朝はのんびりと目が覚めたが7時には起きて雨戸を開けて風呂に入った。
朝飯に油揚げと葱の味噌汁を作り、鰤の柵を引いて刺身で食べた。
この時季には鰤がよく揚がるが、寒鰤に比べて脂がないだけサッパリとして江戸っ子に向いている。
まあ、初鰹や鮪の赤身を好んだ風が江戸っ子にはあったらしいが、今時江戸っ子なんてお見掛けすることはないから、あくまでもフェアリーテイルなんですがね、この物言いは。
下の息子と散歩に出て南へ歩き葛川を下り、旧ドイツ公邸別荘脇を海に降りた。
波は穏やかで澄んでいたが割りと大きかった。
ルアーマンが二人で話し込んでいたから、釣れてないってことだろう。
夜、月が真ん丸だったので、この海岸は中潮小潮が釣りやすいから、大潮が災いしたのだろう。
テニスコートのところから上がり富士山を観たが、初夏の装いで裾の雪は解けて靄に霞んでいた。
ヤオマサで久し振りにO君に会い、同級生の大磯の漁師の話を聞く。
生ひじきが店に出ていて買ったが、それが件の大磯の同級生が採ったものだった。
イベリコ豚、鶏モモ肉、豆腐を買った。
昼は筍飯を妻が炊いて置いてくれたので、炊き上がりに筍を入れて混ぜた。
煮干と昆布が水に漬けてあり、別に鰹節の二番出汁が取ってあったので、豆腐と絹さやの味噌汁を作り、鶏モモ肉に塩をしてグリルで焼いて山椒を振り掛け、庭の山椒の芽を添え、葉唐辛子の佃煮とキャラ蕗を箸休めにして食べた。
この組み合わせ実に美味かったなあ、お陰でまたもや食い過ぎた。
平塚へ東海道線で出掛けた。
BOで1時間本を眺め絞りに絞り3冊を買った。
開高健監修 「アンソロジー 洋酒天国3 ウイスキーここにありの巻」サントリー博物館文庫10 TBSブリタニカ 1985年
ウイスキーの語源と歴史については数人のかたが分担して書き、飲み方は山口瞳、酒場についてのエッセイは、中谷宇吉郎、北原武夫、草野心平、徳川無声など、映画館を双葉十三郎と植草甚一、ウイスキーについてのエッセイは、寿岳文章、坂口謹一郎、東郷青児など、バブル前夜のまだ昔の男が居て、少なくとも地に足が着いていたあの時代を感じさせる、直ぐに拾い読みしたが懐かしさが堪らない。
前田愛「幻影の街」小学館 昭和61年
若くして亡くなってしまったが、一時代を築いた文芸研究家で、文学とトポスについての論考をよく読んだ。
藤沢の出身だとは知らなかった。
佐藤忠男「映画で読み解く世界の戦争」ベスト新書 2001年
1930年生まれなので今年米寿になられる。
映画を観るようになって日も浅いので評論家についてもあまり知らないが、数冊読んだことがあり、真面目な方だなと思う。
もう少し読んでみないと何とも言えないが、この時点で100冊以上の著書があり、とても全部に当たれないので目についた本を読んでみる。
しかし、最近のベスト新書はエロい本が多いが、この頃は硬派路線だったんだね。
オネエサンのところへ行き、餡パン2種、チーズパン2種を買い、色々と話をしたが、オネエサン独身だってのを初めて知って衝撃を受けた。
お兄さんがパンを焼いているが、跡取りはなく、これっきりとするのが今の時代だと割りきっているようだ。
街のパン屋が消えたら大手のパンメーカーが製造したセンター配送のパンをSMかCVSで買うチョイスしかなくなる。
最近人気のパン屋もあり確かに流行ってはいるが、西洋料理とフレンチの差があり、街のパン屋は100年かけて日本人の体質に合ったパンを作っていて、時間の審判を受けている。
カレーライスやオムライスのように、餡パンや食パンは、今後も廃れることなく残る可能性が高いが技術が廃れたら何にもならない。
かつて日本香料、高砂香料との付き合いがあった頃に、彼らは食感さえあれば、色・香り・味は如何様にも作れると話していたが、今は食感も再現できるところまで来ているから、職人の手仕事は割が合わなくなっている。
しかし、全体主義と聞くとおぞましいものと恐れるが、街のパン屋がなくなり工場で作られたパンしかなくなるというのは同じことではないか、これを危惧するのは僕の食い意地だけの問題ではないと思うが。
紅谷街を抜けて駅に向かったが、都まんじゅうが開いていたので饅頭を10個買った。
前回母に頼まれて来た時には、訳もなく店を閉めていたので心配したが、廃業したわけじゃなかったんだ。
