キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

スピーカーの良さが分かった

2023年04月30日 | Weblog
4月下旬はいい天気が続き、百花繚乱春爛漫の感が強く、大昔はガールフレンドと躑躅や藤が咲き誇った小田原城の周りを歩いたもので、こういった天気になると当時を思い出す。
人生においても春爛漫だった頃で、将来に対する夢や希望に満ちていた。
この年になってみると、もう先が余りないことが実感され、新たなことを起こして遂行する気力やアイディアが無くなる。
実に詰まらない、だが、信頼され敬愛される人格であれば、後を継ぐ人がいるはずで、結果を観ることはできないがスタートが切れる。

JA湘南へ行ったらシャッターが閉まっていて、今日が旗日であることを知った。
取って返して日章旗の掲揚を行った。
岩田温のYouTubeを観ていたら、彼若いのに最も印象に残っている天皇が昭和天皇だと云うんで、根っからの保守主義者なんだなあと感心したが、番組の中で天皇陛下万歳を三唱していた。
掌の方向を観たら内側だったので万歳のやり方を知っているなと思った。
最近は過激に島田雅彦、大江健三郎などを批判しているが、僕も昔はファッション左翼だったので、大江健三郎は愛読した。
だが、ある時からイデオロギーではなく、この人、幼稚で器量が小さいなと感じ読むのを辞めてしまった。
いわゆるリベラル左派の人たちって同じような傾向があり、人間的魅力が乏しいなあと感じている。

昼飯はロースカツ、チキンカツ、玉葱フライと大根と卵の味噌汁、庭のリーフレタスを大量に食べた。

午後、平塚へ行きCDを引き取り、歩いてコマスタジオに行こうかと思ったが、思いのほか疲れていて休むことにした。
奥の8畳で床に横になり音楽を聴きながら池辺良を読んだ。
この本1996年刊だから作者比較的晩年の作で、オヤジの話が出てくると面白いのだが、流石にオヤジ亡くなってから時間が経ったのとタネが出尽くしたのかほんの僅かしか登場せず、代わりに女性器に関するお話が多かった。
中隊長だったので部下が多く、慕われていたので、江戸っ子の軽薄さからその部下の娘や孫娘の縁談や奇行の改善を頼まれることが多く、男をして欲情せしむタイプではないが、実に多様なエロ話が展開されている。

昨日届いたスピーカーは、夜、中森明菜の「Ballade」をかなり大きな音で聴いたら、そこにこのスピーカーの本領があり、実に素晴らしかった。
15年前のKenwoodのミニコンポのスピーカーと掌サイズの4,000円の中華アンプとの組み合わせが思いのほか凄くて驚いたが、20年前のオンキョーのアンプと7年前のスピーカーがこれほどまでの音を出すのかと畏れ入った。

30年前から日本経済は停滞期に入っていて、ハイエンドのモノを作ることが出来なくなっていたが、廉価でかなりの品質のものが技術者によって作られていたんだなあと、彼らの地道な仕事ぶりを顕彰したいくらいだ。
今回購入したスピーカーの元値は知らないが、中古品を16,000円で購入した。
一応、「非常に良い」というカテゴリーだったが、それでも多くの出店者は中古品故傷や使用感があると書いてあるが、この出店者は無駄なことは書いておらず、まだ十分使って頂けると書いてあったのが気に入りこれに決めた。
送られてきた段ボールは製品の5倍くらいあり、デカくてみすぼらしかった。
ほとんど空気を送ってきたが、その中にプチプチでぐるぐる巻きにされたスピーカーが入っていた。
2階のベッドでプチプチを取り除いたら傷一つないスピーカーが出てきたので、この出展者の誠実さと商品に対する愛情を感じ胸を打たれた。

アンプは女友達からもらったものだが、今の日本あるいは時代ってとにかくあまりカネを使わず、結構いいものが手に入るんだなあ。
バブル期の高揚感が無い今の若い人たちが可哀想だと思ってきたが、結構充実した時間を過ごしているのかもしれないと思った。
思えば、20年近く前に初めて会社の部下にBOOKOFFを教えられて、こんなに安くいい本が手に入るのかと愕然としたが、同じことなんだろうなあ。

晩飯に鰺の刺身でティーチャーズの水割りを飲みだしたが2杯でやめ、ディエゴのジンにレモンを絞り3杯のみ、シャトー・ボーロンを3杯飲んで寝たのが1時だった。
2日目にしてこのスピーカーの良さが分かり、それにすっかり嵌っていた。

