キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

押寿司

2019年10月31日 | Weblog
昨日妻が小鯵を買ってきて酢〆にした。
今日、海老、〆鯖、小肌を買ってきて、昼に押寿司を作り、娘夫婦を呼んで喰わせるつもりで朝からやけに張り切っていた。
木製の押し型を買ってきてから二度目の挑戦だが、なかなか上手くいかない。
どこが難しいかと云えば、最後に寿司を一口に切るところで、これが鮮やかな切り口にならないのだ。
それでも出来上がるとすぐに食べてみたら、〆鯖に昆布を載せたのが一番美味く、海老と錦糸卵の組み合わせが意外によく、唯一自家製の鯵がまあまあで、錦糸卵を加えるとかなり良くなった。
小肌は酢になったものを買って来たので、大体それが美味くなかったので、当然寿司にしても駄目だった。
冬に二宮海岸に大挙して押し寄せるので、そいつを釣り上げて寿司にしたら美味いだろうなあ。
娘たちは泥さらいや漆喰を塗っていて、妻と二人とっくに寿司を喰い終わっていた1時過ぎにやってきた。

プレシネはジャック・ニコルソン主演の1981年米映画「The Border」で、メキシコ国境の警備隊の馴れ合いを描いた物語。
大体境目というのは悪がはびこるもので麻薬密売、売春、賄賂の横行で混とんとした空間になるものだが、魅力的でもある。
西部劇もメキシコ国境あたりを描いたものが多いのも同じ理由だ。

プレシネが終わって直ぐに家を出て、二宮15:06の東海道上りに乗り平塚で降りて、母の入院先の病院まで歩いた。
最初は軽快で、この分じゃ30分チョットで着いちゃうなあと思っていたが、後半が結構厳しく結局45分かかってしまった。
直前に弟が来ていて、オムツが足りなくなったので買ってくれとLINEで知らせてきたが、生憎薬屋が見つからず手ぶらで行った。
隣のベッドのオバサンが大声で同じことを繰り返し叫んでいたが、そんな中で母は寝ていた。
食事が半分しか食べられないとこぼしていたが、そのせいなのか元気がなかった。
眠たそうなので、20分ほどで退去した。
帰りはバスで平塚駅行きに乗り銀座通りで降りたが、今日もオネエサンの店は閉まっていた。

相も変わらずBOに行きゆっくりと古書を眺め、三橋貴明「経済自虐主義を排す」小学館新書2013年を買った。
無粋な帯を外して捨てたら、シンプルですっきりした本に様変わりした。
これで三橋貴明の本も5冊目ぐらいになる、10年位前から同じことを繰り返し言っているので、内容に左程新しいことは無いと思うが、5回同じことを読めばジジイの頭の中に残るだろう。
同じ本を読むのは精神的に厳しいが、デザインも手触りも異なり、切り口も違うから倦むことなく5回読めるところがいいんだよ。

もう一冊、杉田幸三「決定版 日本剣客辞典」河出文庫 2008年初版 2018年2刷を買った。
2刷に10年の月日を費やしているが、絶版にならず2刷が出たところが凄い。
買う人は少ないが、高い評価を得ているんだろうな、ちなみにこの本は初版が出る10年前の1998年に光文社文庫から「精選 日本剣客辞典」として出ているので、売れてないけどロングセラーなんだよ。
解説を含め441ページの大著で、随分多くの剣客が取り上げられているが知っている名前は5,6人だけだ。
剣豪小説にあまり興味がないが、この手の本を見かけるとつい買って手元に置きたくなる。
先が長い若者なら有用な買い物かもしれないが、この年になるとその効用は持っていることの心の豊かさにある。

紅谷町の裏道を通り、北口まで歩く。
「鳥秀」はオッサン連中で一杯だったが、ここは40年以上前、バイト先の植木屋の職人Nに連れてきてもらった。
当時棟梁と一緒にアメリカの放浪から帰ってきて、植木屋で働いていたが30歳前後だったと思う。
棟梁は亡くなってしまったが、まだ元気でいるかもしれない、もう一度ここで飲みたい。
輝かしい時代だった。

駅ビルの「サクラ書店」で新刊を眺めた。
文庫と新書を眺めるのは、この二週間で3回目なので買うものはなく、単行本の棚を眺めていたら、「ドナルド・キーン東京下町日記」東京新聞があった。
ドナルド・キーンは高校生の頃三島由紀夫を通じて知り、その後間歇的に読んでいた好きな作家で、ましてや題名に”東京下町”とあったので迷うことなく買い求めた。

家に帰り風呂に入って出てきたら娘夫婦が来ていた。
一日中家の仕事をしていたので晩飯の支度が出来ないことを慮り、夜も妻が呼んだらしい。
ミックスサラダ、クラムチャウダ、豚の骨付きカルビ、帆立刺し身、ピザジェノヴェーゼが出てきた。
フォーロングの白、ポルトガルの赤を飲み、グラッパで中だるみを引き締め、酔い覚ましにサッポロ黒ラベルを飲んだ。
それでも今日は酔っていられない、「ドナルド・キーン東京下町日記」を読まなくちゃ。


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スペイングルメフェア

2019年10月30日 | Weblog
駅で娘と待ち合わせ、二宮発9:12の東海道線登りで横浜、そこで東急東横線に乗り換え、さらに武蔵小杉で東急目黒線へ乗り換え、白金台の八芳園で開催されているスペイングルメフェアにたどり着いた。
三つの異なる試飲会を一遍にやっていて、スペインのメーカーが出ている3Fの会場へ向かい、有機ワインの造り手と商談をした。
全部で26社がブースを構えていたが、有機ワインを取り扱っているのは、ルエダ、リオハ2社、ヴィノス・デ・マドリッドの4社だった。
このくらいだと最後まで集中して試飲が出来るのでよろしい。
特にいいワインのボデガが二つあったが、やっぱり価格が高い。
良いものは高いのが当たり前だが、それが売れるには、きちんと評価して対価を払える人がいなければならない。
でも、評価できる舌を持った人も対価を払える余裕のある人も少ないんだよな。
だからどうしても選ぶときに価格の上限を考えてしまい、自分で本当にいいなあというものが仕入れられない。
大した量をやるわけじゃないから、売れなけりゃ自分で飲んじゃえばいいんだけど、それが20種類となると身体にもこたえるし懐にもこたえるわけで、慎重になっちゃうんだよね。

