キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

冬の大根

2022年12月31日 | Weblog
昨夜はかなり強い誘惑にかられたが最後までアルコールを体内に入れずに読書をして零時前には眠りについた。
それゆえ3時前には目が覚めてしまったが、寝ながら聴いていた中森明菜の音源のPCが明るかったので、そいつを閉じて目をつぶったら上手く寝られ、次に目が覚めたら5時半だった。
浜崎洋介の本を開いて1時間読んでから階下に降りた。

昨夜、ストーブに当たりながら、下処理してあった大根と油揚げを京都のお寺でやるように薄い醤油味で煮ておいたが、僕が寝た後、妻がさらに練り物を入れたらしく、品数の少ないおでんのようになっていた。
大根と油揚げと練り物を食べてみたが、直径が十数センチある大きな大根で、風呂吹き大根で食べた時にも美味かったが、これも実に美味かった。
塩鯖を焼き、この鯖は特大で大きければ大きいほど美味いが、ひじょうに美味かった。
シメジと豆腐の味噌汁、白菜漬けで朝飯を食べた。

チョット前まで西島三重子を狂ったように聴いていたが、何故か日野美歌を経由して中森明菜を聴いている。
結構CDを入手したが、30代になって発売したCDは販売数が少ないために入手が困難か非常に高い。
多くのファンは中森明菜が絶頂期に聴いていた人たちで、どうしてもその頃の録音を求めるから、当然需要もあり再発売されていて入手しやすくしかも廉価だ。
当時は歌をあまり聴かなかったし、偶にTVで見かけた中森明菜は随分かっこつけたオネエチャンだなと思った程度で聴きたいとも思わなかった。
思春期には歌が無いと生きていられないが、ジジイになってまた歌が無いと生きている気がしないようになるとは思わなかった。
先日、中国の少数民族に伝わる歌垣を観たが、歌は世界に共通して思春期の恋心を伝える手段となっていて日本ではその風習は廃れたが、本能は依然生きているわけだ。
年取ってからの歌は何のためなんだろう?
ちなみに今一番気に入っている楽曲は「I Missed "The Shock"」でこれを作った福地久美子ってどんな人だろうと思って調べてみた。
あまり情報はないがロッカーでコアなファンがいるらしい。

今日も2階の書斎兼寝室の掃除から始めたが、冷暖房機の内部を見たら酷い埃でフィルターなんか綿埃で一面覆われていてメッシュが見えなかった。
これをブラシのような箒で綺麗さっぱりと落としたら、1階の同じ型の冷暖房機が気になり、フィルターを見ると、もっと濃い色の埃が厚くこびりついていて、これを綺麗さっぱりと落とした。
思えば10数年前に買って以来両機ともフィルターの掃除をしていなかった。
一度1階に降りてしまうと2階の掃除が行き詰っているので、戻る気にならず、8畳の鴨居の上の柱や横に渡した梁の磨き掃除を始めた。
というのも40年前にこの家を建てた時に、大工が頭領としての初仕事で材木屋も乗ってバンバン良い材料を持って来たので、檜には節が無い。
一休みして椅子に座り部屋を下から眺めてみたら、母がお茶の教室のために建てたから細部にも工夫があり、実に良く出来ていてしかも美しい。
となると天井が気になり、固く絞った雑巾で拭きだしたらこれが結構大変で、昼飯を挟んで夕方までかかってしまった。
もちろん途中で度々休んだけどね。

昼前に南安曇野の友人から蕎麦が届いた。
今年の新そばから新たな試みをして去年よりかなり美味くなったとのことで期待したい。

昼飯は先日買った吉田工業の中華鍋を使う絶好な機会で、妻が白菜、人参、豚ひき肉が入った味噌ラーメンを作った。
使い勝手がいいからスピード感を持って作ったのかと思ったら、やや麵が延び気味だった。
それでも味わいは良かったので、多少道具に拠るメリットがあったんじゃないかな。

散歩に出ようとしたら妻が地主に地代を払いに行くと云うので出鼻を挫かれたが、蜜柑をもらってきたので一つ食べてから4時半に出かけた。
ここは昭和3年に祖父が平塚の在から二宮秦野間の軽便鉄道の経営をやるために出てきたとき、農作業をやっていた人に声をかけて借り家を建てたのが始まりで、それ以来ずっと借りっぱなしなんだけど、買っておいてくれりゃあ良かったのに、当時は土地に対する意識が今と違い買うなんて考えもしなかったらしい。
それに武士の家の精神が残っていたので、仕事は人のためにやることでカネもうけなど考えなかったため、鉄道経営も上手くいかず晩年はビンボーで素浪人のような生活だった。

家に帰ってきて「レコード大賞」を観ていたら風呂に入る機会を失い、晩飯が出来たと云われた。
「レコード大賞」に出てきた歌手で知っている人がいなかった。
最近の歌は良いのが無いと思っていたが、幾つかはいい曲があった。
でも、改めて聴きたいと思うほどではなかったな。
鮪の刺身を買ってきたので一本漬けてと妻に云われ、吞まないつもりが呑み始めてしまい、菜花の山葵和え、おでん、塩豆、おかきなどを肴に、ティーチャーズに替えて歌番組を観ながら零時頃まで飲み続けてしまった。