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スピーカーがやって来た

2023年04月29日 | Weblog
今日はこれから小田原の歯医者に行く、4月初旬に豚の軟骨を嚙んで仕舞い、右奥上の根が一本で踏ん張っている歯がぐらぐらになり、もう駄目かなと思ったが70%くらい回復した。
この歯はもともと3本の根があったが、2本になり、昨年ついに1本となったもので、普通ならいきなり抜いているところを高校の先輩でもある歯医者が職人技を駆使して残してくれたもので、そう簡単に諦めるわけにはいかないのだ。
今日は新しい歯科衛生士に替わるとのことだが、以前働いていてカムバックしたらしい、最近歯医者が増えて歯科衛生士も不足しているらしく、色々な歯医者で募集をしている。
15年近く前にいたらしいけど若く見えて面白い、感じのいい子だった。
何時もスーツケース引っ張って来てたでしょうと云っていたから、名古屋の会社を任されていた時に、帰りの新幹線で小田原に降りて寄っていたころにいたんだ。
嵐の日にほかの患者さんが全然いなくて、僕が一人でやって来て、女の子が椅子で遊んでらあと云ったのを覚えていて、その椅子に座って遊んでいたのが彼女だったらしい。
相手は僕のこと良く知っていて驚いた。

メールで注文してあったオンキョーのスピーカーが玄関前に届いている画像が送られてきたので、素早く帰ることにした。
正午前に家に着き、段ボール箱からプチプチにぐるぐる巻きにされたスピーカーを取り出し二階に運んだ。
直ぐに今使っているオンキョーのアンプにつないで音を出してみた。
じっくり聴く暇もなく妻に昼飯だと呼ばれ台所に降りて、パンを食べた。
自家栽培しているリーフレタスを今週中に食べて、その後にゴーヤを植えなければならず、パンにスクランブルエッグ、叉焼などを挟んで食べた。
紅茶は無かったが野菜スープがあり、チョット妻を褒めた。

プレシネは今日も観たやつで、西部劇だった。
しかし、こう色々な西部劇を観ていると、アメリカ人の行動様式が分かって来た。
銃の規制に頑として応じないのは、理不尽なことがあると、町の有志が銃を持って悪に立ち向かい秩序を回復する。
そこに銃が持つ意味があるってことが分かる。

妻が数日を残し持ち金が無くなり、肉の日に買い物に行けないから貸してと云うので、郵便局でおろして5月分の生活費を渡した。
思えば7年前までは今の6倍以上のカネが振り込まれ、通帳とカードを握っていたので、どんぶり勘定で使っていたが、ついに最近貯金が尽きて深刻な状況になり、1月から心機一転家計簿をつけだしたが一月もたずに諦めたようだ。

6時からの防犯パトロールに行き、帰って来てから晩飯を食べた。
鮪のづけとアボガドと大蒜がトーストに乗ったカナッペがメインで、一口サイズとはいえ8個も食べると腹がくちくなる。
それに新玉葱と新じゃが芋の炒めたのがあり、これも腹に溜まった。
ティーチャーズの水割りを飲んだ。

昼飯の後も新しいスピーカーで色々なタイプのアルバムを聴いていたが、一番好きな中森明菜の「Second Love」は前やつの方が繊細で音が痺れるように響いた。
女性ヴォーカルを聴くことが多いので、夜も引き続きZard、坂本冬美、カーリーサイモンのジャズアルバム、欧陽菲菲、松原みきなどを聴いてみた結果、最近の録音の坂本冬美の「Songs」が一番このスピーカーの能力を発揮しているように思えた。
繊細というよりも芯の強い音を出している。
このスピーカーはかなりいという評判だったが、確かに悪くはない。
でも、前のスピーカーも良かったなあと思え、はっきりと違うなと思えるものはもっと上のクラスのモノでなきゃ味わえないなあと感じた。

でも、そうやって安易に上へ上へと昇って行けたのは高度成長期で、ウイスキーでいえば、ホワイトから角、オールド、リザーブ、ロイヤルと自分の給与と地位の上昇と共に変わった。
僕の時代はそれが可能だったが、今の時代は異なった価値観で生きざるを得ない、当然、製品開発の思想も異なり、ハイエンドの需要が少ないから、技術開発にも限界があるんだろう。
それでも、高度成長時代の後期に生きた人間として、オーディオについてはハイエンドのモノを手に入れて、それがどんなものか知りたいが、国産メーカーに無いのが何とも悲しい。