1Fで行われている小売店や業務店向けの会場を訪ね、久し振りに旧知のインポーターの顔を見ようと思ったのだが、ブースには配下の若い人たちがいて知人はいなかった。
3年振りに来たけど僕同様同世代の人たちは皆第一線から下がってしまったようだ。

最後に5Fで行われているプレミアムカバの試飲会では24種類並んでいたが、その内15種類以上を試したように思う。
長期熟成のものが多く、古臭のある、じつに美味いのが幾つかあり、幸せな気分に浸った。
気に入ったカバ2種を再度味わいこの日の試飲を終了したが、最後にいいやつ飲ませてくれるなんてずいぶん気の利いた試飲会だった。

白金台駅近くの中華で高菜そばを食べたが、昔風の味で懐かしかった。
30数年前に横浜中華街の敦煌で食べていた高貴な味わいではなく、敦煌なきあとその味を探し求めて食べた他の店によくある味だった。
店構えも客あしらいも昔の中華屋風で白金台とは思えなかったが、価格は白金台だったな。

来た時の逆のルートで横浜まで出て、娘と別れ、僕は東海道で茅ケ崎に途中下車、BOに寄った。
外へ出てもBOへ寄るぐらいしか行き先がないのが寂しいと思われるかもしれないが、本人至って幸せな気分なんだな。
茅ケ崎のBOはレイアウトを変えてからどうもいい本の発見がなく、今日も眺めていてあまり面白くなかった。
それでも平野貞夫「真説!小沢一郎謀殺事件 日本お聞きは救えるか?」ビジネス社2013年を買った。
平野貞夫は今年初めて読んだのだが、政治に関する事務能力、それは法律に関する理解が深く、人間観察が優れているってことなんだろうけど、いたく優れていて感心し続けて2冊読んだ気がするが、あとの本が見つからなかった。
もう少し理解するまで読んでみたいと思っていた人なので迷わず購入したわけだ。

家に帰って直ぐに風呂に入り、出てくると娘が来ていてすでに飲んでいた。
今日は29日で肉の日なので、妻が大量に肉を買うのが決まりだが、大体イベリコ豚のカットレットが晩飯のメインになる。
それに3日目のシチリアワインを合わせて飲んだが、昼にいいワインを飲んでしまったせいもあるだろう、流石に余り美味くなかったなあ。
メジマグロの刺し身には「鰊御殿」と「菊勇樽酒」。
他に野菜スープがあったが、赤ワインに合わせて息子が買い置きしてある腿肉のステーキを焼いて食べた。
そのうち妻が買い物に行くと言い出して、皆で止めたが行ってしまい、鮪の刺し身を買って来たのでそれを食べ、娘の旦那が帰って来たのでピザを焼き、ビールを開け食べたので、ひどく飲み喰いが過ぎてしまった。
娘たちは、「アナザーストーリーズ」1億創生地方交付金が終わるとともに帰って行った。
二階へ上がり、井上章一の「プロレスまみれ」を読もうと思ったが、何時もの事ではあるが知らないうちに眠っていた。

今朝6時に起きて読了したが、最後のほうはあまり新鮮な感じがなかった。
前半に心に残ったフレーズがあり、探してみたが見つからず、付箋紙が切れていたことをぼやいた。
それはTVの低俗さを見事に描いた文章であったが、要はTVは庶民の劣情を喚起する題材を求めているといった内容だ。
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二日目のワイン

2019年10月28日 | Weblog
今日は実にいい天気になった、ここの所金木犀が艶やかに匂い町中を芳香で覆っているが、二週間前にも標高の高いところで盛りを迎え香りを愉しんだ。
今回は低地での開花が一斉に始まったらしい。
だが高々50m+くらいの標高差で開花にこれほどの差が出るものなのであろうか、低温要求量が標高が高いところで満たされたと考えるのが妥当だが、果たして真相はどうなのだろう。
大学時代の友人が花卉研究をやって京都植物園長になり、今は京都府立大の客員教授をやっているが、やつに訊いてみようか、でも知ってるかなあ。

今朝は6時前に目が覚めYouTubeで討論番組を二つ視聴して7時半に起きた。
国内政治の詰まらない出来事を話していたので、国際政治の流れについての討論に替えたが、世界の流れに日本はどれだけコミットできるんだろうか、一説によれば安倍首相が日本の立ち位置を真ん中のほうに進めたというが、国内のデフレを財政出動で改善することも忘れないで欲しい。
御代が替わり自然災害が起きているが、自然をコントロールは出来ないが暗黒の平成からは人為で脱出できるのだからね。

JA湘南へ行き、カボス、花、柿、無花果を買った。
久し振りに無花果を見て買い求めたが、食べたら美味くなかったな。

昼は妻がスパゲッティミートソースにしますというので、抗うのも疲れたので大人しくいただいた。
シチリアの赤ワインが残っていたのでグラス一杯飲んでみたが、昨夜の味わいから随分と落ちていて、色気というか艶というか、そういったものが失せ痩せたものになっていた。
アールグレイを淹れて月餅を食べた。

プレシネは長尺だったので諦め、2時半まで本を読み、下の息子と3時に大磯駅で待ち合わせて母のところまで歩いた。
途中、化粧坂の裏道を歩いていたら名前を呼ばれてびっくりしたが、母の処へ来てくれているヘルパーさんだった。
母の具合を聞かれ、お見舞いを受け別れたが、彼女の家の北側が母が勤めていた新川の酒問屋の姉さんが嫁に入った家と聞いていて、僕も幼いころ呼ばれて庭の池の鯉に干し海老をやったことを覚えている。
だが場所が正確に分からず長い間もやもやした気持ちで過ごしたが、その方に確認したら、そこがそうだとのことで長年のもやもやが氷解した。

ベッドの母は元気がなかった。
食事が不味くて食べられないと数日前から言っていたが、それが原因なのかもしれない。
家にいる頃は、あれが駄目だとかこれが良いとかいろいろと我儘を言っていたので、手術も終えてほっとして我儘が出て食べられないのかとも思ったが、身体の具合が何だか変で食べられないと言っていた。
その内腹が減って食べられる様になるといいが。

