キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

浪速の恋の寅次郎

2020年01月14日 | Weblog
昨夜久し振りに我が社のワインを飲んだ。
上の息子が娘の旦那の手首の骨折の手術が無事に終わったのを祝って卵と生ハムを買って祝宴を開こうと企画した。
娘たちはラムの骨付きの胸肉を持ってきて、それに合わせてディエゴの赤とポルトガルの赤を開けたのだ。
旧友ディエゴの赤は特別気に入っている。
出しゃばらない樽の風味がボルドー系品種のボディとヴァレンシアの酸が特徴的なボバルという地場品種を見事に繫いでいて、2品種のアッサンブラージュが見事だ。
かつて軽くて味わい深いワインを二人で目指していたが、数年前に手に入れた自分のワイナリーで素晴らしい結果を出してくれた。
ポルトガルの赤はこの地区の地場品種を6種類使ったワインで、柔らかくてフルーティーなベースに、かなり複雑なスパイスが感じられるワインで、何故か周りの女性に人気がある。
こんなスパイシーなワインが女性に受けるんだと少し驚いているが、市場に出してみないとどんなタイプのワインが受けるのか分からないもんだ。
ラムの塊は妻が塩胡椒をしてローズマリーを載せてコンベックで焼いたが、途中で皆から焼き過ぎじゃないかと云われ慌てて火を落とした。
切ってみるとやや焼き過ぎていたが、しょっちゅう焼いていないと中々上手くいかないので合格点だった。
このラムの塊は以前は西友に頼んでおくか、平塚の駅ビルに地下に入っている肉屋で買ったが、今回のは二宮の肉屋にあったとかで、まあ、今は肉問屋がポーションごとにパックしたのを肉屋に配送するから、きっと何処でも大差ないんだろうけど、多くがニュージーランド産のラムだ。
前日、草を食べている牛にオメガ3脂肪酸が多いと知ったので、ラムについても牧草を食べているやつを喰いたいなあと思うが、まだそこまで細分化されていないんだろうなあ。
ラムとワインの相性については、塩胡椒で焼いたラムをそのまま食べる場合は、軽い赤が合うとされているが、この2本とも良く合っていた。
ラム特有の匂いをマスクする作用を考えるなら、スパイシーなポルトガルワインのほうがいいと思うし、今回の場合はローズマリーで匂いをマスクしていたので、エレガントでバランスのいい優等生のディエゴのワインも大いに愉しめた。

昨日は午後のプレシネが「椿三十郎」だったので、午前中に母のところへ出かけて顔を見て来た。
土日と祭日は10時から面会が出来るのだが、生憎風呂に入るとかで5分ほどしか会っている時間がなかった。
「椿三十郎」は二度目だった。
最初のほうは初めて観る場面だと思っていたが、途中から観たことがあるなあと思った。
黒澤明が巨匠と奉られているのですべての映画が優れたものだと思われがちだが、これはあまり面白くない。
椿三十郎役の三船敏郎が、藩の体制をおちょくるところに面白みがあるが、そんなに絶賛するほどのもんじゃない。

夜のプレシネは1981年の「男はつらいよ 浪速の恋の寅次郎」、松坂慶子がマドンナでとにかくこの人若い頃はすごく綺麗で観ているだけでいい気持ちになっちゃったな。
当時29歳だから女ざかり、石切の祭り場で寅が愛の水中花と看板を立てて水中花を売っていたが、この楽曲が流行ったのが1979年松坂27才の時、黒のタイツで世のエロオヤジを魅了した。
今放送されている「贋作 男はつらいよ」の舞台が石切に設定されていて、3回4回のマドンナが浜田ふみだから、この浪速の恋の寅次郎が放映されたのだろうけど、まあ理由はどうであれ、これを観るの5回目になるが松坂慶子を観られたのが嬉しい。
脇を笑福亭松鶴と芦谷雁之助が固めているのもいかにも浪花っぽくていい。

娘たちは9時ころに帰り、つまみとコニャックを持って母の居間でこころゆくまで観た。
50作中最後の2作は異質だが「男はつらいよ」48作は基本的に同じパターンが繰り返されるマンネリ作品、なのに何度観ても飽きないのは何故。
作品の出来不出来もあるし、マドンナの変化と好き嫌い、僕の好みの女優は松坂慶子、栗原小巻、大原麗子、竹下景子、いしだあゆなどだが、基本的には柴又のオジサンとさくらが日常性を代表して、旅先の寅が非日常を表しているが、異人である的屋の寅は日常と非日常を仲介する役で、そこに本来非日常の世界のマドンナが日常と非日常の場に現れる、これらの要素を山田洋次が全く同じにしないように工夫して組み合わせている。
紋切型を如何に飽きさせないかの技術を渥美清が考え抜いたってこともあるのだろう。
何れにしろ若い頃はまったく興味がなかった、というより美意識に沿わず観る気がしなかった「男はつらいよ」を、この5年間一心に観ているのは、僕の中の変化あるいは成熟が関係しているのかもしれない。

相撲は炎鵬が負けてがっかりしたが、遠藤が下手を深く取り身体を寄せて、白鳳の上手投げを3度脚を掛けて防ぎ、最後に外掛けで倒した相撲に感激した。
これだけ大きな批判を浴びても白鳳は立ち合いに張り手を出していたが、もう張り手かかちあげをやる以外に勝てなくなっているともいえる。
人種差別はいけませんと言いながら、日本人横綱を熱望し、日本人が勝つとこれだけ盛り上がるのは、心の底にある同胞に対する愛情の表れが顕在化したと観るべきで、自国民と外国人に対する気持ちが異なることを示している。
愛国心と人種差別の境目というのは曖昧のように感じるが、贔屓と差別は明らかに違うよね。
小兵の炎鵬が大型力士に勝つのを見るのは痛快でつい力が入ってしまうが、この場合相手力士が日本人だったら、人種差別の事を一切考えずに応援できるが、この大型力士が外国人だった場合は微妙になる。
でも、国籍を問わず土俵に上がることができ、成績によって横綱まで上り詰めることができるのだから、その点で日本相撲協会は開かれている。
ただし、日本国籍を持っていないと親方になれない、この点で日本相撲協会は閉じている。

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コメント
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