、朝飯を作った。
昨夜、妻が豚汁を三日分はある量を作ったので、味噌汁を作る手間はなく、豆腐、白菜の漬物、ホウレン草、葱を入れてリフレッシュさせ、ホッケの干物を焼き、韮の卵炒めを作って食べた。

昼までは天気がいいらしく、日が出ていたので薄着で背中に日を浴びながらJA湘南までぶらぶらと自転車を漕いで行き、レタス、蕪、蒟蒻を買った。
帰りに娘のところへ寄り、何時ものように珈琲を飲みパッチャと遊んだ。
昨夜は銀座のタイ料理屋で飯を喰ったとのことで、タイ風の味付けで価格は並だったが一皿当たりの量が少なかったらしい、かつての勢いはないとはいえ銀座だからね。
もう15年前に、有楽町に近いタイ料理屋に女友達が連れて行ってくれたのを思い出した。
愉しい思い出というのは女絡みで少し苦みがあるもんだな。

家に帰り自転車を置いて下の息子と大磯方面へ散歩に出かけ、ヤオマサで魚を見繕っていたら、O君が二宮で朝獲れた烏賊を持ってやってきたのでいただいた。
他にヤガラ、殻付き牡蠣を買った。


昼は娘がリーさんのカンパーニュを持って早めに来て、スープを作って食べることになっていたが、帰った時には来ておらず、妻がスープを作りだした。
豚肉のフォンがあり、そいつに豚肉とありったけの野菜、多分7種類以上入っていたと思う、を入れ、飲むサラダのようなスープが出来た。
カンパーニュには、レタス、胡瓜、ハム、チーズをのせて食べた。

娘のパートナーがタイ土産に蜂蜜を買ってきた、ライチに似た植物の蜂蜜らしい、それと近所の蜜柑の蜂蜜、大仁の養蜂家から買った大島桜と伊豆百花蜜の4種の味わいを比べて楽しんだ。
僕の好みは、香りと味わいの鮮烈さで秀でていた大島桜の蜂蜜だったが、蜜柑の蜂蜜もこの辺りでは人気が高く、子供の頃から馴染んでいるのでやっぱり美味かったね。

アールグレイを淹れて準備をし「遥かなる山の呼び声」松竹1980年、山田洋次監督をじっくりと観た。
少なくともこれが2度目だと思うが、ところどころ忘れている場面があり、特にラストは完全に忘れていた。
そしてそのラストが一番いいんだな、高倉健の殺人罪の刑が確定して網走迄護送されてゆく列車の中で、標津辺りの駅から倍賞千恵子が乗り込んで反対側のボックス席に座り、そこへハナ肇がやって来て「奥さん今は牧場を止めて中標津で働いてるんですって、そこで旦那さんを待ってるそうですね」と話し、倍賞の近況と刑期が終わるまで高倉健を待っていることを伝える。
思わず涙がこぼれるシーンなんだけど、昔は、好き合っている二人が思いを打ち明けられず別れちゃうことのない様に、こうやって人の恋を取り持つ善良なやつがいたんだよなあ。
今でも日本の男は照れ性で、好きで添えないケースが多いから、こういった人が必要なんだけど、少なくなった。
核家族が増えて、車社会になり、煩わしい人間関係が無くなった代償なのかもしれないなあ。

2階へ上がり少し本を眺めてから、息子と二人で北へ向かい散歩に出た。
葛川沿いを歩き、西友で「朝日山純米」とつまみを買った。
大店舗法改正で個人商店がほとんどなくなってしまったから、量販店の西友やロピア、イオンが無くなると大変不便になるが、西友の身売りの話はその後どうなったのだろう。
個人商店の手作りの商品がいいのになんて言ってられない貧しい時代に既に入っていることを自覚して、大量生産の商品でも有難がって買わなければ、さらに酷い時代がすぐ先に待っている。
通販は規格品のリピートならいいけど、生鮮品は無理だよなあ。

家に帰って風呂にゆっくりと入った。
妻がのんびりと晩飯の支度をしているようなので、台所へ降りて「朝日山」を燗などしてちょっと圧力をかけた。
それでも朝獲れの烏賊は刺身になっていて、ブロッコリーも茹であがっていたので、それを肴に呑んでいるうちに、ゲソのワタ焼きが上がり、ヒジキの煮物が出来、天婦羅も薩摩芋、茄子、メインのヤガラ、椎茸、スナップ豌豆が順次揚がって来たので塩で食べた。
中がオレンジ色の薩摩芋が格別に美味かった。
天婦羅が揚がるハナから食べていて妻に申し訳ないので、揚げながら呑めるように猪口に酒を注いで、塩と柚子の皿とともに渡した。
最後に岩手県の殻付き牡蠣を三つ焼いて妻が美味そうに食べたのでもう一つ上げた。

ヤガラは英語でSmooth Flutemouthと云うらしいが、中々典雅な名称だ。
熱を加えても身が堅くならず、皮を引いてあったせいかもしれないが穴子のようにパリッとせず、天婦羅には向かない魚なのかなあと思った。
今までの経験だと、刺身が一番で次がぶつ切りにして鍋かなあ、塩焼きもいいらしいが何しろ身が少ないので喰いにくいと思う。


9時からパリの三ツ星レストランのスーシェフの安發伸太郎の番組を観た。
ヨーロッパ各地の評判のいいレストランへの食べ歩きと、食材の探索を欠かさずやって来た経験の蓄積が新たな料理の開発につながっているようだが、現在32歳で14年の経験を持つというけど、料理の技術はかなり高いものを持っているようで、日本では一応の技術習得に寿司7年和食10年と言われるが、やる気になればフレンチでも同様な年数で一応の技術レヴェルのところまで行けるってことだと観ていた。

僕は他人よりたくさん食べて飲むことが出来、ワインの仕事にアドヴァンテージを感じてきたが、晩年はフランス料理のしつこさには付いてゆけず、寿司、蕎麦、鰻、懐石料理などの日本料理を好んだ。
安發伸太郎は華奢な身体でよくぞフレンチに挑戦しているなあと感心する。
やっぱり若さなんだろうか、僕も30代の頃はフォアグラが好きでよく食べたが、近頃はツーファーのこともあるし、喰いたいと思わない。
一つ懸念したのは、この人、その常に前を向いてまっしぐらに進んでいるが、何時か疲れてしまうのではないか、確かに、年齢とともに創造性って枯渇するから、それまでに追随されない技術を習得しておくことが必要だけど、あまり切羽詰まった感じになると、それが料理に出て喜びが感じられないものになる。
天才料理人に凡夫の意見は無用かもしれないけど、観ていてそんなふうに感じたな。