呑みながらも数日前に買った巨大な大根をトリミングしてストーブの上で飯を少し入れて水煮にした。
要はこれに味噌タレを付ければ風呂吹き大根になるが、味を付けて煮ても美味い。
大鍋を使ったが、今までの大根の2倍の容積があったのであふれ出そうだった。

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今年も終わる

2022年12月30日 | Weblog
気が付いてみれば29日だ、妻は肉の日だからヤオマサに走るだろう。
ここのところ二宮プレミアム商品券を使って、生協へ一番乗りして割引商品を買うのを楽しみにしているが、果たして今日はどっちに行くんだろう。
結局、買い過ぎて腐らせるか、肉ばかリ入ったバランスの悪い料理にウンザリさせられるが、これは趣味だからしょうがない。
金持ちの奥様が万引きを趣味にしているのと同じで、現象面だけを考えて止めさせたらほかのところに出るから、本質的な心の問題を突き止めて治さなきぇりゃいけない。
でも、万引きは犯罪だが、割引商品を喜々として買いあさるのは趣味の範囲を越えないから、結局、高いものを買わされているのと不味い料理を我慢すれば済むことで、男の趣味に比べたら安上がりだ。

今朝は7時前に起きて、昨夜の残りの牡蠣フライを卵とじにして炊き立ての飯の上に載せて喰ったが美味かった。
味噌汁も昨夜の残りの豚汁に、味噌が煮詰まるが嫌で、出汁を加え葱を入れたのが良かった。
白菜の漬物は残り少なくなっている、2玉漬けたが最近の寒さのせいで酸っぱくならない 。

9時過ぎまで書類を読んでいたが、再三妻に邪魔されて頭にきた。
昨日遅れたので10分になったところでJA湘南へ向かった。
20分過ぎに着いたが、オバサンが2人並んでいただけで、荷物も少なくてはぐらされた感じだった。
レンコン、白菜、菜花、赤芋を買った。

今年は母が亡くなったので正月飾りも餅つきもやらないが、酒は呑むので煮〆だけは妻に作ってとお願いした。
若い頃は煮〆なんて何で作るんだろうと思っていたが、年を取るとこれさえあれば酒が呑めるようになった。
椎茸、筍、蓮、人参、蒟蒻、牛蒡、里芋、焼豆腐、昆布を摘まみながら、終日ゆっくりと酒を呑むのが正月らしい。
酒は火鉢に鉄瓶を置いて、そこに徳利をつけて好みの温度に調節しながら、日がな一日呑んでは横になり起きては吞みたい。
煮〆のほかに紅白の蒲鉾、ごまめ、黒豆、きんとんなどの縁起物があり、口を替えて吞み続ける。
出来れば酌をしてくれる髱が欲しいがビンボーだから諦めよう。

風呂釜が大分汚れていて燃焼するときにガタガタと変な音がするので薬剤で洗浄したが、それを待つ時間、腰かけや洗面器などのプラスシック製品を漬け置きして洗った。
積年の汚れで一筋縄で落ちる代物じゃなく、大いに奮闘したが洗面器と水くみはどうにか綺麗になったが、椅子は汚れが斑の状態で諦めた。

昼飯は大きめのマッケローニを挽肉の塊とひよこ豆が入ったソースで食べた。
これ割りと美味かったね、パスタとなると直ぐにトマト味にするのが気に入らないが、塩味だった。
飲み物は何時ものアールグレイで、トワイニングのこれ、よく見たら中国産だった。
これまで中国なのかと思ったが、よく考えれば英国の中国での利権は古くからだから当然なのかもしれない。

今日からプレシネが無く、午前中に続き部屋の掃除をした。
小さなブラシのような箒で障子の産の埃を掃き飛ばしたが、こういうことやるの何年振りだろう。
母が元気なうちは埃を嫌ったから毎日のようにはたきを掛けて掃除機を使って掃除をしていたが、足腰が悪くなってずいぶん経っているから十数年分の埃が蓄積していた筈だが、大したことなかった。
掃除のだいご味は大量の埃やごみが取れて、はっきりと綺麗になったことが分かることなんだけど、そういった意味では充実感や達成感に欠けた。

4時半に散歩に出かけたが、月が大分満ちてきてもうすぐ半月と云ったところで、西の空を眺めたが無くて一瞬焦ったが、南の空に出ていた。
5時前に西の空が赤く燃えるが雲が無かったせいで空が赤青灰色に染まった。
富士の黒っぽいシルエットが美しかった。
鷺が葛川を下流に飛翔してゴルフ場北側の高い林の塒に帰ってゆく姿が優雅だった。