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音楽と本に淫して

2023年04月28日 | Weblog
年に何度かスナックでカラオケを歌う。
荒井由実を歌うことが多いが、時に「氷雨」を歌う。
日野美歌のジャズヴァージョンが無いので中森明菜ヴァージョンで歌うが、中森明菜本人のこの歌の歌唱はあまり良く無い。
カヴァーで一番いいのが「色彩のブルース」と「チャイナタウン」で、演歌でいいのが「天城越え」かな。

あんまり天気が良いので調子に乗って自転車でビックにまで行きティーチャーズの2.7ℓを購入して、気分良くJA湘南へ向かっていたら、ガソリンスタンドと歩道の間にある鉄の溝にタイヤを取られて転倒、ひでえ目に遭った。
幸いティーチャーズはガラス瓶ではなくポリエチレン製なので割れなかったが、スコットランドの人たちが3年以上精魂込めて作った酒をぶちまけたんじゃ申し訳が立たない。
JA湘南で絹さやと椎茸を買った。

午前中は海外からのメールの返事を書いたが、英語が苦手で2本書くのにえらい時間がかかった。
昼近くになったので慌てて風呂に入った。
この季節明るい時に外を眺めながら風呂に入るのが悦楽である。

昼はカオマンタイと辛い味の海老のスープだったが、カオマンタイのたれが生姜と大蒜、辛子味噌の2種類あり、鶏肉もムネと腿があったのでそのヴァリエーションを楽しんでいたら食い過ぎた。
にもかかわらずスコーンを食べたからダイエットは彼方に消えた。

プレシネは前に観た森林消防隊の空中散布のお話で、僚友のエンジン火災を急降下して消火剤散布で消し止め急上昇したが、エンジンから火を噴いて空中爆破して散華した男が主人公。
天国の案内役に、これが最後の出演となったオードリー・ヘプバーンが出てくるが、老いたとはいえ魅力的だった。

町役場へ提出書類を持って行き、その足で役員の家二軒に書類を届けた。
5時過ぎに家に帰り、薄暮の庭を眺めながらオールフリーを飲んだ。
晩飯はホウボウの刺身だったので酒が良いんだが、やや蒸したのでティーチャーズの水割りを飲んだ。
父は心筋梗塞で倒れてからは酒を止め、ウイスキーに変えたので、僕はウイスキーの水割りでアルコールを飲み始めた。
こうやって水割りで刺身を喰っていると当時のことを思いだす。
酒は40の声を聞くまで匂いが嫌いで飲めなかった。

今朝は坂本冬美を4,000円の中華アンプに娘が15年前に買ったKenwoodのミニコンポのスピーカーに繋げて聴いているが、この相性が抜群で仕事の手を停めて聴き惚れている。
かつてアンプはデカい箱だったが、要はICチップが音質の90%くらいを規定しているに違いなく、こんな掌に乗る安価なものでも事足りるんだね。
実は昨日オンキョーのスピーカーを注文したので今日着くことになっている。
倒産前にリリースした最後のもので、今持っている20年前のものと比べてどのくらい音質に違いがあるのか知りたくて購入した。
オンキョーが好きなのは、日本人の住空間と耳に合った音を出すのに10㎝ウーハーが理想的と考え、ツゥイターはリング式で輪郭がはっきりした音を合わせ、トータルで繊細な音質を安価で可能にした点だ。
私見だよ、音痴でオーディオに詳しくも無いからね。

他に読まなきゃいけない本があるんだけど、嵐山光三郎を読んでいる。
アルフィーのコンサートに出かけているので何でだろうと思ったら、坂崎幸之介は坂崎重盛の甥にあたるとのことだ。
坂崎重盛は千葉大の先輩にあたり、エッセイを愛読していたが、あーそうなのかとチョット驚いたね。
先日読んだ武田百合子のエッセイ集「あの頃」も出てきて、偶然とはいえ運命的なものを感じた。
愛読していた作家がどんどん鬼籍に入り、新たな著作が読めないのが思いのほか寂しい、もう少し踏ん張ってもらい軽妙なエッセイを読ませてほしい。