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寅さん

2018年11月28日 | Weblog
山田洋次監督は家族をテーマにした映画を撮ってきたが、代表作はやっぱり「男はつらいよ」だよなあ、ちょっと複雑な家族構成の一家を描いているんだけど、定住している虎屋のオジサン・オバサンと異母兄弟のさくらとその連れ合いと息子のところに、旅人の寅さんが時より帰還し美人に惚れて振られることをを48回繰り返して去っていった。
まあ、振られなければシリーズが成り立たないし、偉大なるマンネリを覚悟して制作しているわけで、そこを責めちゃいけないんだけど、よくぞ飽きられずに48回やれたもんだよなあ。

寅さんを神にたとえた人もいれば、ドン・キ・ホーテにたとえた人もいるけど、純粋無垢な人はどうしても喜劇的に見えるんだなあ、それでもそれを恥じることも無く毎回その純度を増してゆくから成り立ったんだろうけど、BSで4年も連続して放映してまだ成り立っているってことは、飽きずに観ている人がいるってことだもんね。
これってのは一種の信仰だよなあ。

1969年にこのシリーズが始まった時、僕は14歳で寅さんを知らなかったが、大学へ入る頃には知るようになり、何だか前時代的で嫌だなと見向きもしなかった。
進歩主義に完全に頭がやられていたんだけど、もし、寅さんの凄さにその時に気が付いていたら、もっとピュア―な人生を歩んでいたかもしれないなあと思う。
年を取るにしたがって欺瞞に馴染んでしまい、今振り返ってみると自分を失ってゆく人生を歩んでしまった。
年を取るに従い純粋になっていく寅さんに気が付かなかった。


昨日の「幸せの黄色いハンカチ」だが、高校時代に近所の幼馴染の女の子と小田原の映画館でデートしながら観たと思い込んでいたが、製作が1977年なので大学3年の秋に封切られているので完全な記憶違いだ。

この頃わざわざカネを払って映画を観る習慣が無かったので、バイト先の植木屋の社長がくれた日活の株主優待券で何度か日活ロマンポルノを観に行ったが、その時にこの映画が掛かっていたような気もする。
でも松竹だからなあ、配給が当時どうなっていたか調べようが無いので正確には分からない。
今回、あらためて観て導入部分をすっかり忘れていたが、エンディングのところの黄色いハンカチがはためくシーンでは思わず涙があふれてしまった。
映画館で観た時も泣いたな、今回は、ラスト以外で、高倉健が武田鉄矢に「女は花のように咲く弱いもんだから、男が守ってやらなきゃいけないんだ、それでもお前九州男児か」と説教するシーンで、僕はそれが出来なかったなあと思わず流れてしまった。

倍賞千恵子がやった役柄のような、殺人を犯して6年半も務所に入り、離婚届けまで出した相手を待っている女は今の時代とても居そうにないけど、男はそういう女を夢見ちゃうもんなんだぜ、そんなことされたら男は一生命を掛けてその女を守るだろうねえ。


今日は4時に起きて7時過ぎまで佐高信と平野貞夫の対談集を読んだ。
ここのところバッハのブランデンブルグ協奏曲を寝起きに聴いているが、YouTubeにはいろいろな演奏家のものがあり実に楽しい。
結婚して子供が生まれたころにテープで毎朝聴いていたが、今はWi-FiでANKERのスピーカーに飛ばして簡単に音質のいいものが聴けるので便利だ、しかし新しいものより昔馴染んだものを聴き返すものだね。

外は快晴で、日が出て来ると暑いくらいだった。
7時半に雨戸を開けて、風呂に入り、朝飯を作った。
妻が漬けた鰆の西京漬けとソーダ鰹の塩漬けがそれぞれ最後の一切れとなり、焼いて鰆を母にソーダ鰹を僕が食べた。
息子にはサバの味噌煮を出した。
豆腐と菜花、ホウレン草、葱の味噌汁、納豆、白菜の漬物で食べた。
ソーダ鰹は素材が素晴らしかったが、塩が馴染み乳酸発酵で旨味が増し実に美味かった。


自転車でJA湘南に行く、近頃冬野菜が豊富で特に葉物が色々とあって楽しい。
水菜、春菊、大根を買った。
朝採ったのを持って来てくれたのでいかにも瑞々しくて美味そうだ。
新鮮なものなら水菜も春菊もリーフサラダが素晴らしく美味い、柿を入れパルメザンチーズをすりおろし、ワインヴィネガーとオリーヴオイルに南仏のハ―ヴ入りの塩を振りかけるといい。

娘のところに寄り珈琲を飲みながらパッチャと遊ぶ、29日から1泊で熱海で千葉大園芸学部のOB会があり、
その件で友人から電話がかかって来た。
千葉からくるので、東海道線の時間を合わせて熱海で昼飯を一緒に食うことにした。

家に帰って大黒摩季を聴きながら書き物をしていたら、何時ものように妻がやって来て、お昼何にしますからと聞くから、サラダとパスタでいいよと言ったら、これからヤオマサに行きますと出かけて行った。
何だか毎日行っているが趣味のようだ。

12時歯を過ぎたので下に降りてみると、娘が来ていて、春菊と水菜のサラダが出来ていて、トッピングにパートナーの作った鶏ハムを載せた。
パスタのソースはトマトとベーコンとハ―ヴとスパイスで煮込んであった。
妻が庭の月桂樹を取って来て、鍋に入れて出来上がりだった。
細いパスタ、多分スパゲティーのカテゴリーだろうけど、それを適当につかんで鍋に入れた。
茹で時間が6分と短く、味見をしたら硬くて、少しおいて盛り付けたら少し茹で過ぎだったね、細いのは難しい。
スパゲティーにソースをかけて、茹でた菜花をトッピングして出来上がった。
割と美味かったね、菜花の苦みのある風味がトマトソースのくどさを消すのかな。
リーフサラダには柿を加えて食べた、甘みが良いんだな。

最後にアールグレイを淹れて飲もう思ったらプレシネ始まりそうになったので、ティーカップとナッツをもって母の居間に移動した。
「故郷」は多分3度目だが、とにかく魚屋の渥美清が良いんだな、「幸せの黄色いハンカチ」では警察官役でちょっとしか出ないが、それも印象的でいいんだけど、この映画では重要な脇役を演じている。







