キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

梅の花

2020年01月22日 | Weblog
一昨日、郵便局の裏へ回って梅林を観たら、南西の木が一本だけ開花していて、今年初めての梅花を眺めることができた。
思わず何枚か写真に収めた。
北へ向かう散歩のルートにはたくさん梅があるのだが、こんなところですでにかなり咲いているとは灯台下暗しだった。
なーんだって感じだったけど、毎年この辺りで一番早く咲く高来神社の近くの梅園の一番開花の早い木が枯れてしまい、指標を失くしてしまったのがいけなかったね。
その花は大磯に住む友人が毎日その前を通って水泳に通っていたので、大体暮れの内に開花を知らせてくれ、すぐさま観に行ったものだが、3年前に友人が引っ越し、2年前に木が枯れてしまった。
観てくれる人を失い生きる気力がなくなったのかと因縁を感じた。
来シーズンからはこの郵便局裏の梅林の梅を気にすることにしよう。

10年ほど前から大磯の友人とはいつも連れ立って2月に湯河原の幕山の梅林に出かけ、園内の屋台でおでんと熱燗、地元の焼き物の猪口を買い酒を酌み交わし、帰りに湯河原の街でさらに杯を重ねたものだが、その内曽我の梅林のほうが早く咲くので、そちらへ弁当と酒を持って出かけるようになった。
観梅で酒を呑み、桜を愛でて酒を呑み、紫陽花の季節には鎌倉で酒を呑みと、日本は花にかこつけて酒を呑める実に豊かな国で、せっかくの豊かさを享受するにはキチンと花を愛で酒を呑みに出かけなければいけない。
今年は梅が遅れているが、月が替われば流石に曽我の梅も咲くだろうから、そろそろ出かける準備をしなきゃいけない。

昨日は何時ものようにJA湘南へ自転車で出かけスティクブロッコリーと蕪を買った。
この二日間ペダルをこぐ脚が快調で何だか若返ったような気がしている。
酒を控えているわけではないが、妻がむやみな肉買いを止め食い物が魚と野菜に偏って来たからだろうか、
妻の血液検査の結果は来月通院するときに分かるらしいが、少し悪いほうがいいねえ、これで問題がないとまた肉を中心とした高カロリーで濃い味の食事になってしまうからね。

妻と下の息子が病院へ行ったので、一人で昼を食べたが、前夜の残りのクリームシチューにカレールーを入れウースターソースとカレースパイスを加えカレーにして食べた。
やけに甘いカレーだったが美味かった。
久し振りに甘酢漬けにしたらっきょうを納戸から出してきて食べてみたが、中々美味く漬かっている。
食後にお茶を淹れて羊羹を食べた。

プレシネは「MINNESOTA CLAY」1960年のマカロニウエスタン、ありふれた設定であったが、西部劇は中々このパターンから逸脱できないし、もし逸脱すると娯楽から外れてしまうので、結果が目に見えてる安心感で途中ワクワクさせる仕掛けでないと見放されてしまうってことだろうね。
寅さんのパターンも全く同じで結果が見えているのに観てしまうのは、安心感だからだろう。
してみると、山田洋次は西部劇の娯楽性を「男はつらいよ」で再現したということか、しかも48作も続けたわけで途中経過の面白さに気を配ったわけだ。
人の一生というのも最後は死だから結果は分かっているわけで、面白くするのもしないのも途中経過の妙にあるってわけか。

大磯方面へ散歩に出た。
最近さらに日が伸びて5時過ぎまで明るいが、相撲のいいところまでに帰ってこなければいけないので、早めに出かけているせいか公園で幼い女の子に良く会う。
この日も砂場で4人の女の子が遊んでいたが、その内2人を見知った顔だと思っていたら、オジサン前に会った事があるねと向こうから声をかけられた。
3、4歳の頃からこの社交性を発揮するのは女ならではで、今でこそ多少女が分かってきたが、男女共学という環境の中で男女平等という悪しき教育を受けたので、男と女の差が良く分からず長い間生きてきてしまった。
4人の女の子に盛大に見送られて公園を後にした。

相撲は正代が波に乗っていて強いね、横綱不在で豪栄道が最低な中、貴景勝が頑張っているが炎鵬人気に押され、悪役扱いだったような気がするなあ、ファンというのは移り気なもんだね。

晩飯は鰯の煮て焼いたのと、スパニッシュオムレツ、温豆腐だった。
散歩の帰りに買った麦焼酎の湯割りに近所でもらった柑橘を絞って飲んだ。

観たいTV番組が無く、音楽を聴きながら久々にまとまった読書をした。
丸谷才一の「人間的なアルファベット」をようやく読了したが、艶笑随筆だけあって度々吉行淳之介が助け舟のように登場してきた。
若い頃から吉行淳之介を好み、特にエッセイと対談が気軽に読め、しかも性の深淵について参考になる見解が開陳されていたので貪るように読んだなあ。
結局実生活では足しにならなかったが、女は怖いというメッセージだけはまともに受け止めたので、なるべく遠ざかっていた甲斐あってそんなに怖い目には会わなかった。

その後、途中まで読んでいた「文化亡国論」を読みだした。
2015年の出版なのでそのちょっと前のサブカルの様子が窺えて面白い。
話しの中心が漫画、アニメになるので、その分野に不案内で用語を調べながら読み進んでいるが、まったく知らない世界が展開されていたことを知るわけだから面白くない訳がない。
それでもマーケッティングの方面から「ソフトヤンキー」って概念は知ってたなあ、ヤンキーとオタクの交流点に日本の可能性を観ているけど、東京へ向かう地方のエリートと地方で生きるソフトヤンキーの乖離ってのは今始まった事じゃなく、明治のころからあったパターンで戦後その動きが最も大きくなったような気がする。
高卒が多いソフトヤンキーは一人では給料が少ないが、結婚して二人になるとやっていける、早い結婚と複数の子供を持つから、その部分じゃ日本を支える層で、貧乏人の子沢山を地で行っている。
ひきかえ東京に出てきたエリートは晩婚となり、激しい競争社会に晒され子供を作っている暇がない。
これはエリート層がじり貧になり、質も落ちて行くことを意味している。
二局分離格差拡大を是正するいい仕組みを考えないといけませんね。



コメント
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