キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

ハックルベリー・フィンの冒険再び

2018年04月30日 | Weblog
朝はのんびりと目が覚めたが7時には起きて雨戸を開けて風呂に入った。
朝飯に油揚げと葱の味噌汁を作り、鰤の柵を引いて刺身で食べた。
この時季には鰤がよく揚がるが、寒鰤に比べて脂がないだけサッパリとして江戸っ子に向いている。
まあ、初鰹や鮪の赤身を好んだ風が江戸っ子にはあったらしいが、今時江戸っ子なんてお見掛けすることはないから、あくまでもフェアリーテイルなんですがね、この物言いは。

下の息子と散歩に出て南へ歩き葛川を下り、旧ドイツ公邸別荘脇を海に降りた。
波は穏やかで澄んでいたが割りと大きかった。
ルアーマンが二人で話し込んでいたから、釣れてないってことだろう。
夜、月が真ん丸だったので、この海岸は中潮小潮が釣りやすいから、大潮が災いしたのだろう。
テニスコートのところから上がり富士山を観たが、初夏の装いで裾の雪は解けて靄に霞んでいた。

ヤオマサで久し振りにO君に会い、同級生の大磯の漁師の話を聞く。
生ひじきが店に出ていて買ったが、それが件の大磯の同級生が採ったものだった。
イベリコ豚、鶏モモ肉、豆腐を買った。

昼は筍飯を妻が炊いて置いてくれたので、炊き上がりに筍を入れて混ぜた。
煮干と昆布が水に漬けてあり、別に鰹節の二番出汁が取ってあったので、豆腐と絹さやの味噌汁を作り、鶏モモ肉に塩をしてグリルで焼いて山椒を振り掛け、庭の山椒の芽を添え、葉唐辛子の佃煮とキャラ蕗を箸休めにして食べた。
この組み合わせ実に美味かったなあ、お陰でまたもや食い過ぎた。

平塚へ東海道線で出掛けた。
BOで1時間本を眺め絞りに絞り3冊を買った。

開高健監修 「アンソロジー 洋酒天国3 ウイスキーここにありの巻」サントリー博物館文庫10 TBSブリタニカ 1985年
ウイスキーの語源と歴史については数人のかたが分担して書き、飲み方は山口瞳、酒場についてのエッセイは、中谷宇吉郎、北原武夫、草野心平、徳川無声など、映画館を双葉十三郎と植草甚一、ウイスキーについてのエッセイは、寿岳文章、坂口謹一郎、東郷青児など、バブル前夜のまだ昔の男が居て、少なくとも地に足が着いていたあの時代を感じさせる、直ぐに拾い読みしたが懐かしさが堪らない。

前田愛「幻影の街」小学館 昭和61年
若くして亡くなってしまったが、一時代を築いた文芸研究家で、文学とトポスについての論考をよく読んだ。
藤沢の出身だとは知らなかった。

佐藤忠男「映画で読み解く世界の戦争」ベスト新書 2001年
1930年生まれなので今年米寿になられる。
映画を観るようになって日も浅いので評論家についてもあまり知らないが、数冊読んだことがあり、真面目な方だなと思う。
もう少し読んでみないと何とも言えないが、この時点で100冊以上の著書があり、とても全部に当たれないので目についた本を読んでみる。
しかし、最近のベスト新書はエロい本が多いが、この頃は硬派路線だったんだね。

オネエサンのところへ行き、餡パン2種、チーズパン2種を買い、色々と話をしたが、オネエサン独身だってのを初めて知って衝撃を受けた。
お兄さんがパンを焼いているが、跡取りはなく、これっきりとするのが今の時代だと割りきっているようだ。
街のパン屋が消えたら大手のパンメーカーが製造したセンター配送のパンをSMかCVSで買うチョイスしかなくなる。
最近人気のパン屋もあり確かに流行ってはいるが、西洋料理とフレンチの差があり、街のパン屋は100年かけて日本人の体質に合ったパンを作っていて、時間の審判を受けている。
カレーライスやオムライスのように、餡パンや食パンは、今後も廃れることなく残る可能性が高いが技術が廃れたら何にもならない。
かつて日本香料、高砂香料との付き合いがあった頃に、彼らは食感さえあれば、色・香り・味は如何様にも作れると話していたが、今は食感も再現できるところまで来ているから、職人の手仕事は割が合わなくなっている。
しかし、全体主義と聞くとおぞましいものと恐れるが、街のパン屋がなくなり工場で作られたパンしかなくなるというのは同じことではないか、これを危惧するのは僕の食い意地だけの問題ではないと思うが。

紅谷街を抜けて駅に向かったが、都まんじゅうが開いていたので饅頭を10個買った。
前回母に頼まれて来た時には、訳もなく店を閉めていたので心配したが、廃業したわけじゃなかったんだ。
喜ばしい。

さくら書店で、新刊書を眺め2冊買う。

マーク・トウェイン作 柴田元幸訳「ハックルベリー・フィン(トム・ソーヤーの仲間)の冒けん」研究社
おっ研究社かっ、なるほどとちょっと思ったね。
2,500円+税とけっこうな値段なのに、2017年12月28日初版 2018年3月23日4刷と売れてる。
柴田元幸がライフワークとして出したと何かで読んでいて、目の前にあり反射的に手にしてしまった。
40年も前に岩波文庫で読んでいるんだけどね、当代人気NO1の米文学翻訳家が自己宣伝してるんだから読んでみる価値はあるんでしょう。

岩田幸子「笛ふき天女」ちくま文庫
今朝の読売新聞の書評で面白いと案内されていたので、本はなんといっても面白いのが一番だから、買っちゃうよね。
ここ数年、獅子文六(岩田豊雄)をちくま文庫で12冊も売り出したから、奥さんが書いたこの本が最後の切り札って事なのかもね。