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ハーレムナイト

2018年11月27日 | Weblog
三連休が終わり世間では日常に戻るのに抵抗感があるようで、娘のパートナーも大学へ出かけてゆくのが億劫だったようだ。
もっとも彼の場合は、その前3週間タイのチェンマイ大学で展示をしていたから、彼の地との時間の流れ方の違いの修正にも困難が生じたはずだ。
ハワイに駐在していた頃、ハワイタイムというのがあって、食事の約束の場合にはだいたい1時間遅れて行くのが礼儀であったと記憶する。
ビジネスの約束でもその程度の遅れは許容範囲であった。
日本にいると電車などが時間通りに来るのに慣れ、いかにも当然だと思うが、こんなにきっちり来る国はそうはない。
イタリアで特急電車の指定を取って駅に行ったら、2時間前に発車したはずの前の特急が停車していて、それに乗ったら、新たな特急指定席券を買わなければ駄目だと言われ腹が立って、車掌と言い合いになったが、所詮イタリア語が分かるはずもなく無駄な咆哮だった。
日本なら特急が2時間遅れたら払い戻しになるのにねえ。

かくのごとく腹が立つこともあるが、正確に時間を刻み神経をすり減らすのか、アバウトに構えてのんびりやるのがいいのかと問われたら、現在の隠居暮らしの身としては後者を取る。

昨夜、酒を呑んで一度ベッドに横になったが、10時からBSで日本軍の精神に異常をきたした軍人の記録の解析を行った番組があり、ぜひ観たくて階下に降りた。
多少遠慮をして呑んだが、三日酔いのところに呑んだので、番組の途中しばしば居眠りをした。
北支で多く精神病が発病していたが、一番多かったのが統合失調症だった。
統合失調症は100人に1人の割合でいるというから妥当な結果なのかもしれないが、大きなストレスがかからない場合には発病しないで済むこともあり、軍隊生活、特に日本の軍隊は酷いもので、皇軍などと誇りをもっていえるシロモノでは無く、繊細な精神の持ち主には耐えられないところだったようだ。
中国人を殺す命令を受けて子供を殺したことでPTSDになった例も観たが、帰還した兵士が苦しむのは、その後ベトナム帰還兵にも現れた。

今朝は4時過ぎに目が覚め、7時まで音楽を聴いてから起き出して、雨戸を開けて、おでんの鍋に火を点けて風呂に入った。
朝めしは、おでんと納豆、白菜の漬物にしたので簡単だった。
白菜は乳酸発酵が始まっていて深みと酸味のある味わいになって美味かった。
おでんには春菊を入れた。

JA湘南に自転車で出かけ、春菊、スティックプロッコリー、菜花を買った。
レジの顔見知りのオバサンと春菊はおでんに入れると美味いですねえと話していたら、知らないお客のオバサンたちが、どうやって食べるのか聞いてきた。
小松菜、三つ葉、芹と青菜ならなんでもちょっと入れて煮過ぎないうちに食べると、味に変化が出ていいんだけどね、知らない人が多いみたいだ。
帰りに娘のところへ寄り、パッチャと遊びながら珈琲を飲む。
日曜日の鎌倉タイ料理店は5時の開店からフルハウスで混んでいたようだ。
日本風の味にアレンジしてあるとのことで人気らしいが一度食べてみないとね。
2年前の暮れにタイに二種間滞在したが、こぶ蜜柑という香辛料にやられて、それ以降なにも喰えなくなったが、昔はタイ料理好きの女友達に連れられて週一ペースで食べていた。
特にホーという麺が好きで、ナンプラを入れて食べるのが好みだったんだけどなあ。

家に帰って来て裏庭の柿を8個だけ収穫した。
100個くらい生ったのだが、鳥に食べさせるために取らないで置いてある、特に目白が来て食べる姿が可愛いので期待しているのだが、今年はその姿を見ていない。
家の柿は渋柿で良く実ると甘いが、たいがい蔕のほうに渋が残っている、試しに一つ食べてみたら三分の二が渋だった。
渋抜きのため、残りの柿の蔕に焼酎を付けて、ビニール袋に入れた、3日ほどで渋が抜けるだろう。

二階の書斎でメールなどをチェックしていたら、妻がヒレ肉の塊を持って来て、今日はこれでヒレカツを作りますからと宣言して降りて行った。
最近何でも現物を持って来て見せるが何でだろう、有名レストランの真似をしてるのではないんだろうけど。
ご飯を炊飯器にかけてヤオマサまで買い物に行くといって出て行った。
PCで音楽を聴いて遊んだり、ちょっと書きものなどをしていたら、お昼が出来ましたと下から呼ばれたのが、何時の間に帰って来たのだろう、忍者みたいなやつだ。
降りてみると、ヒレカツが揚がっていて、どの様に切りますかというので一口大だろうと言って、食べてみた。
いわゆるマルカツというのが好きで、熟成したヒレ肉の中がピンクの状態に揚がったのが好みだが、妻はそれを食べたことが無いからイメージが湧かず、どうもちょっと違う感じになっていた。
それでも巧く出来たと自賛していて、実際まあまあの出来だった。
それより楽しみにしていた明豊のハムをハムカツにしてしまい、食べてみたら最低だった。
美味いハムは生で食べないとね、こんなことはしょっちゅう起こるので一々腹を立てていられないが、一応指摘をしておいた。
だが、指摘をされることがあまりにも多いので、ほとんど聞いていない。
娘を呼んで、ヒレカツ、おでん、牛肉とピーマン炒め、ホウレン草とベーコン炒めなどを3人で食べた。

ヤオマサで大型の朝獲れの鰺が新鮮で良さそうなので2尾手に持っていたら、O君が鯖をもってやって来て、二宮で上がって生き締めしてあり、脂がのって美味いですと勧められ、鰺と鯖両方を買ったらしく、冷蔵庫から魚を取り出して自慢げに見せられた。
確かに皮の色も身もいかにも今まで生きていた感じがして良さそうだった。
娘に「二つとも買ったの、普通どっちか一つにするだろう」と言われ、ニタニタしてその様子を見いたら睨まれた。
だが妻の話はこれで終わらず、挽肉の色が変わって来たので、それで今夜餃子を作りますとがしていうので、娘と思わず顔を見合わせた。