平塚までバスで出てオネエサン御ところへ寄ったが締まっていた、紅谷町を歩いていたら買い物袋を提げたオネエサンにあったので、きっと早仕舞いしたのだろう。
ワインが残っているのでポンパドールでパンを買い、駅ビル地下で酒のつまみの乾きものを買った。
5階のさくら書店で電車の時間まで20分本を眺め、岡義武「近代日本の政治家」岩波文庫を買った。
伊藤博文、大隈重信、原敬、西園寺公望、犬養について書かれたもので、傑作との誉れ高いものだ。
最近現代政治経済の本ばかり読んで目先のことにとらわれているので、近代の始まりの明治期の政治家が何を思い何をしたのか読んでみることも大切だ。

家に帰って風呂に入ると、すでに晩飯が出来ていた。
秋刀魚を煮て焼いたもの、これをパンに載せて、シチリアのカタラートと共にに食べたが、実に美味かった。
きりたんぽのきりたんぽが入ってない汁、これも過剰に鶏肉、肉団子、キノコ類が入っていて、旨味成分が豊富で実に美味かった。
ネーロダーボラを合わせて飲んだ。
ネーロダーボラは痩せて落ちていたのに、カタラートは色合いも深くなり味わいも増して美味かったなあ、不思議だ。

9時前に上の息子が下りてきて、駅前の肉屋で買ったという厚切りにしたステーキ用の腿肉4枚を自分で焼いて食い始めた。
僕への反感からかワインを飲まなかった息子が、イナリヤトでワインを始めてから飲むようになり、ネーロダーボラを美味そうに合わせて飲んでいた。
ステーキをひと切れいただくと、なるほど評判通り旨味がたっぷりのいい肉で、牛肉には赤が欲しくなり、グラスにネーロダーボラを注いで喉に流し込んだ。
町の肉屋で細々とやっているようだが、どっこい品質にこだわっているんだな。

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イナリヤト第2回試飲会

2019年10月28日 | Weblog
今日は昼前にイタリアワインの試飲をするので、9時過ぎに自転車で大磯までサイクリングをした。
城山公園の直売所で胡瓜と大磯産の蒟蒻芋で作った蒟蒻を買い、「大磯うつわの日」に出店している家を訪ねたが、まだ開店前だと断られた。
既に器は展示されていて人も居るのだから見せてくれてもいいんじゃないかと思ったが、まあ横車を押すほどの事もなく素直にそうですかと帰って来た。

家に帰ると台所で妻が試飲の後で食べる鶏のつくねをフライパンで焼いていて強烈な匂いが漂っていた。
試飲の準備をしようかと思ったが、邪魔するとぶつぶつ言われるので時間まで庭の剪定をすることにした。
剪定が終わり居間で新聞を読んでいたら、娘がやって来て何だよこの臭いは試飲ができないじゃないかと、台所の窓を全開にして扇風機を回した。
妻は僕とは趣味嗜好が合わないが、人柄がよく親切心からみんなの昼の心配をしてつくね焼きと鯛と鰺の押寿司を作っていたのだが、何時もそういうのが裏目に出て、娘につくねの匂いと酢の匂いで試飲ができないじゃないかと非難されていた。
台所に行ってみると既に酢飯を作ってラップを掛けてあったので、冷め切らないうちに押寿司にして置いたほうが馴染んで美味くなると最後まで作らせた。
匂いは台所の北の窓と南の玄関を開けておいたら、割とすんなり消え去った。

試飲ワインはイタリアから送られてきたシチリアの有機ワイン6本とプロセッコ2本で、イナリヤト第2回試飲会は前回同様妻と娘の3人で行った。
シチリアのワインは白2本、フリザンテ白ロゼ、赤2本だったが、全体的に作りが雑で、そこそこの価格の割に主張がなく、赤に関しては海藻のような風味があり、海の近くで獲れたブドウを使ったのかなあと、以前コルシカのワインを飲んだ時の事を思い出した。
比較的面白かったのがフリザンテのロゼだったが、これのためだけにシチリアから輸送は出来ないしねえ。
プロセッコはメーカーの好意で、愉しんでくれと贈られたもので、3か月前試飲会場で飲んだ時と印象が違い、割と飲めるなあと思ったが、スパークリングワインとして同じ価格のカバと比べると品質の差が歴然として、イタリアンレストランに納品するなら話は別だが、どうも取り扱う気にならない。
でも、試飲の後に押寿司と一緒に呑んだらよかったので、メーカーの好意を受け止められたんじゃないか。

イナリヤト食文化研究会試飲会を11月9日土曜日に本社で11:00~15:00に予定している。
イナリヤト本社は秋葉山の山頂近くの娘の家で、歩くと最後の急な上り坂がきついんだけど、そこで販売も兼ねたイナリヤト取り扱いの有機産品、ワイン6種、ビール6種、オリーブオイルの試飲会を行うので、お近くで興味のある方はぜひ以下の連絡先までお問い合わせください。

inariyato.syokubunken@gmail.com

友人知人が10名ほど来る予定ですが、ただ飲み食いが好きで、マニヤックな不快なワイン話もしない気さくな連中なので、初めての方でもワインを1杯飲めば百年の知己となるでしょう。
そこがワインの一番いいところだよね。
試飲会の目的は、ワイン&ビールを輸入したとは聞いたが、美味いのか不味いのか分からないので飲ませろという声にお応えするもので、もし美味かったら買ってやるという話だが、大いに疑っている。
販売もしていますが、何処かの試飲会と違い買う必要はありません。
愉しんでもらうのと、どうだいとちょっと威張りたいんですね。

午後は今まではPCで作っていた名刺を外注するので、デザインをあれこれと喧嘩しながら決めていたが、長い時間の末ようやく決まった。
名刺一つ決めるのにこれだから、他は推して知るべし、娘に僕の性格が最も強く遺伝したなあ、しかも悪いところが。

夕闇が迫ったので慌てて散歩に出た。
近所を30分ほど歩いてから風呂に入り、二階に上がって「日下公人×馬淵睦夫『ようやく日本の世紀がやって来た』」を読了した。
日下公人は初めて読んだが、日本を愛している人だなあと良く分かった。
日本の優れたところを大切にして、今後その美点で世界の指導的な役割が果たせると信じているのではないか。
明け方伊藤貫の対談を久し振りで視聴したが、アメリカの言いなりになっている日本の実情を憂いていて暗い気持ちになったが、日下馬淵の話を聞いていると希望を感じる。