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世の中が劇的に変わる

2023年04月27日 | Weblog
今日は朝から雨で中森明菜の「Ballade」を聴きながら、海外へのメールを作ったりしていたが、何しろ英語が苦手で時間がかかる。
というのも学生時代に辞書があるのに何故単語を覚えなきゃいけないのかと、時間の無駄とばかりに酒とマージャンに明け暮れたせいなのだが、この酒とマージャンが役に立たなかったかと云うとそうでもなく、昭和が色濃かったころの取引先の年長のお偉いさんとのお付き合いに劇的な効果を発揮した。
伊豆や熱海、北関東の温泉地での麻雀遠征や銀座や北新地での深いお付き合いのせいで、売り上げに困ったことが無かった。
まあ、商品企画や販売企画を考えることが好きだったせいもあり、そう悪くないものが出来たので、ほとんど任されていたこともあるんだけどね。

近頃は翻訳機の性能が劇的に上がり、そう遠くない将来単語を覚えることが無駄になるかもしれない。
英語、スペイン語、中国語など使われる頻度が多い言語から精度が増し、最後は世界中のあらゆる言語が正確に翻訳できるようになれば、グローバリズムや英語教育の早期化が無用になる。
故にIT化と外国語早期教育は両立しない。やらなければいけないのは母国語の習熟と母国の歴史文化の習得だろう。

今朝は秋刀魚の干物を食べた。
何時も鯖と鯵の干物を食べているので違った魚種を食べるとやけに美味く感じる。
鮨を昼夜昼夜昼と食べて、なんだか美味くないなと思って考えたら、朝飯は別のものを食べていたが5回連続外食で鮨を食べていた。
多分、食い物では鮨が一番好きだが、これだけ連続するとやっぱり美味くなかった。

古人は「美人は三日観たら飽きるが、不美人は三日観たら馴れる」と云ったが、不美人に3日の長があるってことで、嫌いな食いものにも3日の長がある。
納豆と干し大根の糠漬け、絹さやと舞茸の味噌昼を食べた。
納豆はかなり健康に良いと喧伝されまくっているが、プリン体が多く、僕のようなツーファーには好ましくないという情報を知った。

子どもの頃に食べられたのに、思春期になって食べられなくなったものに生卵、牛乳、チーズ、納豆があったが、下宿時代選り好みをしていたら餓死するので何でも食べられるようになった。
ただし、本能的にこれらの食品を嫌ったのは、僕の体質に合わないからかもしれない。

昼はラーメンになるらしい。
今後、小麦食品の拉麺パスタ饂飩を辞めて、ビーフン、蕎麦にしましょうと妻に言ったら、ビーフンは嫌いだと一蹴された。
横浜中華街の美味い湯ビーフンを食べに連れて行くことになりそうだ。

プレシネは「Mad Dog and Glory」というロマンチックコメディでロバート・デ・ニーロ主演だった。
警察官がひょんなことからヤクザの親分の命を救い、その礼に愛人を1週間だけレンタルされたが、恋に落ち親分と対決することになる物語で、まあ、ありきたりだ。
それでも親分の変な美意識が面白くてクスッと笑っちゃうことが多く面白かった。

夕方雨が上がり、少しだけ散歩をした。
カマスの刺身、竹輪、山葵漬け、鮪のおろし甘酢でオールフリーを飲み、素直に二階に上がったが、結局、中森明菜、坂本冬美、日野美歌などのバラードを聴いていたら飲みたくなり、足元のシャトー・ボーロンVSOPをたっぷりと飲んでしまった。
他のアルコールで舌がやられていなかったせいで、このシャトー独特のブドウ品種が醸す香りを久し振りに堪能した。
ああ、これだと思ったが、グラス2杯目3杯目では感じられなかった。
その品種の名前を色々調べてみたが、現在コニャックに使用が認められているものに無いので、30年前に認可されていてその後外れたのかもしれない。
となると、このボトルはいたって貴重なもので、封を切ってないVSOPが4本、エキストラが4本、XOの最後の1本をどこかに隠し置いたのでそれで終わり。
娘に残してもいいが、僕の死と共にこの世から消え去ってもいいな。

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嘘のように腰痛が消えた

2023年04月26日 | Weblog
朝起きた時にはひどい腰痛で動くのにも難儀したが、風呂に入り温まって、痛いながらも朝飯を作り、JA湘南へ行って帰って来て、音楽を聴きながら高市早苗を読んでいたら、いつの間にか痛みが消えた。

