キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

雨のち晴れ

2020年01月09日 | Weblog
朝から雨の嫌な天気だった。
天気予報では20℃になることになっていたのだが、氷雨が気温を下げ寒い朝になった。
南風が温かい空気を吹き込んでくることになっていたが大した風も吹かず、昼過ぎから日差しが出て温かくなったものの予報通りの気温には届かなかった。
自転車で運動がてらJA湘南へ行く日課は中止して、二階のベッド脇に積んであった本の山から転げ落ちて来た西部邁の本を持って、母の居間のソファーで音楽を聴きながら読書をした。
ここ数か月、経済書ばかり読んでいたので多少飽きが来ていて、馴染み深い西部邁につい手を出してしまったわけだが、やっぱり面白い。
ちょうど2年前の今頃入水してしまったので新刊が読めないのが残念だが、野にいたのが長かったから食うために本を書きまくったので、古書を探せばまだ100冊くらいは読んでないのが出てくるはずで、100冊はちょっと大げさかもしれないが、まだまだ愉しめることは間違いない。
それに西部が引用した思想家の原典を読むとすれば、残り少ない僕の人生を手持無沙汰に過ごすことはまずない。

昼、昨日作った七草粥が未だ大量に残っていたので止む無く妻と二人で食べる事にした。
少しは変化をつけなきゃ飽きるので、餅を焼いて入れ、焼売、搾菜、ジャコ山椒、梅干し、蟹もどき玉、さつま揚げ、鰊昆布巻きなどで味に変化をつけて食べた。
元来、粥は嫌いじゃないので茶碗2杯食べ、前の日に作った中華粽の中身の飯も温めて食べた。
デザートはパテシエの友人が作ったクッキーと蜂蜜ナッツヨーグルトを緑茶と共に味わった。
これで粥と粽の中身の飯が総て片付いた、めでたしめでたし。


父と弟と3人で、父が終戦時に勤務していた鹿児島の鹿屋基地の分隊の水上飛行機基地に行ったのはついこの間の事と思っていたが、もう20年以上前のことになる。
霧島観光ホテルに宿を取り、レンタカーで国分から錦江湾に沿って鹿屋基地まで行ったのだが、国分の港に串木野のさつま揚げ屋の売店があり、そこでさつま揚げを土産に買い、以後20数年毎年盆暮にそこからさつま揚げを送ってもらっている。
去年の暮れに妻が頼み忘れ、もう年内は無理だから年明けにと一昨日贈られてきた。
そいつを持って伊勢原の弟のところに届け、そこから8㎞北の七沢まで母の見舞いに行った。
弟は3,4年前に土地を買って家を建てたが、去年の暮れに初めて行って酒を呑んだ。
場所が分ると行きやすいもので、これで3度目だ。

さつま揚げ以外にも宮崎地鶏の肉屋で鶏と酒を出していたのだが、こんな美味い地鶏があるのかと、そこで地鶏を肴に焼酎をたっぷり飲んだ。
ホテルでも売店のオバサンに見つくろってもらい先ずは部屋で1本開け、食堂でオネエチャンに違ったやつを見つくろってもらい、二晩で4種4本開けたような気がする。
父もすでに最初の脳梗塞をやっていて足が不自由だったが70前だったのでまだまだ飲めた。
このさつま揚げを食べるとその時の事が思い出されるが、水上飛行機の基地は森伊蔵の蔵の前の海岸で、今年の父の祥月命日には、さつま揚げと宮崎地鶏を肴に弟と森伊蔵で一杯やりたいねえ。

母は中国人の女の子に足の指の治療をしてもらっていた。
この子が親切で日本語も達者でじつに良くやってくれる。
人口減少による人手不足を移民で対応する方針は日本人の若者の収入を圧迫しているが、実際にこういった熱心で誠実で優しい仕事振りを見ると、ありがたいもんだなあと思う。

4時前に家に帰り、大磯方面へ散歩に出て早歩きした。
正月に無闇に飲み食いをしたので太ってしまったようで、3年前に隠居生活を始めた時に思い描いた体重は彼方に消えてしまった。
一時、今より5㎏ほど減量し体の切れも良くなったのにねえ。
問題は加齢に従い運動量が減って行くことで、その分カロリー摂取量を減らして対応しなきゃいけないんだが、加齢に従って食欲も減るよと言われていたのに一向にその気配がないところに問題があるんだなあ。
もう20年ほど前に叔父が70近くになったのに体重が減らないので蕎麦ダイエットで減量をしたが、痩せると仕事をする気力体力が無くなって駄目だと、肉をバクバク食べる元の食生活に戻した。
ところが先日会ったら痩せていたので、如何したのと訊いたら、急に食が細くなって15㎏ほど痩せたとのこと、我が家系は自然に食が細くなるのは80半ばを過ぎてかららしい。
それまで体重の事を気にせずじっと待つことにしようかね。

晩飯は妻が気がおかしくなったのか、やけにいろいろな料理を作っていた。
ブロッコリーとジャガイモと豆を電子レンジにかけ、そこへベーコンを細く切ったのをフライパンで炒め、出た油ごとかけた一品、大根と三つ葉の上に茹でた牛肉を載せ、味噌と醤油、胡麻油に刻み葱を加えたソースをかける一品、これは4年前に僕が教えたのだが、昆布を敷いた上に牡蛎を並べ青菜で蓋をし、バタをいれ、酒を振りかけて蒸し煮にする一品、海老と帆立と烏賊のスパゲティ、サバの味噌煮。
これにどこで買って来たのか助六、赤飯。
僕は目の前に目まぐるしく出てくる料理に惑わされないよう落ち着いて「大山純米」を燗にし、好きなブロッコリーを肴に飲みだし、豆を摘まみ、出て来た牛肉の温サラダを食べてみたが、これは大したことなかったなあ。
好きな稲荷寿司と海苔巻き、赤飯を肴にゆっくりと酒を呑んだ。

観るべきTV番組も無かったので、10時過ぎまで音楽を聴きながら西部邁を読み、カルロス・ゴーンの記者会見を観てみたが、あんまりバカバカしいので観ているこちらの品位が落ちるからさっさと二階へ上がり寝ることにした。
日本で裁判が行われカネの流れからその狙いが分ると一番困るのはフランス政府だから、要はこの逃亡はフランスが仕組みレバノンが協力したとみるのが妥当なんだろう。
感情的な記者会見をいくら聞いても意味がないが、事情が分からない海外メディアに対する対応は日本政府がきちんとやっておかないと従軍慰安婦のようなことになるぞ。
要するにカルロスゴーンがやったことは首切りで、外人だから日本人の血を絞ることができたわけだが、カルロス・ゴーンの功績を煽てたマスコミや経済界や御用学者は、同胞の気持ちになって物事を考えたことがあったのだろうか、大した頭脳を持ってるわけでもないのに詰まらないエリート意識で国民の上に立った気分でいるだけじゃエリートとしての義務を果たせないのじゃないか、最もカネの奴隷になった人たちの事をこの頃ではエリートと称するようだが。



コメント
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