7時前に庭先で七輪で肉を焼いて飲んでいる娘のところに行くが、案の定招かざる客で、口先だけの招待であったのを真に受けた妻が娘の性格を理解していないんだなあと思った。
僕と違って善良な性格だからね。
それでもビールとソーセージなんか持っていったから、なんとか居場所を作り呑み始めたが、先客との違和感が簡単には拭えないので申し訳なかった。

先客のカップルは横浜のかつてストリップ劇場、黄金町劇場を1Fは内装工房にしていて、2Fを新たにイベントスペースにする計画とのこと、あの地区は横浜市が盛んに若い人達を誘致しているが、楽しみだよね若い人たちの新たな試みってのは。
今、馬鹿みたいに家を建てているが、今後人口が減少するわけだから、安い家賃で家を借りることが出来るし、すでに過疎地域では無料で使用できるところもあり、今後ますますこの傾向は続くから、ものを持つことでは無く、ことを企画するのが重要になってくる。
11時に珈琲を飲んでお開きになったが、珈琲をパスして家に帰った妻がワインを準備していて、さらに1時間ワインとアルマニャックを飲んだ。
考えてみれば11時は妻にとっての一人酒のゴールデンタイムであった。

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美人谷

2018年04月29日 | Weblog
朝7時前に目が覚めて、7時半まで本を読み、階下に降りたら下の息子が雨戸を開けてくれていて、上の息子が風呂に入っていた。
朝飯を作ろうと思ったら、下の息子がインスタント拉麺を食べたいというので、白菜、人参、葱、椎茸、ハム、海苔を入れたサッポロ一番塩らーめんを作って食べた。
以前と違って麺が改善されていて生麺に近いようになっていた。
40年前にも父母がこの拉麺が好きでよく食べたが、今も人気の長寿商品だけに飽きられない独特の味で美味い。
高くてもいいから、化学調味料を添加しないサッポロ一番塩らーめんを作ってくれないかな、ぜひ喰ってみたい。

下の息子と北へ向かい散歩に出て、JA湘南で筍、クレソン、WAKWAKで原木椎茸とおはぎ、西友に寄り、妻に頼まれた天ぷら粉と鰹を買った。

躑躅を観ようと中里口から吾妻山に登ったが既に盛りを過ぎていた。
それでも新緑の木陰を鳥の声を聴きながら歩き楽しかった。

昼は天丼にするので妻が張り切って天婦羅の支度をしていた。
出来上がるのに間があったので叔父に電話をかけて天皇陛下へ説明をした件について話を聞いた。
紫禁城裏で書をかいて寄付を集めていた愛新覚羅一族の人との関わりがあったとのことで驚いた。
愛新覚羅と日本の皇族とは縁戚に当たり、天皇から作品を見てみたいとの話があり、急に実現したようだが、毎日書道展70年の歴史の中で初めて天皇が足を運ばれる栄誉に感激したようだ。

天婦羅は海老、烏賊、タラの芽、茄子、蓮、絹さや、椎茸、筍、かき揚げで、揚がるそばから付け汁に潜らせては飯に載せて食ったが美味かった。
茄子だけは温室の高知辺りの回りもので、美味くなかったね、高知が悪いわけじゃなくて旬の持つ力がないんだよね。
味噌汁にしてもオリーブオイル焼きにしても美味くなかったので、時季になるまで買うなと言ってあったのに仕方のないやつだ。

食後、珈琲をいれてゆったりと味わいながら、妻と息子たち、娘とBFとお喋りをした。
2時からは野球を居眠りをしながら観たが、3時半に2階のベッドで横になって午睡をした。
5時まで眠ったが、日が陰っていて、干してあった布団を仕舞い、「保守のゆくえ」を読んだ。
直ぐに寝てしまうので中々先に進まないが、西部邁がやっていた「発言者」「表現者」に載せた小論文を集めたもので、佐伯啓思の考えが網羅されていて分かりやすい実にいい本だと思う。

晩飯に呼ばれたが、息子は娘のところで七輪で焼き物をやっていて、そちらへ食べに行き、妻も料理をだし終わったらビールを持ってそちらへ行ってしまった。
土曜日は母の着替えの当番なので一人で大人しくもなく酒を飲んだ。
筍の山椒味噌和え、鰹の刺身、ブロッコリー、焼売、練り物と小松菜煮があり、ポルトガルの白ワインを開けて飲みだし、途中からモッツァレラ、パルメザン、カンパーニュを肴にし、最後はアルマニャックの新しいボトルを開けて飲んだが、ヴィンテージものを飲み慣れてるので物足りなかったな。

9時になって四川のチベット族で美人谷の番組を観に、コニャックとつまみを持って母の居間へ移動した。
夏の時代に放牧民族だったヨウ族が殷に追われて山間に住み着いたのが起源らしいが、村中美人ばかりで夢のようなところだった。
前にみた番組も南の山に追われた山岳民族だったが元は黄河の支流域に文明を起こした民族で、中国では覇権が変わり追われると山に上って生き延びるんだね。
美人谷では石と土で家を作り、昔は各家が塔を持っていて、外的が来たときにはそこへ籠り反撃をした。
チベット仏教の以前の宗教が残り、家の屋上に白い石を置き、決められた木の葉を燃やして煙を出し、山から神を招く。
キリスト教圏のバーベキューの元々の意味が煙で神を呼び、一族と共食して団結を深めるのと同じで、人間の基本的な心の動きには同じ部分があるなあと観ていた。
最近日本じゃ庭で焚き火をするのを禁じられてるので、神が降りて来る機会もなく、思いもよらぬ災難に遭うのもやむを得ないことだと諦めましょう。
美人谷では年に一度美人コンテストがあり、ミスコンじゃないので、番組の主人公になっていたラムさんは、独身の頃と結婚してからと2度出たらしいが、出来ればその時に行ってみたい。
若い頃だったら、それっきり帰ってこないだろうね。

