キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

オイルショックを思い出した

2020年02月29日 | Weblog
JA湘南へ自転車で行ったが、日差しは強くて暖かだったが、風が冷たかった。
道行く人たちはマスクもしておらずコロナヴィルスとは距離があるなあと感じた。
安倍首相が学校の閉鎖を奨励したが、地方の長が反発しているのも、そんな事より中国からの入国を禁じるのが先だろうと腹にあるからだろうし、4月下旬までに患者を0にして、そこから28日新たな感染者を出さなければ終息宣言が出せずオリンピックが開けないからという焦りが見え見えなんだからだろう。

JAで買った白菜を漬けた。
気温が低くなっているので、あと一回くらい漬けられるかなあとやってみたが、どうだろうねえ。

音楽を聴きながら日下公人「『情の力』で勝つ日本」を読んだ、中だるみで面白くなかったが、また盛り返して後半面白くなってきた。
妻が鍋焼きうどんで良いかなあと言って来たので、別段喰いたいものもなくいいよと答えたが、二三日前に喰ったような気がするなあ。
八丁味噌で食べた。

プレシネはカトリーヌ・ドヌーヴっ主演の「終電車」だった、もう一度観てもいい映画だったが、金曜日は夜TVを長時間観るので目の事を思って読書をすることにした。
日下公人「情の力で勝つ日本」を2時に読了した。
日本という国が素晴らしい国であることを彼独特の視線で愛情をもって書いていて、読んでいるだけで自信が出てくるが、こういった書物ってそうあるもんじゃない。

妻が買い物から帰って来たので、散歩に出ようとしたら、何処へ行ってもトイレットペーパーが無いと大騒ぎして、これから別のところを見てくるから待っててと言って出て行ってしまった。
トイレットペーパーの原料がマスクの原料と同じで、その内無くなるといったデマがSNSで拡散していて、皆さん買いだめしているらしい、我が家のトイレットペーパーが残り1個なので慌てていた。
まあウォシュレットがあるから無くてもいいんだけど、無駄に慌てていたなあ。
その内、芯無しのトイレットペーパーを2袋抱えて帰って来た。
マル相手に、ああ吃驚した、ホントにねーなどと話しているのが聞こえて来た。
SNSの問題点だな、オイルショックの時のトイレットぺーパー騒動は千里で始まりジワアッと拡散したが、SNSは拡散のスピードが格段に違う。

大磯方面へ散歩に出て二つの公園でじっくりストレッチをやったが、最近つま先を上げる運動をしていて、向う脛の筋肉が付いてきた。
これは転倒防止のほかにO脚是正に効果があると娘に聞いたが、そう言われると何となく脚が真っ直ぐになって歩いている気がしないでもない。

早めに風呂に入り、晩飯まで読みかけだった鈴木邦男の「言論の覚悟 脱右翼篇」を読んだ、読みかけの本が10冊くらいあるので、新たな本に目を奪われず先ずはそれらを読了しようと固い決意をもって臨んでいるが意志薄弱だからなあ、さて。

晩飯には中々いい肴が並んだ。
小田原で朝上がった烏賊の刺身、鮪刺身、鮪ソテ、風呂吹き大根、スティックブロッコリー、カリフラワー寄せもの、パプリカと大根マリネ、鶏唐揚げ。
大吟醸の薄濁り酒と「箱根山純米」を燗して妻と呑んだ。
大吟醸は美味くなかった。
箱根山は最近杜氏が替わりフレッシュ&フルーティになり落ちたと娘が言っていたが、まあまあ美味かった。
二人で吞むと一気に無くなるので、その後は芋焼酎のトゥワイスアップを燗して呑んだ。

7時半から妻と僕で観るTVが違うので、お盆に徳利とつまみを載せて母の居間に移動した。
「美の壺」「新日本風土記」長崎街道「ハムラアキラ」「ドキュメント72時間」ヤンキー・インターン「女子高生の無駄遣い」を観た。
長崎街道は出島から北九州に続く224㎞だが、砂糖が入ってきたルートで甘さが足りないことを長崎が遠いというらしく、カステラも殆ど卵と砂糖で出来ているのを知り意外だった。
長崎のこじんまりした中華街は一度行ってみたいね。
「女子高生の無駄遣い」は来週っ最終回らしいが酷くがっかりした。

遅く帰って来た上の息子が飯を喰っていたので、隣で珈琲を淹れて、高橋是清が日露戦争戦費調達で世話になったジェイコブ・シフの話をした。
これ以降、日本とユダヤ人には深い繋がりがあり、シフには1966年天皇が直接謝辞を述べている。
反ユダヤ主義の帝政ロシアを資金援助してロシア革命を成功させたのもシフと仲間のユダヤ金融資本家達であることなどを話した。
最近ではこのユダヤ資本家を馬淵睦夫がディープステートと呼称していて、ロシアはディープステートが作った人工国家であり、ユダヤ思想と共産主義は同じものであると指摘している。
人モノカネが国境を越えるグローバリズムとも同じだから、世界がどういう論理で動いているか分るでしょう。