晩飯は魚がバカみたいに高くて買う気がしなかったとのことで、豚の骨付きのバラ肉をたれをつけてオーブンで焼いたのと、蕪と油揚げの炒め煮、茶わん蒸し、ソーセージ、バケットとカンパーニュ、クリームチーズ、ほうれん草のお浸しであった。
ちなみに魚は朝獲れた鯖が比較的安かったので3本買ってきて、3枚におろして酢で〆ていたが、過去にアニサキスで痛い目に合っていて、それでも〆鯖が喰いたくて焼き〆鯖にするらしい。
それを押し寿司にすると云って張り切っていたので、僕のは焼かないで冷凍してくれと云っておいた。
正月休みに食べる魚は自分で釣ってこないと美味いのにありつけない。
ずいぶん昔になるが大きな平目と鱸が暮れに上がり、正月中刺身三昧で過ごしたことがあったな。
ここのところずっとオールフリーが減らなかったが、昼に定期便が着いた。
呑み過ぎが続いたのでオールフリーを飲むことにしたが、久し振りで美味かったのか2本飲んだ。
酒を呑まなかったがストーブの前から離れられず、中森明菜を聴きながら、昨日届いた浜崎洋介「ぼんやりとした不安の近代日本」を読んだ。
副題に-大東亜戦争の本当の理由ーとついていたけど、日本近代は明治維新からの流れでこの戦争になったところまでを観ないと理解できない。

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二度呑みは効くぜ

2022年12月29日 | Weblog
3回目の「私をスキーに連れてって」を観てしまった。
原田知世がとにかく可愛い、それとバブル期の雰囲気が好きでね、その真っただ中で20代を過ごした身には毎日高揚感があって楽しかった。
最近、高橋洋一が指摘しているように、土地と株の高騰以外経済は2%前後のインフレで経済は順調に回っていたのを、日銀が世紀の愚策、総量規制を行い一気に経済をぶっ壊して仕舞った。
音楽を担当した松任谷由実の楽曲もいいし、若い人たちにも余裕があって、仲間が楽しく遊んでいられる時代で、僕はスキーも車も無線もカメラも投光器も興味が無いけど、新しいモノに人気が集まり、若い人が欲しいと思えば、それを購入できた時代だった。
この映画の中で唯一そぐわないのが田中邦衛で、青大将は良かったけど、過剰な演技が引っ掛かるんだな。

午前中、外へ出られなかったが、3時過ぎの電車で平塚へ行き、CDの返却と借り入れをした。
借りたのは杏里、広末涼子、笠井紀美子の3人、杏里はヒット曲の3曲が好きだけど、長い間音楽活動をやっているにはそれなりの理由があるんだろうと思い、90年代のアルバムを2枚借りた。
広末涼子は「MajiでKoiする5秒前」を聴きたくてね、それと女優だって認識だったけど随分オリジナルソングがあり、それを誰が作っているのか興味があった。
岡本真夜が結構書いているんだな。
笠井紀美子は「バタフライ」が名盤として有名で、その他何枚かのアルバムを持っていて聴いているが、どう見てもどこの国の人なのか分からない独特な雰囲気が好きだ。

4時半に帰ってきたが、借りてきたCDをざっと聴いているうちに晩飯に呼ばれた。
牡蠣とアジフライ、メ鰺の刺身、菜花の山葵和え、鶏飯、豚汁、トムヤンスープだったので何を飲むかで迷ったが、昨夜、その素晴らしさを発見したクラフトジンの湯割りにした。

2杯でやめにしてPCを持ってきて、町から依頼されている仕事の資料に目を通していたら、娘夫婦が七沢温泉近くの酒、盛升をぶら提げてやってきたので、再び吞むことにした。
純米は普通だったが、純米山廃仕込みは色合いがハッキリと濃く、酸化したような古香が感じられ、一般受けしないがすこぶるいい酒だった。
平塚へ出た時に買ってきた塩豆が良いつまみになった。
10時に帰っていったが、好きな音楽をかけてストーブの前でジンやティーチャーズを零時半まで飲み続けたが流石に効いたね。

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保守ってこれよ

2022年12月28日 | Weblog
茂木誠と浜崎洋介の対談番組をYouTubeで視聴したが、浜崎洋介は西部邁の最後の門下生のようなところがあり、その付き合いの最初から最後までざっと話を聞いた。
西部の最晩年は飲み始めると帰らず、朝の9時まで飲み続けていたこともあったようだ。
それは、西部の自刃とも関係していて、浜崎は、どんなに世間が反対でも自説を曲げるなと遺言のように言われたが、西部には妻が最後の砦で、何があっても話を聴いてくれて励まされた。
その妻が先に死んでしまい、その代わりを友人知人に求めたが、別れが辛くて朝まで飲んで話したところで、妻の代わりになるものでもなく、結局自刃して仕舞った。
浜崎は一般的にリベラルの人は家庭が崩壊しているが、保守の人は家庭が円満なのではと仮説を述べていたが、ある理念に向かって進んでいこうというのがリベラルで、家庭が酷いからあるべき姿を掲げて現状を打破しようとするわけで、保守は今が満たされているから詰まらない理想など掲げず、現状に問題が出たらそれを解決してゆこうとのスタンスだとの説、うーんと唸ったね。