いい番組を観たので、そのまま六角精児さんの呑み鉄を観た。
高知の西のほうの鉄道の旅をしていて、栗焼酎のメーカーに寄ったが、多分ウチにある栗焼酎のメーカーと思われ、その辺りは栗の産地で、二級品を山に捨てていたが猪が増えて困り、使ってくれないかと30年前に当時の町長に依頼されたのが始まりとか、スペインじゃドングリを豚に喰わしてハモンセラーノを作ってるけど、その猪をハムにしたらきっと美味かっただろうね。
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アーミッシュ

2018年04月28日 | Weblog
昨夜は昼寝や9時過ぎに寝たりしたせいで寝付きが悪かった。
にもかかわらず、今朝は5時過ぎに目が覚めて、まず感じたのは寝不足で目の疲れが取れていないことだった。

今朝は自転車で大磯までリーさんのカンパーニュを買いに行き、帰り道のオジサンがやっている直売所で胡瓜とスナップエンドウを買い、ヤオマサで千葉のキハダ鮪とモヤシを買った。
家に帰ると娘が来ていてペルーの珈琲を淹れて飲んだ。

昼は鮪の刺身、豚の味噌漬け焼き、スナップエンドウ、豆腐の味噌汁を食べたが、「美の壷」ウイスキーグラス、外房のハタ釣りを観ていた。

プレシネ「目撃者」1985年米映画を観たが、アーミッシュという宗教団体がよく分からず、こんな社会があるんだと、それが一番興味深かった。
皆さんの多くは1985年にこの映画を観てアーミッシュを知っているんだけど、一昨年まで映画をほとんど観なかったから、2018年になって初めてバギーに乗り電話もない電気もない17世紀の生活をしてドイツ古語を話す宗教集団があることを知ったわけだ。
世間より33年遅れているんだけど、こういったことが去年から度々起こっていて、何とか世間並みに近づいているのかも知れない。
まあ、普通の人になんてなりたくないと思っていたから、新聞も読まず、世間で流行っていることはなるだけ避けてきたってこともあるんだけど、あんまり話が通じないってのも寂しいもんでね。
ヒロインを演じているケリー・マくギネスはキリっとしていて何とも綺麗だが、今の姿は観ないほうがいい。
娘が二人いるんだがレズビアンてのはそそるんだけどね。
アーミッシュが使うEnglishという言葉が変なふうに使われていたが、誤訳されることが多いらしく、英語を喋る人たち=余所者という意味合いらしい。
最後の科白でこの言葉が重要な意味を持つんだな。

息子が大磯から帰って来て散歩に行こうと誘われたので、ワクワクまで行き、妻が欲しがっていたタラの芽を2袋買い、苗屋に寄ってゴーヤを2本買い、西友で炭酸を2本買って帰って来た。
早速ゴーヤを何時もの場所に植えたが、これで3年目になる。

5時に風呂に入り、少し「保守のゆくえ」を読む。
6時過ぎに晩飯に呼ばれ、階下に降り、サニーレタス、胡瓜、トマト、フェンネル、椎茸、夏蜜柑、オレンジ、パルメザンのサラダとアンガス牛のステーキ、ティーチャーズのソーダ割りを飲む。

TVは一日中朝鮮半島の南北首脳会談を行っていて、金正恩はより頭の狂ったトランプの出現で何をやっても効果がなくビビったんだろう、一年チョットであっさり兜を脱いだんだがこのまま表舞台から消えて欲しい。
生命と身分の保証を要求したとすれば、豚より程度が低い。
祖父の金日成はソ連がでっち上げた将軍なわけで、正統性などありはしないのだ。
世襲制を止めて優れた統治能力を持った人物をトップに据えて欲しい。
経済制裁で餓えた人達も多いだろう、早急な食糧援助が必要なのではないか、内実を明らかにして欲しい。
文在寅はここまで積極的に南北融和を行ったのだからその責任において、北の要求するコストを日本に転嫁するなんてことは止めて欲しい。
北の論理も30年遅れているが、南の論理も理解しがたい。
そうはいっても傍から見れば日本人の論理も理解しがたいだろう。
たった一度の敗戦で米国の属国に成り下がったままで、保守も親米、リベラルも米兵が作った憲法を後生大事に崇めていて、右も左も独立国への苦難の道を歩もうなんて気概が無い。
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読書の一日

2018年04月27日 | Weblog
昨日は上野まで行き、酒を呑んで、本屋を廻り、遅くまで起きていて疲れたのか、今朝は7時近くまで目が覚めなかった。

10時までPCと戯れ、東に向かって一人で散歩に出た。
南に歩き葛川まで行き、下流に向かって歩き、大磯・伊勢原線を北上した。
途中の山の萌黄色と青い空が美しい。
川に掛かる大木のミズキの白い花が緑に映えて美しく、生命が溢れ出るいい季節だ。
ヤオマサで千葉のキハダ鮪と岩手の蛸を買い、帰り道に農家で絹さやを買った。

昼は鮪と蛸の刺身と絹さや、海老、豆腐を炒め餡でまとめ早めに食べ、珈琲をを淹れて飲んだ。
刺身が美味かった。
「作家のまんぷく帖」で獅子文六が、大磯に居るので色々な魚が手に入るが、刺身なんぞは飯のおかずで、酒の肴には生臭くていけない、と書いているが、確かに刺身は飯と食べると実に美味い。
ちなみに文六は、ジャガイモを皮ごと茹でて、塩をつけてくったらサカナになったと書いているが、年を取ったせいでとは云いたくないが頷ける。