喜ばしい。
さくら書店で、新刊書を眺め2冊買う。
マーク・トウェイン作 柴田元幸訳「ハックルベリー・フィン(トム・ソーヤーの仲間)の冒けん」研究社
おっ研究社かっ、なるほどとちょっと思ったね。
2,500円+税とけっこうな値段なのに、2017年12月28日初版 2018年3月23日4刷と売れてる。
柴田元幸がライフワークとして出したと何かで読んでいて、目の前にあり反射的に手にしてしまった。
40年も前に岩波文庫で読んでいるんだけどね、当代人気NO1の米文学翻訳家が自己宣伝してるんだから読んでみる価値はあるんでしょう。
岩田幸子「笛ふき天女」ちくま文庫
今朝の読売新聞の書評で面白いと案内されていたので、本はなんといっても面白いのが一番だから、買っちゃうよね。
ここ数年、獅子文六(岩田豊雄)をちくま文庫で12冊も売り出したから、奥さんが書いたこの本が最後の切り札って事なのかもね。
7時前に庭先で七輪で肉を焼いて飲んでいる娘のところに行くが、案の定招かざる客で、口先だけの招待であったのを真に受けた妻が娘の性格を理解していないんだなあと思った。
僕と違って善良な性格だからね。
それでもビールとソーセージなんか持っていったから、なんとか居場所を作り呑み始めたが、先客との違和感が簡単には拭えないので申し訳なかった。
先客のカップルは横浜のかつてストリップ劇場、黄金町劇場を1Fは内装工房にしていて、2Fを新たにイベントスペースにする計画とのこと、あの地区は横浜市が盛んに若い人達を誘致しているが、楽しみだよね若い人たちの新たな試みってのは。
今、馬鹿みたいに家を建てているが、今後人口が減少するわけだから、安い家賃で家を借りることが出来るし、すでに過疎地域では無料で使用できるところもあり、今後ますますこの傾向は続くから、ものを持つことでは無く、ことを企画するのが重要になってくる。
11時に珈琲を飲んでお開きになったが、珈琲をパスして家に帰った妻がワインを準備していて、さらに1時間ワインとアルマニャックを飲んだ。
考えてみれば11時は妻にとっての一人酒のゴールデンタイムであった。
朝飯に油揚げと葱の味噌汁を作り、鰤の柵を引いて刺身で食べた。
この時季には鰤がよく揚がるが、寒鰤に比べて脂がないだけサッパリとして江戸っ子に向いている。
まあ、初鰹や鮪の赤身を好んだ風が江戸っ子にはあったらしいが、今時江戸っ子なんてお見掛けすることはないから、あくまでもフェアリーテイルなんですがね、この物言いは。
下の息子と散歩に出て南へ歩き葛川を下り、旧ドイツ公邸別荘脇を海に降りた。
波は穏やかで澄んでいたが割りと大きかった。
ルアーマンが二人で話し込んでいたから、釣れてないってことだろう。
夜、月が真ん丸だったので、この海岸は中潮小潮が釣りやすいから、大潮が災いしたのだろう。
テニスコートのところから上がり富士山を観たが、初夏の装いで裾の雪は解けて靄に霞んでいた。
ヤオマサで久し振りにO君に会い、同級生の大磯の漁師の話を聞く。
生ひじきが店に出ていて買ったが、それが件の大磯の同級生が採ったものだった。
イベリコ豚、鶏モモ肉、豆腐を買った。
昼は筍飯を妻が炊いて置いてくれたので、炊き上がりに筍を入れて混ぜた。
煮干と昆布が水に漬けてあり、別に鰹節の二番出汁が取ってあったので、豆腐と絹さやの味噌汁を作り、鶏モモ肉に塩をしてグリルで焼いて山椒を振り掛け、庭の山椒の芽を添え、葉唐辛子の佃煮とキャラ蕗を箸休めにして食べた。
この組み合わせ実に美味かったなあ、お陰でまたもや食い過ぎた。
平塚へ東海道線で出掛けた。
BOで1時間本を眺め絞りに絞り3冊を買った。
開高健監修 「アンソロジー 洋酒天国3 ウイスキーここにありの巻」サントリー博物館文庫10 TBSブリタニカ 1985年
ウイスキーの語源と歴史については数人のかたが分担して書き、飲み方は山口瞳、酒場についてのエッセイは、中谷宇吉郎、北原武夫、草野心平、徳川無声など、映画館を双葉十三郎と植草甚一、ウイスキーについてのエッセイは、寿岳文章、坂口謹一郎、東郷青児など、バブル前夜のまだ昔の男が居て、少なくとも地に足が着いていたあの時代を感じさせる、直ぐに拾い読みしたが懐かしさが堪らない。