プレシネはここのところ山田洋次監督作品が続いていて1970年の「家族」だった。
長崎の鉱山の閉山を機に一家で北海道へ移住して酪農をやることになり、その旅を描いたものだが大坂万博の映像が映り、中学の修学旅行で行き、太陽の塔の前の階段で初恋の人と写真を撮ったなあと遠い昔に思いを馳せた。
倍賞千恵子が若くて綺麗だった。

映画が終わると直ぐに小田原の歯医者へ向かった。
先週の月曜日に予約をしていたのだが、相撲を観ていてついうっかり忘れ、今日は必ず行かなくちゃと少し気に掛けていた。
治療は20分で終わり、駅ビルの有隣堂で本を眺め、欲しい本が6冊あったが3冊に絞って購入した。

武田泰淳「新・東海道五十三次」中公文庫の改版
ちなみに、この文庫の初版は1977年に出ていて、その改版なので読みやすい。
今思ったのだが、大磯のいた友人からこの単行本をもらったような気がする。

服部龍二「高坂正堯-戦後日本と現実主義」中公新書
名前だけはたびたび聞き及んでいて、多分TVでも観ていると思うが、どの様な仕事をした人か正確には知らない。
国際政治学者として現実的な日本の生きる道を示唆したという事くらいかなあ、知っていることは。
この本の評判がいいので読んでみる気になった。

橋爪大三郎・大沢真幸「アメリカ」河出新書
この二人の対談集は二冊目のような気がするが、前のが何だったか覚えていない。
日本の宗主国である摩訶不思議な国アメリカについて本当によく知っている人ってあまりいないような気がする。
伊藤貫は米国に長くいて割と情報を集めているので、かなり正確な分析をしているように思うが、日本での影響力が弱いからね、マスコミにあまり取り上げられないんだよねえ。


家に帰って休んでいたら晩飯に呼ばれた。
帰って来た時に餃子の匂いが玄関まで漂っていたが、その時は台所で妻が餡を皮に包んでいるところであった。
小田原の鰺は刺身になっていたが、実に美味かった。
鯖は味噌煮になっていたが、新しすぎて身がキシキシしていた。
この鯖は刺身か〆鯖にすべきなのだが、アニサキスで酷い目に遭ってから妻は〆鯖を作らない。
餃子は50個ほど焼いてあった。
20個ほどは冷凍にしたから随分な数を一人で包んだものだが、最近、焼売と餃子に何故か情熱を注いでいるので手間を厭わないんだなあ、以前は焼売でも餃子でも包むのを手伝わされたんだけどね。

刺し身と煮物と炒め物でバランスはとれているようだが、組み合わせは全くなってない、それに汁物が必要だし、野菜が無い。
まあ、それでも刺身が美味かったので、益子の黒いカップに麦焼酎の湯割りを作って一杯だけ飲んだ。

7時半から1時間だけ下の息子と二人で大磯方面へ夜の散歩に出かけた。
9時から「幸せの黄色いハンカチーフ」観る予定で、それまで大黒摩季を聴いた。
CDを後ろから掛けたら「ハーレムナイト」が鳴り響いた。









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三日酔い

2018年11月26日 | Weblog
世間では三連休らしいが、毎年365連休の僕には関係ない、でも街に出ると何かと混んでるんでそれが嫌だな。
空いてるのに慣れると混んでいるのは鬱陶しくて嫌だなあと思う。

若いころに気が付いたことなんだけど、深酒をした最後にカラオケで歌いハードリカーを飲むと翌日楽なんだな、今日の二日酔いはその法則に従って酷い頭痛や気持ち悪さが無かった。
それでも昼を食べて日向ぼっこをしながら二階で休んでいたら、2時間ばかり眠ってしまったけれどもね。

9時過ぎに下の息子と散歩に出たが、朝から日が差して透明度の高い空気だったので、吾妻山へ上り富士山を眺ることにした。
駅裏からの300段の階段はさすがに二日酔いの身体には堪えたが、山頂からは頭二割程度雪を被った富士が鮮やかに見えた。
それより見事だったのは相模湾の眺めで、潮が流れて潮目が鮮やかに模様を作っていて、こういう日は魚の活性が高まり大釣が出来るものだが、釣り船が沢山浮かんでいた。
真鶴半島と伊豆半島が観えたが、昨日大仁からやって来た後輩のS君は、この伊豆の山並みの根元の方にいるんだなあと思ったりして眺めた。

中里へ降り、息子と歩きながら話し、夜はおでんが喰いたいなあと意見の一致をみたので、ワクワクへ向かいおでん種を仕入れることにした。
ワクワクに着いたら前の広場で、この地区の自治体が秋まつりをやっていて、何時も若い人が臼と杵で餅をついて、それが美味いので探して餡と黄な粉の餅を買った。
無料休憩所があり、汗をかいて喉が渇いていたので、しかも綺麗なオネエサンがいたので、隣に座ってお茶を飲んで煎餅を食べた。
周りの人たちの話しぶりから、その美人の隣に居たのがどうも町長らしく、思っていたより若く見えるオバサンだった。
ワクワクでは小田原のおでん種の練り物を7種類ほど買った。
葛川沿いを歩いて南下し西友に寄り、竹輪麩、竹輪、蒟蒻、がんもどきなどを買い足した。

途中で妻に電話をしたら、牛肉を多量に買ってあるので、夜、すき焼きをするつもりだったらしいが、おでんに変えてもらい、昼に牛丼を作ってもらうことにした。
家に帰ると、妻が南部鉄鍋を出したり、玉葱を切ったり、出汁を取ったりしていたので、まだ出来上がるのに時間が掛かるとみて、とりあえず息子と二人でお茶を淹れて、あんころ餅と黄な粉餅を食べた。
若い人が臼で搗いていたので、餅にこしがあってうまかったなあ。
そうこうしているうちに牛肉が煮えた。
各人好きな丼に、好きなだけ飯をよそり、好きなだけ肉を載せるのだが、煮込んだ牛肉の量たるや給食を始めるんじゃないかと思うほどで、これが喰いきれるのだろうかと怪しんだ。
僕と息子と娘は、我が家ではノーマル、世間では大盛を一杯食べただけで終わりにしたが、妻はてんこ盛りの丼二杯を平らげ、嫌がる娘のパートナーに無理強いして二杯目を喰わせたため、鍋の肉はおおかたなくなった。

昼寝の後、大磯方面へサイクリングに出かけた。
帰ってくる途中でランニングしている息子とすれ違った。
体重が軽ければ、僕も思いっきり走ってみたいが、今も走っているかつての陸上部の仲間達は、例外なくみんな膝を悪くしていて、ランニングがはたして身体にいいかどうかは分からない。