プレシネは3時間を越える映画なので観るのを止め、2階で昼寝をした。
2時半に目が覚め「快著快読」を読む。
話題に載せる本が独特で「ジョセフ・フーシエ」「夜明け前」「朗読者」「三酔人経綸問答」「ジュリアス・シーザー」「君主論」「ある明治人の記録 会津人芝五郎の遺書」「犬をつれた奥さん」の9作品。
この二人の掛け合いは下手な漫才より面白く、晩飯後に読了した。
フーシエについては、懐の深い人物として評価が高く、ヨーロッパの歴史と伝統を知るのに進めている。
お二人とも司馬遼太郎嫌いなので、明治維新についてはこの「夜明け前」を最も優れた小説としてみているが、青山半蔵、名前だけは知っているがどんな人物かよく知らない。
「君主論」は、この程度のことは当たり前に心得ているんじゃないのと高い評価はしていない。
「ある明治人の記録」は、70代のジジイを西武線の中で泣かせたくらい胸に迫る本で、芝五郎の姉妹、母などは会津戦争の時に白装束で自害している。
死体を1か月も処理させなかったこと、津軽での悲惨な暮らしも薩長への恨みを募らせたが、死よりも尊いことがあることを実践した会津人に対する畏敬を感じる。
会津の人達がある酒席で長州の人と隣り合わせた、長州からもういい加減昔のことは水に流そうじゃないかと云われ、毛利は300年近く徳川に反抗してきたが、あれからまだ100年ちょっとしか経っていない、と返したそうである。
ドストエフスキーは19歳までの小説で、大人はチェーホフを読めとのことだ。

風呂に入って晩飯を食べる。
野菜と肉をディープフライにしたのと、モヤシの味噌汁、菜花、鮪の刺身、ティーチャーズソーダ、リキュール。

母と一緒に御殿場線の旅を観る。
50年前までは良く行った中川温泉が出てきたが、信玄の隠し湯だったと初めて知った。
昔の武将は傷を癒すためか温泉によく通っている。
谷峨駅から高校時代同級生が通っていたが、大雨で山が崩れ集落が流された。
二宮の浜に数メートルの高さで流木が重なり、その中から流された人たちが発見されたが悲惨な出来事だった。

9時前に2階に上がりベッドに横になった。
本を読むつもりが寝てしまった。
それでも1時間ほどで目が覚め佐伯啓思「保守のゆくえ」を読む。
マルサス、リカルドの穀物法論争の結果を踏まえて現状を危惧しているが、歴史を知れば今を過つことがぐっと減るだろう。
先日、買い集めた佐伯敬氏の本を整理してみたら30冊ばかりあった。
半数は読んでいるが、一度集中的に読んでみなくちゃいけないなと思う。
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美人を見たあとの蕎麦屋酒

2018年04月26日 | Weblog
朝から激しい雨が降っていて、近所の秦野街道の東海道線下が冠水して通行止めになっていると、買い物から帰ってきた妻が話していた。
短期間に激しく降ったので排水が間に合わなかったのだろう。
娘がやって来てタイ風カレーを作ったので早めに昼を食べた。

母のところで一休みしていたら、母の直ぐ下の叔父が毎日書道展の愛新覚羅一族の書を天皇皇后が鑑賞に来られ説明したと、毎日新聞と文春に掲載された写真と記事を見せてくれた。
今は桜美林大学名誉教授となっているが現役の頃は毎年何度も中国を訪れ書の研究研鑽に余念がなく、その頃から愛新覚羅の一族とは親しくしていたようだ。
多分2002年の9月だったと思うが北京に行き日中友好30周年記念大会に参加したが、そのとき紫禁城の奥で愛新覚羅の一族の人が書をかいてオリンピックの資金集めをしていた。
軸装もしてくれるとのことだったが、寄付と思いなにがしかを置き、書をいただいて帰った記憶がある。
今にして思えば、その書があれば一族のどなただったも分かるのだが、何処にいってしまったろう。
ともあれ叔父にとっては今回の出来事は人生最大の感激事であったらしく、送られてきた資料一式に興奮気味の直筆の手紙が添えられてあった。

2時に芸大美術館前で友人と待ち合わせて上村松園の修復なった「序の舞」が公開されているので観に行ったのだが、駅まで行くのに昼過ぎに冠水した所を通ったら、雨が上がって時間が経ち日が出ていたのに下水口から水が溢れ出していて、まだ通行止め、戻って回り道をして駅まで行くことになった。
まあ、余裕をもって出たから慌てることもなかったが、駅に着くと雨のため電車が遅れていた。

上村松園は数年前に随筆集を伊勢佐木町BOで見つけ購入したので知ってはいたが、ただ美人画を描く日本画家というだけのことであった。
でも、それで「序の舞」を観に行こうとわざわざ上野まで出掛けたのだから、これも縁というものだろう。
良く知っている美人画の大家といえば鏑木清方で鎌倉に行く度に観ているが、今回鎌倉に無い「樋口一葉」を初めて観ることになった。
写真で観ると一葉は薄幸に感じるが、この絵の通りだったら惚れちゃうね、キリッとした美人だった。
今回の展示作品中一番印象に残った。

「序の舞」は大作で、等身大の舞妓がまさに踊り出すところが描かれていて、顔が黒ずんでいるので、最初変だなと感じたが、時間がたってみるとその色合いが印象的に思い出される。
この絵は最初額装で、その後軸装されたが、今回の修復で額装に戻された。
色を鮮やかにするため膠の量を少な目に描かれているので、絵具の剥落があり、それを元に戻し定着させたらしい。
竹下景子がナレーションをしている機械を無料で貸してくれるところが洒落ていた。
きっちり観てもらうためには解説のレコーダーの代金も入場料に入れときゃいいんだよな。
土産にカタログを買おうかと思ったが、友人と二人で予想した金額より高かったので止めた。
妻に猫柄のハンカチーフを買った。

上野の森に出てきたのが3時半だったので、昼から通しでやっている蕎麦屋「翁」に入って燗酒を2本頼んだら、きんぴらが肴についてきた。
呑んでみると樽酒で甘口、大関かなと言ったら、友人が松竹梅だと言う、分かるのかと聞いたら、あそこに菰樽があると言った。
なーる。
板わさ、お新香、油揚げ甘煮、蕎麦掻きを肴に、二人で7本呑んで、〆にカツ丼ともりを食べて仕舞いにした。