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娘婿不惑を迎える

2020年02月28日 | Weblog
一昨日は2.26事件の日、昨日は娘の旦那の誕生日で家で誕生会をやった。
近頃ではうちの家族の誕生会などやっていないのに、妻がやけに張り切って料理を作った。
そのせいか6時から始まった会の途中で二階へ上がって寝てしまった。
もっとも我々はしつこく零時過ぎまで、カバ、酒二種、フォーロング白赤、ディエゴの赤の鳥などを飲み、最後はティーチャーズのストレート、母が30年前に作った杏酒を飲んでいた。

妻は今朝、昨日の料理はどうだったと聞いてきたが、記憶に残ったのはマサで頼んだ刺身盛り合わせ中トロ、赤身、鰺、ヒラメ、目鯛、環八、ミル貝、カワハギ、鯛の中で、鯛が早くも旬を迎えたのか歯応え味わい共に素晴らしかったこと、焼き手を変えて3枚和牛ステーキを食べたが、娘が焼いた厚手の肉が火の入り方がピッタリで久し振りに物凄く美味いなと感じた。
中トロ好きの妻が盛り合わせと別に3皿中トロを買ってあったが、これも好評で見る間に無くなった。
マズイと思い捻りだすように妻の作った料理を思いだした。
前菜の向こう付けにあたる三点盛、鯛のマリネ、煮豚、野菜のマリネ、煮豚に香草が載っていたのが柔らかくて香辛料の風味が入っていて美味かった。
カリフラワーのゼリー寄せは久脚振りに寒天を使ったので固すぎたが、味わいは良かった。
メインのビーフストロガノフは、昼からレシピを探せと云われて大騒ぎしたが、まあまあだったな。
この料理、ソースを煮詰めてデミグラにすると、ハヤシライスになるらしいね、出来上がったのは白っぽいソースで余り諄くないものだった。

デザートは上の息子が僕の同級生のケーキ屋から人数分のショートケーキを買って来たが、本人苺のショートケーキが好きなのでそれだけ2個あった。
下の息子はチョコレートケーキが好きだが、他の食い物の好みは似てるのにこれだけは違うんだよね。
僕はこれに関しては上の息子と同じだ。

今朝は6時前に目が覚めて討論番組の動画を視聴していたが、7時半に起き出してみると存外快調で二日酔いではなかった。
ビーフストロガノフを温めて食べたが酸味と苦みが昨夜より強く感じられ、煮込み料理の常識を覆して味が落ちていた。
カレーやビーフシチューは味が濃いからこの雑味がマスクされているが、薄い味のものだと一晩置くと駄目なのかな、ラーメンスープが雑味が出て使えなくなるのと同じかもしれない。
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渋沢BOふたたび

2020年02月27日 | Weblog
昨日ちょっと酒を飲み過ぎたが、今朝は思ったより快調に目が覚めた。
食後にCDをまとめて4枚聴いた時に追い酒をしなかったのが良かったんだろう。
好きな音楽を聴きながらコニャックかアルマニャックを舐めているのが好きなんだけど、すでに飲み過ぎの自覚があったので、というより既に満タンで新たな燃料が入らなかったのかな。

豆腐と葱の味噌汁を作り、鰯が煮てあったので焼き、葱を刻んで納豆をかき回して朝飯にした。
気温が高くなったので白菜を漬けるのを止めていて、漬物が無いのが物足りなかったが、いよいよ糠床の出番かな。

母のところへ行こうと思ったら、妻が朝市で野菜を買いたいと車で出かけたので、風呂に入った。
10時過ぎに帰って来たので、渋沢へ出かけ母の脚のマッサージをして時間を見たら11時過ぎだったので、BOへ寄った。
土曜日にも来たが下の息子と一緒でゆっくり出来なかったので30分だけ眺め2冊購入した。

藤井聡「なぜ正直者は得をするのか」幻冬舎新書 2009年
如何にも編集者が付けた題名のようだが、近頃目先の利益を求めはしっこく振る舞うやつが多い、そんな風潮に対して一石を投じる書をと依頼したのかなあ。
実はここ数年、京都大学の藤井先生を西田ゼミナールやMMTの番組でかなり視聴しているんだけど、本を読んだことが無かった。
最近の論調はかなり理解しているつもりだが、この頃一体どんな事を言っているのかすごく興味があある。

日下公人「『情の力』で勝つ日本」PHP新書 2018年
この人って今まで知らない視点で物事を観ているので実は吃驚させられる。
僕は数学物理が苦手な似非理系だが、思考方法は理系なんだと思う。
だから小室直樹、西部邁、高橋洋一などの数学者から経済や政治に来た人達の言っていることは違和感がなく割と素直に納得できるんだが、日下先生の視点は突拍子もなく感じる。
脳が揺すられるというか、目から鱗って表現が大げさでなく当て嵌まるんだな。
あまり安くもなっていなかったんだけど目についてしまったら素通りできなかった。

往き帰りの車の中、家にいる間中、昨日買って来たZARDのCDを聴いているが実に嬉しい。
40歳で死んじゃったから老醜を観ることがなく、美人で若いままだからいいんだろうねえ。

昼過ぎに帰ってきたら妻が鍋焼きうどんを食べていた。
既に鍋がコンロに乗っていて、出汁や材料が置いてあったので作って食べた。
娘が名古屋から八丁味噌を土産に持って来たので、名古屋風味噌煮込みうどんにしたが、硬水だと苦くなるのにそんな事は無く美味かった。
土産用に研究してあるんだろうか。