寝起きにいい番組を観たので快調に一日が始まった。
朝ぶろに入り、昨日の夜届いた吉田産業の1.6㎜径33㎝の中華鍋で韮の卵炒めを作った。
昨夜、飲みながら一度バーナーを使って表面のニスを焼き、たっぷりの油とくず野菜で馴らしておいたのだ。
厚みがあるので熱を蓄積していて韮に火が入るのが早かった。
溶き卵の焼き方のコツがフライパンとは違い、チョット訓練が必要だね。
そもそも韮一把と卵二個の調理にはでかすぎるんだけど、使ってみないと気が済まないんだよ。
直ぐにお湯とたわしで洗って、水気を切って油を塗って置いたが、昼に見たら土手の部分に錆が出ていた。
油が鉄に馴染むまで少し時間がかかりそうだ。
シメジと豆腐の味噌汁、エビチリ、白菜漬けで食べた。

9時半まで音楽を聴きながらゆっくりしていたら、今日はJA湘南9時半開店だった。
行きに前からオバサンが手を振るので、誰かと思ったらJA湘南の常連さんで、今日は9時半よ、貴方が来ないねとみんなで話してたと云われ、そういや昨日レジのオバサンに明日は9時半よと云われたのだ。
それでも多くの方が10時からだと思っていたようで、僕の後から続々お客がやって来た。
筍芋、菜花、仏花を買った。

10時過ぎに家に帰り、花を活けて10時半になったが、二宮図書館は昨日終わり、今日は平塚図書館の最終日なので、出かけようかと思ったが、天気がいいので拭き掃除をやることにして、台所の棚や柱、鴨井などを拭いた。

妻が買い物から帰ってきたので一休みして台所へ行ったら、これから昼飯の鶏飯を作るらしく、これじゃあ1時なっちゃうなと思ったら急に腹が減り、残り物の寿司、エビチリ、スティクブロッコリー、白菜漬けを食べた。
居間で中原めいこに聴き入っていたら、妻がやってきて飯が出来た云ったが、食後にピーナツ煎餅も食べており流石に遠慮した。
時々この鶏飯を無性に喰いたくなるらしく作るのだが、その頻度が高く、不味くはないが聊か飽きている。

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冬の夜長の過ごし方

2022年12月28日 | Weblog
暮れが押し詰まっているのを実感するね、JA湘南のオバサンたちの数が急に増え、そして集まりが早くなった。
今日も馬鹿でかい大根が出ていたが、これほどデカい大根を作るにはよっぽど土壌が深いところまで柔らかくないとだめで、砂地なのか有機で虫などが深いところまで入っていて空気を一杯含んでいるかだが、いずれにしろ味は水っぽいが大したものだ。

大きな白菜を知人が出していたので少し高かったが購入し、スティックブロッコリーと韮を買った。
韮玉が好きなんだな、昔はニラレバも好きだったが、ツーファーになってから肝類は禁じられている。
落語じゃないが、死ぬまでにニラレバと焼き鳥のレバたれを喰ってみたいものだ。

さて、お茶も飲んだし、二階の書斎の整理を始めよう。
会社を辞めた6年前は未読の本を全部読むつもりでいたが、今はその気も無くなって、興味のある新刊書を読むことが増えている。
それでも今年は蔵書の小室直樹20冊を纏めて読んだのでチョットした充実感があった。
問題は何が書いてあったかすっかり忘れていることだが、とにかく読んでいて楽しかったからそれでいいじゃんと、あまり深く考えない。

取り合えず始めた自室の整理は、出てきたものをチェックしたり、面白いものは読み進めたりするから全然進まず、それでもタオルケットや布団カヴァーや靴下などを処分したら少しスペースが生まれた、サッカーならすかさずパスを送るところだが、ここへ何かを移動したら元の木阿弥なのでポカンとスペースを開けておくことにした。

ベッドに座り呆然と部屋を眺めていたら、新しい柳包丁をおろして寿司を切っていたら指を切ったと妻が二階に上がって来た。
妻は店で割引になった商品を買うのを趣味にしていて、今朝は〆鯖、烏賊数の子、酢蛸をゲットしたらしく、昼飯はその3品を使った押し寿司と、卵を焼いて干瓢を煮て見事な太巻きを作った。
押し寿司は途中まで切ってあったが、指の負傷でその先が出来ず切ってくれとのこと、従兄からもらった柳包丁で切ってみたら、抜群の切れ味で、良く眺めたら、鮨屋で職人が使っている輝きを持っていて、見ただけでモノが違うぜって感じが良く解った。
濡れタオルで拭きながら気持ちよく蛸と烏賊と数の子の押し寿司、太巻きを切った。
お椀は妻が好きな豚汁で、おい、寿司にこれかよとは思ったがやけに美味かった。
夏に漬け込んだ甘酢の生姜も美味かった。
数の子はツーファーの大敵故食えなかったが、太巻きと鯖の押し寿司が美味くて、4合炊いてすべて寿司にしたらしいが、妻と二人で半分以上を食べてしまった。
太巻きには上記2品のほかにでんぶと前夜の残りの菜花の山葵和えが入っていた。

ここ数日拭き掃除などをしたものだから腰の具合が悪く、プレシネを鑑賞しながら休むことにしたが、海賊船が出てくる以前に観たスピルバーグのやつで、あまり面白くなかったこともあり、直ぐに居眠りをはじめた。