昼飯の呼ばれて台所へ行くと麻婆豆腐と山芋と絹さやの味噌汁があり、飯を炊いてあった。
昼飯に麺類を食べることが多いが、グルテンを避けるためにも昼も飯を食べたいと思っていたので、妻を褒めた。
大きく切った豆腐に自家製の豆板醤や味噌で味付けされていて上出来だった。
食後に最近妻が趣味にして作っているスコーンを食べた。
乾燥フルーツとナッツが入っていて美味かったので三つ食ってしまったが、これグルテンなんだよね。

プレシネは宮沢りえの「湯を沸かすほどの熱い愛」を観て、若いころあまり好きじゃなかった宮沢りえがやけに綺麗だったので驚いた。
このとき43歳、この年頃の女性は綺麗な人は益々綺麗になるね。
映画も面白かった。
最近、日本映画が低調なのか活況を呈しているのか知らないが、ここ20年くらいで造られた幾つかの映画にいいものがあると思う。
それってのは戦後の映画全盛期の遺産を継承しているのかな。

夕方、町内の役員宅に用事があり、ついでに軽く散歩をした。
朝あんなに腰の具合が悪かったのにまるで何事もなかったようでビックリだが、足を後ろに踏み出す運動をここ数日やっていて、それが弱った脚にはいいような気がしている。

散歩から帰って来てバタピーとオールフリーを持って廊下で庭を観ながら飲んでいたが、飲み終るころ妻に晩飯が出来たと呼ばれた。
晩飯は鮪の刺身があったので「菊正宗」を冷で呑み、鮪の漬けとアボガドと大蒜のカナッペがあったのでサリエンテの赤を飲んだ。

チョットした仕事があったので奥の部屋で坂本冬美の「Songs」を3枚ほど聴きながら片付けて、その後嵐山光三郎を読み11時頃二階へ上がった。
読書を続けるつもりだったが直ぐに寝てしまったようで、二時過ぎに目が覚めて久し振りに馬淵睦夫の動画を視聴した。
相変わらず馬淵節が絶好調だった。

先日、キャンティの試飲会で会ったメーカーが、その後ソウルの試飲会に参加してイタリアに帰ったのか、メールが来ていて、イナリヤトのホームページを観てワインのセレクションが良いので、ぜひ取引をしたいと云ってきた。
国が違うワインなのに、観るやつが観ると分かるんだなあ。愛いやつじゃ。

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上野で絵画鑑賞のち飲む

2023年04月25日 | Weblog
腰が痛くて動くのが億劫だ。
ここ数日どうも腰の調子が悪かったが、今朝起きてみると激痛が走った。
40代の頃2度腰が痛くて1か月間寝ていたことがあり、会社を辞めた6年前の5月にも腰が痛くて1か月寝ていたが、この腰痛は宿痾なんだろうな。
高校の時に、今は納戸になっている裏の家の6畳で弟と相撲を取り、僕が投げたが弟が手を離さなかったので縺れてしまい、その時に初めて腰を痛めた。
その後も時々軽い腰痛を感じたが、若かったので動けなくなることは無く、本格的に動けなくなったのが40代であった。

昨日は二宮8:41の東海道線で上野まで行き、東京都美術館で春の二科展を観た。
混んでいるときに座席に座ると身動きが出来ず、同じ姿勢で長時間いるのがどうも腰に悪いようだ。

二科展は秋に比べると小規模で昨年の秋には3点素晴らしい作品があったが、今回はハートを一撃する作品が無かった。
小説も歌もワインも女性も絵もハートを一撃するのに巡り会うことを期待して読み聴き味わい触れ観るわけで、そういったものに巡り会うことで人生に深みが増し生きているのを実感する。
御徒町の雑居ビルのイタリアンレストランで総勢17名の会食をしたが、広い厨房で料理人は働きやすそうだった。
大船の駅ビルの上のイタリアンも同じような感じだったが、最近はこういったのが主流なんだろう。
最初に到着したので窓際の席に着いて広小路を眺めていたが、大学時代付き合っていた女性がこの近くのカレー屋を知っていて、当時はインド人が作る本格的なカレーは少なく、一緒に何度も来たし、別れた後も一人でやって来た。
取引先の社長が湯島のクラブに毎晩通っていたので月に何度かは付き合って、鮨屋を皮切りに何件か梯子をして最後はタクシーで帰った。
うちのコニャックを店のメインボトルにしてくれた中国人のママがいて、ホステスをやっていたころに知り合い、上海のヒルトンホテルに勤めていたので英語が出来、知的な美人で色っぽかったなあ、店を出すときにうちのコニャックを使ってくれた。
その後中華料理店なども経営して手広く事業を展開した。
今、社長は亡くなり、他の2人との行き来は無い、そんなことを思いながら道の向こうの湯島を眺めた。