妻に晩飯が出来たと呼ばれ、台所へ降りたら、鱈と白菜茸スープと湯豆腐、鶏唐揚げが出来ていた。
買ったばかりのぐい吞みが使いたくて「鰊御殿」純米大吟醸と「菊勇樽酒」本醸造を妻と二人で吞んだ。
僕のぐい吞みは茶色の地味なやつだが、よく眺めると火の当たり具合で何とも言えない趣がある。
妻には緑の地に黄から茶の模様が入ったつるっとした手触りのぐい吞みを渡した。
これは本当に持った時の感触が良く、見つめると模様の世界に惹き込まれる。

鶏唐揚げを食べる段になり、試飲ワインを再び飲んでみたが、白も赤も見違えるほど良くなっていたのでびっくりして、娘に電話をしてそっちに持って行ったのを飲んでみるように言った。
白は線の細さが消え豊かなふくらみが出ていたし、赤はブーケに感じた海藻のような変なにおいが消えて、力強さと複雑さが出ていた。
若いころ粗削りで無鉄砲だったやつが、年を取って渋い大人になったって感じだ。
良い子だったエリートは、往々にして詰まらない大人になるもんだが、ワインも同じかなあ。

9時ころ上の息子が帰って来たので、引き続き一緒にワインを飲む。
10時から「怪談牡丹灯篭」の最終回があるので、母の居間へ移動して観た。
映像にすると怖ろしい感じが失せてしまい、圓朝の原作の凄さがなかったなあ。
まあ、尾野真千子を眺めてるだけで幸せだからいいんだけどね。

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大磯うつわの日

2019年10月27日 | Weblog
7時半に起きて、風呂に入り、鮭の味噌漬け、とろろ昆布汁、焼売、納豆を食べ、猫のトイレの掃除をしたり、メールをチェックしたりして、9時半に自転車でJA湘南へ向かった。
野菜がほとんどなくて、ピーマン、隠元、白菜を買った。

下の息子と共に10時52分の二宮発の上りで大磯へ行き、母の見舞いの道すがら「大磯うつわの日」の会場を7か所回った。
全部で会場は52か所あり、器の展示販売やレストラン、カフェなどが大磯の町中に散在しており、基本的に徒歩で回るので全部に顔を出すのは不可能、この日は大磯駅の東側の大磯高校付近から旧東海道辺りの展示場に立ち寄った。
最も期待していたのは、湯河原から来ている陶芸家のところで、10年ほど前に数年間通った湯河原の幕山の梅祭り会場で、おでんと燗酒を買って花見酒をやったが、その時に蜜柑を釉薬にした陶器の猪口とぐい吞みを買い求め酒盛りをするのを恒例としていた。
その陶芸家が来ているのではないかと展示された陶器を眺めたが、まったく違うタイプのもので、少しがっかりしたが、居合わせた作者にこのことを話したら、それは私の師匠の酒器で、当時私も制作の手伝いをしていたとのことだった。
師匠は荒井地肌の赤土と緑のガラス質の盛り上がりのコントラストを特徴としていたが、この作家のものは白を基調として所々に茶色のドットがある落ち着いた肌のもので、これはこれでいいものだったが、緑輝くうつわを期待していたので、使いやすそうな片口を手に取ったが結局買わなかった。

最後の訪問場所の高麗神社を出たのが1時前で、そこから花水川の遊歩道を上流に2kmほど歩き三澤亭に着いた。
先回は息子と一緒にトンカツを食べたが、今回は僕がカキフライ、息子がイタリアンカットレットをたのんだ。
カキフライは結構脂っぽかったが、イタリアンカットレットを息子が大いに気に入った。
女将と「大磯うつわの日」のマップを広げあれこれと話して2時半前に店を出た。

母の病室へ行くと、母は車椅子に座っていて、看護師にラウンジに行って話をしたらと勧められ、母に駒山を見せながら話をした。
足がかなり疲れていたので歩くのを断念し、3時過ぎのバスで平塚駅へ向かい、銀座通りで降りてオネエサンの店に寄ったが、骨董市があったとのことでパンはほとんど売り切れていてフルーツケーキを買った。
BOへ行き、辻芳樹・木村結子「美食進化論」2002年初版 2003年2刷を買った。
発売された時か古書で一度観たことがある本だったが購入しなかったと思う。
「ウインズ」に1999年から2002年にかけて掲載されたものだから、書かれた内容は20年の歳月が過ぎている。
その当時の美食の状況ってどうだったのかなあと興味があったし、辻静雄に幼いころから美食の英才教育を受けた割にはオヤジほどの影響力が無いように思い、どの程度の事を書いているのか気になった。

家に帰り、疲れていたので牛乳を飲み、フルーケーキを食べた。
昼にヴォリュームのあるものを食べ、間食をしたので腹がくちくなり、晩飯はいらないやと言って風呂に入り二階で寝ていたら、妻がやって来て、娘がビールを持って来て既に飲み始めているから来ない、と誘われ階下に降りた。
鮪ブツと納豆、モズク、サイコロの山芋が鉢に盛られ、豆とひき肉の煮込み料理が昨日買った黒い鉢に入っていた。
ヤッター、今日は晩飯造らなくていいんだと叫んでいたのに、作っていたんだなあ。
ビールを飲みながら摘まんでいるうちに、腹がこなれて来たのか食欲が出て、おから、大根煮などにも箸をつけ、銀杏を炒って昨日買ったぐい吞みで本格的に酒を呑み始めた。
やっぱり丸窯で焼いたものはいいねえ、手触りを愉しみ姿を眺め愉悦に浸った。
菊勇の樽酒本醸造と北の誉純米大吟醸をちびりちびりやったので、味わいの細部まで良く分かったなあ、酒はガブ呑みしちゃあ本質を見損なうことがあるってことだ。
でも、まだ内臓が若かったころ、鳥伊勢で大関樽の燗を湯呑に一杯一気に呑み干す美味さといったらなかった。
昨日より酒が柔らかくなっていて呑みやすくて美味かったのは、ワインと同じことか。
最後はグラッパを飲み、9時に台所から母に居間に移動し、寅次郎の少年時代のドラマを観た。
それほど面白くないが、寅ファンだからね。
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丸工房