プレシネは二回目になる「阿弥陀堂だより」を観た。
樋口可南子っていうのは女ぽくないけど、きりっとしていて綺麗だよなあ。
もう30年も前に関内で撮影をやっているときに間近でみて、友人が大して綺麗じゃないなあとでかい声を上げ、僕も確かにそんなに綺麗じゃないと思ったんだけどね。
内容は兎も角、信州の四季の風景が凄くいいねえ、日本はそれだけで住んでいる価値があるんだなあとつくづく思ったね。

一昨日は下の息子が海豚を買って来て牛蒡と一緒に似て食べたが、この日は妻が海豚を買って来て煮てくれと云われ、水でアクが無くなるまで掬いながら煮て、牛蒡を入れて、砂糖と生姜、酒で30分煮るようにセットして、火が消えたら醤油を入れてあと少し煮込んでくれ、最後は汁だけ煮詰めて飴にしてくれと頼んで散歩に出かけた。
何時ものように大磯方面へ出かけ公園でストレッチをやり、南へ出て葛川沿いを帰って来た。
鷺と川鵜をよく見かける。

晩飯は和風のおかずが並んだ。
カワハギの刺身に肝が叩いて添えてあったが、まずは醤油と山葵で食べたが、この時期のカワハギは旨味があってじつに美味い、酒を切らしていたので芋焼酎のトゥワイスアップをチロリで燗して呑んだが、水と馴染んできていてよかったねえ。
肝を添えて食べてみたが、肝の味が勝っちゃうね、カワハギの風味を愉しむなら肝は避けたほうがいい。
風呂吹き大根、これは僕の好物なんだけど妻はこういったサッパリしたものを好まないためになかなか作ってくれない。
でも、強く言ったので今季3度目かなあ、何度もやっていると美味く作れるようになり、美味かった。
カリフラワー、大根の葉と油揚げの炒め煮、それと完成した海豚と牛蒡の煮物。
冬になると海豚を食べないと気が済まないのだが、今期食べていないなあと云ったら下の息子が買って来てくれ一昨日とこの日と続けて食べたが、とにかく脂身のところが癖のある匂いが強く、それが堪らないんだな。満足した。

肴が良かったので少し飲み過ぎたが、観るべきTVが無いので読書をした。
どうしても日下公人を読みたくて、他に読みかけの本がたくさんあるのを差し置いて読んでみたが、最近読んでいる経済と国際政治学は既に何が書いてあるかほとんど分かっているので、思いもよらぬことが書いてあり惹き込まれた。
経済や交際政治は、論理の世界に傾いているが、日本に本来あった情は論理に劣るものではなく、もっとその価値を自覚して今後世界をリードして行くべきだと書いてある。
20年以上前から世界を席巻した日本の漫画とアニメは情の世界のもので、それを観て育った海外の子供たちが成人して社会に出てきているので、情で物事を考えて行くことが当たり前になってきている。
哲学も歌も演劇も世界を変えられなかったが、間違いなく漫画とアニメは世界を変えてしまったというお話。
これは海外にワインの買い付けに出掛けていて気が付いていたことで、ブルゴーニュのメーカーにピカチューを買いたいと云われ、トスカーナの没落貴族に彼のお気に入りのアニメを見せられ、スペインの弁護士にキャプテン翼の台詞を生の日本語で言わされた。
実は漫画もアニメも不案内だったので、共感を現した対応が出来なかったが、彼らの輝いた眼を覚えている。
アニメには日本的な価値観、親切、誠実、勇気、正義、優しさ、思いやり、礼儀正しさが含まれていて、それが海外の彼らにも共有されているから、言語の問題はあるにしろ、子供の頃に観たアニメの話が出来れば、深いところでコミュニケートできるってことだ。
日下公人は日本の未来を悲観的に考える人が多い中で、心配いらない大丈夫だと言っているが、こう考えると日本が世界をリードしているってことだよな、「『情の力』で勝つ日本」半分読んだところだが、すごく明るい気分にさせられた。
2000年以上同じ民族の国家が続いた例がなく、日本は世界最古の国であるわけで、伝統文化の蓄積が今生きている日本人の中に継承されているわけだから、世界をリードするのは高々250年の歴史しかない軍事力と経済力の国ではなく我が国であることを自覚して自信をもって生きましょう。

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横浜から大船へ

2020年02月26日 | Weblog
先月は知人が急に亡くなり、通夜や告別式で忙しく、TJLに行き損なった。
毎週火曜にやっているんだけど、第四火曜にサックスが入り、折角だからそこに行きたいので、今日になってしまった。
大船で乗り換えて、車中で中野剛志を読みながら桜木町まで行き、駒で久し振りに握りをっ喰ったが美味かった。
顔馴染の職人がいなくなっていたので聞いたら、去年末で辞め上大岡で独立したとのこと、店を教えてもらった。
その前に独立した職人もいい男で何度か店を聞いたがその度に忘れた、改めて聞き、今度はちゃんと二人の処を訪ねたい。