カンパリソーダを飲み、ビールに口をつけてからワインを飲んだ。
飲み放題のワインにしてはまともなもので、エミーリャ・ロマーニャのトレビアーノ白とサンジョベーゼ赤だった。
スクリューキャップというのもよかった、都合12本くらい飲んだが、お運びのオネエチャンが持ってきてテーブルに置くと、勝手にこっちで開けて飲めるからストレスが無かった。
割と飲めるワインだったので、僕の方のテーブルでは皆さんワインだった。
何しろ飲み放題で、ハムとソーセージの盛り合わせ、魚のマリネ、サラダ、ピザが白とトマトの2種、ボンゴレ、ローストチキン、デザートといった料理がついて5,500円だったから、料理は大して美味くなかったが文句を云う筋合いはなく、それでも料理として完成しているピザは美味かった。
ボンゴレは美味しいの作るのコストと技量が必要だから、トマト味のスパゲティにしたほうが簡単で受けが良かったんじゃないかな。
大いに飲みかつ食べ喋り4時にお開きになり、8人が2次会へ進んだ。

広小路を渡り、角の雑居ビルへ入ったが、4時開店の肉の居酒屋のようなところだった。
ここではビールを飲んだ。
気がついたら7時になっていてお開きにしたが、12本ほどビールを飲んでいた。
上野駅まで歩き、次回、修善寺での温泉一泊のOB会を約して散会した。

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コマスタジオで試飲のち平塚

2023年04月24日 | Weblog
予定の10時半に少し遅れてスペインから送られてきたカタロニアのガルナッチャブラン3本、ブルゴーニュ・ペルナン・ヴェルジュレスの白、ヴァレンシアのボバルをコマスタジオで試飲した。
ガルナッチャブランはよく売れている黒猫のメーカーが作ったワインで、アンフォーラで造ったり、マロラクティック発酵をしたりで少しずつスタイルを変えてあるんだけど、この人のワインはアイディアがあり何時も中々いい、そして娘が造るワインも挑戦的で面白い。
ペルナン・ヴェルジュレスは、グランクリュ街道からチョット奥まっていて、昔は安くて美味いワインだったが、SNSの発達と同時に裏道や隠家が無くなったと同時に、隠れた名産地も無くなり、全てがあからさまになったのでかなり高くなっちゃった。
オイリーな感じではなくさっぱりした感じのワイン。
ボバルは盟友ディエゴの作品だが、このヴァレンシアの地場品種のボバルを濃縮させていて、苺のジャムやチョコレートぽい感じがあるが、ボバルの特徴がはっきりと出ているんだろうな。
それほどこの品種に熟知しているわけではないが、これがディエゴが考えたこの品種のいいワインの方法なんだろう。
原典は分からないが紀元前5世紀には栽培されていたという記載があり、これが事実とすれば昔は腐敗や酸化に強いワインが良いワインだったから、そのような形質を持つ品種として生き残って来たはずだ。

試飲が終わったのが昼前で、妻と次男が近所の評判のいいパン屋へ昼飯のパンを買いに行き、僕はシャトースオウのカディヤック2015を買って、窓から東海道線の電車と貨物駅の貨物を引っ張る機関車を眺めながら飲んでいた。
ここってその内鉄ちゃんが知ったらたまらない環境だから、ワイン好きより電車好きに占領されそうな予感がする。
干しトマトが入ったパンやチーズパンなど5種類くらいのパンがやって来て、それに3種類のチーズを合わせてカディヤックを飲んだ。
8年前のワインなのに未だタンニンが残っていてがっしりしていた。
カベルネフランが混醸されていて、久し振りにこの品種を思い出した。
親子連れや知人が何人もやって来たので、プレッツエルやパンやワインなどを分けてワイワイガヤガヤやった。
妻と次男は早めに切り上げて歩いて家を目指した。
妻は閉所恐怖症でバス、電車、エレベーターなどに乗れないから、次男をお供に連れてきた。
プレオープンの時も歩いて帰ったが、家まで1時間半の行程だったらしい。