東海道線に乗り、千葉へ帰る友人と東京駅で別れ、いい心持ちで寝た。
平塚行きだったので茅ヶ崎で下車して長谷川書店で新刊を眺めた。
佐伯啓思「保守のゆくえ」中公新書ラクレ、白井聡「国体論」集英社新書、長山靖生編「文豪と酒」中公文庫、大本泉「作家のまんぷく帖」平凡社新書を買う。
BOにも寄り、西部邁・佐高信「快著快読」 光文社 2012年を買う。

家に買えったら、母が野球を観ていて、巨人が大勝しているといって寝室に向かった。
台所のテーブルに大船の駅弁の鯵寿司があったのでお茶を淹れて食べた。
酔い醒ましに酸っぱいものとお茶はいい。
野球はその後も巨人が点を取り20点までいった。
ファンというのは100点取っても愉快だが、野球になっていない。
買ってきた本を眺めるために母の居間に移動してゆったりしたが、野球から変えたチャンネルで西條八十をやっていたので魅入ってしまった。
この詩人は好きで、目についた書籍を買い集めているが、筒井清忠の書いた評伝が傑出していた。
吉川潮が解説をしていたが、この人が書いた西城八十はそれほど面白く無かった記憶がある。
鈴木三重吉との出会いで「カナリヤ」などの同様の傑作を残した。
早稲田の教授をやりながら歌謡曲でヒットを飛ばしたので、随分と妬まれたが、作詞は晩年まで止めなかった。
戦時中も教え子を戦地に送り出して、心を傷めていたが、「予科練の歌」や「たれか故郷をおもわざる」などの軍歌を書いた。
戦争は醜く嫌いだが、国を思う愛国心は崇高で美しい、軍歌を書いてそれに報おうとすることのどが悪いのかと、戦後の批判にたいしても真っ向から抗った。
11時まで観てしまい、それから風呂に入り、本を眺めたりしたので、寝たのは零時を大分過ぎていた。

今日は愛新覚羅の書から始まり、美人画を観て、友人と酒を酌み交わし、本が5冊も買えて、西城八十の番組を観たが、盛りだくさんの一日だった。
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読書捗らず

2018年04月25日 | Weblog
朝5時過ぎに目が覚めた、数日前から読んでいる葉室麟「京都再見」を読み継ぐ、酒が好きな著者のようで歴史の話の合間に京都のバーや割烹の事が出てきて、歴史音痴ゆえに、よく分からない話が続いた後に出くわすと救われる思いがしてありがたく、酒はいいなあと思う。
毎日長い時間TVを観ていることが多く、読書の時間が少なくなっているが、集中的に課題を決めて読まなきゃと思うが、軽妙なエッセイは気楽で楽しい。

花が枯れてしまったので、JA湘南まで自転車で一走り切り花を求めて行ったが、街中に花が溢れているせいか切り花を求める人が少ないらしく、置いてある花も少なかった。
カーネーションに決め、蕗、独活、小松菜、新玉葱を買った。

2階で台湾旅行について航空機やホテルについて調べたりしていたらあっと云う間に昼になり、妻と息子が平塚へ出掛けて留守なので、小松菜、茸、ハム、卵、ザーサイ、葱で炒飯を作った。
スープは朝早く上の息子が作った、鶏、豚、牛と野菜のみじん切りを煮込んだに青葱とパセリを刻んで入れた。
ちょうど出来上がったときに娘が帰ってきたので、二人で食べた。

プレシネは「大統領の陰謀」1976年 米映画、ウォーターゲート事件を暴くワシントンポストの記者をダスティン・ホフマンとロバート・レッドフォードが演じた。
2時間半の間、電話と足で地道な取材を繰り返す映画で、監督の試みは分かるが2時間に纏めてくれないかなと思った。
ワシントンポストの編集主幹役のジェイソン・ロバーツが良かった。

目が疲れたので散歩に出て30分ほど海岸通りを歩き帰ってきたが、妻が買い物に行くのに誘われて西友まで再び歩いた。
娘がタイ風春雨サラダを作るとかで竹輪と豚挽き肉を頼まれたらしい、納豆、豆腐、塩鯖、アンガス牛、ヨーグルト、もやしを買う。
帰り道、恋の季節なのか色々な小鳥が盛んに囀ずっているのを聴いた。

風呂に入り、ビールを出して独活のきんぴらで晩酌を始める。
葱がみじんに切ってあったのでシーチキンを開けて豆腐に載せて冷奴にする。
その内浅利と小松菜の酒蒸し、独活の酢味噌和え、春雨サラダが出来てきたので、ティーチャーズのソーダ割りを作って飲む。
TVでは巨人中日戦をやっていて山口が安定したピッチングで勝っていた。
途中、誰かか亡くなったらしく山本浩二や金本知憲の映像が入り、思い出とお悔やみを語っていて、誰のことだろうと思っていたら衣笠だった。
先週甲高い声で解説をやっていたのを聴いたばかりで、まさかと思った。
その時は、あまり喋らず声を出すのも大変そうだったが、命を懸けた解説だったとは。
黒人との間の子だったのでたいへんな苦労をしたのだと思う、そのため人にはすごく優しく接した。
野球では最後までフルスイングを変えること無く、若い頃は打てなかったが、晩年にはそのスタイルを完成させた。

料理を終えてから妻が酒を飲みだし、酒が終わると群馬産の甲州濁りワインを冷やして飲み出した。
母の着替えの当番なので、終わったら駅前に呑みに行こうと妻に誘われたが、終わって9時に台所へ帰ってきたら、酔いが回ったようで大人しく「きょうの料理」を観ながらワインの残りを飲んでいた。
鶏の下処理は、お湯を潜らせ冷水にとり、表面の汚れ滑りを洗い流す。
出汁と醤油・酒の比率は8対1にする。
蛍烏賊の目と嘴毛抜きで取る。
練りゴマは分離するので煮てはいけない。
こんな料理のポイントをやっていたね。

10時時前に大人しく2階に上がり、読書を始めたが直ぐに眠ったらしい、夜中に部屋の電気と読書灯を消してまた眠った。
読書が一向に捗らない。
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時代考証