2階の掃除に行き詰まりを感じたので、階下の拭き掃除を1時間ばかりやって、散歩に出た。
大磯方面に行った帰りに西の空が赤くなり、プリンスホテルのゴルフ場上に出た三日月が見事で、ゆっくりと眺めながら帰って来た。
葛川から東海道への坂を犬を連れて凄い勢いで駆け下りてくる女の影があったが、近づいてみると友人だった。
知人に会うのも散歩の大きな楽しみだ。

家に帰ると直ぐに晩飯で、風呂に入る間もなかった。
蛸の刺身、エビチリ、湯豆腐、茹でスティックブロッコリーだったので、何を飲むか迷ったが、「夜明け前」を冷で呑みだし、やっぱり冷たいので燗にして2合呑んだ。
ストーブに湯が煮立っていたのでティーチャーズの湯割りを3杯のみ、その後はスペインの友人が造ったクラフトジンの湯割りを飲んだ。
近頃の流行りでジンには柑橘系の香料が入っていて、湯割り用に作ったホワイトリカーじゃないのかと思うほど美味かった。
肴は到来物の黄色いじゃが芋をストーブで焼いたのや、バタピーと柿の種、ロールパン、チーズおかき、ソーセージなど、冬の夜長を火の前で過ごすのはダイエットに一番悪い。
しかし、毎晩毎晩こうやって楽しい時間を過ごせるのは、強靭な胃袋を与えてくれた両親によるもので、深く感謝しないとなあ。

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嬉しいことがあった

2022年12月27日 | Weblog
7年振りにアルマニャックの親しい友人からメールが届いた。
これまで何度かメールを送っていて返事がなく心配していたが、クリスマス仕様に送られてきたセラーで撮った写真は、チョット年老いているが、ポケットに手を突っ込んでいるところはまごうかたなく彼だ。
母や友人を失った暗い一年だと思っていたら、最後の最後になっていい知らせがやって来た。
天は帳尻を合わせてくれるのかもしれない。

最近、夜遅くまでストーブの前で酒を呑みながら好みの曲を聴いていることが多いが、いささか呑み過ぎで朝から身体がだるい。
酒を呑むにも体力が必要だとはよく聞いたが、そんなこと自分には関係ないことだと思っていた、ようやくそれを実感している。

今朝は6時前に起きて1998年の小室直樹の講演の動画を視聴した。
本来官僚は依法官僚制(legal bureaucracy)でなければならないが、日本の官僚は家産官僚制( patrimonial bureaucracy )であり、これが我が国の大きな問題になっていることを解説していた。
マックス・ウエーバーを研究した小室の面目躍如たるところだ。
これって多分日本は中国をお手本としたために、科挙の家産官僚制を真似たことに拠るのかもしれないが、科挙の制度は一時導入したが直ぐに止め、これが復活したのは明治になっての東京帝国大学であり、これが日本の宿痾であることを流石のGHQも気が付かず見逃した。
GHQは負の財産を大量に残したが、財閥解体と農地解放という素晴らしい施策も行った。
だが、家産官僚制には気が付かず放置した。
日本は法治国家ではなく、情治国家と云われる所以にもなっている。

シメジと豆腐の味噌汁、ホッケ、白菜漬け、高野豆腐煮で朝飯を食い、そのままストーブの前の席にPCとSonyのBluetoothspeakerを持ってきて好みの音楽を聴きながら朝のひと仕事をやっている。

気が付けば師走も27日だ、今年は何故か大掃除をやり出したので、このまま大みそかまでやり続けよう。
特に書斎兼寝室は荒れ放題なので、今日はそこに立ち入り、書籍の埃をはたいてきちんと並び変えよう。
本の整理は同時に頭の中の整理だから、ちったあましな脳で新年を迎えるかも知れない。

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2022年を振り返る

2022年12月27日 | Weblog
今年は長男の離婚騒動で始まり、春には坐骨神経痛で病み、5月には母が急に亡くなった。
秋には僕より一つ若い親しい友人が亡くなり、やはり親しい友人の癌が再発してかなり悪いらしい、色々と悪いことが重なった年だった。
まあ、そういった年齢になってきているんだと思うが、身体にガタが来て治りが遅いのは仕方ないとして、長く親しく馴染んできた人がいなくなるのはきつい。
酒を吞みながら昔話や世間話をする楽しみが無くなるのもつらいが、同時代を生きた人間として、僕らの時代が終わるんだということを身近に感じるのも辛い。
会社に通っていたころ週に一度は通った蕎麦屋のオヤジが、70代は青春時代だと云ってこっそり女性とデートしていたが、80の声を聞いたら急に顔を見なくなった。
相変わらず隠れ家でデートを重ねていればいいが、急に青春時代が終わっていないか気がかりだ。

喪中葉書を出したら、母のお茶の後輩にあたる方から手紙と共に香典が届いた。
とてもうれしく思い、お礼をしなければと思いつつ今日まで来てしまったが、ご自宅までイナリヤトのワインをお届けして、生前の交誼に感謝した。

JA湘南が今日で最後だと思い、車で出かけ野菜を買い溜めしようとしたら、顔馴染みのオネエサンがたから、29日が最終よと云われた。
それでも巨大な大根2本、やっぱり大きな人参4本、泥葱、菜花を買った。
その後、ワインをお届けしたが、目の覚めるよう青空でとても冬とは思えず、春の日差しと明るい風景を運転しながら楽しんだ。