前田愛「幻影の街」小学館 昭和61年
若くして亡くなってしまったが、一時代を築いた文芸研究家で、文学とトポスについての論考をよく読んだ。
藤沢の出身だとは知らなかった。
佐藤忠男「映画で読み解く世界の戦争」ベスト新書 2001年
1930年生まれなので今年米寿になられる。
映画を観るようになって日も浅いので評論家についてもあまり知らないが、数冊読んだことがあり、真面目な方だなと思う。
もう少し読んでみないと何とも言えないが、この時点で100冊以上の著書があり、とても全部に当たれないので目についた本を読んでみる。
しかし、最近のベスト新書はエロい本が多いが、この頃は硬派路線だったんだね。
オネエサンのところへ行き、餡パン2種、チーズパン2種を買い、色々と話をしたが、オネエサン独身だってのを初めて知って衝撃を受けた。
お兄さんがパンを焼いているが、跡取りはなく、これっきりとするのが今の時代だと割りきっているようだ。
街のパン屋が消えたら大手のパンメーカーが製造したセンター配送のパンをSMかCVSで買うチョイスしかなくなる。
最近人気のパン屋もあり確かに流行ってはいるが、西洋料理とフレンチの差があり、街のパン屋は100年かけて日本人の体質に合ったパンを作っていて、時間の審判を受けている。
カレーライスやオムライスのように、餡パンや食パンは、今後も廃れることなく残る可能性が高いが技術が廃れたら何にもならない。
かつて日本香料、高砂香料との付き合いがあった頃に、彼らは食感さえあれば、色・香り・味は如何様にも作れると話していたが、今は食感も再現できるところまで来ているから、職人の手仕事は割が合わなくなっている。
しかし、全体主義と聞くとおぞましいものと恐れるが、街のパン屋がなくなり工場で作られたパンしかなくなるというのは同じことではないか、これを危惧するのは僕の食い意地だけの問題ではないと思うが。
紅谷街を抜けて駅に向かったが、都まんじゅうが開いていたので饅頭を10個買った。
前回母に頼まれて来た時には、訳もなく店を閉めていたので心配したが、廃業したわけじゃなかったんだ。
喜ばしい。
さくら書店で、新刊書を眺め2冊買う。
マーク・トウェイン作 柴田元幸訳「ハックルベリー・フィン(トム・ソーヤーの仲間)の冒けん」研究社
おっ研究社かっ、なるほどとちょっと思ったね。
2,500円+税とけっこうな値段なのに、2017年12月28日初版 2018年3月23日4刷と売れてる。
柴田元幸がライフワークとして出したと何かで読んでいて、目の前にあり反射的に手にしてしまった。
40年も前に岩波文庫で読んでいるんだけどね、当代人気NO1の米文学翻訳家が自己宣伝してるんだから読んでみる価値はあるんでしょう。
岩田幸子「笛ふき天女」ちくま文庫
今朝の読売新聞の書評で面白いと案内されていたので、本はなんといっても面白いのが一番だから、買っちゃうよね。
ここ数年、獅子文六(岩田豊雄)をちくま文庫で12冊も売り出したから、奥さんが書いたこの本が最後の切り札って事なのかもね。
7時前に庭先で七輪で肉を焼いて飲んでいる娘のところに行くが、案の定招かざる客で、口先だけの招待であったのを真に受けた妻が娘の性格を理解していないんだなあと思った。
僕と違って善良な性格だからね。
それでもビールとソーセージなんか持っていったから、なんとか居場所を作り呑み始めたが、先客との違和感が簡単には拭えないので申し訳なかった。
先客のカップルは横浜のかつてストリップ劇場、黄金町劇場を1Fは内装工房にしていて、2Fを新たにイベントスペースにする計画とのこと、あの地区は横浜市が盛んに若い人達を誘致しているが、楽しみだよね若い人たちの新たな試みってのは。
今、馬鹿みたいに家を建てているが、今後人口が減少するわけだから、安い家賃で家を借りることが出来るし、すでに過疎地域では無料で使用できるところもあり、今後ますますこの傾向は続くから、ものを持つことでは無く、ことを企画するのが重要になってくる。
11時に珈琲を飲んでお開きになったが、珈琲をパスして家に帰った妻がワインを準備していて、さらに1時間ワインとアルマニャックを飲んだ。
考えてみれば11時は妻にとっての一人酒のゴールデンタイムであった。