昨日妻が小鯵を買ってきて酢〆にした。
今日、海老、〆鯖、小肌を買ってきて、昼に押寿司を作り、娘夫婦を呼んで喰わせるつもりで朝からやけに張り切っていた。
木製の押し型を買ってきてから二度目の挑戦だが、なかなか上手くいかない。
どこが難しいかと云えば、最後に寿司を一口に切るところで、これが鮮やかな切り口にならないのだ。
それでも出来上がるとすぐに食べてみたら、〆鯖に昆布を載せたのが一番美味く、海老と錦糸卵の組み合わせが意外によく、唯一自家製の鯵がまあまあで、錦糸卵を加えるとかなり良くなった。
小肌は酢になったものを買って来たので、大体それが美味くなかったので、当然寿司にしても駄目だった。
冬に二宮海岸に大挙して押し寄せるので、そいつを釣り上げて寿司にしたら美味いだろうなあ。
娘たちは泥さらいや漆喰を塗っていて、妻と二人とっくに寿司を喰い終わっていた1時過ぎにやってきた。
プレシネはジャック・ニコルソン主演の1981年米映画「The Border」で、メキシコ国境の警備隊の馴れ合いを描いた物語。
大体境目というのは悪がはびこるもので麻薬密売、売春、賄賂の横行で混とんとした空間になるものだが、魅力的でもある。
西部劇もメキシコ国境あたりを描いたものが多いのも同じ理由だ。
プレシネが終わって直ぐに家を出て、二宮15:06の東海道上りに乗り平塚で降りて、母の入院先の病院まで歩いた。
最初は軽快で、この分じゃ30分チョットで着いちゃうなあと思っていたが、後半が結構厳しく結局45分かかってしまった。
直前に弟が来ていて、オムツが足りなくなったので買ってくれとLINEで知らせてきたが、生憎薬屋が見つからず手ぶらで行った。
隣のベッドのオバサンが大声で同じことを繰り返し叫んでいたが、そんな中で母は寝ていた。
食事が半分しか食べられないとこぼしていたが、そのせいなのか元気がなかった。
眠たそうなので、20分ほどで退去した。
帰りはバスで平塚駅行きに乗り銀座通りで降りたが、今日もオネエサンの店は閉まっていた。
相も変わらずBOに行きゆっくりと古書を眺め、三橋貴明「経済自虐主義を排す」小学館新書2013年を買った。
無粋な帯を外して捨てたら、シンプルですっきりした本に様変わりした。
これで三橋貴明の本も5冊目ぐらいになる、10年位前から同じことを繰り返し言っているので、内容に左程新しいことは無いと思うが、5回同じことを読めばジジイの頭の中に残るだろう。
同じ本を読むのは精神的に厳しいが、デザインも手触りも異なり、切り口も違うから倦むことなく5回読めるところがいいんだよ。
もう一冊、杉田幸三「決定版 日本剣客辞典」河出文庫 2008年初版 2018年2刷を買った。
2刷に10年の月日を費やしているが、絶版にならず2刷が出たところが凄い。
買う人は少ないが、高い評価を得ているんだろうな、ちなみにこの本は初版が出る10年前の1998年に光文社文庫から「精選 日本剣客辞典」として出ているので、売れてないけどロングセラーなんだよ。
解説を含め441ページの大著で、随分多くの剣客が取り上げられているが知っている名前は5,6人だけだ。
剣豪小説にあまり興味がないが、この手の本を見かけるとつい買って手元に置きたくなる。
先が長い若者なら有用な買い物かもしれないが、この年になるとその効用は持っていることの心の豊かさにある。
紅谷町の裏道を通り、北口まで歩く。
「鳥秀」はオッサン連中で一杯だったが、ここは40年以上前、バイト先の植木屋の職人Nに連れてきてもらった。
当時棟梁と一緒にアメリカの放浪から帰ってきて、植木屋で働いていたが30歳前後だったと思う。
棟梁は亡くなってしまったが、まだ元気でいるかもしれない、もう一度ここで飲みたい。
輝かしい時代だった。
駅ビルの「サクラ書店」で新刊を眺めた。
文庫と新書を眺めるのは、この二週間で3回目なので買うものはなく、単行本の棚を眺めていたら、「ドナルド・キーン東京下町日記」東京新聞があった。
ドナルド・キーンは高校生の頃三島由紀夫を通じて知り、その後間歇的に読んでいた好きな作家で、ましてや題名に”東京下町”とあったので迷うことなく買い求めた。
家に帰り風呂に入って出てきたら娘夫婦が来ていた。
一日中家の仕事をしていたので晩飯の支度が出来ないことを慮り、夜も妻が呼んだらしい。
ミックスサラダ、クラムチャウダ、豚の骨付きカルビ、帆立刺し身、ピザジェノヴェーゼが出てきた。
フォーロングの白、ポルトガルの赤を飲み、グラッパで中だるみを引き締め、酔い覚ましにサッポロ黒ラベルを飲んだ。
それでも今日は酔っていられない、「ドナルド・キーン東京下町日記」を読まなくちゃ。