TJLの会場のJRSで席を取って伊勢佐木町BOへ行き、本とCDを眺めた。
小一時間愉しんで本を2冊買った。
高橋洋一「米中戦争で日本は果実を得る」悟空出版 2018年
 同  「日本の大正解」ビジネス出版 2017年

今も読みかけの本があるが、これだけ読めば高橋洋一も卒業だなあ、最近はコロナヴィルスの感染についての発言も多いが、感染についての論文も書いているらしく詳しい。

TJLは良かった。
今日が165回目らしいが、最初の年は毎週聴いていたなあ、会社辞めてからは多くて月に1回だけど、もう4年になるんだな。
時が過ぎるのは早いが、年を取ると猶更だ。
ジャズ好きの友人と会い、中屋が先月で廃業したと聞いた。
大もりが名物で、25年以上通った蕎麦屋だ。
10年ほど前に旦那が亡くなり、元気な奥さんがやっていたが寄る年波に勝てないってやつらしい。
機械打ちで廉価で量が多かったが、もりとたぬきを好んだのは蕎麦が美味かったからだ。
友人が先月末に行った時には、常連さんからはカネは取らないと云われたらしい、そういった心掛けでやって来たんだ、いい店が無くなっていく、寂しい。


有隣堂で新刊書を30分ほど眺めたが、すごく欲しいと思う本が少なかったな、出版界の活気が無くなっているのだろうか、質の高い本が少ないような気がしたのが気のせいならいいんだけど。

E.H.カー 原彬久訳「危機の20年‐理想と現実ー」岩波文庫 2011年初版 2019年14刷
国際政治学の基本図書だが、この人の本は高校時代に、清水幾太郎訳「歴史とは何か」岩波新書1962年を読んでいたので、歴史家だと思っていたが、つい最近中野剛志の著書で政治学者だと知った。
新訳が出され14刷となっているから国際政治学を学ぶ学生の必読書なんだろう。
それにしても550ページの大著だが、求めやすい文庫としては1,320円+税は高い。
だから日本は国際政治から取り残されちゃうとは言わないが、もっと安くして世間に膾炙すれば、世界の現実を認識出来る人が増え、馬鹿げた理想論を声高に叫ぶオジサンが減るだろうにと思う。

大船で下車して松竹撮影所跡のBOに寄って1時間じっくりと本とCDを眺めた。
買いたい本はなく、CDを4枚買った。
ZARD「HOLD ME」1992年
   「OH MY LOVE」1994年
   「TODAÝ IS ANOTHER DAY」1996年
   「永遠」1999年

帰りがけにイナリヤトワインの営業を少しやった。
有機ワインのワインバーでは男の子が準備をしていてしっかり話を聞いてくれた、こういう所は今後きっと流行るなあ。
2軒目は行きつけの酒居酒屋で、生ビール、初孫純米生酛、麦焼酎を寒ブリの刺身で吞んだ。
一応カタログと名刺は渡したんだけどね。
ここの親方ZARDのCD全部持っているというファンで、99年の伝説のクルージングコンサートに応募したが駄目だった。
応募が100万通を超え、600人が選ばれたので狭き門だが、40代の人達は同時代に熱狂してたんだなあ。
1年半前に初めて知った浅いファンからすると羨ましい。
店はコロナヴィルスの影響で客足が遠のいているとのこと、第3四半期の経済成長の年間換算−6.3%は、第4四半期にさらに悪化し戦後最悪になるぞ。

二宮のCVSでエビスビールと乾きものを買って家で大船の続きを飲んだ。
買って来たCD4枚を聴いたが、ベストでは分からない時代を感じていいねえ。

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映画を二本観た

2020年02月25日 | Weblog
朝母のところへ下の息子と出かけ、30分ほど足のマッサージをやって、帰りがけに渋沢BOの寄った。
ここのところ急によく見かけるが中野剛志「資本主義の預言者」角川新書2015年があり買った。
まあ偶然なんだろうけどね、短期で一気に3冊手に入ったので読めって啓示だろう。
間を置かずに読めば、論旨は繰り返しの部分が多いはずで、かなり頭に残リそうだよね。
大黒摩季「「STOP MOTION」1994年は、CDの読み取り面に傷があって店員が気にしていたが、音質に影響するかしないか微妙なもので、前に買った時にやけに丁寧に説明してくれたオネエサンが、駄目だったらレシートを持ってくれば返品してくれると云ってたので、そんなに迷わず買った。
同じ曲の異なる編曲を聴くのはかなり愉しいよ。
ボクサー姿の写真がいかにも若くてお嬢さんて感じで可愛い、四半世紀が過ぎているんだなあ。
帰りの車で聴いてみたが大した問題もなかった。
それにしても懐かしアルバムを290円で愉しめるんだからいい時代だなあ。
オジサンは過去に生きているから、新譜や新刊もいいけど、古いもので大いに満足でき、あまりカネを使わずに愉しめるように出来ているんだなあ。
ちなみに中野剛志も3冊で330円だから、世の中の仕組みを知るにも大したコストがかからない。
経済書や国際政治学の本は10年経って古びていなければ優れた本だと考えていいから、このカテゴリーは読める古書を漁るのもいい方法だ。