家に帰って母と一緒に、優勝のゆくえを楽しみに相撲を早めから観ていたが、初日中日千秋楽の正面北の富士、向こう正面舞の海の解説は恒例となっていて、この二人の当たらない解説のやり取り、あるいは馬鹿話を聞いているのがまた楽しい。
高安が優勝しなくちゃいけない場所だったが勝てなかったね、貴景勝はまだ22歳だが、すでに自分の型を持っていて、この型を磨いてゆくと味わいが出て魅力となるのだが、偶然の優勝に得意がらないで大成してほしい。

晩飯前に身体のアルコールを抜くために長く風呂に浸かった。
おでんは半日かけて僕が作った。
昆布と煮干しの水出汁に、練り物を最初から入れて、そこから出る味を合わせて出し汁にして作った。
以前読んだ和食の料理人のやり方で、妻にそれでやってみてと言っても、何でも過剰でないと気が済まない質ゆえ、削り節の出汁に昆布、鶏などを加えて濃い味にしたがって試したことが無かった。
大根は余りいのが無く買わなかったので、海老芋と庭から収穫したミニトマトをいれた。

出来上がったおでんは、澄んだ薄味のさっぱりした出汁で、上品な味わいを僕と息子で堪能した。
五島の「島楽 薄濁り純米」を冷で呑んでいたら、日曜日の晩飯時には呑まない妻が呑みだした。
おでんも薄味を嫌う妻のために、途中から鶏の手羽先を酢醤油で煮たのを6本ばかり入れた。
案の定、汁が濁り下品な味になったが、妻は喜んで手羽先を2本も食べた。

「貴方は昨日も外でたんと呑んでいらっしゃいますよね、一昨日も一昨昨日も随分お呑みになってますよね」というものだから「今、僕がこうやっていられるのも君のお陰だ、心の底から感謝しています」と、きちんと声に出して言い、妻がお気に入りの西友PBの純米酒を熱燗にして、2合徳利2本、つきっきりで酌をした。




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神楽坂クルージング

2018年11月25日 | Weblog
またもや二日酔いの朝を迎えている。
この2週間に飲み会が集中していて、それぞれ久し振りに会う人たちなのでついつい深酒になってしまう。
運動不足になるだろうからと朝、自転車でJA湘南に行き、白菜、椎茸、柿を買ったのだが、二日酔いに対しては大した効果はなかったのかも知れない。

東海道線で東京まで行き、御徒町から大江戸線で牛込神楽坂に向かった。
大江戸線では途中春日に停まり、昔個々の料亭で飲み食いしたことを思い出して懐かしかった。
もう、25年も前のことだろう。

千葉大学絵画同好会というのは、我々の年代上下7年間くらいに存在した同好会らしく、何時も集まるメンバーの中から二科展へ毎年出店している先輩が会のアリバイ証明になっているだけで、基本は学生時代から飲み会が主体の活動であった。

またこういったOB会というものは、熱心に会を開こうと動いてくれる人がいないと行われないものだが、一つ上にまさにこのために生まれてきたんじゃないかと思われるようなかたがいるお蔭で続いている。
この一点を考えただけでも、学生の時にたまたまこの会に入った運命に感謝したい。

一軒目はフレンチで、魚料理が2種、メインがブドウの搾りかすを喰わせて育てた甲州牛、まあだからってワインの風味があるわけでもないのだが、デザートにクレム・ド・ブリュレが出て珈琲で〆た。
飲み放題が付いていて、一杯目はやや甘口で僕は好みじゃなかったが、きっと女の子には受けるヴァンムスー、白と赤はオックのシャルドネとメルロ、アサヒビールも飲み放題に入っていた。
最近の流行なんだと思うが、カンパリソーダや、ジントニックなどのロングカクテルも飲み放題に入っていて、デザートの時にカシスをいただいた。
メインの時に独身貴族の先輩にシャンボル・ミュジュニー2013をおねだりして奢ってもらった。
もう20年以上前、ヒルトンホテルの伊万里でやった時にもこの先輩にいいワインを奢ってもらったなあ。
2万円近くの出費、申し訳ありませんでしたが、エレガントで内に秘めた強さがあり美味しくいただきました。

2軒目は30分以上放浪した挙句、2軒の店に断られ最終的に蕎麦屋に落ち着くことが出来た。
やっぱり14人いると簡単にはまとまった席がとれないもんだよ。
ちなみにそのうち4人が女性で、この会が続いているのも質の高い女性が来てくれるおかげである。
この質というのは見た目と知性を総合したもので、この部分みなさん読んでくれるかなあ、気心が知れているので近くにいるだけで楽しい。
ここでは高清水を燗と冷のちゃんぽんで呑み、鮪刺身、煮込み、漬物などを肴に思いの外飲んでいたと思う。

3軒目は人員が絞られて5名のみとなったがカラオケの鉄人で久し振りに歌った。
歌う曲がいつも同じで飽きてしまい、この10年はカラオケはほとんどやらなかったが、やっぱり歌える曲は同じなんだなあ、覚えたくなるような大人が歌える最近の曲ってないよね。
ここへも女性が一人ついてきてくれたので男だけで殺伐としなくて良かったよなあ、楽しかった。
Mさんありがとう愛してます。


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海豚

2018年11月24日 | Weblog
二日酔いだったが、朝カレーをやった。
胃腸が丈夫なためか、二日酔いの朝は脂っこいものが喰いたい。
昨日、妻が外で食べた大根カレーに感動して大根と鶏肉で作ったらしいが、最後に牛蒡と牛肉の煮物、牛肉とピーマン炒めの残りものを入れたから、具材が豊富で贅沢ではあったのだが味がばらばらだった。
カレーは一晩おくと味が馴染んで美味いが、このカレーは抜群に美味かった。

昨日、ヤオマサのO君に今期初めて海豚が入荷したのでと勧められ1kgほど買ったのだが、酒と生姜で煮込んでおいた。
牛蒡を加え、砂糖、醤油で味付けする予定でいたが、今朝鍋を見ると仕上げてあった。
多分妻が気を利かせてやっておいてくれたのだと思うが、見ただけであまり美味そうには思えなかった。
妻はもともと料理が下手で興味も無いようだったが、最近急に情熱を持ち、幾つかの料理については熱心に研究を重ねてかなり美味いものを作るようなった。
何故か煮物だけは例外的に最初から天才的な冴えを見せていたが、海豚は匂いがきついので調理を嫌がり、何時も僕がやっていたので加減が分からなかったのだろう。
食べてみたら酷く塩辛かったので、砂糖と水を入れて煮返してみたが、どうも結果がよろしくなかった。