2019年10月26日 | Weblog
昨日は夜半から雨で、ちょうど土砂降りの中、大磯陶器市に妻の車で出かけた。
西湘バイパスではワイパー全開にしても前が見えないくらいで、ハワイのスコールを思い出した。
時間にしたら10分程度の行程なので難なく着いたが、乗り降りで随分と濡れた。

目指した「丸工房」は、電気釜とマル窯で焼いていて、3年前から気に入ってぐい吞みを購入しているが、最初の年に、電気釜とマル窯で焼いたぐい吞みを一つづつ買い使ってみたら、電気釜のほうは直ぐに飽きたのに、丸窯の方のぐい吞みは趣が増して愛着が深まった。
去年はチョットいい丸窯で焼いたぐい吞みを買ったら、一個ぐい吞みを持って行ってくれとのことで電気釜で焼いたものだが籠の中から選んで頂いた。
今年は土色と椎の釉薬がかかった緑と茶色のぐい吞みを買った。
妻は椎の釉薬の片口を買ったが、縁に白が掛かった大きめの黒の鉢皿に執着していたので買ってやった。
この二つは電気釜で焼いたものだが、ここのご主人は土と釉薬の研究に余念がなく、丸窯の味わい深さに及ぶものではないが、普段使いの食器としては安価で味わいのあるものを焼いている。
今回も一つぐい吞みを持って行ってくれと云われ、マル窯で焼いた土色のをかごの中から選んで頂いた。
購入したものより窯変があり趣があるが、形状が楕円なのでプレゼント用として置いてあったのだろう。
家に帰って手に持って使ってみると、楕円になっていることは全く気にならず、趣深いなかなかいいぐい吞みだった。
妻はおからを黒の鉢に盛り、エビの刺し身を作る時に出たいわゆる味噌を片口に入れて使った。
何時割るやもしれず、こうやって直ぐに使ってみて使い心地を愉しんでおくのがいい。
今回手に入れたぐい吞み3個を使うために、母の見舞いの帰り、坂間のしまむらで北の誉「鰊御殿」純米大吟醸と菊勇酒造の「樽酒」本醸造を買って、妻と一緒に呑んだ。
器は持って触って肌合いを愉しみ、姿や色合いを眺めて愉しめるので、飽きの来ない奥行きのあるものがいい。
酒は呑んじゃえば終わるけど、器は呑んだ後にも残るから、結構高額でも気に入ったものを持つと長く愉しめるから安い、それに身体を害することもない。

大磯から帰り、昼飯はホットケーキとソーセージを焼いてアールグレイを淹れて食べた。
妻はホットケーキが嫌いなので親子丼を作って食べていた。
かくのごとく食い物の趣味も合わないのだが、昨日妻が、私たち趣味嗜好が全く合わないけどどうしようかというので、離婚するしかないかなあと言ったら、取り敢えず何も答えなかったがどう考えているのだろう。
会社勤めをしている頃は仕事一辺倒で、休みの日でも出かけたので会う時間も少なく、これほど合わないとは思わなかったが、定年後家にいて全く嗜好が違うことが分ったと言っていた。
今まで何とか一緒にいたのは、共通の飲酒の嗜好一点で繋がっていたのかもしれない。

期待していたプレシネ「鉄道員」1956年イタリア映画を観た。
素晴らしい映画だった。こういう映画を観たいんだよ。
末っ子の目から鉄道員の父親と家族を眺めているのだが、父親は鉄道事故を起こし酒浸りとなり身体を壊す、姉は未婚で妊娠し結婚するも不倫をし、兄は定職に就かず借金をして家を出る。
クリスマスの晩、家で養生をしていた父親のところに仲間が大挙してやって来て賑やかに過ごし、家族とも和解する。
その夜ベッドでギターを弾きながら眠るように息を引き取るのだが、祝祭の後に好きなことをやりながら死ねたらいいなあ。

下の息子が帰って来たので、車で母の見舞いに行く。
直前に弟夫婦が来ていたらしいが、今回は弟が高い頻度数で見舞いに来てくれているので、母も喜んでいた。
年を取ると人に大切にされていることが分るのが一番嬉しいのだ。
鉄道員のように静かにベッドの上で眠るように死にたいと本人も願っている。
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朝方見た夢

2019年10月25日 | Weblog
3時過ぎに目が覚め「日下公人×馬淵睦夫『ようやく日本の世紀がやって来た』」を読んだ。
途中から蒲池幸子の歌のほうに気を取られ、その内討論番組を聴きながら眠ってしまったようで、目が覚めたら討論番組が続いており、夢の中でも聞いていたから相当長い間聞いていたことになる。

夢は二宮の栄通商店街に、今では廃れているのだが、やけにたくさん店があり、人でごった返していた。
人の流れの先には神社のようなものがあり、何かの祭りであったのか、僕は自転車でそこへ向かい10:30に通りかかったらオジサンに呼び止められ、そういやその時間に誰かとアポがあった事を思い出した。
オジサンは僕の自転車を鮮やかな手際で分解して整備してくれ、次は自分で自転車を作るんだなと言った。
自分の体形に合った自転車を作ってもらおうかなと思っていたので、指導してくれるなら自分で作るほうがいいなあなんて思ったね。
何故か雨が降り出し、神社の裏を回るとそこは旅館で表の塀に掛けて干してあった布団がずぶぬれになっていたが、女中さんは目もくれずに家の中で立ち働いていた。
元の通りに戻ってみるとすっかり人が引いていて、オジサンも自転車もなくなっていた。
家まで電車で帰らなければならないなあとポケットのカネを探ったりしているところで目が覚めた。
人ごみの中を僕の後ろで水島聡がマイクを持ってレポートをしながら放送していたのだが、目が覚めると実際に水島聡が何か話していた。