大磯の「パン蔵」と「Lee’s Bread」のパンがあり、昼はパンにする?と妻に聞かれたが、昨夜も食べたので、「麻婆豆腐」でも作ろうかという言葉に反応した。
3種の茸に豆腐を加え掻き玉にしたスープも美味かった。

プレシネは「ビリギャル」だったが、最近、日本ではこの感じの映画が多い。
クラスでビリのギャルが心機一転し有名大学を目指すって設定、安田顯は前にもTVドラマで同じ設定のに出てたな。

またもや拭き掃除を始めた、柱、鴨井など、もう何年も拭かれたことない木材は赤茶色に雑巾を染める。
チョット見た目は綺麗なんだけど、空中のごみと微量な樹液が混ざって出来てるのかもしれない。
三部屋と廊下の木の部分だけを拭いてもかなりの量になる。
1時間ほどやったところで散歩に出た。
六所神社を往復して来たら5時過ぎで、妻が風呂場を掃除した後お湯を入れてなかったので、風呂に入るタイミングをずらされた。
それでも10分で浴槽が満たされるから薪で風呂を焚いていた頃を思うと実に早い。
まあ、竹の節に穴をあけた火吹きで、煙を上げながら湯を炊いていたのも趣深かったけどね。

風呂から出てきたら晩飯だった。
蛸と鮪の刺身、菜花の山葵和え、高野豆腐煮、葱と豚肉炒めだったので、「夜明け前」を2合徳利で燗して吞んだ。
やけに苦く感じたが、酒の方は変わらないかっら、こっちの口の具合が変わったのだろう。
山葵漬け、カンパーニュ、クリームチーズ、柿の種、クッキーなどを肴に酒からティーチャーズへと変わって飲んだ。

さて、世界を見回すと今年はアメリカの力が決定的に弱くなったために、世界の政情不安が表面化した。
かといって中国がかつてのアメリカの地位に着くかと云うとそんなことは無く、経済成長も鈍化して、輸出に頼ることが出来なくなっていて、かといって内需拡大をすれば共産党一党独裁が崩れるから、さらに難しい舵取りを強いられるだろう。
世界は多極化して不安定化することが予測されるが、日本は立ち位置をしっかり見極めないとさらに没落するだろう。
事ここに至っては、不本意ながらも現実的に考えれば、安全保障の内、エネルギーに関しては核融合の実用化まで核分裂の原子力発電に頼らざるを得ない、食料に関しても零細農家への援助を打ち切り農業が産業として成り立つような施策を行うべきで、軍備の充実については、最も安いコストの核兵器の所有を考えないと一般兵器の増強だけでは時間とコストが掛かり過ぎる。
日本サッカーは新たな風景を観ることが出来なかったが、来年は今まで観たこともない新しい風景を見ざるを得ない年になるだろう。
舵取りを間違えないためにも状況分析と冷静な決断が求められる。

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久し振りに大掃除

2022年12月26日 | Weblog
民生委員の方が町内の75歳以上の独居老人の見守りをしているが、その方たちにクリスマスプレゼントを届けることをしていて、それに随行したが、皆さん喜んでくれた。
何しろ40年間会社人間で、町内でどの様なことが行われているのか全く興味がなかったので、こんな活動をしていたなんて知る由もなかった。
明治維新で、それまであった仕来りを西欧からの新しい仕来りに置き換えたわけだが、こんな活動もその一環に違いない。
じゃあその前は、日本という国はお年寄りに対してどのようなことをやって来たんだろう。
武士と百姓では全く違うと思うが、今より死ぬのが早かったから、死にざまも潔かったような気がする。
でも、人によってはヨボヨボになるまで生き抜いただろうから、家族が入浴から下の世話まですべてやった筈だ。
まあこれは、そんな昔の話しじゃなくて、ついこの間までやっていたな。
3世代同居が多かったからお嫁さんが大変な苦労をした。
核家族化が急速に広まったのは、これも大きな要因の一つだったろう。
我が家も3世代同居だったから、母が3年前に入院して介護施設に入るまでは妻が大変な苦労をしたと思う。
それでも僕より人間が上等で親切だから、嫌だったんだろうが離婚もされず今日に至った。

10時に帰ってきたので、昨日に続き窓ガラスを拭いた。
昼飯はソース焼きそばだったが、僕が何時も味が濃すぎるとクレームするので、やけに薄味だった。
豆大福を2個食べ、クリスマスクッキーを食べた。

午後は神棚の掃除をし、欄間の透かし彫りを細かく丹念に掃除したら見違えるように良くなった。
39年前は白っちゃけた色合いだったが、今では赤身が増し飴色の感じもあり重厚に見える。
何故か次男が急に手伝うと云うので、南に面した雨戸6枚分の高窓の掃除を内と外から二人でやって片付けた。
終わったのが4時半、次男が掃除を手伝ったのは散歩がしたかったらしく、久し振りに一緒に散歩に出た。
日がやけに伸びたなあと云いながら、箱根の外輪山を観たり、大島と利島を眺めながら歩いた。
散歩から帰ったら知人から電話があり、クリスマスプレゼントを届けたらキウイフルーツをいただき、もう一ひとりの方からも変わったじゃが芋を2種類もらった。