午前中はベッドに横たわって日に当たりながら、音楽を聴いたり本を読んでいたが、妻が部屋に入って来て、今日はお母さんがお昼を奢ってくれると言うので、三城鮨で寿司でも取って食べましょうかと言うので、秦野の千松鮨へ行って食おう、じばさんずとBOにも寄りたいしと言ったら、それなら娘たちも誘うと出て行った。
下の息子が部屋にやって来て出かけるまで30分ほど歩こうと言うので大磯方面の六所神社まで歩いた。
途中妻から12:00出発のメールが入って来て、娘のパートナーが車を出すことになって5人で出かけた。
JA湘南は旗日は休みだが、秦野のJA直売所のじばさんずは大掛かりで商っているため休日でも開いている。
妻と娘がそれぞれの家庭の買い物をしていたが、女の買い物は時間が掛かり、いい加減で飽きたので、息子と二人でBOまで歩いた。
千松鮨から催促の電話がかかって来て、時計を観たら1時半に近かった、1時過ぎに行くとあったので、娘たちに連絡をして急がせたが、店に着いたのは40分を回っていた。
今、寿司屋は経営が難しい、カウンターの5人分の席が用意されていたが、他に客はいなかった。
他の人達はそれぞれ特上だ上だと言って頼んだが、僕はちらしの中を頼んだ。
高くなるとイクラやウニが入るのがお決まりだが、ツーファーのためそれが喰えないので安上がりで済む。

帰りに「あおば」に寄って買い物をした。
休市日なので魚の良いのは無かった。

少し休んで午後の散歩に息子と出かけた。
午前中と同じで大磯方面に足を向けたが、東海道線の南側を葛川に沿って槙の木まで歩き、北側へ出て月京から変電所へ出て帰って来た。
相撲が良いところになっていて、母と二人で観たが、二日酔いと疲れが重なりうとうとした。
貴景勝の取り組みの時に、母が起こしてくれた。

風呂に入り、娘のパートナーの帰国祝いの宴を行った。
牡蠣フライと鰺の南蛮漬け、ステーキが用意されていて、サッポロビール黒ラベル、娘の五島の土産の酒「島楽」、スペインの古酒などを飲んだが、何せ二日酔いのため全て舐める程度、とはいっても普通の人程度には呑んだのだが、僕はあまり盛り上がらず母の居間に移動して「新日本風土記」を観た。
北海道での高倉健の足跡を追った番組で、構成がいつもと違って面白かった。
10時には限界が来て二階で寝た。

今日はこれから神楽坂で千葉大学絵画同好会のOB会があるのでお出かけだ。

我がイナリヤト食文研のワインとビールはこちらからご覧になれます


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茅ヶ崎ナイトクルージング

2018年11月23日 | Weblog
昨夜のロングクルージングで今朝は酷い二日酔いである。
5時にワインバーで知人と待ち合わせたが、プレシネ「キネマの天地」を観終わって、直ぐに茅ヶ崎へ向かい眼鏡屋で眼鏡を作ったので少し遅れてしまった。
検眼等をして、後日出来上がったら取りに来ようと思っていたが、30分で出来ると言われ、待つことにした。
5時を少し回ってしまったが、まあそう目立つ遅刻でもおなく落ち合えた。

ワインバーで、ビールを飲んでのどを潤し、米国のピノノワールを1本開け、グラスでシャブリを飲んだ。
茅ヶ崎で週一でやっているパン屋があり、そこのカンパーニュ2種とチーズ、ソーセージ、ナッツを肴にした。

2軒目は久し振りに聡のところへ行き、ビールを飲み、かた焼きそば、雲吞、中華丼を肴にブラックニッカのソーダ割を2杯飲んだ。
顔見知りの客が2組来て挨拶をしたが、やっぱり知り合いがいるところで飲む酒は落ち着いて美味いねえ。
聡も相変わらず元気でやっていた。

3軒目はオーセンティックバーの「古玄」でラフロイグの10年、オスピス・ド・ボーヌのマールを2杯飲んだ。
久し振りのブルゴーニュのマール、実に美味かった。
かつて仲の良かった女友達と毎晩のように横浜を飲み歩いたが、野毛の「R」でブルゴーニュとプロヴァンスの2種類のマールを必ず飲み、結局それを飲む他の客はおらず、我々の専用ボトルのようなものだったことを話していたら、「R」の塚田さんの名前が出て、そいう言えばその頃ここのバーテンの古田さんも横浜十番館で働いていたんだなと思い出した。

4件目は「泥鰌」で酒を呑んだ、キックするというか掴む感じがある酒で、2合呑んだが同じような酒だった。
三つ葉の卵焼きを作ってもらって食べた。

思いの外遅くなっていて、最終1本前に電車で帰って来た。


昨日の「キネマの天地」だが、観るの2度目だと思うが、映画人の情熱が感じられて好きな作品だ。
1986年松竹、山田洋次監督で、脚本に井上ひさし、山田太一が参加している。
松竹大船撮影所50周年記念作品。
舞台は大船撮影所に移転する直前の1934年の鎌田撮影所、当時は城戸四郎所長、松本幸四郎が演じていたが、この頃は男っぷりもよく好きな俳優だったが、残念ながら年には勝てない。
岸部一徳が小津安二郎、堺正章が斎藤虎次郎の役をやっていた。
このほか島津保次郎、清水宏などが活躍していた。
主人公の田中小春、田中絹代がモデルで有森也実が演じたが、元旅芸人の父親役が渥美清、隣の奥さんが倍賞千恵子、旦那が前田吟、息子が吉岡秀隆で寅さんを思い起こすよね。
岡田嘉子役が松坂慶子で、この頃は滅茶苦茶綺麗だったなあ、朝ドラの鈴役からは想像できません。
すまけいが演じた監督の助手に中井貴一、彼と小春の恋物語なんだけど、やっぱり純愛って余韻が残るっていいねえ。
ちなみに撮影は高羽哲夫、この人、寅さんのほとんどを撮っているが、僕と一時違いのため大いに親近感がある。
映画に目覚めたのがずいぶん遅かったのでサラリーマンで一生過したが、若いころに映画の毒に当てられていたら、活動屋のはしくれに潜り込んでいたことは間違いな。