月曜日だったのでプレシネは昼夜あったが、3連休の最終日であったので長尺のいいものを放映したんだと思う。
午後は「Schindoler′s List」1993年米映画を観た。
前に観たと思っていたが初見だった。
先日ポーランドのユダヤ人ピアニストが第二次世界大戦を生き延びた映画を観たが、ここでもドイツ兵が簡単にユダヤ人の頭を撃って殺していた。
安価なユダヤ人労働力で一儲けしたドイツ人実業家のシンドラーが、強制収容所送りで殺される彼らを救おうと、得たカネをわいろに使い1100人程を終戦まで工場勤務させ救うのだが、エンディングで掬われたユダヤ人の子孫がシンドラーの墓に石を積んでゆく姿にぐっときた。
そこまで忘れられないことを他人にすることができる人間はめったにいないものだ。

夜、「世界の中心で、愛を叫ぶ」2004年を観た。
すごく流行った映画で題名だけは知っていたが、内容については一切知らなかった。
書籍もこのころ本屋でよく見かけたと思うが、その頃恋愛小説に全く興味が無かった。
俳優は山崎努だけ見知っていたが、重要な役回りで良かったなあ。
女優は柴咲コウを多少知っていたが、長澤まさみは名前は知っているもの顔を認識したのは初めてだった。
他に松原智恵子は良く知っていて、尾野真千子は主人公の姉役で出ていたらしいが気が付かなかった、天海祐希は分かった。
物語は浜田光男と吉永小百合の「愛と死を見つめて」を連想した。
女の子が白血病になり、もともと健気な子が詩に打ちひしがれてゆく姿は涙を誘うが、悲恋の中でも死によって引き裂かれるのは、相手が永遠に年を取らないからいわゆる結晶作用が一生続くんだな。
恋が破れた時には、人間は自分を救おうとするから忘れようとする力が働くが、深い傷が癒され相手を思うことが出来るようになると再び思うようになるものだ。
恋愛の構造は5000年前から変わらないけど、小説でパターンを書き尽くしてしまったので、純愛は書きにくくなっている。
それで手の込んだ物語にするけど、若い人にとっては初恋なんだからストーリーはシンプルでも描写が優れているものがもっとあってもいいんじゃないかな。
すれっからしを想定するから人工的なものになってしまうんだろうなあ。


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久し振りの芋焼酎に酔う

2020年02月24日 | Weblog
以前から本を読み散らかす悪い癖があったが、最近も読書より映像の方へ傾いたせいで、もちろん記憶力の減退も大いに関係しているのだが、昨日母の居間とベッド周りの本を片づけてみたら、この1か月くらいの間に10冊ほどの本を読み始めて途中で放棄していることが分り、我ながら唖然とした。
一週間ほど前に伊藤貫の本を読了し、いたく充実した気分と裏腹に虚脱感があり二日ほど本を読む気にならなかったが、数日前から中野剛志の「世界を戦争に導くグローバリズム」を読みだし、母の居間で読んでいる。
昨夜は飯を喰いながら「ダーウィンが来た」でちょうど帰って来た上の息子と一緒にクロマグロを観ていた。
釣りが好きで魚にも興味を持っているのであれやこれやと云いながら観たが、その後にチャンネルを回していたらBS3で渥美二郎が昭和53年の彼のヒット曲「夢追い酒」を歌っていた。
最近歌っている「永遠鉄道」を歌わないかと引き続き観ていたら、歌ったので嬉しかったなあ、本当は母の居間に移って読書の予定だったのに最後まで観てしまった。
9時からは食についてのシリーズをNHKがやっていて最終回を観た。
10時からは2.26事件のドキュメンタリー完全版があり、今夜のメインと思っていたが、つい飲み過ぎてうつらうつらしてしまった。
ただし、完全版でないものは観ているので、所々正気に返って観た所を繋いでも全体の掌握は出来た。
天皇の命により陸軍のクーデターを鎮圧できたが、これによって政治家が陸軍に対する恐怖心を持ち、その後の政治は腰が引けたものとなり、戦争へ進むことを止められなかった。
陸海軍の現役武官大臣制と共に記憶に強く残しておくべき事柄だ。

「映像研には手を出すな」まで少し時間があったので水などを飲み覚醒し、久し振りに完全な体調で観たら面白かった。
オープニングの色使いが好きなんだが、エンディングのシルエットも個性的でいい。
その対比を考えた構成なんだろうね。
アニソンはロックの系統が多いが、エンディングの曲が好きだなあ、神様、僕は気づいてしまった「名前のない青」、ちなみにオープニングはchelmico「Easy Breezy」だ。
通称「神僕」はへんてこな仮面をつけて演奏しているグループなんだけど、この異様な感じどこかで経験があるなあ。


午前中、下の息子と吾妻山へ散歩に行ったが、菜の花ウイークが終わっているのにすごく混んでいた。
少しガスっていたが富士山は雲もなく全容が観え、相模湾は風波で船が全く出ていなかったが、色が鮮やかでモザイク模様に潮が流れていた。