2018年04月24日 | Weblog
昨夜遅くまで呑んでいたので目が覚めたのが7時過ぎだった。
妻と息子が起きていたので、ヘルパーさんの受け入れと母の朝飯をやってくれていると思い8時まで横になっていた。
納豆とお宝汁で朝飯を喰い、早めに散歩に出た。
葛川沿いを下るルートで大磯警察の脇を通って不動川に向かい、川を上ってヤオマサに行った。
早すぎて地元の魚の荷出しが出来ておらず、息子と相談して昼は蕎麦にすることに決めて、竹輪天、蕎麦、鶏股肉を買った。

家に帰ると妻が庭の草取りをやっていた。
椿の終わった花の処理をして回ったが、花が終わると葉を落とし、新芽が一気に展葉しそうになっている。
昼の蕎麦は葱の青いところをたっぷり刻んで、蕨と竹輪天で食べたが汁が少し濃かった。
お湯を足して味を調えて食べればいいのだが、何となく最後まで食べてしまった。
蕎麦が好きだなあと思う。

プレシネ「危険な情事」1987年 米映画を観た。
主演のカーク・ダグラスはなぜか名前も顔も知っていたがあまり好みじゃない。
出版社の顧問弁護士が36歳の編集者とお互いに惹かれセックスをするが、初めてのセックスは刺激があり楽しいものでむさぼり合うように激しくなる。
情事の後のリストカットで直ぐに厄介事が始まるが、エスカレートするその後の問題との対比が鮮やかだった。

映画が3時に終わり、2階で6時過ぎまで昼寝をした。
風呂に入って晩飯を食べる。
味噌図毛豚ロース焼き、グリーンサラダ、湯豆腐。

「東京ディープ」麻布を観る。
坂の多いところでフランス大使館やアルゼンチン大使館などによく通ったので、思っていたより馴染みのある土地だった。

その後「ファミリーヒストリー」坂本龍一を観た。
オヤジの坂本一亀は河出書房の編集者で三島由紀夫を世に出したが、仕事の筋を曲げない優れた人だった。

9時からプレシネ「武士の料理人」2014年松竹を観た。
上戸彩が主演でこのひと頭が悪そうで、演技が下手で、色っぽくも無いけど好きなんだな。
最近、時代劇だと現代の問題点を表現しやすいこともあり多用されるけど、映像はその時代じゃなく今を表してるから、時代考証とか言葉をあまり気にして撮っていない。
杉浦日向子が生きていた頃に、「お江戸でござる」でやったような解説を聞いてみたいね。
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梅酒

2018年04月23日 | Weblog
朝カレーに牛肉をたっぷり入れて、2皿食べた。
豚骨、鶏手羽先、昆布、煮干、鯖、野菜の出汁が濃縮され、それに牛肉が加わり美味かったので朝から喰いすぎた。

下の息子と北へ向かって散歩に出て、葛川沿いを歩いたが、燕が二度三度水面で水しぶきを上げては、また折り返して同じことをしていた。
水を呑んでいるわけではなさそうで、不思議な行動だった。
帰りに野鳥クラブのオジサンオバサンの団体に会ったが、この行動の意味を聴くのを忘れた。
双眼鏡を首につるした人たちが30人はいたが、野鳥の観察は人気があるようだ。

WAKWAKで柏餅、草餅、原木椎茸を買った。
西友で豆腐、牛乳、もやし、鰹を買う。

WAKWAKの饅頭は平塚の和菓子屋のもので、みせ吉の3分の2の価格だったが、明らかにみせ吉の饅頭のほうが美味い。
結果は予想していたが、差が歴然としていた。

昼は皮付きの豚肉を焼いたが、思ったより美味くなく、皮が固くてパリッとしなかった。
臭いも強く臭い消しの香辛料が必要だね。
9分強火で焼いて10分休ませ弱火で9分焼いたが、火は完全に通っていて、中もややピンクが残ったが、皮が思ったほどパリッとしなかったので、最後に強火が良かったかもしれない。
色々と課題が残った。
サニーレタス、胡瓜、トマト、夏蜜柑のサラダにヨーグルトを掛けて食べ。
カンパーニュを焼いて、焼いた豚、ロースハム、レタス、胡瓜、チーズでサンドイッチにした。
牛乳とタイ珈琲を淹れて飲む。

MXTVに白井聡、加藤健次、共産党の小池さんが出ている討論番組を観た。
面白いメンバーでこんなのやっているんだと思ったが、CMが多すぎて水を差し論議が途切れて盛り上がっていなかった。
2時からは母と一緒に野球を3時まで観た。
流れからすると多分巨人が勝つだろうと思い、2階へ上がって小林信彦「大統領の晩餐」を読んだが、爽やかな風が吹いていて気分が良かった。
6時前に読了した。
中華街が舞台になっているので期待したが、それほど面白くなかった。
それでも1971年の頃の世相が懐かしく、今と同じ中華料理店の問題が既にこの頃からあり、人間はそう簡単に変わらない面があるんだなと感じた。

風呂に入り出て来ると、娘とBFが晩飯にやって来るとのことで、妻は焼売を作っていた。
僕は麒麟一番搾りを独活のきんぴらと伽羅蕗を肴に飲み始めたが、妻が「箱根山」の四合瓶を出してきたので、冷でそいつをいただいた。
ほんとに気の利かない女だが、ときどき粋なことをしやがるから、離縁もせずに今日まで来たのよ。
焼売が蒸し上がり、サラダと皮付きの豚焼きが出てきた。
豚は完全に身が締まり、臭みが消え、ピンクが鮮やかで、見違えるくらいに美味くなっていた。
豚は冷めてからが美味いね、焼売も同様で冷めてからが美味い。
中之条の生原酒、当家の梅酒2種、ベルギー、フランスビール、シャトーボーロンXO、古いクロバジェ3☆を開けて飲む。
このクロバジェ、バックラベルがなかったからハワイ土産にでも買ってきたのだろうか、だとすれば30年以上は経っている。
もとが3☆なのでコクや奥行きはないが、角が取れて柔らかいスムースなコニャックになっていた。
クロバジェと共に納戸から探し出した梅酒は、輸出入サービスセンター時代にCGCと開発したコニャックの瓶に入っていたから、これも30年は経っている。
母が仕込んだもので色は濃厚になっているが透明で、黒砂糖のような風味とリキュール独特の奥深い味わいとなっていたから大したものだ。
僕が漬けた梅酒もアルコールの角が取れて悪くなかったが濁っていて品がなく見劣りがした。