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パチ

2018年11月22日 | Weblog
3時過ぎに起きて平野貞夫と佐高信の対談を6時まで音楽を聴きながら読んだ。
昔はこんな時は音楽を音として聴いていたが、近頃歌詞が気になるんだな、ほとんど失恋の歌なんだけど、もう恋をすることも無いのに、皆さん恋の切なさを上手く書いているので、その思いが蘇るんだよなあ。
若いころ恋はしておくもんだね、まあ、恋は突然だから努力してできるもんでもないけど、大体目でやられるね、チョット見つめ合って気が付いたら恋に落ちている。
相手がこっちを好きかどうかも直ぐわかる、恋に落ちた女の目はキラキラ輝いているからね。
仕事にかまけていた頃は歌も聴かなかったし、昔の恋を思い出すことも無かったが、たっぷり時間がある今になってこんな思いが出来るなんて、追憶ってのは悪くないもんだよ。

パッチャの餌をやらないといけないので、歩いて3分の娘の家まで行き、水と餌をやってトイレの掃除をした。
玄関のかぎを開けると目の前で待ち構えていて、直ぐに身体を摺り寄せてくる、若いころは女にこんなことされたんだが、年を取ると猫がその代わりをしてくれる、それで猫っかわいがりのオジサンが増えるんだなあ。
当時は猫が嫌いだったが、「じゃりン子チエ」のヤクザ屋のオヤジもこんなふうだったな、今になってその気持ちが分かる。
女は孫がいれば抱くが、うちのように孫がいないと妻は猫を抱いている、僕がいるのに見向きもされない、まあ、おあいこか。

一度家に帰り、風呂に入って朝飯を作る。
ちなみに、もう20年ほど両親と僕の朝めしを作っている。
麩と葱の味噌汁、ソーダ鰹の塩焼き、納豆、美味菜の卵炒め。


娘のところへオーディオと本を持って行き、ソファーに横になって音楽を聴きながら本を読み、9:20に自転車でJA湘南へ買い物に行く。
毎日、朝採れた新鮮な野菜食べたいから出かけてゆくのだが、自転車をこぐのもいい運動になる。
大根、椎茸、スティクブロッコリーを買う。
昼になるまで娘のところで読書をした。
パッチはお腹に乗っかったり、足元で昼寝をしていた。

昼に家に帰ると、今日はちらし寿司にしたと妻がいっていたが、まだご飯が炊けていなかったので、柿を食べた。
前回の風呂吹き大根が美味かったので、買ってきた大根でまた作ってくれと頼んだ。
ちらし寿司は妻の得意料理で、月に2、3度は作っているような気がする。
干瓢と椎茸を戻し煮て、錦糸卵を焼いて、生姜や海苔を刻み、青物を茹でてとかなり面倒な料理だが、本人寿司が好きだと言っているから苦にならないのだろう。
好きでしょっちゅう作っているからけっこう美味い。

プレシネ「The Turninng Point」1977年米映画、シャーリー・マクリーンとアン・バンクロフトの確執と絆を描いた物語。
アン・バンクロフトは僕たちにはミセス・ロビンソンとして馴染みがあるが、S&Gのヒット曲のほうがさらに馴染み深い、当時は単なるオバサンとしか見えなかった。
バレー団のトウの立ったプリマドンナ役だが、バレーのシーンはかなり優れたダンサーにより構成されていて、それを見ているだけでも素晴らしかった。
子供の頃、母がボリショイバレー団の公演に連れて行ってくれて以来興味を持ち、バレーに関しては割と見る目があるんだよ。


朝、眼鏡が壊れてしまい眼鏡店に修理に行ったが、メーカーに出さないと駄目だそうで、以前から予備の眼鏡を作ろうと思って作らなかったことを悔やんだが後の祭りだ。
同じフレームの色違いで読書用の眼鏡があるが、この5年ほどどこに消えたが見かけない、それがあればレンズを交換して使えるので、部屋を捜してみた。
本の整理をやりだすとさらに部屋が混乱して、整理は一向に進んでなかったが、机廻りを捜していたら、高校生の時から文通をしていた札幌の斉藤淑江さんの手紙がごそっと出てきた。
50通以上はあったが、ついそれを読み耽ってしまい眼鏡は発見できなかった。


4時になり下の息子に散歩に誘われ、大磯方面へ出かけ、帰りに娘の家に寄り、相撲を観ながらパッチャの餌と水をやった。
6時に出てきたが、今夜11時に娘が帰ってくるので寂しいのもあと少しの辛抱だよパッチャ。
パッチャはもともと獣医がパッと見茶虎だからパッチャと名付けたが、どんどん略してパッチ、パチと呼んでいる。

家に帰り風呂に入って、風呂吹き大根、スティックブロッコリー、鮪刺身、煮豚と卵、春菊、里芋煮などを食べる。
酒は呑まなかった。
これで禁酒3日だが、今朝風呂に入る前に体重を測ったら、禁酒前より2㎏痩せていた。
この計算で行くと1か月で20㎏痩せることが出来るのだが、今日は茅ヶ崎で綺麗なオネエサンとワインを飲むことになっているんだな。



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長尺を避けて平塚へ

2018年11月21日 | Weblog
今日は朝から日が出ていて小春日和になるんじゃないかな。

6時に起きて風呂に入ってから、娘の家に猫のパッチャの餌と水やり、トイレの掃除に出かけた。
鍵を開けると玄関で待っていて、直ぐにすり寄って来て移動するたびについてきた。
水と餌をやっても見向きもせずにすり寄って来て、トイレの掃除をして、ひとしきり甘えてからようやく餌を食べだした。
食欲より人恋しさが優先するなんて獣のほうが人間より高尚な精神を持ち合わせているんじゃないか。

家に帰り、雨戸を開けて朝飯を作った。
昨夜のスープに葱とブロッコリーを入れ、塩鯖とさごしの西京漬けを焼き、美味菜の卵炒め、納豆、牛肉と牛蒡煮で朝飯にした。

再び娘の家に行き、音楽を聴きながらしばしパッチャと遊ぶ。
JA湘南に自転車で野菜を買いに行き、蕪、スティックブロッコリー、山芋を買う。
娘の家に戻り、コロンビアがあったので飲みながら、音楽と読書を楽しむ。
パッチャは日向でのんびりと寝ていたが、娘がパッチャとテレビ電話で話したいというのでLINEで5分ほどやり取りしたが、画像を観て不思議がっていた。
その後興奮したのか、やけに元気に暴れ出し、手を引っ掻かれた。