昼はカレーうどんを妻がやけに勧めたので食べたが、美味くて喰い過ぎた。
夜は鯖の味噌煮、鶏唐揚げ、長芋スライス+海苔山葵、ほうれん草炒め、蕪と油揚げの炒め煮で、夕方散歩がてら大磯方面に行ったときにクリエイトで買った芋焼酎をトゥワイスアップにしてぬる燗にして呑んだ。
芋焼酎に5年ほど前に飽きて、個性的な麦焼酎を好んでいたが、PBなのだが無濾過で麦の味わいを最大に引き出した「海豚」という吞んで以来、麦焼酎を色々飲吞んでんではいたがどこか物足りなく、最近では選ぶのが面倒くさくなって手に取った廉価で個性のないのを吞んでいた。
浜田酒造の一般的な芋焼酎だったが、当然風味は違うが、麦に比べて個性が強いから久し振りに呑んでいるなあと感じた。

「映像研に手を出すな」を観終えて二階に上がり、少し音楽を聴いてから、田辺聖子のエッセイを読んだ。
去年亡くなったので手元の本を読みだしたような気がしたが、車椅子で何処かの講演で話していたのを最近見たような気がして判然とせず、調べてみたらやっぱり亡くなっていた。
それにしても昔から馴染んだ作家の多くが鬼籍に入ってしまって寂しい。
カモカのおっちゃんが亡くなって直ぐの頃書かれたエッセイだったが、田辺聖子のエッセイはカモカのおっちゃんに負うところが大きいね。

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good good

2020年02月23日 | Weblog
昨日は下の息子と一緒に春物の衣料品を持って母のところへ行ったが、点滴をやっていた。
持ち込むものはすべて写真を撮ってリストが必要なので、介護師に頼もうとしたが、顔なじみの看護師がやってくれた。
佐賀県由来の名字を持ったこの女性をてっきり既婚者だと思って、旦那さんは九州の出身でしょうと訊いたら、まだ独身で私の親が九州出身ですと云われた。
きびきびした仕事振りではっきりとした人で好きだ。
僕が好意を持っているから先方も好意を持って対応してくれるが、思えば行くたびに母の状況を話してくれるなあ。

帰りに二宮の「ティグレ」によって2種類のバケットを買って帰り、昼は野菜スープと肩ロースのグリル、リーフレタス・フロム・マイガーデンなどで食べた。
食後観るべき動画のリストを30ほど作り、適当に観ながら〇▲×の評価をしながら遊んでいたが、何故か土曜なのにプレシネがあることを思い出し、チェックすると14:30からだったので頭から観ることが出来た。
「グーグーだって猫である」これは大島弓子のエッセイ漫画1996年を2008年に映画化したもので小泉キョンキョンが主演している。
知っている顔は楳図かづお、リリィ、鷲尾真知子、小林亜星、松原智恵子で、若い人たちはほとんど分からなかったが、主人公のスタッフ役の太った女の子のグループを観たことがあり、下の息子にこれが森三中だと教えられた。
90年代の吉祥寺を舞台に飼い猫のグーグーが井之頭公園へ逃亡したり、大島弓子が生殖器官の癌になり入院手術をするところなどを描いている。
大島弓子の名前は知っているが、どんな方か知らないし、作品も読んだことが無い。
映画の中でも、子供の頃から町の文房具屋で道具を揃えてもらい、熱心に漫画を描いていたシーンがあったが、人一倍好きな事でないと大成しないなあと改めて思った。

我が身を振り返り、自分から積極的にやりたいなあと思ったのは40になった時の釣りで、好きなことに出会うのが如何にも遅かった。
晩器大成という言葉はあるが、それは幼い頃より一つの事を研鑽しても才能の開花が遅いことを意味しており、晩年になって始めたことが大成することではない。
まあそれでも、大成するなどとは全く考えず、今は好きなことをやっているから苦悩もなく実に愉しい。
ちなみに猫の名前の「グーグー」とはgood goodの意味らしいよ。

映画が終わったのが4時半で、だいぶ暗くなっていたが下の息子と散歩に出ることにしたが、生憎小雨が降り出していた。
それでも西と東の空が明るかったので出かけることにした。
大磯方面へ行って六所神社の先で折り返し、南側に出て葛川べりに沿って帰って来たが、5時半には本降りとなった。

風呂に入ろうと思って居間で一休みしていたが、もう晩飯が出来たと妻が迎えに来た。
鰹のたたき、赤い茎の菜花のお浸し、豚の生姜焼き、痘苗サラダなどがあったので「菊正純米辛口生酛」を冷で呑んだ。
妻は燗で吞み、下の息子は冷で呑んだ。
9時の真木よう子主演のBSドラマまで母の居間で動画の続きを観た。
本を読まなきゃいけないのだが、観ておかなきゃいけない動画がだんだんと増えてきて忙しい。
地上波のニュースが酷いから、本当の事を知ろうとしたら、自分で情報源を探して、世の中の動きを掴まなきゃいけないから大変だ。
新聞、雑誌、地上波といったメインストリームが、ジャーナリズムの本義を忘れ権力と化してしまい、世論誘導の具となってしまったからには、各人が目を肥やし、自分で有効な情報を見つけ、今何が起こっているのかを知り対処しなければならない。
まあ、ピンキリの情報をスクリーニングする見識・学識・カンが問われる大変な時代でもあるが、これもSNSのおかげで、知的好奇心を持った人に、これほど楽しい時代は無いだろう。