昨日の夜から雨が降り出し風も出てきて、今日一日こんな天気が続くらしい。

昨日は妻と娘が大磯の陶器市に行ったので、一人で三角おにぎりを作り、とろろ昆布の汁で昼を食べ、プレシネを観た。
これが超長尺で4時過ぎまでやっていたが、途中で娘が帰ってきて29日のスペインワインの試飲会の申し込みをスマホでやったりで最後のほうが良く分からなくなった。
南北戦争の頃だと思うが北軍の中尉が突飛な行動で武勲を上げ論功行賞で好きな任地を選び、フロンティアを志願して、スー族の土地にある砦に一人で赴任し、スー族と交流を深め、ポ二ー族との戦闘に加わったり、あとから来た白人部隊との闘いをするが、トラブルの原因になるので部族を離れて行く。
ラヴロマンスとしては幼いころにさらわれスー族に育てられた白人女性と結ばれ、最後一緒に出て行く。
「DANCES WITH WOLVES」1990年のアメリカ映画。
僕なんかから見ると文化程度の低いアメリカ人、独自の伝統文化を持ったインディアンという構図だが、アメリカ人にとっては、独自の言語で話し、高い文化と慣習何時を持って暮らしていたインディアンを描いたことが驚きだったらしい。
そのインディアンの土地を奪い皆殺しにしたのだから、アメリカの歴史は血に塗られている。
世界各地で戦争を仕掛けるやり方はアメリカの伝統のようだが、それをトランプは止めようとしているのだから、世間が言うようなとんでもない人物ではなく、高い道徳を持った人物じゃないのかなあ。

妻と娘に母の見舞いを頼んだので、この日は病院通いを休み、久し振りに大磯方面へ散歩に出た。
公園でストレッチをしたが、思いのほか柔軟でこれまでやった効果があったようだ。

妻が陶器市で購入した角皿にコロ鯛とショゴの刺し身を盛り付けて出したので「大益」本醸造の残り猪口1杯と少々を呑み、ティーチャーズの湯割りを飲んだ。
クラムチャウダと蓮の炒め煮。
妻と下の息子は陶器市で買ったスープカップでクラムチャウダを飲んでいたが、あまり良くないねとこのカップを腐したものだから、僕のは前からあるスープ皿だった。
前夜呑み過ぎたので早々に切り上げ、観たいTVもなかったので9時前に2階へ上がり横になって本を広げたが、直ぐに眠ってしまったようだ。
気が付いたら読書灯が点いたままだったので消して寝た。
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病院から大磯駅まで歩く

2019年10月24日 | Weblog
母の退院支援の人と2時半にアポがあり、筍ご飯と鰺の刺し身、茸と茄子の汁で昼飯を食べて13時17分二宮発の東海道線で平塚へ行き、20分ほどBOで本を眺めた。
何時もYouTubeで経済について視聴している渡邊哲也の本を2冊と同じくYouTubeで知った馬淵睦夫の対談本を買った。

渡邊哲也「余命半年の中国経済」ビジネス社2015年
渡邊哲也「突き破る日本経済」徳間書店2015年

同じ年に発売された本で、このころはトランプが出てくる前で状況がどうであったのかすっかり忘れているが、その頃この人がどんな論を展開しているのかがこの2冊でおおよそ分るだろう。
ちょっと楽しみだ。

日下公人×馬淵睦夫「ようやく日本の世紀がやって来た」WAC2016年
最近の馬淵睦夫の話は殆ど分かっているつもりだが、ちょっと前にはどんな事を言っていたんだろうかと興味がある。
既にこの頃から今の考え方は固まっていたんだろうと思うが、だとすれば地道な努力を重ねているってことだなあ。

オネエサンのところに寄って弟にあげるフルーツケーキを買おうと思っていたが、時間が無くなり次回にして、駅前のバス乗り場に急いだ。
昔はバスに乗るのが苦手で、会社によって運賃支払いの段取りが違いまごつくのが嫌だったが、今はSUICAがあればすべて事足りるから、精神的なストレスなく乗れるのでバスの旅が楽しめる。
平塚駅北口3番乗り場から、北へ向かい紅谷町を左折して、オネエサンの店の前を通り、巴焼のオジサンの店の前を通り、新豊田道を右折して北へ向かい、平農の前を通り市民病院までの20分の旅だったが、よく歩いた道をバスの高さから眺めると異なって見えて面白かった。

病室へ向かうと弟がいて、母と3人で話をしていたら、リハビリの人がやって来て母を車椅子に載せてリハビリ室まで連れて行った。
母が倒れた時に床から車椅子まで持ち上げるのに往生したが、コツがあるらしく、この女性躊躇せずにベッドから車椅子に移動をさせたが、やっぱり重くて最後のところは弟と二人で手伝った。
そうこうしているうちに約束の時間が迫り、1階の支援室まで下りたが、その前に入院費免除の書類を窓口に提示した。
日本の皆保険と医療費免除の社会福祉は世界で一番整っているんだろうと、こういったところで実感する。
支援室の方と面談をしたが、要は平塚市民病院は救急医療が中心で十分なリハビリが出来ないために、リハビリ専門病院へ移動する段取りを取り決めた。
骨折した足に体重を掛けられるのが1か月後くらいなので、そのタイミングで病院を移動するのが回復効率が良く、可能性のある4つの病院を紹介されたが、評判のいい鶴巻温泉病院をお願いした。
他の病院に比べて費用が高いのが欠点らしいが、いい治療師が揃っているとの噂だ。
そこには最大で3か月居られるとのことで、その間に車椅子から便器への移乗出来るようになるのが望みだ。
母は老人介護施設に入れられることを恐れていて、どうにか家で暮らしたいと、かなり足に麻痺があっても器具に掴まって必死に自分一人で移乗をやって来たが、骨折の時には便器から立ち上がる時に前に転倒してしまった。
手を添えてやればいいのだが、そうすると一人で移乗が出来なくなり、トイレの度に介添えが必要なので、24時間介護となり家での対応は困難だ。
オムツをやっていればいいのだが、そうなると刺激がなく頭のほうがだんだんぼけてきて寝たきりになってしまうので、生きている意味が無いと本人も恐れている。

帰りは車で来ていた弟と玄関先で別れ、平塚大橋を渡り要川沿いの遊歩道を下流に歩いた。
夕方近くになっていたので近所のオジサンが散歩に来ていたり、オネエチャンがジョギングをしたりでかなり賑わっていた。
高麗神社の前を通り、旧東海道を東へ向かい1時間ちょっとで大磯駅に着いた。