昼に家に帰ったが、妻と下の息子は通院で、帰りに好きなものを食べて来るので、CVSの弁当が置いてあった。
自分たちが外食をするうしろめたさから置いてあるんだが、こんなもの喰いたくない。
それでも残しておくと面倒なので、牛肉と卵とじを追加して食べた。

プレシネは「クレオパトラ」で4時間を超える長尺、だいたいこういった大作と言うのは金をかけて有名どころの女優を使っているが駄作が多い、それに5時過ぎまで観るとなると散歩が出来ず相撲も観られない。
平塚へ遊びに行くことにした。
と云っても行き先はBOとさくら書店、オネエサンのところしかないのだが、今回も忠実にそのルーティーンを回った。
BOで30分ばかりいただろうか、以下の4冊を買った。

佐高信「良日本主義の政治家 いま、なぜ石橋湛山か」東洋経済 1994年
今から24年前の本である、石橋湛山は一度読んでみたいと思っていたが、だれの研究書が良いとされているのか知らないが、佐高信で読むなら、まああまり外れないんじゃないかな。
この本は一度も読まれたことが無いようで実に綺麗だ。

西部邁「批評する精神 Ⅳ」PHP 1993年
25年前の本か、これも読まれた形跡がなく実に綺麗だ。
「批評する精神」「続批評する精神」「批評する精神Ⅲ」に続く第4弾、1992年と3年に掛かれた評論を纏めたものだが、西邊節を堪能できそうだ。
この後もⅤ、Ⅵと続いたのだろうか。

福田恒存「新聞のすべて」高木書房 昭和50年発売の13刷
これは42年前の本でさすがに古ぼけている、初めて古書で福田恒存の単行本を見つけたなあ、それだけで少し感激している。
僕が20歳の時に出ているから、高校時代に聴いた講演のすぐあとくらいに出たものだ、座談集である。
中に1994年11月21日(月)日本経済新聞の福田恒存の死亡記事が挟み込まれていた。
戦後の保守主義の論客、安易な進歩主義批判という見出しがあり、20日の午後1時8分東海大学大磯病院で肺炎のため82歳で死去している。
この病院は父が入院、死亡したところであり、母が通院、入院をしているところで、毎日の散歩コースでもある。
自宅は大磯町大磯513とあり、ここは駅の北側平塚寄りで、2年前まで大磯に女友達が住んでいた頃、平塚まで散歩したコース上にあり、閑静な屋敷がまだ残っているんだなあと二人で話していた家で、ある日竹垣が現代的な垣根に替えられて失望したことを思い出した。
向かいの家は毎年立派な白蓮が咲き誇るので、楽しみにしていたが、ここ2年は観ていない。

橋本治「桃尻語訳 枕草子 下」河出書房新社 1995年
これは発売されて直ぐ上中と買い揃えたが、下を買い損なっていた。
だが、95年よりもっと前に出ていたはずだと思って上の奥付をみたら1987年、中が88年の発売で、下が出るまでに7年掛かっていた。
そういう事だったのかと長年の疑問が氷解したが、もう一つの疑問、確か下も古本で買ってあったはずなんだが・・・。

オネエサンのところへ行く途中、ピンサロ、昼からやっているからヒルサロか、とラヴホ、禁煙室が出来ましたと書いてあったね、の前を通り過ぎると床屋があったので入った。
昨年12月に二宮の駅前の床屋へ行き、年末のプレゼントをたんまりいただいて以来行ってないから、ほぼ1年振りだ。
担当のオニイサンがこれだけ自分で切れてるなら来ることないですよと言ったが、後ろの裾廻りが自分ではやりにくいのだ。
向かいの角にあって、すごくはやって今のところに店を広げて開店したが、今は何処の床屋も安いので最盛期の半分の客になっているとのことだ。
総バサミでカット、洗髪、髭剃り、所要時間20分、1,500円だった。

オネエサンのところへ行くと、パンは随分売れていて残り僅か、亀の形のチョコレートパン、蟹の形のクリームパン、アンパン、クルミパンを購入、オネエサンは何時ものようにやけに元気だった。

駅ビルのさくら書店へ寄り、以下の3冊を購入。

小堀敬一郎「靖國の精神史 日本人の国家意識と守護神思想」PHP新書
これ出てたの知ってたんだけどようやく買えました。
やっぱりこの問題は気になるよね。

菅孝之「三島由紀夫と天皇」平凡社新書
大澤真幸が三島由紀夫について新書で出していたが、菅孝之って初めてだからこっちを買ってみた。
1939年生まれと割とご年配の方で、東映で演出助手をやっていたというのが面白い。

佐高信・平野貞夫「自民党という病」平凡社新書
佐高信好きなのかなあ、同じ日に2冊も買って。
しかも帰りの電車では、この本から読みだした。

一度家に帰って荷物を置いて下の息子と大磯方面へ散歩に出かけた。
13夜くらいの月が東の空に出ていた。
帰りに娘のところへ寄り、パッチャの水と餌をやり、トイレの掃除をし、紅茶を淹れて炬燵で飲みながら相撲を観た。
パッチャは膝の上に載って毛繕いをしていたがやがて眠った。
貴景勝が強いねえ、精神的な強さが相撲を安定させている、相手にとっては重心が低い丸いのが押してくるので捕まえにくく、あれよという間に土俵を割っている感じだね。

相撲が終わったので電気を消して後ろ髪をひかれながら帰って来た。
月がだいぶ高くなり、輝きを増し綺麗だった。
風呂に入り出てきたら、今日も妻がハンバーグを作っていた。
豚と鶏を使っていたので、茸と白ワインのソースが美味かった。

今朝体重を測ったら一晩酒を控えただけで1㎏も痩せていたので、明日はもう1㎏減るんじゃないかと期待してワインを飲むのをぐっとこらえ、スティックブロッコリーとクルミパンを焼いて食べた。
だが、ハンバーグを3ヶ食べてしまったので逆効果だったかもなあ。

五島の娘から刺身盛りの写真が届いた。
鰤、うちわ海老、は鰹、あこうの盛り合わせでいかにも美味そうであった。
芋焼酎の工場見学の写真は観ていたが、酒はないのかと聞いたら「島楽」という純米の濁り酒があるらしく、買って来てくれと送ったらヘイヘイと返って来た。







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