今日、海老、〆鯖、小肌を買ってきて、昼に押寿司を作り、娘夫婦を呼んで喰わせるつもりで朝からやけに張り切っていた。
木製の押し型を買ってきてから二度目の挑戦だが、なかなか上手くいかない。
どこが難しいかと云えば、最後に寿司を一口に切るところで、これが鮮やかな切り口にならないのだ。
それでも出来上がるとすぐに食べてみたら、〆鯖に昆布を載せたのが一番美味く、海老と錦糸卵の組み合わせが意外によく、唯一自家製の鯵がまあまあで、錦糸卵を加えるとかなり良くなった。
小肌は酢になったものを買って来たので、大体それが美味くなかったので、当然寿司にしても駄目だった。
冬に二宮海岸に大挙して押し寄せるので、そいつを釣り上げて寿司にしたら美味いだろうなあ。
娘たちは泥さらいや漆喰を塗っていて、妻と二人とっくに寿司を喰い終わっていた1時過ぎにやってきた。
プレシネはジャック・ニコルソン主演の1981年米映画「The Border」で、メキシコ国境の警備隊の馴れ合いを描いた物語。
大体境目というのは悪がはびこるもので麻薬密売、売春、賄賂の横行で混とんとした空間になるものだが、魅力的でもある。
西部劇もメキシコ国境あたりを描いたものが多いのも同じ理由だ。
プレシネが終わって直ぐに家を出て、二宮15:06の東海道上りに乗り平塚で降りて、母の入院先の病院まで歩いた。
最初は軽快で、この分じゃ30分チョットで着いちゃうなあと思っていたが、後半が結構厳しく結局45分かかってしまった。
直前に弟が来ていて、オムツが足りなくなったので買ってくれとLINEで知らせてきたが、生憎薬屋が見つからず手ぶらで行った。
隣のベッドのオバサンが大声で同じことを繰り返し叫んでいたが、そんな中で母は寝ていた。
食事が半分しか食べられないとこぼしていたが、そのせいなのか元気がなかった。
眠たそうなので、20分ほどで退去した。
帰りはバスで平塚駅行きに乗り銀座通りで降りたが、今日もオネエサンの店は閉まっていた。
相も変わらずBOに行きゆっくりと古書を眺め、三橋貴明「経済自虐主義を排す」小学館新書2013年を買った。
無粋な帯を外して捨てたら、シンプルですっきりした本に様変わりした。
これで三橋貴明の本も5冊目ぐらいになる、10年位前から同じことを繰り返し言っているので、内容に左程新しいことは無いと思うが、5回同じことを読めばジジイの頭の中に残るだろう。
同じ本を読むのは精神的に厳しいが、デザインも手触りも異なり、切り口も違うから倦むことなく5回読めるところがいいんだよ。
もう一冊、杉田幸三「決定版 日本剣客辞典」河出文庫 2008年初版 2018年2刷を買った。
2刷に10年の月日を費やしているが、絶版にならず2刷が出たところが凄い。
買う人は少ないが、高い評価を得ているんだろうな、ちなみにこの本は初版が出る10年前の1998年に光文社文庫から「精選 日本剣客辞典」として出ているので、売れてないけどロングセラーなんだよ。
解説を含め441ページの大著で、随分多くの剣客が取り上げられているが知っている名前は5,6人だけだ。
剣豪小説にあまり興味がないが、この手の本を見かけるとつい買って手元に置きたくなる。
先が長い若者なら有用な買い物かもしれないが、この年になるとその効用は持っていることの心の豊かさにある。
紅谷町の裏道を通り、北口まで歩く。
「鳥秀」はオッサン連中で一杯だったが、ここは40年以上前、バイト先の植木屋の職人Nに連れてきてもらった。
当時棟梁と一緒にアメリカの放浪から帰ってきて、植木屋で働いていたが30歳前後だったと思う。
棟梁は亡くなってしまったが、まだ元気でいるかもしれない、もう一度ここで飲みたい。
輝かしい時代だった。
駅ビルの「サクラ書店」で新刊を眺めた。
文庫と新書を眺めるのは、この二週間で3回目なので買うものはなく、単行本の棚を眺めていたら、「ドナルド・キーン東京下町日記」東京新聞があった。
ドナルド・キーンは高校生の頃三島由紀夫を通じて知り、その後間歇的に読んでいた好きな作家で、ましてや題名に”東京下町”とあったので迷うことなく買い求めた。
家に帰り風呂に入って出てきたら娘夫婦が来ていた。
一日中家の仕事をしていたので晩飯の支度が出来ないことを慮り、夜も妻が呼んだらしい。
ミックスサラダ、クラムチャウダ、豚の骨付きカルビ、帆立刺し身、ピザジェノヴェーゼが出てきた。
フォーロングの白、ポルトガルの赤を飲み、グラッパで中だるみを引き締め、酔い覚ましにサッポロ黒ラベルを飲んだ。
それでも今日は酔っていられない、「ドナルド・キーン東京下町日記」を読まなくちゃ。