クリスマスディナーは、ビーフステーキがメインで、鮪の刺身ともつ煮とラッキョウとポテトサラダ、ローストチキンがあった。
先ずは「夜明け前純米」を冷で呑み、頃合いにビーフステーキを焼いてタラゴナのサルファーフリーの赤を飲んだ。
グルナッシュ、カベルネソーヴィニョン、チャレロという変わった品種の組み合わせで、今日は酸が強く感じられた。
妻が作った南瓜のポタージュスープに風呂吹大根を浮かせて食べてみたが絶品だった。
出来れば白ワインが欲しかったが、これは「夜明け前」を合わせていただいた。
もらったじゃが芋をストーブで焼いたが、濃い黄色の方はコクがあって美味かった。
紫の方もとにかく色合いが鮮やかで目で訴えてきたね。
娘が昼に持って来たリーさんのカンパーニュを久し振りに焼いて食べたが、もっちりとして焼くとカリカリに変わる食感と酸味がこのパンの売りだね。
チーズを2種、バタビー、柿の種などを肴に、最後はティーチャーズをストレートで飲んだ。
観るべきTVもなく、目に付いた柱の汚れが気になったので磨きだしたのがいけなかった。
キッチンの上にある収納棚、ポット、炊飯器、冷蔵庫と約2時間拭き掃除をして汚れを落とし、再びストーブの前に陣取り、綺麗になったところを眺めながら気分良く飲んだ。

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クリスマスイブ

2022年12月25日 | Weblog
クリスマス寒気と云うやつかなあ、朝のうちは寒かった。
クリスマスイブだけど、俄クリスチャンになったわけでもなかったが、妻がイベリコ豚のカツレツを作ったので、午後、娘のところで買ったサン・シニアンのコロンバールとベルメンティーノの白を開けて乾杯をした。
午後、娘のところへはお世話になった人たちに、ワインやお酒を飲めない人にはちょっと美味い調味料などをおくる手配を妻がしたので、その車に同乗して出かけ、家で呑む酒やワインの調達もした。
僕は既に数日前にワインの発送を頼んでおいたが、今日届いているところが多く、ありがとうとメッセージが届いていた。そのワインの支払いもした。
クリスマスシーズンと新年にかけてはワインが何時もより喜ばれるようで、先輩や友人に送るのだが、自社輸入をするようになってからは、なんだか送り甲斐が増えた。

今朝は何時ものように7時に起きて、若芽と豆腐の味噌汁、おでん、白菜漬けで朝飯を食べ、9時半まで金子先生のワードのスタイルについての動画を視聴しお勉強をした。
やり始めた時は何が何だか良く分からなかったけど、だいぶ解るようになってきた。
それにしてもワードには色々な機能があるもんだ、使っている人がこんなのも欲しいという要望が積み重なっているからだろう、この機能がきちんと使えれば便利だ。

JA湘南は品数が少なくて、筍芋、大根2種を買った。
家に帰ると、お日様が出てきて暖かくなったので窓を中心に拭き掃除をした。
近頃は身体がぎくしゃくして動かないので、昔のように丁寧に拭くことが出来ないが、軽く拭いただけでも見違えるように綺麗になった。
妻はぎっくり腰が全快し、病院へ行き、その後はマサに買い物に行った。
割と充実して掃除をやって一休みしたら12時を過ぎていた。

その内妻が竹輪天とかき揚げを買ってきたので天婦羅蕎麦にすると出汁を引きだした。
台所でその様子を観ていたら急に腹が減ってきて、朝の残りの白菜漬けを食べたが、昔、信州佐久の蕎麦屋で打つのを待っている間にテンコ盛りの漬物が出され、お茶を飲みながら食べて出来上がるのを待っていたことを思い出した。
途中でやって来た郵便配達夫にもテンコ盛りの漬物とお茶を出していて、いいところだなあと思った。
薬味に葱と柚子と七味唐辛子を使って食べたが美味かった。
そもそも蕎麦が好きなんだなあ。

ようやく中野剛志「世界インフレと戦争」を読了したが、いい本だった。
日本の処方箋、こんなにはっきりしているのになぜそれが出来ないんだろう。
僕の場合、中野が書いていることが分かるまでに60年以上が掛かっていて、そう簡単に物事が見えてこないとは実感しているが、それにしても朝から晩まで状況分析と本や資料を読み込んでお勉強している専門家がいるわけだから、そういった人たちがとんでもないことを云っているのが解せない。