5時過ぎに家に帰ると下の息子がすでに帰っていて、娘夫婦もこの日一日壁に漆喰を塗っていたので、妻が晩飯に招待したらしく、コロ鯛を1尾買い刺身用に卸してもらい、牡蠣を大量に仕入れていてフライにするという、結局フライは串カツ、ヒレカツ、ピーマン、玉葱などが加わり物凄い量になったのだが、それを最終的に全部食べてしまったから、我が家は皆さんデブルわけだ。
僕は風呂から上がり、サッポロ黒ラベルを乾きものを肴に飲み始め、フライが揚がってくるとディエゴの鳥を飲み、カバを開けて飲んだ。
その内コロ鯛の刺身が出てきたので、娘たちが持ってきた群馬の「大盛」本醸造を開けて呑んだ。
喰い過ぎ飲み過ぎで口に入れるものが不味くなったので、気分をスッキリさせるために再びサッポロ黒ラベルで口を漱ぎ、最後はビフィータージン、グラッパを飲んで10時過ぎにお開きにした。

二階に上がり読書を試みたが酔いが回っていて眠ってしまったようだ。
それでも2時前に目を覚まし「全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室【戦略編】」を読み始め4時前に読了した。
この本は名著だ。
一般の人にも解りやすく経済と政治の流れを解説しているので、20万人ぐらいの人が読んだら、世の中の流れが変わるかもしれない。

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期せずしてタピオカを食す

2019年10月23日 | Weblog
台風が連続的に発生して関東近くへやって来ているようで、昨日の台風が変化した熱帯低気圧の風の強さに驚いた。
昼に鮭の粕漬と四方竹ご飯、柿を食べて、下の息子と一緒に東海道線で大磯まで行き、そこから母の病院まで歩いたが、駒山の東側山すそを回る道を歩いているときに吹き飛ばれそうな強い北風が吹きまくった。
花水川の遊歩道に出てからは、桜並木に風が遮られたのか弱くなったが、朝の内降っていた雨が止んだので歩けたが、風雨にやられたらとても歩けるもんじゃなかった。
それでも遊歩道にはジョギングをする人や、サイクリングロードにもなっているので自転車に乗った人が多く行き来していた。
日本人の健康志向は、このくらいの風に左右されるような軟なものではないんだなあ。

前回は月京のマサから歩いたので2時間かかったが、今回は大磯駅からだったので1時間ちょっとで病院に着いた。
母のベッドには弟の家族が来ていて、まだ同居している三女も見舞いに来てくれていた。
この姪は姉さん二人より背が高く1m74㎝あり小顔なのですらっとしている。
この春大学を出てファッション関係の仕事についたのだが、1月に卒業祝いに横浜で飲んだ時より格段に大人ぽくなっていた。
やっぱり仕事は人を成長させる。
母は手術後牽引が無くなり楽になったのか急に元気になった。
30分ほどいて平塚駅まで歩いて帰ることにし、前回とは違うルート、総合公園の東側、パイロット、不二家などの工場があるところを通って西口に向かった。

オネエサンのところへ寄ったが、こんな天気だったのであまり焼かなかったとのことで品数がなく、鴬あんパンと粒あんパンを買った。
BOへ回り、江口雄輔「久生十蘭」白水社 1994年を買った。
天に埃が紙魚になった経年劣化はあるものの、きっとこれは新古書だと思う、中がやけに綺麗だ。
久生十蘭は名前が変っていて魅力的だったので、見かけると買い求めていたが、真っ当に読んだ本はまだ1冊もない。
この10年で河出文庫で作品集が10冊近く連続的に出て、数年前に岩波文庫で作品集が出た。
これだけ文庫が出るんだからきっと面白くて人気があるのだろう。
多作な人で多彩な分野の小説を書いているので全く全容が掴めないが、この評伝を読めば朧げな概要が把握できるような気がした。

BOの隣に美味い珈琲屋があり、疲れたので少し休むことにして入ったが、別の店に変わっていた。
オネエチャンに珈琲無いのと聞いたら、無いと不愛想に応えたが、どうも中国人らしい。
値段も高く止めようかと思ったが、疲れて座って休むことが目的だったので、アイスティーをたのんだで椅子に座った。
プラスティックカップにぶっといストローがついて出てきたのを飲んだら、何だかぶつぶつするものが
口に入ってきた。
変わったアイスティーだと思っていたら、このぶつぶつしていたのはタピオカで、オネエチャンに訊いたら、この店は「台湾 タピオカ専門店 37.2」で、店長は台湾人とのことだった。
ちなみに相手をしてくれたオネエチャンは四川省出身の中国人だった。
見ていると女子高生らしき人達がやって来てはテイクアウトして行く、タピオカが流行っていると噂で聞いていたし、台湾に行った時にもこの類の店を良く観たので、今自分がいる場所が何処なのかようやく認識した。
タピオカは香港の中華料理店でデザートとして小豆とココナッツミルクに入っているのが美味いのでよく食べたが、これはたいして美味くないなあと思った。
珈琲屋が紅茶屋に変わったと誤解したので、アイスティーをたのんだが、小豆とココナッツミルクのチョイスもあったのかもしれない。
息子と二人で吃驚したなあ、たいして美味くもなかったが、”流行りのものに飛びつくな”をモットーとしているので、流行ものに遭遇するなんて滅多になく、いい経験になったし”名物に美味い物なし”と言われるが“流行ものに美味いものなし”だなと分かった。

妻が欲しがっていた押寿司の木型を探しに紅谷町まで行き、2軒目で探し当て購入した。
さぞや妻が喜ぶだろうと思ったが、第一声は「もっと小さいの無かったの」という意外な言葉で、何でも過剰を好む妻とは思えない反応だった。