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昼は蕎麦、夜はパスタ

2020年02月22日 | Weblog
母を渋沢の施設から平塚市民病院まで連れて行って右脚の手術の経過を観てもらったが、大仕事だった。
10月にトイレで転倒してここへ運ばれた時は救急車だったので、病院の事務方に言われるままに事務処理をしたが、今回は通常の受診でルールに則りやらなきゃいけなかったがそれが良く分からなかった。
保険の制度が異なるので結構複雑なんだ。
手順を間違えていたようだが、それでも受付のオネエサンたちが文句も言わず頭を寄せて解決してくれたので、美人じゃなかったけど愛おしく感じたなあ。
近頃、看護師のオネエサンや介護師のオネエサンの良さが分かってきた。
世間に流布している通り女は顔じゃないなあと、ようやくこの年になって身に沁みて分かり、少なくとも30年前に分からなきゃいけなあかったが、女の色香に惑わされて無為に時間を過ごしたことを深く反省している。
弟が一緒に来てくれたが、あいつがいなければ酷く混乱していたなあと大いに感謝した。
渋沢に帰ってから近所の評判の蕎麦屋へ行き、弟は天婦羅、僕は鴨南蛮で十割のもり蕎麦を食べた。
ここは評判も高く遠くからやってくる人たちもいて繁盛していたが、上品な蕎麦だったが高すぎるし、香が鼻に抜ける感じがなく、実態を越えた評判が人を呼んで、自分の舌で判断できない人が評判を頼りに称賛するパターンの店かなあと感じた。
これなら伊勢原の弟の馴染みの蕎麦屋のほうが野趣がありいいなと弟と話した。

夕方、娘夫婦がやって来て2月末で初年度が終わるイナリヤト食文研の収支について話を聴いた。
たいして営業活動をやっていないので、もちろん赤字だが、娘たちがやった美術展期間中の食堂がそこそこ利益を出していたので、全体としては50万円くらいの赤字で終わりそうだ。
娘と僕が役員報酬を取っていないのでこの程度の赤字だが、金儲けを企んだわけではないものの、この活動を維持して行くには利益を少し出さなきゃいけない。
ワインを持って知り合いの業務店へ売り込みに行こうと話した。

晩飯にイナリヤトのワインとビールを持ってきて飲んだが、どれも中々いい商品で、まあそうはいっても美味いから売れるわけではなく、案内をしなきゃいけないんだが、少なくとも自分が飲んで満足できるものを取り扱うことを最低条件にしたので、その部分では満足できる初年度だった。

妻が張り切って料理を作ったが、張り切ると勢い肉料理が多くなり、コンベックを使い鶏モモ肉と豚骨付きがドバっと出てきてうんざりした。
直ぐに家庭菜園に行きリーフレタスを取ってきた。
独活の酢味噌、酢蛸、独活の皮のキンピラ、とろろ芋などは酒の肴にうってつけだったが、白ワインを飲み、最後に出て来た自家製特製ソースのスパゲティミートソースにはフォーロングとディエゴの赤を飲んだ。
その内上の息子が帰ってきて、食事をしながらワインの残りを飲み、我々は乾きものでビールを飲んだ。
ビールは11月以来久し振りに飲んだが、瓶内二次発酵なので熟成が進み風味が増していた。
ディエゴの白も久し振りだったが、アロマチックな香りが和らぎ、予想通り落ち着いたいいワインに変わったなあと思った。
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季節外れの忠臣蔵

2020年02月21日 | Weblog
朝早くから日が射して気持ちのいい春の一日だった。
朝、自転車でJA湘南まで出かけ、スティックブロッコリーと花を買った。
昨夕、娘がやって来て一緒に晩飯を喰いながら飲んだが、鮪、烏賊、サーモンなどの刺身とクラムチャウダという変な組み合わせだったので、酒にするかワインにするか迷い、酒を呑みだしたが途中で刺身に飽きるとクラムチャウダに手が伸び、そうなると酒じゃなくてワインが飲みたくなったのだが、新たに一本開けるほどでもなくコニャック、マールドブルゴーニュなどを飲んだがどうも勢いがつかず、ちびりちびり飲んだので二日酔いにならず、朝から快調で気分爽快だった。
酒を呑みながら娘と相談して、家のワイングラスが破損に拠り数が少なくなってきたので、白ワインと赤ワイン用の強化グラスを各1ダース買うことにし、書籍の整理も滞ているので書棚を3本買うことに決め、娘にネットで探してもらい発注した。
酒を呑みながら相談をし、その場で商品を探して発注出来ちゃうんだら便利なもんだ、飲酒も時間の無駄じゃなくて生産的な部分もあるってことよ。

午前中は確定申告の書類を作成してみた。
退職して2年目からは所得税を納めなくなったが、それでも消費税を納めてるてところに、この税金の特徴がある。
僕のような収入の無いものから徴収するという過酷さがある反面、収入は無いがカネを持った年寄りから税が取れるわけだ。

昼飯は妻が豚ロースを大量に買ったとかで、ロースカツを揚げることになった。
かなりの量があったので明日の朝カツ丼にして食べるのを愉しみにしていたが、遅い昼を上の息子が食べ、夕方帰って来た下の息子が食べてほぼ無くなってしまった。