僕は2時過ぎに平塚を目指して歩いた。
前回もチョットBOに寄り収獲なしだったが、今日も寄ってCDを観たが欲しいものが無く、本を観たら珍しく欲しいのが3冊もあり購入した。
池辺良「つきましては、女を」扶桑社 1996年、池辺良は戦争から引き揚げてきて人気俳優となり随分多くの映画に出たが、文才があり、とにかくエッセイが面白くて15年くらい前から数年間嵌っていた。
久し振りに本を観てつい手が出たが、これ持っているかもしれない。

嵐山光三郎「枯れてたまるか!」新講社 2017年、嵐山光三郎も20年前から見かけると買って読んでいた作家で、やはり軽妙なエッセイが面白い。
これも持っている可能性があったが、まあいいやと購入した。

松村友視「金沢の不思議」中央公論新社 2015年、これは持っていないはずだが、自信が無い。
40年以上前の「私、プロレスの味方です」以来のファンだから長い。
清水出身で「海」の編集者時代には吉行淳之介、武田百合子を担当していたので、評伝のようなものも書いていて、プロレスと云い好きな作家と云い好みが似てる。

要はこの3人、そこに本があったら手が出てしまう好みで馴染みの作家、その本を3冊買ってリュックに入れただけでもうウキウキ、その気分を味わいたくて購入したのかもしれない。
本は何れも非常にきれいな状態で、3冊で402円だったから嫌になっちゃったね、こういった本がほっとかれてるんだから、若い人読まないのかなあ?

駅ビルの平塚図書館出先の窓口にCDを返却してCD6枚と書籍を1冊借りた。
CDは柏原芳恵、アイドルの頃は全く興味が無かったが、30代の豊満な肉体に魅せられ、特に後ろ姿のセミヌードが良かった。
森山加代子は「白い蝶のサンバ」が好きで中学生時代に受験の時に毎日のようにラジオでかかっていた。
日野美歌のデュエットアルバム、演歌は好きじゃないけどジャケットに何しろ若くて綺麗な姿があるんでね。
ジュディ・オングは「魅せられて」が2種類の編曲とインストルメントが入っていたが、12㎝のCDにこれだけっ?て感じだった。
本は岩田温「リベラルという病」、最近この人のYouTubeに嵌っていて、毎日2本動画を出すから凄いもんだ。
協調性が無いと子どものころから云われ、思ったことをずけずけ云うから教授会でもあいつは場の空気が読めないと云われているらしいが、無駄な会議をやっているのがバカバカしくて耐えられないってことだ、分かるなあ。

今日はこれから上野に美術館へ二科展に行き、先輩の絵を観てから絵画同好会のメンバー15人で大宴会になりそうな気配だ。
一応この1年で亡くなったメンバー3人を偲ぶ会でもあるんだけど、辛気臭いことが嫌いな人達だったから、どんちゃん騒ぎが供養になると思う。

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演歌歌手のカヴァーアルバム

2023年04月23日 | Weblog
ここのところ坂本冬美の「Songs」の7枚組のアルバムを聴いている。
BOXと書いてあったが、普通のプラスティックのCD容器に入ったアルバムが7枚、紙のスリーブで束ねられているものだった。
演歌調の曲は入っていないものの、3枚目はオリジナルソングだから正確にはカヴァーアルバムじゃないが、「Songs」のタイトルがついているのでシリーズものとして扱われている。

日野美歌も「横浜フォールインラブ」というジャズアルバムに魅せられて色々聞くようになったが、初めてのオリジナルアルバムとPOPS系の楽曲のカヴァーアルバムの3枚が好みで良く聴いている。
この方向でもっとアルバムを作ってくれたらよかったのになあと思う。

演歌歌手にこの手のアルバムがあるのは、多分、演歌が袋小路に入っていて、ポップス系の楽曲のカヴァーアルバムを試しに出してみたら、カヴァーする楽曲は流行ったもので力があるから、そこに歌唱力が加わるとかなり魅力的なものになり、思いのほか売れ、それが一種のブームのようになったのかな。
坂本冬美の場合は6枚まで出したんだから、きっと売れたんだろう。