以前は呑みながら莫大な量を食べ続けていたが、近ごろやや収まってきていて、食事の後は焼いたカンパーニュとチーズを摘まんだくらいで、零時近くになって小腹が空いた。
子供たちは部屋へ帰ったり、家へ帰ったりして、妻と二人、焼そばを作り一番搾りで〆とした。
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鶯盛んに啼く

2018年04月22日 | Weblog
いつもより早く起きて朝風呂に入り、牛肉と新玉葱、芹炒め、豆腐と葱の味噌汁を作り朝飯を食べる。

葉室麟「京都再見」を読む。
装丁が綺麗だったので作者も知らず思わず買ってしまったのだが、買ってからすぐに作者が亡くなってしまった。

自転車でJA湘南まで買い物に行き、菜花、小松菜、独活、泥葱を買う。

自転車を置き散歩に出る。
葛川を下ったが、ドイツ大使館別荘下で鴬が啼く。

ヤオマサでN君に刺身の盛合せを薦められ買ってみる。
夜、「加賀纒」の冷の肴にしたが、本鮪、鰆、石鯛、伊佐木、スルメイカの5種の味わいが楽しめ変化があるのが良かった。

昼飯は鯖カレー、鯖の水煮の罐詰を使ったのでやや生臭かった。
生の鯖を煮込まないと本来の味わいにならないのだろう。
それでもパセリを振りかけ、カンパーニュを焼いてバタをつけて食べたが、中々美味かった。

珈琲を淹れて飲み、廊下のソファーに移動して庭を眺めながら「おいしさの科学」を読み、2時からは母の居間で巨人阪神戦を観るが、やけに眠たくて居眠りをしていたので2階に上がって寝た。
野球は流れからして巨人の勝ちと思ったが、夜ニュースで結果をみると果たして勝っていた。

6時半まで寝て風呂に入り、刺身の盛合せで「加賀纒」を呑み出した。
独活の酢味噌、独活きんぴら、韮饅頭、牛肉ともやし小松菜炒めが出てきて、マンハッタン、カンパリラムなどを飲んだ。
その後だらだらとTVを観ながら零時までコニャック、有機ビールなどを飲んだが、土曜日は観たい番組がなく、もらってあるオーディオを組み立てて、音楽を聴きながら本を読んだり外を眺めたりしながら飲みたいが、ずるずるとそのまま4か月がたった。
そういえば先日新聞に、高音質のラジカセを日本の電気メーカーが発売する記事があった。
高齢者はカセットテープを未だ捨てられず大量に保持していて、テープの柔らかな音も魅力とのこと、予価も書いてあったが、そこそこの価格で手が出ないほどでもなく、場所を取らないから手っ取り早く音楽を聴くのに良いかもしれない。
父も晩年まで、レコード店のオヤジが届けてくれた演歌のカセットテープを購入してラジカセで聴いて新曲を覚えていた。
最近新譜はダウンロードされCDの売り上げも下がっているが、レコードを発売するケースもあると聞く、カセットテープの発売も根強く継続されていたのかもしれない。
何でも新しいものに飛び付き、その使い方を覚えて自在に使いこなし、その恩恵を十全に受けてているやつはどれ程いるのだろうか、機械に振り回されて高額な使用料を搾取されているだけに過ぎないような気がしてならない。
家族には白眼視されている本だが、12畳の自室に収まらず、6畳の納戸や物置にまで侵略している保管コストを考えたら、べらぼうなことになるかも知れない。
でも、その本を処分して電子書籍にしようなんて考えはこれっぽっちもない。
本を後生大切にするのも僕の代で終わることと思っていたが、その内少子化で土地の価値など無くなるやも知れず、人間の脳に染み付いた習慣で、紙の本ならではの価値が見直されるかも知れない。
物事は100年単位で評価をして行く見識を持つようにしたいもんだね。

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青春映画

2018年04月21日 | Weblog
3時半に頭にすごく寝汗をかいて目が覚めた。
何か夢でもみていたような気がするが思い出さない。
昨日の伊豆の踊り子の湯ヶ島の印象が強く、高橋英樹と旅館で酒でも呑んでいたような気がするが、川端康成が酒を呑まなかったせいで、小説の中の学生も酒を呑まない。
それでは湯ヶ島に来ていた道路工事の人足や親方と酌婦を相手に呑んでいたのだろうか。
映画の中では、旅館の女中が風呂に入っていて、後から酌婦が入ってきたら汚いから入るなと騒ぎになったが、程度の差こそあれ女中にしろ酌婦にしろお客を取っていて、なかなか色っぽい。
映画で観た湯ヶ島の夜の雰囲気は今ではあり得ないが、男の欲望を引き受ける場所は廃れることはなく戦後銀座で再現され、福富太郎が廉価版のキャバレーを全国に広めた。
今ではそういった場所は何処になったのだろう。
小説にしろ映画にしろ「伊豆の踊子」は心に深く刻まれていると見えて夢にまで出て来るんだなあ。
数か月前に松田聖子主演の「野菊の墓」を観た時に、僕にとっての青春小説と映画は、「伊豆の踊子」「潮騒」「野菊の墓」ということを書いたが、実際にどのくらい映画化されているのかを調べてみた。

潮騒
1954年  谷口千吉監督、久保明・青山京子主演。
1964年 森永健次郎監督、浜田光夫・吉永小百合主演。
1971年 森谷司郎監督、朝比奈逸人・小野里みどり主演。
1975年 西河克己監督、三浦友和・山口百恵主演。
1985年 小谷承靖監督、鶴見辰吾・堀ちえみ主演。