昼に四方竹ご飯とカレーという訳が分からない組み合わせのものを作り、息子と娘の旦那はカレーを、娘と妻は筍ご飯+カレー、僕は筍ご飯を食べたのだが、夕刻家に帰っても妻が満腹のため晩飯の支度をする気配がなく、鰺の刺身を切っただけで母の居間へ移動しTVを観だしてしまった。
温かいものが欲しいので、鍋にあった出し汁に、シメジ、舞茸、豚肩ロース、茄子を入れて、薄口醤油と塩で味を調え、最後に片栗粉でとろみをつけた。
変わった名前の鯵は一晩おいたほうが美味かった。
茸と茄子の汁もかなりいい出来栄えで美味かったな。
ティーチャーズの湯割り、ディエゴの赤ワイン鳥、シャトーボーロンXO、グラッパと飲んだのですっかりいい調子になってしまった。
鳥はこれで4本目くらいだが、慣れてくるとさらにいいワインだ。
10年ほど前にフルビオのスキオペッティーノに淫したことがあるが、同じパターンを踏襲するかもしれない。

日本シリーズは巨人が全然だめで途中から観るのをやめ、うたコンの原田知世を期待して観ていたが、歌はもう酷いもので、ようやく歌った感じでがっかりだった。
若く見えてじつに綺麗だがやっぱり年だし、歌も歌ってないから期待するほうがいけないんだろうなあ。

「アナザーストーリーズ」は北斗の拳で、残念ながらこの漫画を読んだことがなかったが、面白く観た。唯一の接点は、去年スペインへサマーヴァカンスに行った折、友人の浜辺の別荘で若い弁護士に会い、こいつが北斗の拳のファンで「お前はもう死んでいる」という台詞を、本物の日本人が喋るのを聴きたいとせがまれ、マイクに向かって喋ってやったら、すごく感動していた。

その後「プロフェッショナル」で島観光ホテルの女性シェフをやっていたので観てしまった。
二代前の高橋シェフとは接点があり、知人の会社がここの伊勢海老スープを缶詰にして販売していた。
伊勢の海産物である伊勢海老、黒鮑、車海老と松坂牛があり食材には恵まれているが、逆に料理がその食材に規定されてしまう難しさがある。
この女性シェフも天然車海老で四苦八苦していた。

酔眼で「全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室【戦略編】」を読んだが、この本は実にいい。
でも内容は三橋TVで高家望愛の質問に答える形で持論を展開している内容とほぼ同じなので、カネが無ければYouTubeで無料視聴すればいい。
それにレースクイーンの高家望愛が肉体美はツーピースの下に隠しているが、可愛いからそっちを観ながら中野の高説を賜るのも悪くない。
主流経済学の牙城は間違っていても、それを崩せない現状に一矢報いるには、”全国民が読んだら”と題名にあるように、数で風穴を開けるしかない。
令和が時代の変わり目だとしたら、経済成長をせず、デフレに苦しんだ暗黒の平成にさよならが出来るかもしれない。

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無事手術が終わり

2019年10月22日 | Weblog
時々インスタントラーメンを喰いたくなるが、昨日は早めに昼を済ませて病院へ1時までにいかなければならず、絶好の機会で12時を過ぎたところで台所へ降り、鍋に水を入れて火にかけた。
サッポロ一番塩ラーメンにキャベツと卵を入れて食べる予定だったが、サッポロ一番の塩がなく醤油だったので、他を当たってみたら出前一丁醤油ラーメンが出てきた。
今から40年近く前、このラーメンを輸出するというので随分研究をした思い出があり、食べてみたくなって、キャベツ、ピーマン、卵を入れて作った。
胡麻油のラー油がついていたので入れたが、味が濃く脂っぽくて好みじゃなかった。
麺は細麺で進化していたようだが、40年前に比べて塩と脂が多くなっていて、現在の日本の食の問題をそのまま現しているようだなあと感じた。

妻に送られて平塚市民病院へ着いたのが1時過ぎ、既に弟が病室で母の脚を揉んでいた。
看護師の女性が手術までの段取りを説明してくれ、薬剤師が薬についての説明をし、退院支援の人が打ち合わせの時間を調整したりで2時になり、手術室迄ベッドで搬送されるのに付き添い、その後5時までラウンジで弟と話をしながら待った。
20年も前にインフォームドコンセントという言葉が流行り、医者から説明を病人側にするべきだとなってから久しいが、各担当部門から説明を受け状況把握が分かりやすくなった。
ただし、医療ミスの訴訟が多くなり、医療側が委縮して免責のためにわずかな危険性についても説明をするので過剰な感じもする。
弟は野鳥と植物図鑑を持ってきていたが、野鳥の会にくっついて野鳥観察をしているらしく、丹沢あたりから酒匂川辺りまで出かけているようだ。
残念なことに翡翠を観たことがなく、プリンスホテル下から水生公園までの葛川べりを歩けば、かなり高い確率で観られることを教えた。
何時もは酒を呑みながら話すことが多いのだが、素面で長時間話したのは久し振りだった。
5時過ぎ担当の女医がレントゲン写真を持ってやって来て手術の内容を説明し、今後の予定と危険性について話をしてくれた。
骨がだいぶ弱くなっていたらしい、また手術と関係なく90歳なのでいつ心肺停止になるか分からず、その場合の対処について確認されたが、法定の対応処置だけで無駄に延命をしてほしくない旨を伝えた。
家に居なくなっただけで寂しいが、もう十分生きてくれたので、少し延命をするために苦しむ延命処置は避けたい。

弟の車で送ってもらい、6時に家に帰り着いた。
手術が無事終わったのでほっとし、ビールをすぐに飲み始め、妻が買って来たメッキ鰺のような珍しい鰺の刺し身を食べた。
シマ鯵に似ているんじゃないかとの魚屋の話だったらしいが、確かに男節は似ていなくもなかったが奇妙な味だった。
鳥の胸肉と野菜のクリーム煮、小松菜と油揚げの煮物を肴に、ティーチャーズのソーダ割を飲み、乾きものでさらに杯を重ね、最後は弟の嫁さんかもらったチョコレートケーキに合わせ、セラーからボーロンXOを出してきて封を切った。
このボーロンは今まで飲んだ中では最高のコニャックで、とくにこのXOは素晴らしい。
後から台所にやって来た下の息子が、外からでも馥郁たる香りが漂っていたと驚いていたくらいだから、このコニャックの力がお分かりいただけるだろう。
フルーツケーキ、マンゴケーキと続けて試してみたが、チョコレートケーキとの相性が一番良かった。

9時から母の居間に移動してプレシネを観たが、コニャックの飲み過ぎてほとんど居眠りをしていたようで、気が付いたらいつの間にか終わっていた。
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