今日もストーブの前で食事の後、ティーチャーズを飲んで音楽を聴いたり読書をしていたが、実は3日前に新しい椅子を買って、これが背筋がシャキッとして座りやすくていいんだな。
元々ひじ掛けのある座りやすい椅子だったが、娘と妻がスタイリッシュなダイニングセットを買ってきて換えてしまったので、いつの間にか僕の愛用の椅子が捨てられていた。
新しい椅子は北欧のデザインがオリジナルらしいが、似たような椅子が各社から出ているのできっといいデザインなのだろう。
大川のメーカーのものを取り寄せたが、あの大川栄策の出身地だ、昔から家具の産地として有名なところで、なんとなく信頼感があった。
これ日本で作っていないと思うが、今回の戦争によるサプライチェーンの見直しで、安く出来ればいいという時代は終わり、出来れば自国生産、少なくとも友好国にサプライチェーンを持っていないといざという時に安全保障が成り立たなくなる。
とにかくやけに座り心地が良く、腰にもいいような気がするけど、問題は酒量が増えてしまうことで、あえて座り心地の悪い椅子を用意して回転率を上げるという飲み屋の戦略は確かに効果がありそうだ。

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一日遅れの冬至南瓜

2022年12月24日 | Weblog
一晩中南風が吹いていたような気がする。
雨戸がガタガタと鳴っていた。
7時前に起きて腰のストレッチと膝の運動をしてから起きた。
大量に作ったカレーがまだ残っていて5度目のカレーライスを食べたが、いささか飽きた。
男の料理は大体一品しか食らないので野菜不足になる、そのため紫色の茎の菜花を茹でた。
これは外見の派手さとは裏腹に素直な味で、このタイプの女も好まれるが、野菜も好まれているようで、JAに集うオバサンたちにも評判がいい。

夜になるとストーブを背にしてそこを離れがたくついつい酒量が増えてしまうので、その時間に金子先生の動画を観ても身に入らない。
そのため朝食後の1時間をお勉強に当てているが、動画は1時間前後に盛沢山のことが詰め込まれていて、何が何だか良く分からないまま2,3度通しで観たので、特に分からない項目、例えばWordの表についての機能紹介などを繰り返し観るようにしている。
このくらい少ない情報量なら3度繰り返せば把握ができる、ただし、使えるかどうかは別問題だ。
でも、この機能のことを記憶して置けば、これを使う局面になったときに思い出すわけで、ジジイがやることだからそのくらい遠回りでいい。

9時半にJA湘南へ出かけたがやけに寒かった。
朝方まで南風だったが、北風に変わっていた。
オレンジカリフラワー、ヤツガシラ、泥葱の太いのと細いのを買った。
帰りにワクワクによっておでんのネタを仕入れた。
家に帰って直ぐに、練り物とがんもどきを水出汁と野菜ブイヨンに入れ火にかけ、ヤツガシラを剥いてトリミングして加えた。
これって煮過ぎると崩れるので入れるタイミングが難しい。
大根は風呂吹き大根用に煮てあったので、別の鍋で味付けをして一煮立ちさせ、火を止めて味を浸み込ませた。
昼にまだ間があったが、妻がやってきて腹が減ったから喰える具材は無いのかと、大根なんてもう煮てあるからいいんじゃないのとか云っていたが、飯が炊きあがるのが12:20だと云ったら、マルを病院へ連れて行き点滴を受けてきた。
それでも未だ12時だったので、飯が炊きあがるまでヤツガシラと白菜漬けなどを食べて繋いだ。
炊き上がりと同時に本格的に飯を食い始めたが、おでんには熱燗だよなあ。
昼間っから吞んでも何ら問題ないが、夜の酒を美味く吞むにはやめておいた方がいい。
食後にシュトーレンをいただいた。

プレシネはクイント・イーストウッド主演の西部劇で、西部の湖畔の町にやってきていきなり3人を撃ち殺し、その後すれ違ったオネエチャンの上に乗っかってやりたい放題。
この町には、前の保安官を住人みんなで寄って集って鞭でなぶり殺しにした暗い過去があり、悪漢3人を酔ったすきに逮捕して務所に送り込んでもいた。
そいつらが釈放されて復習にやって来るのに怯え、イーストウッドを頼らざるを得なかった。
一人目を鞭で、二人目を縄で、3人目を銃で殺した。
単純なストリーの映画だったが、2度目もやっぱりあまり面白くなかった。

午前中、図書館へCDの返却に行ったが一つが空で、当然返却が出来なかったので、新たに2枚木住野佳子を予約して計3枚貸し出しの上限まで借りてきた。

6時から防犯パトロールなので、それまで木住野佳子を聴いたが、日本のジャズピアニストだと、この人と大西順子がかなり好きで、高木理代子のオッパイに惹かれて聴き始めたが、実は親切にジャズの説明をしてくれるところが好ましくもある。

6時半に帰ってきて、妻のストックの「夜明け前純米」一升瓶を出してもらい、燗に漬けておでんを食べた。
一昨日、漬け込んだ小肌の酢〆も切って食べたが、中々乙なものだった。
野菜不足は妻が復活したので菜花の山葵和えが出来ていて補えたが、こういったものは男は中々作る気にならない。
買っておいた冬至南瓜を1日遅れでストーブで蒸し焼きにして食べたが、これも美味かった。
ニュージーランドの牛のもも肉のブロックを妻が買ってきて、角切りにして香辛料で味付けをしたのを串に刺してオーブンで焼いたので赤ワインを飲もうって算段ったらしいが、これが思いのほか美味くなく、クルミパン、ビスケット、チーズを肴に赤ワインを飲んだ。
最後はティーチャーズをストレートで舐めながら、ストーブを背にして音楽を聴いた。

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