演歌はあまり聴かないが、TVの歌番組に出てくるのはチョット塔のたった演歌歌手ばかりなのでウンザリするが、若い頃の映像を観るとビックリするくらい皆さんお綺麗でね。
お姿は、藤あや子が色っぽくて好みだけど、この人の曲は全く知らない。
もちろん演歌には興味が無いからカヴァーアルバムを探したらあるんだなあ、でも1枚しかないから坂本冬美のように成功しなかったのかもしれない。
それで購入を逡巡している。

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俺ってこんなもんじゃないぜ

2023年04月22日 | Weblog
ベッペにメールを出したら返事が来て、気分が盛り上がっちゃったね。
元々優れた舌と感受性を持っていたが、10年間ご無沙汰してた間に、ペスカイヤはヨーロッパで高名なブランドになったらしい。
バルベラが中心の産地なんだけど、彼の繊細な舌は白において特出していて、フラッグシップの白は売り切れて在庫が無いらしい。
僕の元秘書の女性から聴いていたように、前妻とは別れて若い綺麗なオネエチャンと一緒になっていて、仕事のほうはスイングしながらやっているようだが、3人の娘と会えないのが痛手のようだ。
最後に彼の家に行ったのは15年前になり、当時は未だ幼い娘たちだったが、今では年頃になっているはずで、その時期に会えないと後々まずいことになる。
僕も娘が思春期から大学生時代には仕事に夢中で、ちゃんと向き合って話した記憶が無いが、今その報いを受けている。

この数年、道楽仕事のようにワインと付き合っていたが、彼との温度差を感じ、炊きつけられた感じだ。
ワインに対する愛情がふつふつと沸き上がってきた。
俺ってこんなもんじゃねいぜって思いながら、彼からのメールを読み返し、先輩が送ってきた各種柑橘を絞っては、ジンのフルーツカクテルの杯を重ねている。

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ベッペ

2023年04月21日 | Weblog
火曜日は天中殺ような日だったが、今日は嬉しいことがあった。
6年間音信が不通だったイタリアのベッペから連絡があったのだ。
15年前に江ノ島で夕日を全身で受け止め一緒に異次元に飛んだことがあり、お互いの片言英語では共感できなかったところまで踏み込んだ。

元有能な食品会社の営業部長だったが、ワインメーカーに転身して、素晴らしい白を造った。
20年前にトリノの展示会で会い、そのSolo Lunaを飲んで感銘を受け、イタリア嫌いだった僕をイタリア好きの秘書の女性が、嫌がる僕をひぱって連れて来てくれたのだが、こんなすごいワインがあるのかと一気にイタリア好きになった。
アルネーゼという品種で造られていたが、毎年ブルゴーニュへ行き世界最高峰と目される白を飲み、それに匹敵するワインを造ることに精魂を傾けた結果のワインだった。
アリエ産のオークを数年雨に晒して、最後は川で晒し、樽に仕立てなんとも絶妙なバニラのような風味をバターのようなワインに付けてルナティックなワインに仕上げた。
こんな繊細な舌を持った人間がイタリアにもいるんだなあと驚いた。
目がぎょろっとしたスキンヘッドのオアニイサンで、彼も何度も試飲をして席を離れなかった僕を特別なやつだと大きな目を見開いて見守っていた。
以来やけに気が合い、彼の眼にかなったピエモンテのワイン、バローロやバルバレスコやアスティの蔵を自ら運転して紹介してくれた。
元々バルベーラの造り手として10年以上連続してNO1の評価を大学から受けていたが、日本ではこのバルベーラという品種が受け入れられなかったように思う。
果実味がストレートに強く、味わいの襞や奥行きが感じられないこの品種の特徴が、比較的高い価格がワインに求める要素と合致しなかったのかもしれない。
ともあれ日本にやって来て販促活動もしてくれたが思ったように売り上げが伸びなかった。
まあ、当時は量販店へのワインの納品がメインだったから、彼のワインのようなミドルクラスの高品質のワインを売る能力が会社に無かったのが決定的だったのだろう。

彼が紹介してくれたバローロのメーカーとやって来て平塚に宿を取り、七夕見物をした。
その時観た神輿の発着の時に拍子木でやる手〆をやけに気に入り、その後の試飲会やディナーパーティの〆で三三七拍子をやらないと納まらなかった。

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