野菊の墓
1955年 「野菊の如き君なりき」木下惠介監督 田中晋二、有田紀子、杉村春子、田村高廣、笠智衆
1966年 「野菊のごとき君なりき」富本壮吉監督 太田博之、安田道代、宇野重吉、川津祐介
1981年 「野菊の墓」澤井信一郎監督 松田聖子、桑原正、島田正吾、加藤治子、樹木希林

「伊豆の踊子」1926年 6回、「潮騒」1954年 5回、「野菊の墓」1906年 3回なので、世間でも同じような感じに受け止められているのだろう。(西暦年は小説が発表された年)
これ以外にTVドラマで撮られているのでそれも考慮しなきゃいけないんだろうが、まあ社会学者じゃないからね。
この中で知っている女優は、青山京子、吉永小百合、山口百恵、堀ちえみ、安田道代、松田聖子だが、時代を象徴した新人女優が選ばれていて、この変遷を観ていると固定された原作の時代とは異なった時代に思い当たるから面白い。

天気も良く、自転車で大磯のリーさんのところまでカンパーニュを買いに行く。
小柄だが何時も元気なリーさんとひとしきり話をしたが、前の店にどこか入るみたいだ。
とにかくリーさんのパンの集客力が強烈なので、ちょっといいものを扱えば繁盛店になるはずで、いい店が4,5軒集まると相乗効果も生まれ、大磯駅前の路地裏に賑わいのある区画が生まれるだろう。
東海道線沿いにオジサンが野菜の店を出していたので、胡瓜とスナップ豌豆を買う。
ヤオマサに寄ったが、良い魚がなく何も買わずに帰って来た。

昼は娘がボンゴレを作ったが、台所へ降りるとカンパーニュがすでに喰われていた。
焼きたてで中がしんなりして外がパリッとした触感と香りがたまらなくいいから、ついむしり取って喰ってみたくなるのも仕方がない。
ボンゴレのソースにカンパーニュを浸すとこれが絶品で、ソースが無くなった後はブルーチーズとモッツァレラの熟成タイプ、生ハムでサンドイッチにして喰ったが、やっぱりすごく美味かった。

プレシネは「はなちゃんのみそ汁の」を観た。
広末涼子があまり綺麗じゃなくて、ちょっとがっかりしたが、やっぱり映画は女優を50%くらい観ているんだなあと思った。
ストーリーもありふれていて、お涙頂戴的で僕には面白く感じなかった。
この原作は、乳癌になって手術を受けたあと、女の子を生んで、死を覚悟した時から、娘の花に味噌汁などの生活との基本を教えていた千恵が、その模様をblog「早寝早起き玄米生活」ハンドルネーム六本木さくらを掲載していたのを死後の2012年書籍化したもので、2014年日テレで大倉忠義、尾野真千子、芦田愛菜でドラマ化していて、その時の千恵の主治医役は今は無き大杉漣だったらしい。
世間のことに疎く、全くこの映画のバックグラウンドを知らなかった。
TVドラマの後には、代替治療を美化したことで批判も出ていたらしい。
blogの題になっている「玄米生活」が代替治療を受けた人からの指示だったようだが、がんの治療に仮に効果が無くても生活を整える手立てになったとすれば素晴らしいんじゃないかな。
現代医学は一つの病理を治癒させることだけに熱中するから、総合的な人間の調和を失念しやすい、これは医学だけの問題ではなく社会科学全般に言えることで、西部邁が専門家のいう事は嘘ばっかりと言って嫌っているのも同じ現象だ。
TVドラマで千恵を演じた尾野真千子を観たかったな。

映画を見終わってから髪の毛を切り、風呂に入ってさっぱりした。
飲食、書籍に出費はしているが、隠居生活を自覚して髪は自分で切っているので最後に床屋に行ったのは昨年暮れだ。
弟は電気バリカンを買って自分でやり始めて5年以上になるが、それが一番簡単でスッキリするとは思うが、父の散髪のため割と高額下購入した鋏があるので、技を進化させたい。

5時に母を迎え2階に上がって横になったら思いの外よく眠り、7時前に晩飯で起こされた。

チンゲン菜と牛肉の焼そば、冷奴、葱ぬた、茹でスナップエンドウ、もろきゅう、ラム肉グリル、焼売で、加賀纒を冷で2杯呑んだ。
焼そばと胡瓜が特に美味かった。
妻が胡瓜を4本も切ったので、やりすぎじゃないかと息子と二人で批難したが、3人できっちり食い終えてしまった。
朝どりの胡瓜は瑞々しくて美味い。

母と一緒に野球を観る。
ジャイアンツペースの試合だったので、8時半、母は機嫌よく寝付いた。

9時から「新日本風土記」箱根を観たが、2014年の再放送で、その時に観ている。
大涌谷の地獄卵、かつての老舗奈良屋、湯本の女の子、大平台の昭和23年の温泉掘り、家族でやっている旅館など盛り沢山なのだが、湯本発07:46の登山電車で通う白百合の1年生に6年生が付いて下車駅まで勉強や遊びの面倒をみるのが今回も一番印象的だった。
4年前もこの事に感動してblogに書いたと思うが、じつにいいことだ。

10時から小学校で白菊会を開いて仲良し女四人の29歳の今を描くドラマを観た。
セックスありで付き合っていて、結婚するにはちょっと合わないんじゃないかと別れても、世間の非難を浴びないで済む世の中になっているんだなあと、羨ましく感じた。
僕の若かった頃は、結婚が視野に入っていないと、セックスをしながら付き合うのにちょっとした罪悪感があって、不自由さを感じたから、付き合う女性とセックスの対象の女性を分けた欺瞞があったね。
そういったバカバカしいことがないだけ今のほうがいい。
文明開化でキリスト教が入ったせいだともいわれているが、ようやく江戸時代に戻ったのかな、日本のほうが進んでいたのに西洋のものまねで後退してしまった部分だ。

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