プレシネで何故か季節外れの、1958年長谷川一夫主演の「忠臣蔵」をやったので観た。
初めて忠臣蔵を観たのは1964年のNHK大河ドラマの「赤穂浪士」で同じく長谷川一夫が大石内蔵助を演じた。
ドラマは1年かけてゆっくりと進んだので、この「忠臣蔵」はやけにスピーディに感じた。
この仇討というのは日本人の心に迫るものがあり、思わず何度も涙を流してしまった。
大石の仇討の大義に感じ、その行動を見逃す侍に男気を感じ、間者として送り込まれた女が大石の大義を心に秘めた澄んだ目に惚れてしまうところにもぐっときたね。
命より大切なものに賭けた男の魅力は男も女も動かすんだなあ。
「忠臣蔵」が日本人の心に深く染み入るのは何故か、その答えが書いてあるんだろうと丸谷才一の「忠臣蔵とはなにか」を随分昔に買ってあるが読んでないんだなあ。
ズルをして書評から内容を類推すると、菅原道真、曽我兄弟の系譜に連なる怨霊信仰に位置付けている。
政治的に抹殺されたものが怨霊として甦る畏れ、曽我兄弟は姉が二宮に居たので、知足寺に墓があり、もっとも伝だが、少なくとも出生地は先日観梅に行った下曽我の地であり、馴染みが深い。
先日、何方かの本で知ったのだが、江戸時代一番人気があったのが曽我兄弟であったとのことだ。
その考え方からすると西郷隆盛も同じ系譜に属する人気者だな。
丸谷才一はフレイザーやエリアーデの「死と再生」などを援用して、この系譜が島国日本に閉じられたものではなく、広く世界にあるとしているらしいが、あの時代山口昌男の文化人類学的思考が大流行だったから触発されたんだろう。
ネイションステイトが持つ歴史と伝統に根差した文化、二千年以上同じ民族と統治者が継続した国家は他にないのだから、無理に世界に開かなくとも、暗くてじめじめした日本という島国から生まれた他に類を見ない優れた独特のものだとしておいたほうが良くないかな。


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豆ご飯

2020年02月20日 | Weblog
何時もより遅く10時半ころ家を出て渋沢の母のところへ向かった。
この日も富士の姿が素晴らしく、掛かった雲が魅力的だった。
最近はこの日々異なる富士の姿が楽しみで、中井の山の中を通るコース取りをするようになったが、車が多い無味乾燥な幹線道路を通るのが如何に詰まらないかが分るねえ。
エリートコースから早いとこ降りて脇道に入り込んだが、寄り道をすのが如何に楽しかったかを知っているので、歩いていても露地があればそこが魅力的でやり過ごすことが出来ない、目的地にたどり着けばいいほうで、時に目的地など失念してしまう。
カネと地位を欲しがらないやつは扱いにくいと云われるが、その扱いにくい人間になってこその人生だなあとつくづく思っている。

ケフィアが出資法違反で逮捕されて出資したお年寄りがお困りのようだが、同じ詐欺にしてもオレオレ詐欺は被害者に同情するが、このケースはカネに対する欲が原因だから余り同情する気がしない、インフレなんだからタンス預金をしていてもカネの価値は上がるわけで、それ以上儲かるという美味い話のウソに乗っかるのは、強欲で目が眩んだだけのことだ。
一方で一所懸命働いても大した収入にならず、結婚も出来ない若い人たちのほうには同情を覚え、これはどうにかしなきゃいけないと思う。
移民法という悪法は企業経営からの要望で、低コストの人材確保がその主な狙いだが、これにより日本人の最低賃金の上昇も労働条件も抑圧される。
格差拡大の是正を掲げる傍らで、格差を煽る政策が実行されており、真っ向から反対しなきゃいけない。
主権者である国民がNOを表明するには、選挙権を行使すればいい。

何時ものように半紙が大きくそれたが、母のところではマッサージを行い、11時半に介護用品の会社の人が車椅子のソファとスロープを持ってきてくれたので駐車場で落ち合い引き取りと支払いをした。
ヴィルスの季節は外部の人の出入りに非常に厳しいのだ。
車椅子のソファというのは特殊なものだがひじょうに高く6万円もする。
だが、これを持って飛行機に乗ったらヨーロッパまでのエコノミーのロングフライトも楽だろうなあと思うほど高性能だ。

ちょっと前に妻が安かったからとスナップエンドウを一箱買って来て飽き飽きするまで食べたが、それでもまだ箱の中に皮が萎びてかなり残っていた。
安いと多量に買って来て腐らせて棄てるパターンが多く、割引と安売りに惑わされないように言っているものだから、どうにか使えないものかと考え豆ご飯を思いつき、朝から皮を剥いて昼に豆ご飯にすると張り切っていた。
塩と昆布と酒で味着けされた豆ご飯は大好物だが、豆が固かったらしく最初から炊き込んだので豆の色が悪く風味も弱かった。
それでも好物なので茶碗2杯食べてしまった。
年末から鹿児島の豆が市場に出てくるがこれは温室での促成栽培で、本来露地物のグリーンピースは5月が旬、それも比較的温度が低い群馬辺りで獲れる晩生の豆が風味抜群で豆ごはんにすると絶品だ。
まあ、その豆ご飯から比べると随分味わいは落ちるが、妻の工夫を了として褒めたら過剰に威張っていたなあ。



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